井上ひさし(第67回 昭和47年/1972年上半期受賞) 半年前だったら受賞できていなかったよね、と言う人あり。相当レベルの高いもの、と言う人あり。いろいろ。
井上ひさし。「手鎖心中」(『別冊文藝春秋』119号[昭和47年/1972年3月])で初候補、そのまま受賞。『ブンとフン』での小説家デビューから2年半。37歳。
昨年平成23年/2011年6月、司馬遼太郎さんから始めまして、今日の井上ひさしさんで50人目です。
どんなに偉くなろうが、周囲から祀り上げられようが、井上さんもまた、初候補で直木賞を受賞した人です。取り上げないわけにはいきません。
昭和40年代。新橋遊吉や千葉治平のエントリーでも確認したように、当時の直木賞は「いかに中間小説誌で活躍できそうな作家か」がひとつの受賞予想基準になっていました。ご注意ください。「受賞基準」ではありません。「受賞予想基準」です。
つまり、まわりで好き勝手なことを言い立てる直木賞ファンたちが、好き勝手に設けた基準です。彼らは中間小説誌の発展(要は部数右肩上がり)のなかで生きてきました。
そういう人たちにとって、井上ひさしの存在はどう見えていたか。『小説現代』でモッキンポット・シリーズつう大変ユニークな小説を書いて評判をとり、それよりもちょっと出来は落ちるけど、『別冊文藝春秋』に新作を発表したことで、まあ無難に直木賞路線だね。……って感じでしたでしょうか。
「A 井上さんも「モッキンポット」ものみたいなのが(引用者注:直木賞の)候補作だったら、もらえる感じが薄くなると思うよ。おかしいのは、受賞が決まったあとの記者会見で、松本清張が、「第二の野坂 (引用者注:昭如)」とかいっているでしょう。井上さんは、こんど初めて小説を書いたわけじゃないし、そんなに才能があるんだったら、この前のときに候補にもならなかったということがおかしいわけですよ。(引用者中略)今回も、いままでの「モッキンポット」風のものだったら取れなかったかもしれない。
E そうだろうな。推せんする人だって、なんとなく落ちそうだというのはわかるわね(笑い)。
B だけど、井上さんの場合、受賞作の「手鎖心中」だけの評価ではないと思う。いままでの実績とか力量みたいなものをふくめて評価されているんじゃないかな。野坂昭如の再来といういい方は、それからきているんじゃないかな。
D あれ一作だけの評価とは考えられないからね。
B 考えられない。ぼくは、「手鎖心中」は井上さんの作品としてはあまり買わない。
A 井上さんの作品としては、やや直木賞向けという感じはあるよね。」(『噂』昭和47年/1972年9月号「直木賞作家誕生!編集者匿名座談会 三度目の正直で生まれた受賞作」より)
このころの井上作品の代名詞でもあった「ナンセンス」と、少しの「諷刺」。プラス、高齢の選考委員にも配慮した「時代もの」。何より、候補にしてもらうための強力な援軍を得ることができる「文春の雑誌に掲載」と。これらを掛け合わせたうえで「手鎖心中」は生まれ、直木賞をとるべくして書かれた、と言っても過言ではありませんでした。
ここら辺のこと、どこまで信用していいかわからない書き手、としておなじみの、西舘好子さんの回想文から引いておきます。
「(引用者注:「手鎖心中」の)担当は中井勝さん、(引用者注:『別冊文藝春秋』の)編集長は西永達夫さんだった。担当の中井さんは穏和な洞察力のある人で、井上さんの文体で江戸を書かせたいと考え、「戯作者」というテーマを持って来た。時代物を井上さんにぶつけてきたのだ。
当時の直木賞の選考委員には高齢者が多く、そのことも考慮に入れたのかもしれない。
いくら文学とはいえ、話題性と部数が勝負の世界だ。
心ある編集者は優秀な作家の発掘と、賞を受賞させるための作品に命を削っていた。」(平成23年/2011年9月・牧野出版刊 西舘好子・著『表裏井上ひさし協奏曲』「第四章 あっという間に直木賞」より)
一瞬目を疑いましたが、誤植ではありませんよね? 「賞を受賞させるための作品に命を削」る編集者のことを、はっきり「心ある編集者」と言っちゃっています。
そのあとの文章を読んでも、西舘さん、ずいぶんと直木賞の威力を見せつけられたというか、直木賞から多大なる恩恵を蒙ったそうですからねえ。たいてい、賞に狂奔する作家や編集者は、心ある人たちから馬鹿にされる対象だとばかり思っていましたよ。西舘さんのチョー肯定的な文学賞観に出会って、ワタクシはホッとしています。
ということで、心ある編集者、中井勝さんの証言を。
「「井上さんに書いてもらおうと思ったのは、はっきりいえば直木賞ねらいですね。最短距離にいる人だと考えていました。(引用者中略)別冊のお願いをしたい、と言いますと、井上さんはこうおっしゃったんです。
『いろんな人からいろんなものを書けと言われてますけれど、もし別冊文春から注文があったら書きたいと思っていたテーマが二つあるのです。これは誰に言われても書かなかったテーマです』と。
それが『手鎖心中』と『江戸の夕立』だったと思います。(引用者後略)」」(平成13年/2001年6月・白水社刊 桐原良光・著『井上ひさし伝』「第五章 芝居が、舞台がぼくの先生だった」より)
なんか微妙に西舘さんのハナシと違っている気がしますが、どうなんでしょう。『別冊文春』=直木賞狙い=江戸もの、の方程式を考え出したのが井上さん本人だったのか、中井さんだったのか。よくわかりません。
当時の『別冊文藝春秋』は、「直木賞第二の機関誌」の名に恥じず、直木賞候補になりそうな作家に中篇を書く場を、積極的に提供していました。じっさいに力のこもった数多くの掲載作が、直木賞候補作になりました。
なぜ直木賞候補が「モッキンポット師」でなくて「手鎖心中」になったのか。といえば、そりゃあなた、候補作を決める立場の近くに、『別冊文春』の編集者がいたからです。先の『噂』誌匿名座談会でも語られていたとおりに。いや、社内事情にくわしくない人の証言だけじゃありません。当の中井勝さんも認めています。
「社内で、直木賞に『モッキンポット師』を推す人もいたのですが、デスクの豊田健次とぼくが、いま、すごいのができるから待ってくれ、と説得したのです。それには相当レベルの高いものが必要だったのですが、それ以上のものができたということですね」(同)
担当編集者ですからね、心ある編集者として賞を狙い、「レベル以上のものができた」と胸を張るのは当然でしょう。いや、ワタクシも一読者として井上ひさしさんが「手鎖心中」で受賞したこと、嬉しいですよ。好きな小説ですし。
ただ、ほんとうに「手鎖心中」が「モッキンポット師」を超える一大傑作なのか、もし回がズレていたら受賞できていなかったんじゃないか、と指摘する人たちがいたことも、併せてご紹介しておきます。
例の匿名編集者の面々です。直木賞は前々回の第65回、前回の第66回は「受賞作なし」でした。2回連続見送りの次だから、綱淵謙錠『斬』と「手鎖心中」とが受賞圏内にすべり込めたのではないか、みたいな見解を繰り広げています。
「B 今回受賞した二人でも前回だったらどうかといえば、どうもわからない。
E 競馬のワク順有利みたいなところがあるな(笑い)。
A 綱淵さんの「斬」も、出版されるタイミングがズレて前回に候補になったら、危なかったと思う。井上さんだってそうだね。
B 前回なら“二回連続受賞作なし”でもおかしくないんだ、二人とも“処女候補”であれば、見送られた可能性のほうが強いな。」(前掲『噂』編集者匿名座談会より)
ふうむ。そうかもしれません。さすがに『斬』は前回候補でも受賞できていたと思いたいですけど。
まあ、決まっちゃったあとなので、どうとでも言えるんですけどね。少なくとも、「直木賞に選ばれたから」っていう理由で、賞の権威に知らず知らず心を動かされて、その小説を名作扱いしたり、評判作などと煽ったりするのは、バカっぽいことだよなあ、と思わされました。
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