もうじき決まる第170回(令和5年/2023年・下半期)の直木賞は候補者が6人います。
作風も作家歴もバラバラです。このバラバラなところが直木賞の大きな特徴ですけど、それでもこの6人には紛れもない共通点があります。みんな父と母がいて、その子供として生まれた、ということです。
……と、半年まえの第169回のときも同じようなことを書いたような気がして、まったく芸がないんですが、いまうちのブログでは「直木賞と親のこと」のテーマで書いています。なので、せっかくですから、今週は候補者6人の親のことを取り上げることにしました。
あなたの親は、どんな人ですか? と、候補者ひとりひとりに取材して回ろうかな、と思いましたが、いやいやもちろんそんな余裕もコネもありません。いつもどおり公に書かれた文章をもとにして、候補者それぞれどういうふうに自分の親のことを語っているのか見ていきながら、今週1月17日(水)の選考会を待ちたいと思います。
以下、順番は年齢順にしようと思ったんですけど、やっぱり長く書きつづけていることに経緯を表しなければと思い直し、作家デビューが古い順番に挙げてみます。
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■万城目学(47歳、平成18年/2006年デビュー)
万城目さんは小説と同じく、エッセイも軽快で面白いので、すでに何冊もエッセイ集が出ています。
親のハナシもそのなかにちょくちょく出てきますが、何といっても目を引くのが、いちばん最近の『万感のおもい』(令和4年/2022年5月・夏葉社刊)に収められた父親のエピソードです。
万城目さんは書きます。作家としての自分をつくったのは、間違いなく父親だった、と。
「作家としての私を作ったのも間違いなく父だった。通勤の際の暇つぶしのために、父は三十歳を越えてから本を読み始めた。特に好きだった司馬遼太郎や山岡荘八や吉川英治の文庫本を読んだ端から本棚に並べていたため、それを中学生になった私が勝手に読み漁り、結果、作家になるための資産をたっぷりと蓄えることができた。」(『万感のおもい』所収「色へのおもい 第十色 二月」より)
その父親が亡くなったのが平成28年/2016年2月。すでに万城目さんは5度、直木賞候補になっていて、そのたびにお父さんも期待したんじゃないだろうか、と思いますけど、いや、とれんかったものはしょうがない、と案外さっぱりしていたかもしれません。
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■村木嵐(56歳、平成22年/2010年デビュー)
今回の候補者のなかで、親もまた多少名前が知られている、といえば、宮内悠介さんと、この村木嵐さんということになるんでしょう。村木さんの父親は、映画監督だった南野梅雄さんです。
平成22年/2010年、村木さんがデビューしたときには、何といっても「アノ司馬遼太郎の家の、最後のお手伝いさん」といった面が大きく取り上げられました。その後しばらく、インタビュー記事もたくさん書かれました。いくつかには、親のことも出てきます。
「――(引用者注:司馬遼太郎の)住み込みのお手伝いさんになる―と聞いて、ご両親は何かおっしゃいましたか
村木 「大丈夫か? できるのか? とにかくご迷惑をおかけしないように」と言われました。万一すぐに辞めるようなことになっても、いい経験ができると思ったようです。テレビの時代劇の監督をしていた父も司馬先生のファンでしたから。」(『産経新聞』平成25年/2013年10月21日大阪版夕刊「司馬さんがくれた夢(1)」より)
父、南野さんの本棚には、司馬さんの本がずらり。村木さんも高校生の頃からそれらを数多く読んで、すくすくと(?)成長したとのことです。奇しくも万城目さんと少し話題がカブってしまいましたが、ううむ、やはり親の本棚は偉大ですね。
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■宮内悠介(44歳、平成22年/2010年デビュー)
まさか宮内さんがいまさら候補になるとは思っていなかったので(オイオイ)、宮内さんと親のことは、すでに2か月まえにブログで取り上げちまいました。
父親は作家の宮内勝典さん、母親は詩人の宮内喜美子さん。それぞれカワいいカワいい一人息子のことを数多く文章に残し、悠介さんが海外生活のなかでどういうふうに成長していったか、いまとなっては〈宮内悠介研究〉の大事な文献になっています。
反対に、悠介さんも両親のことをいろいろな場所で、いろいろ書いているはずです。ただ、宮内さんってまだエッセイ集の類いは一冊もまとまっていないんですよね。何という文化的な損失。早くどこかの出版社、宮内さんのエッセイ集を出してください。
今回は目についたなかから、宮内さんが母親のどじっぷりを甘ーく書いたエッセイを取り上げてみます。『3時のおやつ ふたたび』(平成28年/2016年2月・ポプラ社/ポプラ文庫)に収められた「チョココロネ」です。
少年時代、ニューヨークのウクライナ人街に住んでいた宮内一家。母親がどこからか日本のチョココロネを調達してきたもんですから、悠介少年の目は輝きます。どうやったらおいしく食べられるか、思案した母親は、よし、フライパンで焼いてみよう、と主張。
「なぜだか嫌な予感がした。」「素晴らしいことを思いついたという顔を母がすればするほど、予感は確信に変わっていった。」「「母は絶対にこのパンを焦がす」」「と思った。」「家族という間柄では、ときおりこうした直感が働くものだ。ぼくは猛烈に反対し、そして母はぼくの反対を押し切り、やっぱりチョココロネを半分黒焦げにしたのだった。」
(引用者中略)
以来、母が何か素晴らしいことを思いついたという顔をして変なことを言い出したとき、」「「チョココロネ」」「とぼくは呪文を唱え、母もいったん立ち止まるようになった。」(『3時のおやつ ふたたび』所収「チョココロネ」より)
微笑ましすぎて、喜美子さんのカワゆさがぐっと引き立っています。こんな文章をずらっと集めた宮内さんのエッセイ集、早く読みたいです。
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■加藤シゲアキ(36歳、平成24年/2012年デビュー)
他の候補者はともかくです。いまここで、加藤さんのエピソードをうちのブログなんかが書く必要あるのか? と正直気が引けます。だって、加藤さんのことなら何でも知ってる、みたいな猛者がこの世には何百人(何千人?)もいるんですもん。こわいです。
それとまあ、アイドルの方ですから、よほど強烈なゴシップでもないかぎり、加藤さん自身が両親のことをあしざまに語ったりするはずもありません。とりあえず、山ほどある加藤さんの関連記事のなかから、とくに父親のことを話しているものが以下のインタビューです。
「――息子の立場として、大人になった今の加藤さんに対し、お父さまはどんな思いを抱いているだろうと想像しますか?
「誇らしいと思いますよ…あははは~。去年は僕が(第42回吉川英治文学新人賞を受賞するなど)文学賞ラッシュだったこともあり、父も鼻高々だったでしょうね。それこそ、この間「今年はお前、何かいいことないのか?」みたいなこと言ってきましたから。図々しい親だなと思いながら(笑)、「そんなもん、そうそうねぇよ!」って」」(『TVガイドperson』115号[令和4年/2022年3月]「特集 加藤シゲアキ 愛は限りなく、知は力となる」より―インタビュー:江藤利奈)
それで今回の候補作が、母親のふるさと秋田のことを描いていて、それが直木賞候補にまでなって、ワーワー話題になっているのですから、両親の鼻タカダカ具合もひとしおなんじゃないでしょうか。
古今東西、小説家にとって親の存在は、多くの創作のみなもとです。これからも加藤さんは、両親にどこか通じる作品を書いていってくれるものと思います。
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■河﨑秋子(44歳、平成27年/2015年デビュー)
候補作家と親のこと。いま、このテーマを書くのに最もタイムリーなのが、河﨑秋子さんです。というのも、現在、父親のことについて雑誌に連載まっただ中だからです。
集英社の出している『青春と読書』っていうPR雑誌があります。そこに昨年令和5年/2023年9月号から河﨑さんの新連載が始まりました。タイトルは「父が牛飼いになった理由」。「理由」に「わけ」とルビが振ってあります。
河﨑さんの実家は北海道別海町で酪農業をしています。父親の崇さんが脱サラして始めた牧場なんだそうですが、満州で生まれた崇さんがどこをどうたどって、〈牛飼い〉の仕事を始めることになったのか。その経緯を娘の秋子さんがさまざまに取材して書きつないでいます。きっと連載が終わったら単行本になるんでしょう。『青春と読書』をなかなか毎月入手して読みつづける気力もないので、そのときを心待ちにしています。
この連載は、全編にわたって父親のことを綴っています。なかから一節を引用してもあまり意味がないんですけど、もしも河﨑さんが直木賞を受賞したときに父の崇さんがどう反応するか、それがわかる記述だけ触れておきます。
「父は今年で八十二歳になる。
存命ではあるが、約十四年前に脳卒中により高次脳機能障害を発症、自我とそれまでの記憶のほとんどを失った。(引用者中略)十四年の間に孫が増えたことも、自分のきょうだいが亡くなったことも、私が作家になったことも、何一つ理解することはなく、また、覚えておくこともできずにいる。」(『青春と読書』令和5年/2023年9月号「父が牛飼いになった理由」第1回より)
直木賞のことを聞いても、まるで理解できない寝たきりの生活だそうです。直木賞のことがわからなくなる人生なんて、ワタクシ自身は考えたこともありませんが、そうあっても人は生きられる。うん、勇気をもって生きていこうっと。
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■嶋津輝(54歳、平成28年/2016年デビュー)
嶋津さんはオール讀物新人賞を受賞して今年で7年め。出した単行本は、今回候補に挙がった『襷がけの二人』が2冊めで、まだそれほど公に発表された文章も多くありません。
いや、多いのかもしれません。嶋津さんの書いたものをすべて把握できたわけじゃないんですが、果たして自分の親のことをどう書いている(ないしは語っている)のか。嶋津さんの場合、よくわかりませんでした。残念。
ひとつネットの記事ですが、文春オンラインにある「本の話」のなかに、嶋津さんが「文豪の娘でありながら、芸者屋で女中をするほど家事の達人だった“作家・幸田文とわたしの関係”」というのを寄稿しています。
作家になるまえに出会った幸田文さんの作品の魅力や、幸田さんと自分との関連性が書かれているんですが、そこにポロッとこんな表現が出てきます。嶋津さんが初めて新人賞の最終候補に残り、あっさりと落選したときのことです。
「結果は落選で、膨らんだ妄想ははかなく霧散した。私は「幸田文=私の運命のひと説」をすぐに捨て去ることができず、幸田文と私との共通項を見出すことで失意をなぐさめた。
ともに父親が厳しい。ともに離婚歴がある。出来のよい姉と末っ子長男に挟まれた真ん中っ子というところも同じ。なによりどちらも四十を過ぎてから筆をとった――。それ以外の共通していない数々の点には目をつぶり、このまま何も起こらないはずはないという寄る辺ない予感をよすがに、その後も細々と投稿生活を続けた。」(ウェブ《本の話》の記事より)
父親が厳しい……。文さんが書いた露伴の逸話を読んだうえでこう言っているぐらいですから、よほど嶋津さんのお父さんもガミガミ、ネチネチ娘を叱るタイプの人だったに違いありません。それは、今後、嶋津さんの活躍とともに徐々に明らかにされていくんだろうと思います。
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人さまの親のことを、人さまの文章から知って、何がどうなるというんでしょうか。よくわかりません。
ただ、受賞する人によっては、上記のうちの親御さんの誰かがメディアの取材を受けて、コメントを語ることになるはずです。1月17日の選考結果と、そのあとの報道を期待して待っています。受賞者の親が、子供の受賞について何を語るか。
直木賞のことなら何でもいいから知っておきたい。すみません、今回のブログも、もうワタクシが病気であることの証しです。
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