600円の映画原作料を直木にパクられた今東光、直木賞をもらったのでトントンだ、と笑う。
最近はなかなか図書館にも行けません。ブログに書きたいことも別になく、最近は惰性でやっています。まあ、直木賞を調べたって、何ひとつ得することなんかありませんからね。惰性でだらだらやるのが一番です。
直木賞とおカネのことも、ほんとうはもっと最近の、2000年以降のハナシを調べたかったんですが、ひまが取れずにまったく目的を果たせませんでした。人生、うまくいかないことばっかりです。
と、それはそれとして、そろそろ別のテーマに変えたくなってきたので、「直木賞にまつわるお金のこと」は、今週で最後にします。最後もまた、ずいぶん昔にさかのぼって、苔むした受賞者のエピソードで締めることにしました。今東光さんです。
直木三十五さん本人とは、7歳ちがい。生前は面識もあって、いろいろと縁のあった今さんが直木賞を受賞したのは、第36回(昭和31年/1956年・下半期)でした。年齢でいうと58歳のときです。
今さんが語るところ、直木さんに対してはずっと貸しがあった……のだそうです。
「ぼくの作品が映画になったときに、直木のやつ、原作料をつかいこんじゃったことがあるんです。阪妻の独立第一回の映画として、ぼくの「異人娘と武士」というのを高松プロダクションでつくった。直木が撮影所で、「今とは無二の親友だから、おれがもってってやる」といって、原作料をうけとって、途中でつかっちゃった。(引用者中略)あいつがまだプラトン社の「苦楽」の編集長時代ですよ。こんど、ぼくが直木賞をもらったのは、あのときのかねをとりかえしたことになる。(笑)これで、トントンだてえわけだな。(笑)」(昭和33年/1958年2月20日・朝日新聞社刊『問答有用 夢声対談集X』より)
直接、今さんからハナシを聞いたという足立巻一さんによれば、原作料は大正14年/1925年当時の相場からして2倍の600円(昭和42年/1967年12月・理論社刊『大衆芸術の伏流』)。それから10年後の直木賞の賞金が500円ですから、それよりもっと高かったわけです。今さんは「トントンだ」と言って笑いましたが、直木賞の一回分ぐらいじゃ、貸しは返しきれていないわけですね。まったく、直木さんのおカネのルーズさはむちゃくちゃです。いつも金欠でピーピー言っていたのは、自業自得です。
さて、60歳近くなって直木賞をうけた今さんですが、彼もまた「カネがない」ってハナシをしょっちゅう語る人でした。住職を務める八尾のお寺を、貧乏寺だとさんざん言いふらしたのが、その代表的なエピソードです。
昭和26年/1951年、特命住職の命を受けて、今さんが乗り込んだのが河内八尾の天台院です。檀家は35軒。そこから上がる収入は月2,000円~3,000円程度だったと言います。これだけじゃ寺の運営は成り立たない。夫婦二人の生活も送れない。それなのに檀家の連中は、住職のお経には重みがないだの何だの、文句ばっかり言いやがる。ひでえ檀家ばっかりだ、がはははは。と得意の毒舌をたびたび披露しました。
しかしそれでも、何とか寺を守ってやっていけたのは、今さんに副収入があったからです。直木賞をもらう前から、文章を書いて原稿料を稼いでいましたし、講演や短大の講師の口もかかる。そういった個人の収入を、寺の運営につぎ込んで、楽しくやっていたのですから、案外、今さん自身はおカネを持っていたようにも思います。
ただ、いったいいくら入ってきて、いくら使ったのか、まるでわからないというのが実状だったようです。妻のきよさんは、東光さんの没後のインタビューでこう語ります。
「金銭感覚はまったくない人でしたね。実印なんて自分で持ったことはないでしょう。土地の名義替えでも、すべて「おまえ、いいようにやっとけ」っていう調子でした。
(引用者中略)
主人が亡くなって十年ぐらいたってから、「先生の借用証書をとっている」という人がやって来たことがあります。「幾らですか」「六百万円です」、候文で判も実印じゃない。何が何だかちっとも分からない。」(平成23年/2011年5月・文藝春秋/文春文庫『想い出の作家たち』より ―初出『オール讀物』平成5年/1993年7月号「回想の今東光」、聞き手:岡崎満義)
このルーズさ。それでいて、カネのことに細かい面もあり、みみっちい収支にはうるさく口を挟んでくる。
ああ、どこかでこんな人がいたよなあ、と思ったら、そうだ、直木三十五さんにもそんな感じの文章がたくさん残っています。
友人の原作料を勝手に使い込む直木さんも、直木賞をもらってトントンだと笑い飛ばす今さんも、けっきょくの金銭感覚は似た者同士、ってことなんでしょう。選考基準だけじゃなく、おカネに関して(も)ざっくりルーズなのが、やっぱり直木賞にはお似合いです。
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次の第169回(令和5年/2023年・上半期)が目の前に近づいてきて、気が気じゃありません。そのあいまを縫って、また来週から別のテーマで、昔の直木賞の(どうでもいい)ハナシをあれこれほじくっていきたいと思います。
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