カテゴリー「直木賞の発行・売上部数」の51件の記事

2017年6月 4日 (日)

第122回直木賞『長崎ぶらぶら節』~第125回『愛の領分』までの受賞作単行本部数と、全体のまとめ

第122回(平成11年/1999年・下半期)直木賞

受賞作●なかにし礼『長崎ぶらぶら節』(文藝春秋刊)
初版(受賞前)8,000部→23万

第123回(平成12年/2000年・上半期)直木賞

受賞作●金城一紀『GO』(講談社刊)
18万
受賞作●船戸与一『虹の谷の五月』(集英社刊)
13万

第124回(平成12年/2000年・下半期)直木賞

受賞作●山本文緒『プラナリア』(文藝春秋刊)
14万7,000
受賞作●重松清『ビタミンF』(新潮社刊)
11万8,000

第125回(平成13年/2001年・上半期)直木賞

受賞作●藤田宜永『愛の領分』(文藝春秋刊)
12万

 部数のテーマも一年がたったので、とりあえず最後にまとめておきます。

 直木賞受賞作の、単行本(あくまで単行本です)での歴代売上げランキングをつくるとしたら、おそらくこんな感じです。

  • 1.  155万部 浅田次郎『鉄道員』(集英社)第117回・平成9年/1997年上半期
  • 2.  117万部 青島幸男『人間万事塞翁が丙午』(新潮社)第85回・昭和56年/1981年上半期
  • 3.   66万部 東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)第134回・平成17年/2005年下半期
  • 4.   57万部 高村薫『マークスの山』(早川書房)第109回・平成5年/1993年上半期
  • 5.   50万3500部 桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社)第149回・平成25年/2013年上半期
  • 6.   50万部 恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)第156回・平成28年/2016年下半期
  • 7.   47万部 西加奈子『サラバ!』(上・下)(小学館)第152回・平成26年/2014年下半期
  • 8.   46万2000部 向田邦子『思い出トランプ』(新潮社)第83回・昭和55年/1980年上半期
  • 9.   45万部 宮部みゆき『理由』(朝日新聞社)第120回・平成10年/1998年下半期
  • 10.  43万7000部 佐木隆三『復讐するは我にあり』(上・下)(講談社)第74回・昭和50年/1975年下半期
  • 11.  40万部 景山民夫『遠い海から来たCOO』(角川書店)第99回・昭和63年/1988年上半期
  • 12.  39万部 桐野夏生『柔らかな頬』(講談社)第121回・平成11年/1999年上半期
  • 13.  37万部 奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋)第131回・平成16年/2004年上半期
  • 14.  35万部 原尞『私が殺した少女』(早川書房)第102回・平成1年/1989年下半期
  • 14.  35万部 藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社)第114回・平成7年/1996年下半期
  • 14.  35万部 池井戸潤『下町ロケット』(小学館)第145回・平成22年/2010年下半期
  • 17.  32万部 宮尾登美子『一絃の琴』(講談社)第80回・昭和53年/1978年下半期
  • 17.  32万部 小池真理子『恋』(早川書房)第114回・平成7年/1995年下半期
  • 17.  32万部 江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮社)第130回・平成15年/2003年下半期
  • 20.  31万3500部 連城三紀彦『恋文』(新潮社)第91回・昭和59年/1984年上半期
  • 21.  30万部 宮城谷昌光『夏姫春秋』(上・下)(海越出版社)第105回・平成3年/1991年上半期
  • 21.  30万部 天童荒太『悼む人』(文藝春秋)第140回・平成20年/1998年下半期

 上下巻のものは両巻合計、またすべて公称部数として報道・宣伝・発表されたもので、じっさいは多少の誤差もあるでしょうけど、おおよそはこういう並びです。30万部まで行ったものが22作あり、芥川賞の受賞作で、同じように調べると、30万部以上は13作ですから、全体的に直木賞のほうが売上げ好調で、とくにこれは平成(1990年代)以降に顕著です。

 ……ふふん、そんなことは数字なんか調べなくたって知っているよ。と、モノ知り博士は笑うかもしれませんが、187冊、直木賞受賞単行本と呼ばれるすべてについて調べたかったのに、それはかないませんでした。笑われることより、そっちのほうが悲しいです。

 「よく売れた」部類だけを挙げれば、直木賞をとればそんなに売れるのか、と思いたくもなりますが、判明している分だけでも、20万部~30万部のものが21作、10万部~20万部が44作、と比率で見ればそっちのほうが断然、直木賞の中心です。さらにいうと、10万部未満もやはり40、50作はあると推測されます。芥川賞より売れることを誇っている場合ではなく、安定して10万部以上売れる賞でありながら、「最近の直木賞は、昔より売れないんだってよ」と、なぜか馬鹿にされてしまう、直木賞の体質に、私は関心があります。

 ということで、まだ取り上げていなかった第122回(平成11年/1999年・下半期)~第125回(平成13年/2001年・上半期)の6つの作品『長崎ぶらぶら節』『GO』『虹の谷の五月』『プラナリア』『ビタミンF』『愛の領分』のことですけど、伝えられている部数は、20万部以上が1作と、10万部台が5作。何ひとつ文句を言える筋合いの部数ではありません。立派そのものです。

 ところが、当時の『出版月報』『出版指標 年報』などを当たってみると、まあけっこう、ずいぶんなことを言われています。

「毎回注目度が高い両賞(引用者注:直木賞と芥川賞)だが、文芸書全般が落ち込んでいる中、こういった受賞作関連も今ひとつ振るわなかった。」(『2001出版指標 年報』平成13年/2001年4月「書籍の出版傾向―文学」より)

「直木賞や芥川賞等の受賞作品は、最近今ひとつ元気がない。文藝春秋『プラナリア』などが期待されたが、読者の反応はもうひとつ。」(『出版月報』平成13年/2001年7月号「特集 2001年上半期出版動向」より)

「直木賞、芥川賞受賞作の部数の伸びは今ひとつだった」(『出版月報』平成13年/2001年12月号「特集 2001年出版動向」より)

 直木賞をみると、どんな場面でもいつも「いまひとつ」と言いたくなる、人間本来の(?)素直な感覚が、こういうところにも現われているのかもしれません。

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2017年5月28日 (日)

第129回直木賞『4TEEN』『星々の舟』の受賞作単行本部数

第129回(平成15年/2003年・上半期)直木賞

受賞作●石田衣良『4TEEN フォーティーン』(新潮社刊)
受賞前2万9,000部→13万9,000
受賞作●村山由佳『星々の舟』(文藝春秋刊)
14万

※ちなみに……

第128回(平成14年/2002年・下半期)芥川賞

受賞作●大道珠貴「しょっぱいドライブ」収録『しょっぱいドライブ』(文藝春秋刊)
7万3,000

第129回(平成15年/2003年・上半期)芥川賞

受賞作●吉村萬壱「ハリガネムシ」収録『ハリガネムシ』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→5万5,000

 そろそろ、部数に関するテーマも終わりが見えてきました。

 まだ取り上げていない受賞作がいくつかありますが、いずれも特徴的な性格が薄く、いわゆる「そこそこの話題と、そこそこの売上げ」という、直木賞のスタンダードを体現した、平均的な作品と言っていいと思います。

 ……と前置きしてからの『4TEEN』と『星々の舟』。ということで、うわー、いかにも直木賞の平均っぽいよなー、という感がハンパありません。手がたいと言いますか、昔ながらのフォーマットと言いますか、第128回の『半落ち』騒動を受けて、また第129回の注目候補『重力ピエロ』をさしおいて、この二作に賞を与えてしまったことで、直木賞に漂う閉塞感が決定的になったとも言われる、重要な受賞作です。

 まあ、「そこそこ」な感じが好きじゃなきゃ直木賞ファンなんてやっていられません。どちらの小説も、低調でないうえに突き抜けもしない、バツグンのそこそこ感に満ちた、直木賞らしい受賞作だと思いますけど、世のなかには、こういうものより多くの人に喜ばれる小説があります。

 この年、平成15年/2003年は年初から、例の『半落ち』が好調な売れ行きをキープ。『出版月報』の記事を追ってみると、「このミス」パワーの力もあったんでしょう、1月15日現在17万5,000部、直木賞に落ちて、なんだかんだと騒がしくなるなか、2月には22万5,000部、3月27万5,000部と、ボン、ボンと大量増刷がかかり、その後も継続して売れて、年内には33万部到達、というところまで上昇します。

 第128回、直木賞はけっきょく授賞作を出せず、芥川賞のほうはどうにか1作、作品を選んだんですが、受賞したらかなりの売れ行きが見込めたはずの、最も注目された島本理生さんではなく、大道珠貴さんの「しょっぱいドライブ」だったものですから、大したお祭りにはなりません。

 『しょっぱいドライブ』は、受賞後に単行本が発売され、だいたい1~2か月で7万部程度まで行き、そのあたりで落ち着きました。

 芥川賞で7万部。というのは、多くもなければ少ないとも言えないし、ネタにしようにも注目点が見つけづらい数字ですから、ワタクシもとくに言いたいことはありません。しかし、この回は、受賞作は大したことないのに、(島本さんが候補になったおかげか)まわりだけが騒がしい、いつまでこんなことやっているんだ日本人! 的な記事が、数多く書かれた回でもあります。さすがは芥川賞、そんなことですら話題になってしまう恐ろしいヤツ。それから10数年たっても、べつに状況に変化がないところを見れば、確実に今後もこういうことが繰り返されるに違いないという、ある意味、伝統的な芥川賞スタイルだったのかもしれません。

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2017年5月21日 (日)

第48回直木賞「江分利満氏の優雅な生活」の受賞作単行本部数

第48回(昭和37年/1962年・下半期)直木賞

受賞作●山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)7万部?

※ちなみに……

第28回(昭和27年/1952年・下半期)芥川賞

受賞作●五味康祐「喪神」収録『秘剣』(新潮社/小説文庫)
10万5,000

第32回(昭和29年/1954年・下半期)芥川賞

受賞作●小島信夫「アメリカン・スクール」収録『アメリカン・スクール』(みすず書房刊)
(受賞前)3,000部→(受賞後・新書判に)2万

第37回(昭和32年/1957年・上半期)芥川賞

受賞作●菊村到「硫黄島」収録『硫黄島』(文藝春秋新社刊)
約4万

第43回(昭和35年/1960年・上半期)芥川賞

受賞作●北杜夫「夜と霧の隅で」収録『夜と霧の隅で』(新潮社刊)
4万5,000

第44回(昭和35年/1960年・下半期)芥川賞

受賞作●三浦哲郎「忍ぶ川」収録『忍ぶ川』(新潮社刊)
3万8,000(発売約1か月で)約7万(発売約半年で)12万2,500

 直木賞・芥川賞といっても、オレたちの時代はそんなに売れなかった。……っていうのが、先人たちによくある回想テンプレです。いまでも、売れ行きの悪い受賞作というのは存在するので、どこまで時代のせいなのか、はっきりしませんが、たしかに昭和50年代よりまえは、5万部も10万部も売れた受賞作をさがすほうが、難しいです。

 戦前はちょっと比較しづらいのでおいておきます。戦後、10万部を超えた受賞作として、まず最初に名前が上がるのが第28回(昭和27年/1952年・下半期)、直木賞の立野信之『叛乱』11万5,000部でしょう。「直木賞だから」そんなに売れたのかといえば、かなり疑問符がつきますが、受賞の効果も多少はあった、と見られています。

 この回、芥川賞のほうは二作授賞。どちらも本になるまで時間がかかります。1月に決定した後、のちのベストセラー作家松本清張さんの『戦国権謀』(「或る『小倉日記』伝」収録)は10月の刊行。清張さんの研究本はゴマンとありますが、これなど、まず売れたとは聞きません。いっぽう五味康祐さんの『秘剣』(「喪神」収録)となると、さらに遅く、発売は2年以上たった昭和30年/1955年7月でした。

 しかしこれが功を奏したか(いや、偶然にも)、発売当初はともかく、しばらくしたのち軽装版ブーム&剣豪小説ブームの代表とも目されるほどに、当たってしまい、

「五月に出た「新剣豪伝」(引用者注:中山義秀・著)(新潮社小説文庫)を皮切りに、下半期はいわゆる“剣豪小説ばやり”が起り、雑誌でも毎月必ず数篇が載るという盛況となった。五味康祐「秘剣」「柳生連也斎」(新潮社小説文庫)がチャンピオンぶりを示す売れ行き(引用者後略)(『日本読書新聞』昭和33年/1958年12月12日号「複雑な“活況” 書籍界一年の動き」より)

 この記事によると、『秘剣』は10万部、『柳生連也斎』8万部、中山義秀さんの『新剣豪伝』が5万部だったそうです。『新潮社八十年図書総目録』(昭和51年/1976年10月)にも、『秘剣』は昭和30年/1955月7月発売から昭和33年/1958年4月までに10万5,000部を記録、とあって、ほとんど芥川賞とは関係ないかもしれませんが、とりあえず受賞作収録本の10万部超えをなしとげました。

 いっぽうで、オレは売れなかったよ回想の急先鋒が、以前にも紹介した安岡章太郎さん(第29回芥川賞)や吉行淳之介さん(第31回芥川賞)です。同じ時代の受賞者といってもいい小島信夫さん(第32回芥川賞)もまた、このグループのお仲間のようです。

「受賞前に三千部だけ刷っていた『アメリカン・スクール』は、受賞後、新書判で二万部ほど出したが、ほとんど返ってきて出版社がつぶれそうになった。芥川賞をもらったからといって、パッとするものではなかった」(平成8年/1996年2月・産経新聞ニュースサービス刊『戦後史開封3』所収「芥川賞・直木賞」より)

 芥川賞をもらって、パッとしない人もいるでしょう。パッとした人も、いたでしょう。当時に特有のことじゃなく、その後もずっと続いたし、いまだってそうかもしれません。……などと普通のことを言い出しても、話が進まないので、先に向かいます。

 昭和30年代、よく売れたものとして判明している受賞作を挙げていくと、芥川賞では『太陽の季節』(昭和30年/1955年下半期)22万5,000部、『硫黄島』(昭和32年/1957年上半期)4万部、『裸の王様』(昭和32年/1957年下半期)6万5,000部、『死者の奢り』(昭和33年/1958年上半期)7万部、『夜と霧の隅で』(昭和35年/1960年上半期)4万5,000部、『忍ぶ川』(昭和35年/1960年下半期)12万2,500部……といった按配。直木賞となると、ぐっと少なくなって、『花のれん』(昭和33年/1958年上半期)10万部、『落ちる』(昭和33年/1958年下半期)3万部、『雁の寺』(昭和36年/1961年上半期)9万部と、このぐらいしか、いまのところワタクシは知りません。

 こないだ引用した江崎誠致さんの文に、芥川賞受賞作は1万部刷られる、という説が載っていました。それと合わせて考えてみると、3万部いったらかなりのもので、5万部ともなれば話題のヒット作、10万部なんて、たまにしか生まれない破格のベストセラー。といった様相です。

 ところで、吉原敦子さんに『あの本にもう一度 ベストセラーとその著者たち』(平成8年/1996年7月・文藝春秋刊)という本があります。昭和22年/1947年『ノンちゃん雲に乗る』から昭和53年/1978年『日本人の脳』まで、23作の「ベストセラー」の、それぞれの著者へのインタビューをまとめたものですが、そこで取り上げられた直木賞受賞作が2つあります。佐木隆三さんの『復讐するは我にあり』と、もうひとつが山口瞳さんの『江分利満氏の優雅な生活』という、昭和30年代の作品でした。

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2017年5月14日 (日)

第16回直木賞「強情いちご」「寛容」の受賞作単行本部数

第16回(昭和17年/1942年・下半期)直木賞

受賞作●田岡典夫「強情いちご」収録『小説 武辺土佐物語』(大日本雄弁会講談社刊)
初版(受賞前)1万
受賞作●神崎武雄「寛容」収録『寛容』(大川屋書店刊)
初版(受賞後)1万

※ちなみに……

第3回(昭和11年/1936年・上半期)芥川賞

受賞作●鶴田知也「コシャマイン記」収録『コシャマイン記』(改造社刊)
初版(受賞後)約1,900

第9回(昭和14年/1939年・上半期)芥川賞

受賞作●長谷健「あさくさの子供」収録『あさくさの子供』(改造社刊)
初版(受賞後)約2,900

第14回(昭和16年/1941年・下半期)芥川賞

受賞作●芝木好子「青果の市」収録『青果の市』(文藝春秋社刊)
初版(受賞後)5,000

第19回(昭和19年/1944年・上半期)芥川賞

受賞作●小尾十三「登攀」収録『雑巾先生』(満洲文藝春秋社刊)
初版(受賞後)5,000部→1万

第20回(昭和19年/1944年・下半期)芥川賞

受賞作●清水基吉「雁立」収録『雁立』(鎌倉文庫刊)
約1万

第29回(昭和28年/1953年・上半期)芥川賞

受賞作●安岡章太郎「悪い仲間」「陰気な愉しみ」収録『悪い仲間』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)3,000

 戦前、第20回までの直木賞は、久米正雄さんによれば「道楽的に」決められていた、とのことです。言うよねー、って感じではありますが、道楽で文学賞を決めちゃいけない理由なんて何もありません。むしろ、直木賞は道楽的ぐらいなのが、ちょうどいいのかもしれません。

 で、戦前の受賞作は、ほとんど部数がわからない、とさんざん愚痴ってきたとおりです。ただ、まったくわからないのもナンなので、おおよその見当をつけるために、芥川賞のほうを少し見てみることにします。

 『改造社出版関係資料』(平成22年/2010年2月・慶応義塾図書館改造社資料刊行委員会・編、雄松堂出版刊)というものがあります。このなかに、新刊を各取次に何部ずつ配本したのか記された資料があり、当時の部数水準を知るためには、かなり有益なものです。

 改造社から出た芥川賞受賞作の単行本は、戦前、3冊ありました。上記の資料「4.改造社の経営にかかわる内部資料」-「新刊配本帳」を見てみますと、初版の配本総数は、次のようになっています。

  •  第1回受賞 石川達三『蒼氓』(昭和10年/1935年10月19日) 2,440
  •  第3回受賞 鶴田知也『コシャマイン記』(昭和11年/1936年10月20日) 1,890
  •  第9回受賞 長谷健『あさくさの子供』(昭和15年/1940年1月19日) 2,900

 ちなみに、新小説社から出した第1回直木賞受賞作本(のひとつ)川口松太郎『明治一代女』(昭和11年/1936年3月)は、初版2,000部を刷ったそうです。改造社の資料を見ると、他の、とくに文学賞とは関係ない文芸書でも、1,500部~3,000部ぐらいのものをよく見かけます。まず2,000部前後というのが、だいたいスタンダードだったんでしょう。

 当時の芥川賞では、受賞してはじめて本になる、というケースがほとんどでしたが、そのなかで異例中の異例、単行本が受賞対象になってしまった尾崎一雄さんの『暢気眼鏡』も、受賞後あわててつくった再版普及版は、だいたい3,000部から始めたようです(受賞対象となった昭和12年/1937年4月の初版は500部だった、とのこと)。

 戦前、21冊刊行された芥川賞受賞作本のうち、文藝春秋社4冊を上まわって、5冊の版元となったのが小山書店です。その社長、小山久二郎さんの回想に、こうあります。

「その後(引用者注:『糞尿譚』と『あらがね』の好調な売れ行き後)、同人雑誌などにも注意を向けるようになり、芥川賞の候補作なども注意ぶかく観察し、宇野浩二の力なども借りて、その後に芥川賞になったほとんどの作品は、小山書店から出たもののうちからという様になった。この為、新人作家たちは小山書店を熱心に注目するようになった。私が注目した新人の作品は、処女出版であっても、少なくとも三千部は必ず売れるような出版社にのし上った。」(昭和57年/1982年12月・六興出版刊 小山久二郎・著『ひとつの時代――小山書店私史――』より)

 受賞作がどれくらい売れたかは書いてありませんが、3,000部というのが、けっこう誇れる数字だったことは読み取れます。そういえば、こないだ引用した江崎誠致さんの「小説芥川賞」にも、『糞尿譚』(昭和13年/1938年3月・小山書店刊)の初版は3,000部だった、って書いてありましたね。

 第12回(昭和15年/1940年・下半期)の櫻田常久さん以降、勧進元の文藝春秋社が、いよいよ受賞作の単行本化に乗り出し、芥川賞の世界における小山書店の天下(?)は早くも終わってしまうのですが、そのころの部数について証言しているのが、第14回「青果の市」で受賞した芝木好子さんです。当時としては多い部数だろう、と断りながらも、初版は5,000部だったはず、と書いています(『週刊読書人』昭和39年/1964年3月9日号「はじめての本」)。

 3,000部から5,000部に若干アップした、と言えるのか。実数はけっきょく不明なので、やっぱり3,000部前後で推移した、と見るべきか。細かいハナシすぎて、どうでもいいような気もするんですが、とりあえずこの段階で、芥川賞の初版は5,000部、というのが現実的な線になった、と言っておいてもいいと思います。

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2017年5月 7日 (日)

第56回直木賞『蒼ざめた馬を見よ』の受賞作単行本部数

第56回(昭和41年/1966年・下半期)直木賞

受賞作●五木寛之 「蒼ざめた馬を見よ」収録『蒼ざめた馬を見よ』(文藝春秋刊)
3万3,000(受賞後1年で)20万6,000(受賞後6年で)→?

※ちなみに……

第56回(昭和41年/1966年・下半期)芥川賞

受賞作●丸山健二「夏の流れ」収録『夏の流れ』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)8,000部→?

 直木賞の第60回は、昭和43年/1968年・下半期です。ようやくこのごろは、一般的な芥川賞偏重主義も薄れてきて、直木賞のほうも注目されるようになってきた、なんて言われはじめた時代です。

 ワタクシから見れば、「どこがだ!」とツッコミたくなるほど、当時の文献で、直木賞に言及されたものはまだまだ少なかったと思うんですが、それまでが、よっぽどヒドかったんでしょう。50年まえの直木賞ファンたちの、せつない境遇が悲しすぎます。

 とりあえず当時、芥川賞作品はだいたい2万部から、ということを夏堀正元さんが明らかにしていましたが、直木賞がそれを上まわっていた、という話は見えません。第71回(昭和49年/1974年・上半期)の藤本義一さんが、自分の受賞作が3万部行った! ということで驚いていたくらいなので、やはり直木賞のほうも、順当に売れて2~3万部見当だったんでしょう。

 直木賞史に燦然と輝くインパクトをもって登場した五木寛之さんが、「蒼ざめた馬を見よ」で受賞したのは第56回(昭和41年/1966年・下半期)。ちょうどそんな時代です。

 受賞からわずか5年で「圧倒的五木寛之ブームを解剖する」(『週刊現代』昭和46年/1971年10月14日号)なんちゅう記事が書かれるくらいに、本が売れた人ですが、同記事によれば昭和46年/1971年での売上部数は、『ゴキブリの歌』15万部、『朱鷺の墓』(空笛の章、風花の章あわせて)18万3,000部、『対論』(野坂昭如・共著)15万部、従来の作品の再版・重版分が約82万部。まあ、ものすごいです。

 それでは、直木賞の受賞作はどのくらいだったのか。……といったことは、以前もうちのブログで取り上げたことがあります。でもワタクシも、すっかり忘れてしまったので、改めて思い出してみます。

 植田康夫さんが調べて、『新評』昭和48年/1973年8月号「白夜のエンターティナー 五木寛之ズームイン」に書き残しておいてくれた数字です。

 昭和42年/1967年4月刊行の『蒼ざめた馬を見よ』は、昭和42年/1967年:3万3,000部、昭和43年/1968年:2万7,000部、昭和44年/1969年:3万4,000部、昭和45年/1970年:4万1,000部、昭和46年/1971年:3万1,000部、昭和47年/1972年:4万部、約6年の合計が20万6,000部。

 この受賞作はその後、昭和47年/1972年10月に『五木寛之作品集1』に収められ(この本もまた相当売れたらしいです)、昭和49年/1974年7月に文春文庫となりますので、さすがに単行本の増刷ペースは落ちたんじゃないかと思いますが、ロングセラー作家を標榜する五木さんの売れ方は、こういうデータからも実証できる、と植田さんはまとめています。

「それにしても、四十二年から四十七年の六年間で約二〇万部という数字は、一年間の平均増刷部数が三三〇〇〇部ということである。これでは、ベストセラーとはいえない。

ちなみに、五木の本で年間ベストセラーに入ったのは、『にっぽん三銃士』と『青春の門』自立篇だけである。だから、五木はむしろ、ベストセラー作家というより、ロングセラー作家と呼んだ方がよい。」(『新評』昭和48年/1973年8月号より)

 ひょっとしたら、受賞作が3万部ぐらい売れた、というのは当時でも珍しくなかったかもしれません。

 しかし、そのくらいの部数で毎年増刷をつづけたうえに、『さらばモスクワ愚連隊』(講談社版、同時期までに20万1,000部)、『青年は荒野をめざす』(文藝春秋版、昭和47年/1972年上半期までで32万1,000部)、『風に吹かれて』(読売新聞社版、同時期までに19万1,000部)など、じわじわ売れて10万、20万を超すような本も、ボロボロ出す。直木賞の受賞で光が当たったのは間違いないのに、直木賞作品だけが特別に売れたわけじゃない(売れなかったわけでもない)、となると、これは直木賞の力というより、五木さんのパワーと見るしかありません。

 受賞直後から、新世代の旗手だ、新しいエンタメ文学の幕開きだ、とテレビから雑誌から、さんざん五木さんを取り上げてにぎわったのに、直木賞の力、そんな程度だったのか。ほんと、だいじょうぶかよ!? と50年前のことを心配しても始まりません。せつなさを感じながら、先に進みたいと思います。

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2017年4月30日 (日)

第61回直木賞『戦いすんで日が暮れて』の受賞作単行本部数

第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞

受賞作●佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』(講談社刊)
3万部弱(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第61回(昭和44年/1969年・上半期)芥川賞

受賞作●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中央公論社刊)
30万(受賞後半年で)45万(受賞後1年で)64万(受賞後2年で)90万

 直木賞の、文学賞としての面白さは、数えきれないほどにあります。「昔と比べてモノが言えること」なんかも、そのひとつでしょう。

 「昔はよかった、でも今では……」とか、「昔は話題にもならなかった、でも今では……」とか。昔のことを引き合いに出したくなる欲求が人間に備わっていることは、私も実体験としてよくわかります。なにしろ、こういう場面では、とくに正確さは求められません。それっぽければ、「何かいいこと言った」感に包まれ、満足できてしまいます。こんなに面白いことはないし、直木賞のまわりには、こういうものが大量に渦巻いています。ハッピー・スポットです。

 ……といって、いまから紹介するハナシが芥川賞のこと、というのがまた、直木賞の悲しいところなんですが、芥川賞も、昔と比べて言及されることの多い代表選手です。とくに部数に関しては、芥川賞のほうこそ、ポツリポツリと文献に残されてきました。

 江崎誠致さんは、もと小山書店に勤務していた経緯もあり、「小説芥川賞」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月])のなかで、火野葦平さんの『糞尿譚』の部数を記しています。

「今から考えれば嘘のような話であるが、その火野葦平の「糞尿譚」が初版はわずか三千部である。しかもはじめは返品さえあった。まもなく従軍中に書かれた名著「麦と兵隊」が改造社から出版され、空前の売行きを見せてから、「糞尿譚」も何度か版を重ねた。といっても、たしか四版までだったと記憶している。

(引用者中略)

「太陽の季節」は別としても、今日芥川賞になりさえすれば、どんな地味なものでも一万部は下らないという。芥川賞に対する一般の関心が高まったことが、こんなところにもはっきりあらわれている。」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月]「小説芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 これが、昭和34年/1959年上半期……第41回ごろの、江崎さんの観測です。第41回の芥川賞は斯波四郎さんの「山塔」で、文藝春秋新社が単行本にしましたが、まさに「地味」そのものと言っていい受賞作で、おそらくこれも初版1万部ぐらいは刷られたんじゃないかと思います。

 それから約10年後。今度は、夏堀正元さんが芥川賞の歴史を書かされる羽目になりまして、たぶん江崎さんの文章も参考にしたことでしょう。こんなふうに記録しました。

「この型破りの評判作「糞尿譚」も、初版はわずかに三千部だったということだ。そのうち、従軍中に火野が書いた「麦と兵隊」が改造社から出版されて、空前のベストセラーになってから、それにひきずられるようにして「糞尿譚」も売れたが、四版をかさねたにすぎなかった。その点、芥川賞作品は二万部はかたいといわれる現在とは、比較にならない。」(『文藝春秋臨時増刊 明治・大正・昭和 日本の作家100人』[昭和46年/1971年12月]「ドキュメント芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 江崎さんのころより増えて、2万部になっています。

 昭和45年/1970年下半期……ちょうど前週のエントリーで触れた古井由吉さん(第64回)や古山高麗雄・吉田知子(第63回)ごろのハナシです。そこから40年~50年たって、いまでは芥川賞受賞作の初版が5万部平均になったのは、増えたといえるのかどうなのか、よくわかりませんが、江崎さんや夏堀さんには、直木賞作品の部数状況も書き残しておいてほしかったなあ、と心から悔やまれます。

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2017年4月23日 (日)

第63回直木賞『軍旗はためく下に』の受賞作単行本部数

第63回(昭和45年/1970年・上半期)直木賞

受賞作●結城昌治『軍旗はためく下に』(中央公論社刊)
5万(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第62回(昭和44年/1969年・下半期)芥川賞

受賞作●清岡卓行「アカシヤの大連」収録『アカシヤの大連』(講談社刊)
17万5,000

第64回(昭和45年/1970年・下半期)芥川賞

受賞作●古井由吉「杳子」収録『杳子・妻隠』(河出書房新社刊)
21万

第66回(昭和46年/1971年・下半期)芥川賞

受賞作●東峰夫「オキナワの少年」収録『オキナワの少年』(文藝春秋刊)
約7万

 なかなか部数にまつわるネタもなくなってきました。今日は、昭和40年代後半ごろ、1970年前後の受賞作を、サラッとさらってみたいと思います。

 いまからだいたい50年ぐらい前に当たりますが、このあたりはもう、荒涼・閑散としていると言いますか、部数の不明な受賞作ばかりです。

 ベストセラー作家として(も)知られるようになった渡辺淳一さんは、そのころ(第63回 昭和45年/1970年・上半期)の受賞者です。本が売れ出したのは直木賞をとってしばらくしてからなのかと思っていましたが、意外にすぐに売れっ子になったらしく、直木賞をとった昭和45年/1970年には、早くもベストセラーリストに名前が挙がっています。

 しかし、売れたのは受賞前から準備していたという書き下ろし『花埋み』(昭和45年/1970年8月・河出書房新社刊)。受賞作(を収録した)『光と影』(昭和45年/1970年10月・文藝春秋刊)も、さすがに売れなかったわけじゃないと思いますが、どの程度の好調ぶりだったのかはわかりません。

 『出版年鑑』に書かれた『花埋み』についての解説を見ますと、

直木賞受賞作品の出版である。9月期からベストメンバーとなり、下半期から'71年はじめにかけて好調な成績である。芥川賞とともに直木賞もまた受賞によって作品の価値を一挙に高め、その出版は売れるというところにも権威があるようだ。」(昭和46年/1971年5月・出版ニュース社刊『出版年鑑1971年版』より ―下線太字は引用者によるもの)

 と、かなりのウソッパチが書いてあって、ついズッコケてしまいますけど、このぐらいのゆるい見方が、直木賞には合っているのかもしれません。「直木賞をとったその小説じゃなきゃ、絶対買いたくない」という感覚のほうがズレている、と言われれば、そうかもなあと思ってしまいます。

 ところで「芥川賞ととも直木賞もまた」という表現が出てきました。このころは、売れる文学賞といえば筆頭は芥川賞、みたいなイメージがあったことは、どうやら言わずもがなで、この年も清岡卓行さんの『アカシヤの大連』がよく売れたそうです。おそらく年内だけでも10万部近くは記録したんじゃないかと推定され、最終的に17万5,000部まで行ったと伝えられています。

 じっさい、直木賞の渡辺さんは、『出版年鑑』と同じところが発行している『出版ニュース』のほうでも、芥川賞の清岡さんとセットでのくくり。

「相変らず芥川、直木受賞作品は売れる。『アカシヤの大連』『花埋み』がそれである。」(『出版ニュース』昭和46年/1971年1月中・下旬号「1970年度全国ベスト・セラーズ調査」より)

 ううむ、ここで(おそらく)誰もツッコまなかったところが、直木賞のもつフトコロの深さ、もしくはゆるい部分なのかもしれません。『光と影』の細かい数字は、残念ながら不明です。

 何だかんだで芥川賞作品はよく売れる。というのは、昭和43年/1968年の『三匹の蟹』、昭和44年/1969年『赤頭巾ちゃん気をつけて』、昭和45年/1970年『アカシヤの大連』ときての、昭和46年/1971年『杳子・妻隠』。……と、ここらあたりの良好なセールスが培った風評だと思われます。しかし、やはりすべてがそんなに売れたわけじゃありません。

 ベストセラーに対する「売れなかったほう受賞作」もいくつもあり、そのことをずっと持ちネタにしているのが、おそらく吉田知子さんです。

 「持ちネタ」というほど、たくさん披露されているわけじゃありませんでしたね、すみません。ほんとうに吉田さんの本は売れたことがないのだと思いますけど、第63回(昭和45年/1970年・上半期)の『無明長夜』(新潮社刊)は、史上二番目に売れなかった芥川賞受賞作だと編集者から聞かされた、とのことです。

 さすがに戦前には、何千(もしくは何百)といった単位の受賞作はあったはずですし、よほどの少部数でないかぎり史上二番目に食い込むのは難しいと思いますが、ひょっとしてすべての受賞作の部数を調べあげた編集者が、吉田さんのまわりに、いなかったともかぎりません。そういった調査結果が、内輪のおしゃべりに使われるだけでなく、少しでも公になることを、ただ願うばかりです。

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2017年4月16日 (日)

第130回直木賞『号泣する準備はできていた』『後巷説百物語』の受賞作単行本部数

第130回(平成15年/2003年・下半期)直木賞

受賞作●江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮社刊)
初版5万部→受賞後+10万部→32万
受賞作●京極夏彦『後巷説百物語』(角川書店刊)
初版7万~10万部→14万

※ちなみに……

第130回(平成15年/2003年・下半期)芥川賞

受賞作●金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社刊)
初版7,000部→受賞後+5万部→53万1,500
受賞作●綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社刊)
受賞前10万部以上→35万(受賞後半月で)127万

第1回(平成16年/2004年度)本屋大賞

受賞作●小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社刊)
初版1万部→受賞前約10万部→35万(受賞後約8か月で)50万

 先日は、直木賞をしのぐ一年の一度のお祭りがありました。なので今年も、直木賞をしのぐ(……って何かくどい)本屋大賞のネタで、一週分、埋めたいと思います。

 本屋大賞がはじまったのは平成16年/2004年です。奇しくもこの年、直木賞は、けっこうな中堅どころが取りましたねよかったですね、っていういつもどおりの「お茶濁し」的な授賞だったので、世間一般にとくに波風は立たなかったんですが、芥川賞のほうが大変な賑わいとなり、受賞作の売り上げが大爆発した年に当たります。

 とくにブレイクしたのが、金原ひとみさんの『蛇のピアス』『蛇にピアス』でした。

 「すばる文学賞受賞作」という、売れそうなのかどうなのか、よくわからない話題性を加味しての初版7,000部。というスタートだったものが、芥川賞を受賞して注文が殺到。集英社の担当者も「あれっ、芥川賞作品ってどのくらい刷ればいいんだっけ」と相当戸惑ったと思うんですけど、すぐに5万部を増刷し、約1か月の2月中旬には計35万部、3月中旬に50万部突破。と急激な伸びをみせます。

 で、もうひとりの受賞者、綿矢りささんほうですが、すでに平成13年/2001年から翌年にかけて、デビュー作の文藝賞受賞作『インストール』(平成13年/2001年11月刊)がいきなり売れてしまい、直木賞の『あかね空』『肩ごしの恋人』と並んで、20万部を突破してしまった、という立派なベストセラー作家。2作目の『蹴りたい背中』もまた、発売直後から、新人の文芸書としては異例なほどに好調な売り上げをみせ、受賞するまでに10万部を軽く超えていた、とも言います。

 ここから芥川賞を経て増刷が加速し、1月中には35万部、2月中には倍増の78万8,000部、3月中旬に100万部を突破して、「『限りなく~』以来の快挙だ!」と、芥川賞売れ行きマニアたちを喜ばせ、5月中旬までに112万部弱、7月中旬までに126万部、そして最終的に現在伝えられている単行本での売り上げ127万部、というところまで行きました。明らかに「人は見た目がナントヤラ」っていう感じでしょうが、文学賞は売れるぞ伝説にまたひとつ新たな薪をくべた尊い現象だったと思います。

 いつまでも芥川賞のハナシをしていても仕方ないので、直木賞に移りたいんですけど、この年の4月、本を売るために始まった本屋大賞が、話題をかっさらっていきました。

「『数式』(引用者注:『博士の愛した数式』)は昨年中に読売文学賞を、今年になって「全国書店員が選んだいちばん! 売りたい本 本屋大賞」(通称、本屋大賞)を受賞し、直後に増刷を重ねるなど賞の影響も少なくない。とりわけ本屋大賞は、現場の書店員たちが選ぶ賞というだけあって、多くの書店には印刷物ではない手書きのPOP(書棚広告)が飾られ、「何を読んだらよいか分からない」層の心を温かく揺さぶった。『ブラフマン』(引用者注:『ブラフマンの埋葬』)もあやかるべく本来のオビ(腰巻き)に「祝!本屋大賞」のオビを重ね、異例の二枚オビにしたくらいだ。」(『産経新聞』平成16年/2004年6月28日「ベストセラーを斬る 『博士の愛した数式』『ブラフマンの埋葬』」より ―署名:稲垣真澄)

 平成13年/2001年8月に発売された、芥川賞受賞者・小川洋子さんの『博士の愛した数式』は初版1万部からスタートしたそうです。じわじわと部数を増やしていき、明けて1月に本屋大賞ノミネート10作に入ってから、本を売るために働いている書店員たちがまたせっせと売ってくれたおかげで、4月までに約10万部。

 そして、本屋大賞を受賞してから、一段二段とギアが入って、4月下旬までに14万2,000部、5月下旬までに17万9,000部、6月に24万部、7月に29万部、8月に32万部と増やし、年内には35万部まで達した、と言われています。

 この成績をみて本屋大賞の力を確信した書店員や出版社の人たちが、さらに本を売るために準備したうえで第2回にのぞむようになって、歴史を重ねていき……というその出発点に、『博士の愛した数式』というそこそこ売れていた本が選ばれたことが、結果として本屋大賞の繁栄につながったのですから、本屋さんたちの投票も馬鹿にはできません。

 ここで馬鹿にできないことがもうひとつあります。直木賞の存在です。

 今年の本屋大賞が決まって以来の、関連ニュースを見るにつけ、ほんとみんな直木賞のことを語るのが好きなんだなー、と同好の人間としてニヤニヤしちゃいますが、浜本茂さんの「打倒・直木賞!」の大ギャグはさておいても、とにかく平成14年/2002年に始まった段階から、直木賞以上だ、直木賞を超えている、とさんざん言われたのが、本屋大賞です。

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2017年4月 9日 (日)

第67回直木賞『斬(ざん)』の受賞作単行本(だいたいの)部数

第67回(昭和47年/1972年・上半期)直木賞

受賞作●綱淵謙錠『斬(ざん)』(河出書房新社刊)
13万部前後→?

 直木賞も芥川賞も、とりあえずは「なんちゃって新人賞」ですので、これをとった人が、のちに数々のベストセラーを生み出していくかどうかが、販売面ではメインの題目です。受賞作そのものが売れるかどうかは、長らく、さしたる注目点じゃありませんでした。

 この様相を一変させたのが、昭和51年/1976年の『限りなく透明に近いブルー』だった。ってわけですけど、注目点じゃなかったとはいえ、じゃあそれ以前は、どのくらいの販売力があったのかは、やはり興味があります

 昭和50年代前半より以前については、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡はなく、実態がほとんどわかりません。言わずもがなですけど、直木賞の記録なんか、さらに乏しくて、どうにも悲しみが抑えきれません。

 で、その空隙を多少は埋めてくれるのが、東販・日販の年間(または上半期)ベストセラー一覧、かなあと思います。

 歴史の古い出版ニュース社のベストセラー一覧に比べて、なにしろ、取次のそれは、格段に部数の多寡が反映されている、と言われているらしく、たとえばフィクション部門のおよそトップ20を並べたリストのなかから、「Aは、Bよりも上だが、Cよりは下」という感じで、Aの部数が不明でも、BとCがわかれば、だいたいの水準はつかめる仕組みになっています(だいたい、しかわかりませんけど)。

 そこで昭和51年/1976年のベストセラー、佐木隆三『復讐するは我にあり』(上)(下)(第74回受賞)からさかのぼってみますと、まずこのリストに登場するのが、一年前の第72回受賞、半村良さんの『雨やどり 新宿馬鹿物語一』(「雨やどり」所収)となります。

 半村さんの場合、その前後から半村さん自身が「売れっ子作家」扱いされていました。

「いま森村誠一、半村良氏は増刷をふくめて二十万部は下らず、西村寿行氏も平均十五万部というシュアなバッティングを誇る。」(『サンデー毎日』昭和53年/1978年3月19日号「森村誠一・半村良・西村寿行 人呼んで文壇三村時代」より)

 なんちゅう記事も見えるくらいですので、10万部、20万部の作品もざらにあったことでしょう。そういうのに埋没して、じゃあ『雨やどり』がどのくらい売れたのかは、よくわかりません。

 いまのところ手もとにリストのあるのが日販調べのフィクション部門ベストセラー、なので、それをもとに眺めてみます。

 『雨やどり』は、昭和50年/1975年上半期の12位にランクインしました(年間ではトップ20圏外)。前後の作品を挙げると、7位・清水一行『動脈列島』、8位・フォーサイス『戦争の犬たち』、9位・小峰元『ソクラテス最期の弁明』、10位・渡辺淳一『野わけ』、11位・五木寛之『青春の門』(全6冊)、13位・曾野綾子『いま日は海に』、14位・アダムス『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』、15位・斎藤栄『徒然草殺人事件』、16位・吉野せい『洟をたらした神』、17位・古井由吉『櫛の火』……だそうです。

 このあたりの部数について、わかる方がいれば教えてほしいなあ、と思うんですが、7位の『動脈列島』(前年昭和49年/1974年12月刊)はカッパ軍団の一冊でもあり、また好調に売り上げたことから、新聞広告に部数表記が見えます。3月7日付で「11万部」、9月5日付で「16万部突破」とのことです(ともに『読売新聞』)。

 広告宣伝の水増し分や、まだ上半期だけの成績であること、15位に付けている同じカッパの『徒然草殺人事件』が、広告上では部数で煽ったりされていないこと、などなど勘案して、『雨やどり』はこのときで5万部~7万部、最終的に10万部まで行ったかどうかは、微妙な線だと思います。

 となれば、同時に受賞した井出孫六さん『アトラス伝説』とか、芥川賞のほうの2作、阪田寛夫さん『土の器』、日野啓三さん『あの夕陽』がどのくらいの部数に達したか、闇のなかに埋められて当然でしょう。ざっくりとした想像で、初版が3,000~5,000部、受賞したことで2万~3万部、という感じだったんじゃないか、……とこれは、その一回前の藤本義一さん『鬼の詩』(初版が5,000部、1か月で3万部も売れたという本人の証言)などを見ての、あくまで想像でしかなく、けっきょくは闇のなかです。

 さらに前の受賞作はと、日販ベストセラー(フィクション部門)をたどっていくと、芥川賞受賞作がポツリポツリと目につきます。

 昭和49年/1974年の年間13位・森敦『月山』(周辺の順位のものを3つずつ挙げると、10位・渡辺淳一『氷紋』、11位・松本清張『告訴せず』、12位・小峰元『ピタゴラス豆畑に死す』、14位・新田次郎『アラスカ物語』、15位・城山三郎『落日燃ゆ』、16位・森村誠一『悪夢の設計者』)。

 昭和48年/1973年の上半期で10位・郷静子『れくいえむ』、13位・山本道子『ベティさんの庭』(ともに年間では20位圏外。上半期の他のランクイン作品は、7位・『司馬遼太郎全集 国盗り物語』(上)(下)、8位・角川書店刊『日本の民話』(第一回配本)、9位・山崎豊子『華麗なる一族』(上)(中)(下)、11位・大藪春彦『獣たちの墓標』、12位・水上勉『風を見た人』(上)(中)(下)、14位・日本テレビ放送網刊『冬物語』、15位・三浦綾子『残像』、16位・古山高麗雄『小さな市街図』)。

 なあんだ、直木賞の受賞作は、もうこれ以前は出てこないのか、と失望していたところ、昭和47年/1972年のベストセラーに意外な(?)やつが出てきます。

 綱淵謙錠さんの『斬(ざん)』です。

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2017年4月 2日 (日)

第120回直木賞『理由』、第121回『柔らかな頬』『王妃の離婚』の受賞作単行本部数

第120回(平成10年/1998年・下半期)直木賞

受賞作●宮部みゆき『理由』(朝日新聞社刊)
22万5,000(受賞前まで)35万(受賞直後)45万(受賞約半年で)→?

第121回(平成11年/1999年・上半期)直木賞

受賞作●桐野夏生『柔らかな頬』(講談社刊)
18万(受賞半月で)39万
受賞作●佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社刊)
11万2,000(受賞半月で)18万2,000部部→?

※ちなみに……

第120回(平成10年/1998年・下半期)芥川賞

受賞作●平野啓一郎『日蝕』(新潮社刊)
35万(受賞約1か月で)43万部?

 昭和51年/1976年に起きた『限りなく透明に近いブルー』ショック。売れるといってもたかが知れていた芥川賞の受賞作が、一挙に売れまくった現象として多くの人の記憶に刻まれた出来事です。

 じっさい、売り上げ部数の記録の世界でも、『限りなく~』以前か・以後か、がひとつの分岐点になっています。

 言い換えると、これ以前は、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡がなく、実態がほとんどわかりません。当然、言わずもがなですけど、直木賞の記録はさらに乏しいです。

 ともかく昭和51年/1976年と昭和52年/1977年は、直木賞と芥川賞の受賞作が、1年程度のあいだに軒並み20万部ラインを突破してしまう、というそれ以前にはなかった盛り上がりをみせた2年間だったんですが、その後を見ていっても、1作や2作売れない受賞作が含まれているのがふつうで、受賞作すべてが好調だった期間は、なかなか見当たりません。

 「直木賞・芥川賞といえども話題性がなければ売れない」っていう格言(?)は、何か特定の時代性に依存したものじゃなく、いつだってそうです。まあ、当たり前のことを確認して、年表をたどっていきますと、次に受賞作が全作いい売れ行きを見せた時代は、村上龍さん以来の現役学生の受賞……をきっかけとした、平成11年/1999年の、第120回(平成10年/1998年・下半期)第121回(平成11年/1999年・上半期)かもしれません。

(そんなはずはない! という意見もあるでしょう、ぜひデータをもとにした反論を待っています)

 第119回の大衆文学←→純文学の文芸ビックバンが、騒ぎだけは威勢がよくてそれが売り上げには結びつかなかった。と以前、触れました。しかし、その興奮が残っていたおかげか、いちおう次の第120回は、話題性抜群の芥川賞受賞者が出たおかげで、売り上げへと跳ね返った様子です。

 茶髪にピアスの現役京大生、平野啓一郎さんの『日蝕』が、とにかく煽りに煽られて、調子にのった新潮社が、受賞から半月足らずで約17万部を増刷。そこから続伸して2月の段階で早くも35万部を超えたと言われましたが、残念ながら伸びを欠き、上半期のうちに40万部(平成12年/2000年4月の『出版指標・年報2000年版』では35万部のまま)。3年後の『スポーツ報知』では、

「99年の受賞作で、当時、現役京大生だった平野啓一郎の「日蝕」は43万部のベストセラーに。他の受賞者も受賞前に比べ「本の売り上げが1けた伸びる」(同(引用者注:純文学)関係者)とされる。」(『スポーツ報知』平成15年/2003年8月10日「文学賞からみる本の選び方」より ―署名:勝田成紀)

 と、昭和51年/1976年に起きた伝説の『限りなく~』130万部超えには、遠く及びませんでした。ただ、30万だか40万だかというのは、芥川賞にとっては相当売れた部類に入り、これはこれで、インパクトがあったというしかありません。

 いっぽうこの回の直木賞のほうも、単行本では『日蝕』と同じくらいの部数を叩き出します。この辺が、20数年前との違いかもしれません。

 宮部みゆきさんの『理由』は、平成10年/1998年6月に発行され、翌年の1月に直木賞受賞。のちに朝日文庫に入り、また新潮文庫になって相当部数を増やしたようで、単行本としてどのくらいまで行っていたのか、確実なことはわかりませんが、平成11年/1999年7月の段階で、『朝日新聞』が45万部だと紹介しています(平成11年/1999年7月10日「一からわかる芥川賞・直木賞」)。

 ほぼ『日蝕』と同格のヒット、という感じですけど、これを直木賞の力と見るのは、ちょっと躊躇してしまいます。

 というのも『理由』は、直木賞をとる前にすでにベストセラーになっていて、平成11年/1999年4月刊行の『出版指標・年報1999年版』が、受賞前の数字として挙げたのが「累計22.5万部」。直木賞受賞作でもそうは叩き出せないレベルの部数です。

 こんな売れ筋商品を、2倍にしか伸ばせなかったのが、直木賞のもつインパクト力の限界か。……という感じですけど、20万部も売れている作品に賞を与えるなんて、70年代の直木賞では考えられないことですから、そこにもまた、時代の変化が現われているんだろうな、と思います。

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