「「選考会は年一回、賞金は倍額(百万円)」を提案する。」…山口瞳、第91回直木賞の選評より
先週、第89回(昭和58年/1983年・上半期)で城山三郎さんが放った選考委員退陣の弁を紹介しました。
このとき、選考会のなかでは「直木賞は年一回でいい」と言っている委員がいたと、城山さんが暴露しました。当時の委員というと、城山さんを除いて7人います。池波正太郎さん、五木寛之さん、井上ひさしさん、源氏鶏太さん、水上勉さん、村上元三さん、山口瞳さんです。
じゃあ、いったい、そんなことを主張したのは誰なのか。直木賞ファンのあいだでは、あいつじゃないか、こいつじゃないかと、噂バナシが激しく飛び交った、のだと思います。そんな犯人探しに終止符と打つため、いや、別にそんな気はなかったかもしれませんけど、それから1年後の第91回(昭和59年/1984年・上半期)の選評で、城山委員が最後に匂わせておいたナゾの人物、「年一回に減らせ」派の委員とは、じつはオレのことなんだと、思い切って手を挙げた人がいました。
……と、直木賞が一年間に何回あろうが、はっきり言ってどうでもいい話題です。世の中には、他にもっと大事なニュースがたくさんあります。だけど、こういう些細なハナシに、ついつい身を乗り出してしまうのが、直木賞愛好者の病的なところなんでしょう。すいません。
自首した犯人の発言を取り上げるまえに、まずは第91回直木賞の候補者と選考状況をおさらいしておきます。候補は8人いて、最終的に連城三紀彦さんの『恋文』と難波利三さんの『てんのじ村』の二作受賞と決まりましたが、連城さんは5度め、難波さんは6度めと、相当候補回数を重ねて、委員たちのあいだにもその作風は知れ渡っていました。過去作との比較もまじえて、かなりの成長が見られるから、あげてもいいんじゃないか、といった雰囲気が両者の高評価につながった模様です。
しかし、一般的なジャーナリズムの話題を盛り上げたのは、何といっても「直木賞候補三人娘」みたいにくくられた、3人の女性候補者でしょう。
性別や属性が騒がれるというのは、いかにも「昭和」の匂いがぷんぷんしますが(いや、いまでもあるか)、コピーライターとして出てきた林真理子さん30歳、ラジオDJから出てきた落合恵子さん39歳、そして銀座でクラブのママをしながら作詞家として顔も売れていた山口洋子さん47歳。そりゃあ盛り上がるよな、といった感じです。
もちろん決定した選評のほうでも、三者三様、さまざまに評価されたり、厳しい感想を受けたりと、そちらはそちらで華やか(?)ではあったんですが、ともかくうちのブログでは、なるべく選考とは関係のない部分をピックアップしなければなりません。
ということで最初に戻りまして「直木賞は年一回に減らせ」と叫んだ人の意見を拝聴したいと思います。山口瞳さんです。
「直木賞受賞作はその作者にとっての記念碑的作品であってもらいたいと強く希望する。同時に、世間に文学的衝撃を与えるものであってほしいとも思う。その意味では低調が続いている。打開の方法として、「選考会は年一回、賞金は倍額(百万円)」を提案する。」
(『オール讀物』昭和59年/1984年10月号、山口瞳「林真理子さん」より)
直木賞に何を期待するかは、人それぞれ、どんなことを言おうがフリーダムです。なるほど、山口瞳さんは直木賞にやたらと高い山脈を見ていたのだな、と思えてそれは別に文句はないんですが、直木賞なんて低調でいいじゃん、文学的衝撃とやらは直木賞みたいなせせこましい場所じゃなくて、もっと別のところで起こしてくれ……というのがワタクシの感想です。
この当時、主催の日本文学振興会は、いったい山口さんの提案をどのように受け止めたのでしょう。まがりなりにも最終選考をお願いしている一人の委員が、自分の責任で公に訴えた貴重な意見を、まさか黙殺、無視したとは思えません。
まあ、まあ、先生、そうはおっしゃっても直木賞は年二回やったほうが多くの作家にチャンスをつくれますし、みたいな回答をナイナイに、ウチウチに提示して、けっきょく山口さんの提案は取り下げられたんでしょうか。あるいは、日本文学振興会というのは、とにかく自分たちは口をつぐんで嵐が過ぎ去るのを待つ、というのがお得意な組織のようにも見えるので、マジでそのままダンマリ、山口さんにはとくにフォローしなかった可能性も十分にあり得ます。
うやむやにしておけば、たいがいの人は当初の熱も薄れます。そのうち、なかったことになっても、いちいち振り返ることはなかったんじゃないかと思います。何といっても直木賞ですからね。どうでもいいといえば、どうでもいいことですから、山口さんだって、ずっと気にしているわけにもいかなったでしょう。





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