「もちろん今年の大河ドラマも観ています」…宮部みゆき、第167回直木賞の選評より
直木賞の選評は『オール讀物』に掲載されます。
この雑誌に、小難しい文学理論や批評性を期待している読者なんて……そりゃあ皆無ではないんでしょうけど、基本的にはみんな面白い小説とか面白い記事を求めて読んでいます。そのなかで半年に一回まじってぶっ放される直木賞の選評というのは、存在そのものが異色です。
たとえば一般のわれわれに提供される直木賞関連のコンテンツとして、候補作の発表、受賞作の発表、選評の発表、という3段階があるとします。そのうち、圧倒的に話題にならないのが、最後の「選評の発表」なわけで、いったいこんなもの誰が読んでいるんだ、と愚痴った選考委員がいたとか、いないとか、真偽はちょっとわかりませんけど、その後、それらがまとめられて本になる、という展開も一部の委員を除けば、まずありません。悲しいといえば悲しいです。
どんな選考委員だって、まあ誰も読んじゃいないんだからとテキトーに書き流しているわけではない、と思います。たぶん。少しでも、読んでくれる読者を楽しませようと、百人百様、あれやこれやの手を使って、選評にエンタメ要素を加えようとしてきた委員も、けっして皆無ではありませんでした。
ということで前置きが長くなりましたが、そういう観点で直木賞の選評を見たとき、絶対に取り上げなきゃいけない人がいます。宮部みゆきさんです。
宮部さんの選評の特徴とは何か。それはあまりにだらだらと長すぎることだ。……という直木賞界の定説があります。
でも、どうしてそんなに長いのか。それは、本論ともいえる候補作、候補作家についての論評を展開するにあたって、現実社会に存在する映画やらアニメやらスポーツやらから固有名詞をバンバン出して、いいように形容したり喩えたり、枝葉にも見える読者サービスの遊びの部分が、やたらとたくさんあるからです。
そんなこと言う必要がないといえばありません。だけど、宮部さんが軽やかに繰り出す比喩表現を心待ちにしている選評読者も少なくはありません。少なくないかどうかは知りませんが、少なくともワタクシはいつも楽しみにしています。やはり宮部さんの選評には、そういう〈飾り〉の部分は欠かせないものと言っていいでしょう。いくら文章が長くなっても。
ためしに第167回(令和4年/2022年・上半期)の選評を見てみます。宮部さんはこんなふうなことを書いています。
「私はまるっきり不勉強のくせに、歴史小説の鎌倉ものが大好きです。それは永井紗耶子さんと同じ名字の大先達である永井路子さんの作品に触れたことから始まりまして、もちろん今年の大河ドラマ(引用者注:「鎌倉殿の13人」のこと)も観ていますが、思い出深いのはやっぱり永井路子さん原作の『草燃える』――というのはさておき、勃興から衰退滅亡まで山のように書く材料がある鎌倉幕府と北条氏の歴史のなかで、(引用者後略)」(『オール讀物』令和4年/2022年9・10月合併号、宮部みゆき「幸せな読み心地」より)
要するに永井紗耶子さんの候補作『女人入眼』を語るに際して、これだけのマクラというか、装飾を施しているわけですね。そりゃあ選評も長くなるはずだわ、としか言いようがありません。
だけど、選考に関係のないことを語るにしても、いまやっている大河ドラマのことを持ち出す辺りが、一般読者に少しでも興味をもってもらおうとする宮部さん独特のサービス精神です。平成・令和の時代に降臨した「選考とは関係ない選評」を書く最高の女神といえば、やっぱり宮部さんです。
次の第168回(令和4年/2022年・下半期)でも、当然、そのおちゃめな手法は健在です。
「(引用者注:小川哲『地図と拳』について)私はミーハーなことを書きたいと思います。冒頭の登場時から気の毒なほど船酔いしている丸眼鏡の青年・細川は、私の頭のなかでは俳優の神木隆之介でした。受難のクラスニコフ神父はマッツ・ミケルセン。ストーリー上はすぐ姿を消してしまうけれど、実はラストまでキーパースンであり続ける高木大尉は山本耕史。須野明男はいろいろ迷いました(なにしろ「万能計測器」ですから)が、賀来賢人がいいかな。青白い顔の中川は滝藤賢一で(梨をむさぼり食うシーンが目に浮かぶ!)、安井は意外に佐藤二朗がぴったり?」(『オール讀物』令和5年/2023年3・4月合併号、宮部みゆき「大風呂敷と幻術」より)
令和5年/2023年の日本に生きる人たちに向けて全力で俳優たちの名前を羅列しています。神木隆之介さんもマッツ・ミケルセンさんも山本耕史さんも賀来賢人さんも滝藤賢一さんも佐藤二朗さんも、さすがに自分の名前が直木賞の選評で触れられようとは、意外ちゅうの意外でしたでしょう。
かといって、ほんとに宮部さんが自分のミーハーなところだけを見せつけたかったのか、といえば、そうでもありません。そういうふうに登場人物たちに現実の俳優を当てて楽しんでしまえる、『地図と拳』という小説は一級のキャラ小説でもあるのだ、と後段で主張しています。そういう意味では、全然「選考に関係ない」とは言えないかもしれません。
ただ、選評というと畏まっていて真面目な舞台、と思われてしまうのを、どうにかして防ぎたいという宮部さんの思いが、脱線のようなハナシを繰り出すことになり、こうしてどんどん選評が長くなってしまう、というのは否めません。今後も、宮部さんの「選考に関係ない」部分にもっと注目が集まってほしい、と願っています。





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