平成29年/2017年、川越宗一、メールでの小説添削講座を受講する。

▼平成18年/2006年、朝井まかて、大阪文学学校の合評会で大泣きする。
「小説教室と直木賞」のテーマも、今週でようやく50週。キリよく今回で締めたいと思います。
といってもカッコよく締めらりゃしません。小説教室も直木賞も、いま現在、コツコツと続いているナマモノです。どちらも「本が売れない」「売れない作家は、次のチャンスがない」という商業出版のカネまわりが厳しい時代に直面しながら、山もあれば谷もある、どうにか頑張って続いていくんでしょう。いずれ、直木賞を主催する日本文学振興会が、小説教室をひらく日だって来るかもしれません。
それはともかく、最後の週は、最近の直木賞と小説教室との交差ぶりを確認して終ろうと思います。ネタ元は、『オール讀物』直木賞発表号に載っている、受賞者自身がこれまでの人生(ないし作家人生)を振り返った自伝エッセイです。
第150回(平成25年/2013年下半期)のときには記念出版として『直木賞受賞エッセイ集成』(平成26年/2014年4月・文藝春秋刊)なんて本も出されました。21世紀になって最初の受賞だった山本文緒さん、重松清さんの第124回(平成12年/2000年下半期)から第150回までの、自伝エッセイを集めたものですけど、それ以降も直木賞はチマチマと続いています。ということで、第151回から前回第164回までを含めると、およそ最近20年。受賞した人たちの自伝エッセイに、どういったかたちで「小説教室」が出てくるのか。拾っていきます。
すでに、うちのブログで取り上げてしまった人もいますが、江國香織さん(第130回・平成15年/2003年下半期受賞)、角田光代さん(第132回・平成16年/2004年下半期受賞)、森絵都さん(第135回・平成18年/2006年上半期受賞)あたりは、それぞれ大学(ないしは専門学校)で創作を学んだ経歴の持ち主です。ただし、自伝エッセイではそこはあまり深く語られていません。
他の受賞者のみなさんはどうかというと、「小説を書き始めたきっかけや、その頃の書き方」を読んでも、ほとんど小説教室とは無縁だったようです。そのなかで登場するのが、第150回(平成25年/2013年下半期)受賞の朝井まかてさん。大阪文学学校に通いはじめた頃のことを、しっかりとエッセイに刻んでいます。
親友の旦那さんが、時代小説を書きはじめたのをきっかけに、一緒に書こうと誘ってくれたらしいのですが、仕事も忙しいし、やらなきゃいけない家事もある、そんなこんなで一人、原稿用紙の前に座ってもまるで筆が進みません。というところで、朝井さんの暮らす環境にあったのが、小説教室です。
「意を決して、大阪文学学校の入学案内を取り寄せた。
ここに十年通って一作も書けなかったら、己の夢に引導を渡そう。
時限を設けて、あの学校の階段を上った。
そして提出日の前夜遅く、初めて書き上げたのだ。小説なるものを。
(引用者中略)
クラスの皆はその短編を褒めてくれた。ある人は真摯に、ある人は笑いを取りながら、それぞれの言葉で。
合評会の最後は、書き手自身に発言権が与えられる。私は「読んでくれて有難う」と口にしただけで泣き出してしまった。あまりに張りつめていたので、どこかが破けたような泣き方だったと思う。」(『オール讀物』平成26年/2014年3月臨時増刊号 朝井まかて「毛玉たちへ」より)
小説教室に備わった「大勢の人に囲まれて、その刺激のなかで書く」という性質が、うまく作用したんだなあ、と思います。これがおそらく平成18年/2006年のことで、そこからすぐに朝井さんが作家になったわけではないですけど、なかなか書けなかった人が、まずは第一歩を踏み出せたのは、大阪文学学校があったからです。だれでも入れるこういう学校が貴重で有意義なのは、間違いありません。
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