梟森南溟…身元を明かさずパートナーと共同で執筆し、パートナーと別れたあとに覆面を脱いで単行本化。
直木賞とタヒチ、といえばこの人です。
と、何の前置きもなく、唐突な始まりですけど、直木賞を楽しむのに、別に決まりや資格は必要ありません。どう楽しもうがたいがい自由です。
今週取り上げる第116回(平成8年/1996年・下半期)直木賞の受賞者も、はたから見ると自由というか奔放というか、そんな人だと思います。
ライター業から童話・児童文学の賞をとって作家業の歩みをスタートさせ、そこから妙にオドロオドロしい怨念情念あたり前の小説を書き出すと、文学賞の神様から放っておかれるはずもなく、山本周五郎賞の候補になるわ、直木賞の候補になるわと、にわかに身辺騒がしくなったと思ったら、いよいよ第116回、並みいる強敵をおさえて直木賞に選ばれます。
で、この回の他の候補者はどんな人たちだったのか。『不夜城』の馳星周さんとか、『蒲生邸事件』の宮部みゆきさんとか、『ゴサインタン』の篠田節子さんとか、『カウント・プラン』の黒川博行とか、ミステリー界隈に嵐を巻き起こす(すでに巻き起こしていた)30代から40代の、イキのいい新星たちがきらめいていました。もう30年近くも前のハナシです。
このとき直木賞を受賞したのが、いまとなってはもう新作を読むことができない今週の主役の方なんですが、直木賞をとれば、とりあえず執筆舞台は広がります。受賞当時は38歳で、仕事の量もたくさんこなせるお年頃です。飛び込む執筆依頼を順調にこなして、エンタメ小説界の一角で元気に活躍するにつれ、徐々に奔放な作家のイメージが増幅されていきました。
いや、増幅されていった、というのはワタクシ個人の感覚にすぎません。ほんとうのところはどうだったのか。ただ一つ言えることがあるとすれば、住む場所も一つのところに縛られず、日本から海外から、さまざまな場所に住まいを移した、というところが自由な人、というイメージのひとつにあったものと思います。
何つったって、直木賞を受賞した平成9年/1997年1月当時も、日本ではなくイタリア・パドヴァに住んでいた、というぐらいの放浪者(?)です。
受賞の翌年、平成10年/1998年3月にはタヒチに移住。平成19年/2007年にイタリア・リド島に移ったりしながら、平成20年/2008年12月に帰国するまで外国で暮らしますが、そのあいだには、いわゆる「子猫殺し」騒動ってやつを巻き起こし、ああだのこうだの叩かれて、ネット炎上の歴史のなかに、たしかな足跡を残しました。
と、まあ炎上のハナシはともかくとして、彼女がタヒチ時代に残した作品はさまざまあります。そのなかには、いつも使っている名前とは別の名義で発表した二冊の小説もまじっています。
それが〈梟森南溟〉さんの『欲情』(平成20年/2008年2月・角川書店刊)と『恍惚』(平成20年/2008年2月・講談社刊)です。
前者は『野性時代』平成16年/2004年1月号から、後者は『小説現代』平成17年/2005年3月号から、〈梟森南溟〉の名前で掲載が始まったもので、そのときは匿名作家として正体を明かさず、単行本化されたときに、それが直木賞を受賞した女性と、執筆当時にパートナーとしてタヒチでいっしょに暮らしていたジャンクロード・ミッシェルさんとの共作であることが明かされました。
共作ということで、一人の作家がこれまでの名前とは違う別の筆名を使った、という例とはちょっと事情が違います。
あの直木賞作家が別の名前で新作を出した! といったような宣伝文句は、この当時、二冊に付いてまわったコピーですけど、さらにいえば、〈梟森南溟〉という名前の本は、この二冊も同時発売が最初で最後、とはっきり打ち出されたことも、またインパクトを感じさせました。
新聞の紹介記事に、こんなふうに表現されています。
「梟森南溟(ふくもりなんめい)なる謎めいた筆名の著者が、二つの出版社から同時に小説を刊行した。(引用者中略)いずれもエロスをテーマとし、版元は違うのに装丁も対になっている。
何かと思えば、直木賞作家の坂東眞砂子さんとその元パートナー、ジャンクロード・ミッシェルさんの共同執筆作。雑誌掲載時は覆面だったが、本の刊行にあたって初めて真相が明かされた。執筆は話し合いで大まかな筋を決め、ミッシェルさんのフランス語を2人で翻訳、坂東さんが全体的な構成や推敲を担当した。官能を極めた2冊だが、2人は既に別れ、この筆名の本も最後になるという。」(『読売新聞』平成20年/2008年3月25日「極めたエロス 覆面作家「梟森南溟」が同時出版」より)
まじか。〈梟森南溟〉の小説、もう読めないの? と号泣する読者が続出した……かどうかは寡聞にして知りませんが、生まれたと思ったらさっさと幕を閉じてしまった〈梟森南溟〉。さすが自由人、やることが他の作家とは一味もふた味も違っています。
パートナーと別れても、その後、作家活動は途切れることなく続きました。しかし、平成26年/2014年に高知市で病死。享年55。わ、若いです。
まじか。もう新しい小説、読めないの? と号泣する読者が、さすがにこのときは全国に何百人、何千人かはいた、という証拠はどこにもありません。だけど、そう思っておきたい気持ちが、ワタクシは拭いきれません。
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