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2024年1月14日 (日)

第170回(令和5年/2023年下半期)直木賞、候補者の親ってどんな人たち?

 もうじき決まる第170回(令和5年/2023年・下半期)の直木賞は候補者が6人います。

 作風も作家歴もバラバラです。このバラバラなところが直木賞の大きな特徴ですけど、それでもこの6人には紛れもない共通点があります。みんな父と母がいて、その子供として生まれた、ということです。

 ……と、半年まえの第169回のときも同じようなことを書いたような気がして、まったく芸がないんですが、いまうちのブログでは「直木賞と親のこと」のテーマで書いています。なので、せっかくですから、今週は候補者6人の親のことを取り上げることにしました。

 あなたの親は、どんな人ですか? と、候補者ひとりひとりに取材して回ろうかな、と思いましたが、いやいやもちろんそんな余裕もコネもありません。いつもどおり公に書かれた文章をもとにして、候補者それぞれどういうふうに自分の親のことを語っているのか見ていきながら、今週1月17日(水)の選考会を待ちたいと思います。

 以下、順番は年齢順にしようと思ったんですけど、やっぱり長く書きつづけていることに経緯を表しなければと思い直し、作家デビューが古い順番に挙げてみます。

          ○

■万城目学(47歳、平成18年/2006年デビュー)

 万城目さんは小説と同じく、エッセイも軽快で面白いので、すでに何冊もエッセイ集が出ています。

 親のハナシもそのなかにちょくちょく出てきますが、何といっても目を引くのが、いちばん最近の『万感のおもい』(令和4年/2022年5月・夏葉社刊)に収められた父親のエピソードです。

 万城目さんは書きます。作家としての自分をつくったのは、間違いなく父親だった、と。

「作家としての私を作ったのも間違いなく父だった。通勤の際の暇つぶしのために、父は三十歳を越えてから本を読み始めた。特に好きだった司馬遼太郎や山岡荘八や吉川英治の文庫本を読んだ端から本棚に並べていたため、それを中学生になった私が勝手に読み漁り、結果、作家になるための資産をたっぷりと蓄えることができた。」(『万感のおもい』所収「色へのおもい 第十色 二月」より)

 その父親が亡くなったのが平成28年/2016年2月。すでに万城目さんは5度、直木賞候補になっていて、そのたびにお父さんも期待したんじゃないだろうか、と思いますけど、いや、とれんかったものはしょうがない、と案外さっぱりしていたかもしれません。

          ○

■村木嵐(56歳、平成22年/2010年デビュー)

 今回の候補者のなかで、親もまた多少名前が知られている、といえば、宮内悠介さんと、この村木嵐さんということになるんでしょう。村木さんの父親は、映画監督だった南野梅雄さんです。

 平成22年/2010年、村木さんがデビューしたときには、何といっても「アノ司馬遼太郎の家の、最後のお手伝いさん」といった面が大きく取り上げられました。その後しばらく、インタビュー記事もたくさん書かれました。いくつかには、親のことも出てきます。

「――(引用者注:司馬遼太郎の)住み込みのお手伝いさんになる―と聞いて、ご両親は何かおっしゃいましたか

村木 「大丈夫か? できるのか? とにかくご迷惑をおかけしないように」と言われました。万一すぐに辞めるようなことになっても、いい経験ができると思ったようです。テレビの時代劇の監督をしていた父も司馬先生のファンでしたから。」(『産経新聞』平成25年/2013年10月21日大阪版夕刊「司馬さんがくれた夢(1)」より)

 父、南野さんの本棚には、司馬さんの本がずらり。村木さんも高校生の頃からそれらを数多く読んで、すくすくと(?)成長したとのことです。奇しくも万城目さんと少し話題がカブってしまいましたが、ううむ、やはり親の本棚は偉大ですね。

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■宮内悠介(44歳、平成22年/2010年デビュー)

 まさか宮内さんがいまさら候補になるとは思っていなかったので(オイオイ)、宮内さんと親のことは、すでに2か月まえにブログで取り上げちまいました

 父親は作家の宮内勝典さん、母親は詩人の宮内喜美子さん。それぞれカワいいカワいい一人息子のことを数多く文章に残し、悠介さんが海外生活のなかでどういうふうに成長していったか、いまとなっては〈宮内悠介研究〉の大事な文献になっています。

 反対に、悠介さんも両親のことをいろいろな場所で、いろいろ書いているはずです。ただ、宮内さんってまだエッセイ集の類いは一冊もまとまっていないんですよね。何という文化的な損失。早くどこかの出版社、宮内さんのエッセイ集を出してください。

 今回は目についたなかから、宮内さんが母親のどじっぷりを甘ーく書いたエッセイを取り上げてみます。『3時のおやつ ふたたび』(平成28年/2016年2月・ポプラ社/ポプラ文庫)に収められた「チョココロネ」です。

 少年時代、ニューヨークのウクライナ人街に住んでいた宮内一家。母親がどこからか日本のチョココロネを調達してきたもんですから、悠介少年の目は輝きます。どうやったらおいしく食べられるか、思案した母親は、よし、フライパンで焼いてみよう、と主張。

「なぜだか嫌な予感がした。」「素晴らしいことを思いついたという顔を母がすればするほど、予感は確信に変わっていった。」「「母は絶対にこのパンを焦がす」」「と思った。」「家族という間柄では、ときおりこうした直感が働くものだ。ぼくは猛烈に反対し、そして母はぼくの反対を押し切り、やっぱりチョココロネを半分黒焦げにしたのだった。」

(引用者中略)

以来、母が何か素晴らしいことを思いついたという顔をして変なことを言い出したとき、」「「チョココロネ」」「とぼくは呪文を唱え、母もいったん立ち止まるようになった。」(『3時のおやつ ふたたび』所収「チョココロネ」より)

 微笑ましすぎて、喜美子さんのカワゆさがぐっと引き立っています。こんな文章をずらっと集めた宮内さんのエッセイ集、早く読みたいです。

          ○

■加藤シゲアキ(36歳、平成24年/2012年デビュー)

 他の候補者はともかくです。いまここで、加藤さんのエピソードをうちのブログなんかが書く必要あるのか? と正直気が引けます。だって、加藤さんのことなら何でも知ってる、みたいな猛者がこの世には何百人(何千人?)もいるんですもん。こわいです。

 それとまあ、アイドルの方ですから、よほど強烈なゴシップでもないかぎり、加藤さん自身が両親のことをあしざまに語ったりするはずもありません。とりあえず、山ほどある加藤さんの関連記事のなかから、とくに父親のことを話しているものが以下のインタビューです。

「――息子の立場として、大人になった今の加藤さんに対し、お父さまはどんな思いを抱いているだろうと想像しますか?

「誇らしいと思いますよ…あははは~。去年は僕が(第42回吉川英治文学新人賞を受賞するなど)文学賞ラッシュだったこともあり、父も鼻高々だったでしょうね。それこそ、この間「今年はお前、何かいいことないのか?」みたいなこと言ってきましたから。図々しい親だなと思いながら(笑)、「そんなもん、そうそうねぇよ!」って」」(『TVガイドperson』115号[令和4年/2022年3月]「特集 加藤シゲアキ 愛は限りなく、知は力となる」より―インタビュー:江藤利奈)

 それで今回の候補作が、母親のふるさと秋田のことを描いていて、それが直木賞候補にまでなって、ワーワー話題になっているのですから、両親の鼻タカダカ具合もひとしおなんじゃないでしょうか。

 古今東西、小説家にとって親の存在は、多くの創作のみなもとです。これからも加藤さんは、両親にどこか通じる作品を書いていってくれるものと思います。

          ○

■河﨑秋子(44歳、平成27年/2015年デビュー)

 候補作家と親のこと。いま、このテーマを書くのに最もタイムリーなのが、河﨑秋子さんです。というのも、現在、父親のことについて雑誌に連載まっただ中だからです。

 集英社の出している『青春と読書』っていうPR雑誌があります。そこに昨年令和5年/2023年9月号から河﨑さんの新連載が始まりました。タイトルは「父が牛飼いになった理由」。「理由」に「わけ」とルビが振ってあります。

 河﨑さんの実家は北海道別海町で酪農業をしています。父親の崇さんが脱サラして始めた牧場なんだそうですが、満州で生まれた崇さんがどこをどうたどって、〈牛飼い〉の仕事を始めることになったのか。その経緯を娘の秋子さんがさまざまに取材して書きつないでいます。きっと連載が終わったら単行本になるんでしょう。『青春と読書』をなかなか毎月入手して読みつづける気力もないので、そのときを心待ちにしています。

 この連載は、全編にわたって父親のことを綴っています。なかから一節を引用してもあまり意味がないんですけど、もしも河﨑さんが直木賞を受賞したときに父の崇さんがどう反応するか、それがわかる記述だけ触れておきます。

「父は今年で八十二歳になる。

存命ではあるが、約十四年前に脳卒中により高次脳機能障害を発症、自我とそれまでの記憶のほとんどを失った。(引用者中略)十四年の間に孫が増えたことも、自分のきょうだいが亡くなったことも、私が作家になったことも、何一つ理解することはなく、また、覚えておくこともできずにいる。」(『青春と読書』令和5年/2023年9月号「父が牛飼いになった理由」第1回より)

 直木賞のことを聞いても、まるで理解できない寝たきりの生活だそうです。直木賞のことがわからなくなる人生なんて、ワタクシ自身は考えたこともありませんが、そうあっても人は生きられる。うん、勇気をもって生きていこうっと。

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■嶋津輝(54歳、平成28年/2016年デビュー)

 嶋津さんはオール讀物新人賞を受賞して今年で7年め。出した単行本は、今回候補に挙がった『襷がけの二人』が2冊めで、まだそれほど公に発表された文章も多くありません。

 いや、多いのかもしれません。嶋津さんの書いたものをすべて把握できたわけじゃないんですが、果たして自分の親のことをどう書いている(ないしは語っている)のか。嶋津さんの場合、よくわかりませんでした。残念。

 ひとつネットの記事ですが、文春オンラインにある「本の話」のなかに、嶋津さんが「文豪の娘でありながら、芸者屋で女中をするほど家事の達人だった“作家・幸田文とわたしの関係”」というのを寄稿しています。

 作家になるまえに出会った幸田文さんの作品の魅力や、幸田さんと自分との関連性が書かれているんですが、そこにポロッとこんな表現が出てきます。嶋津さんが初めて新人賞の最終候補に残り、あっさりと落選したときのことです。

「結果は落選で、膨らんだ妄想ははかなく霧散した。私は「幸田文=私の運命のひと説」をすぐに捨て去ることができず、幸田文と私との共通項を見出すことで失意をなぐさめた。

ともに父親が厳しい。ともに離婚歴がある。出来のよい姉と末っ子長男に挟まれた真ん中っ子というところも同じ。なによりどちらも四十を過ぎてから筆をとった――。それ以外の共通していない数々の点には目をつぶり、このまま何も起こらないはずはないという寄る辺ない予感をよすがに、その後も細々と投稿生活を続けた。」ウェブ《本の話》の記事より)

 父親が厳しい……。文さんが書いた露伴の逸話を読んだうえでこう言っているぐらいですから、よほど嶋津さんのお父さんもガミガミ、ネチネチ娘を叱るタイプの人だったに違いありません。それは、今後、嶋津さんの活躍とともに徐々に明らかにされていくんだろうと思います。

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 人さまの親のことを、人さまの文章から知って、何がどうなるというんでしょうか。よくわかりません。

 ただ、受賞する人によっては、上記のうちの親御さんの誰かがメディアの取材を受けて、コメントを語ることになるはずです。1月17日の選考結果と、そのあとの報道を期待して待っています。受賞者の親が、子供の受賞について何を語るか。

 直木賞のことなら何でもいいから知っておきたい。すみません、今回のブログも、もうワタクシが病気であることの証しです。

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2023年7月16日 (日)

第169回(令和5年/2023年上半期)直木賞、「親と子供のきずな」ランキング

 ワタクシには親がいます。人間だれにだって親がいます。直木賞の候補者だって例外じゃありません。そりゃそうです。

 ということで、いまうちのブログでは、直木賞の過去の受賞者・候補者と、その親たちのこと、さらには親と直木賞に関係があればそういったエピソードを調べて、毎週書いているんですが、今週はなんといっても直木賞ウイークです。令和5年/2023年7月19日(水)、第169回直木賞の選考会がひらかれます。となればブログも、新しい候補とからめたことを書きたくなるわけです。

 たとえば、『踏切の幽霊』で候補になった高野和明さんといえば、はじめての小説『13階段』のとき、冒頭の献辞に、親のことを挙げた……。

 とか、そういうハナシを、すべての候補者について書けたらいいな。と思ったんですけど、そんなのとうてい調べきれません。ワタクシみたいな一般人が、わざわざ候補者のもとに「あなたの親のことを教えてください」と聞きにまわるわけにもいかず、今週のブログはどうしようかな、と困っていたところ、じゃあ候補者じゃなくて候補作のなかの、親エピソードを並べてみりゃいいじゃん、と気づきました。

 今回第169回の直木賞は候補作が5つ。すべてが親と子供のハナシだからです。

 直木賞といえば昔から、親と子のきずなをどれだけ深く描けるか、深く描いたもんが受賞する、と言われています。なので、とりあえず今週はワタクシの主観で、それぞれの作品に出てくる親子のきずなの強さを基準に、第1位から並べてみることにしました。

          ○

1. 死んでしまったあとでも、母親の暮らす故郷に帰りたがった娘

(『踏切の幽霊』高野和明)

 タイトルどおり、踏切にぬぼーっとでてくる幽霊がいます。それがどんな人物で、どんな人生を送ったのか。まさに小説のキモの部分ですから、さすがにここで多くは語れません。

 ただ、どんな事情が親子にあったのかは、小説を読んでもらえればわかります。故郷を離れ、母とも別れて暮らすようになった娘。死んでしまってもなお、母(というか子供のころに過ごした土地)に心を残しているんですから、きずなの強さは相当なものでしょう。

2. 死んだ父親の声を聞いて、どんどん壊れていく息子

(『骨灰』冲方丁)

 松永光弘は大企業に勤める32歳のサラリーマンです。かつて父親の幸介は、仕事がうまくいかずに家族に暴力をふるうようになり、やがて癌で亡くなります。すでにこの世の人ではありません。

 しかし、光弘が仕事で渋谷再開発に関係する工事現場で起きたトラブルに巻き込まれるうち、その父親が突如、光弘の近くに現れます。声をかけて光弘を励ましているように見せかけて、それで背中を押された光弘は、だんだん正気ではなくなって、トラブルはとんでもないものに膨れ上がっていきます。

 最終的に、亡父の悪霊からは解放されますが、それまでの取り憑きかたがエゲツないです。

3. 父親の死を聞いて、まわりが引くぐらいに嘆き悲しむ息子

(『極楽征夷大将軍』垣根涼介)

 長くて長くて、途中からめまいがしてくるこの小説のなかでも、足利高氏(のち尊氏)が父の貞氏を亡くすのは、序盤も序盤。ちょうど第一章から第二章の境あたりです。

 山城の笠置山で、後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕を旗印にたてて挙兵した大騒動の時期に重なっています。ここで鎌倉方にいた高氏がどうしたか。といえば、わしは戦場なんか行きたくない、とまるで消極的だったんですが、父親に対する高氏の異様なほどの弔意がそうさせたんだそうです。

 「父はこの世に一人しかおらぬのだっ。母もそうだ。」と、作中で高氏が叫んでいます。このあけっぴろげな純真さ。高氏の魅力です。

4. 父親を殺めたという罪状を負った下男を見つけて、あだ討ちする息子

(『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子)

 そりゃあ仇討ちといえば、親のカタキを打つ子供、というのが定番です。この小説の筋立ても、やはりその枠組みで展開します。

 伊納清左衛門を殺めたかどで下男の作兵衛が出奔。それを追って、清左衛門の息子、菊之助が江戸にやってきて、作兵衛を見つけ出し、みごと仇を討った。と、ここまでのハナシから、親と子のきずなも文句なしです。

 しかし、それで終わってしまったら、この小説がこれほど各所で絶賛されるはずがありません。実は、菊之助によるあだ討ちには別に真相があった……、と続くんですが、こうなってくると親子のきずなというより、さまざまな立場の人たちによる思いやりややさしさが、ぐっと前面に出てきます。で、きずなを基準にしたランキングは、第4位にしちゃいました。すみません。

5. 母親に、政府機関に協力してほしいと涙を流して頼んだ息子

(『香港警察東京分室』月村了衛)

 これも「親と子供のハナシ」だと言っちゃうと、ほとんどネタバレです。まあ、小説のネタは絶対バラすな、なんちゅう原理主義者は、こんなブログ見ちゃいないでしょうから、別にバラしてもいいんですが、香港で自由の風をまきおこそうとしていた人が、じつは中国の政府機関と裏でつながっていた、と明らかにされます。

 どうして、影響力の大きい民主活動家が、国家権力なんかとつながってしまったのか。それは、生み落として以来、20数年会っていなかった実の息子に久しぶりに会い、涙ながらに、政府機関に協力してほしいと頼んだからだ、と言うのです。

 自分の信念をまげてまで息子の頼みを聞いた親のほうの愛情は、よくわかります。ただ、息子が親をどう思っていたのか。と、そこに目を向けると、きずなランキングはやはり第5位にせざるを得ません。

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 7月19日(水)選考会が開かれます。選考委員はぜんぶで9名。だれひとり例外なく、親のいる(いた)子供たちです。

 選考会では、だれも作中の親子のきずなになんて言及しないかもしれません。だけど、心の奥底や深層心理では、きっとそこの部分で評価が変わったり、当落が左右されたりするに違いない。と、無理やり信じて当日の結果を待ちたいと思います。

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2023年1月15日 (日)

第168回(令和4年/2022年下半期)直木賞候補者は、どれだけ賞金を稼いできたか。

 文学賞の最大の特徴は何でしょうか。それは、受賞すれば賞金がもらえることです。

 ……と、昭和の中盤ぐらいまでは自信満々に言えたんですけど、もはや文学賞も多様化の時代。とってもおカネは出ませんよ、という文学賞もたくさんできてきました。

 なにしろ、小説や文化に関わる組織は、どこもかしもおカネがなくてピーピー言っている時代です。文藝春秋だって同じこと。直木賞もここらで時代の流れを汲み取ったふりして、賞金なし、にしたっていいんじゃないかと思いますが、とりあえず今週決まる第168回(令和4年/2022年・下半期)では、旧弊どおり賞金が出るようです。ひとり100万円です。

 そうか、文学賞って賞金がもらえるんじゃん。ということを意識しながら、今回候補に挙がった5人のプロフィールを見ると、どの人の履歴にもおカネのことが書いてあることに気づきます。おカネのこと。つまり、これまでいろいろと文学賞をとってきた人たち、ということです。

 文学賞は歴史的な始まりからして、おカネにまつわるイベントです。作品がどうだとか、誰がとりそうかとか、そんなのは些末なことにすぎません。賞を見るときいちばん自然な角度は何なのか。それは「賞はカネである」という視点です。

 なので、今回の直木賞も、おカネの明細で並べてみます。候補者のなかで、誰がいちばん文学賞で稼いできたのか。

■雫井脩介(平成12年/2000年デビュー・22年)

1500万円
平成11年/1999年第4回新潮ミステリー倶楽部賞1000万円
平成16年/2004年度第7回大藪春彦賞500万円

■千早茜(平成21年/2009年デビュー・14年)

550万円
平成20年/2008年第21回小説すばる新人賞200万円
平成21年/2009年第37回泉鏡花文学賞100万円
平成25年/2013年第20回島清恋愛文学賞50万円
令和2年/2020年度第6回渡辺淳一文学賞200万円

■小川哲(平成27年/2015年デビュー・8年)

350万円
平成27年/2015年第3回ハヤカワSFコンテスト100万円
平成29年/2017年度第38回日本SF大賞50万円
平成29年/2017年度第31回山本周五郎賞100万円
令和4年/2022年第13回山田風太郎賞100万円

■一穂ミチ(平成19年/2007年デビュー・16年)

100万円
令和3年/2021年度第43回吉川英治文学新人賞100万円

■凪良ゆう(平成19年/2007年デビュー・16年)

10万円
令和2年/2020年2020年本屋大賞図書カード10万円

 文学賞全体が景気がよくて浮かれていた頃から、景気がわるくて「それでも文学には力がある!」とか宗教じみたことを言いはじめた現在まで、見事に時代相が出ている候補者のラインナップで、さすがは何でもありの直木賞です。

 何つっても、賞金1000万円がゴロゴロしていた、アノ狂乱の時代の文学賞がリストに出てくるんですからね。それをとってデビューした人が今回はじめて候補に挙がるというのも、また直木賞ならでは。時空間がむちゃくちゃです。

 さあ、これら賞金ハンターの猛者たちがつどって、いったい誰が100万円を獲得するのか。

 1月19日(木)夕方~夜には受賞会見が開かれる予定になっています。そこで主催者か受賞者が、札束をビラビラと見せびらかせて、世を炎上させたら面白いな、と思うんですけど、残念ながら受賞式は、選考結果が出てから1か月ほど先のことです。発表の当日はゲンナマを目にすることはできません。せめて、だれか空気を読まない文芸記者が「賞金の使い道は?」と質問してくれることを期待しています。

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2022年7月17日 (日)

第167回(令和4年/2022年上半期)の直木賞候補作も、全部、カネがらみです。

 世の中はすべておカネです。

 直木賞もまた、人と人とのあいだでおカネが動く経済活動の一つにすぎません。去る6月17日、第167回(令和4年/2022年・上半期)の候補作が発表されましたが、それをきっかけにすでに多くのおカネが動いています。今週7月20日(水)、選考会が行われて受賞作が決定すれば、もっと多額のおカネが全国各地でやりとりされるでしょう。世の中おカネです。

 ということで、直木賞を語るならおカネのハナシは欠かせません。そのひとつに、主催者から受賞者に渡される「賞金」というものがあり、最近うちのブログではそのことを調べたりしているんですが、いやいや、それよりもっと我々に身近な経済問題が、直木賞にはひそんでいるじゃないですか。

 読者が支払う本の代金です。

 第1回(昭和10年/1935年・上半期)の創成期から事情は同じです。直木賞の受賞作を読みたい人は、基本的にはおカネを払わないと読むことができない、という前提のもとに、この賞は何十年もやってきました。図書館で借りりゃあタダで読めるじゃん、とひらき直る人もいるでしょう。だけど、図書館で読む受賞作だって、あれも図書館がおカネを払って買った商品です。仮に内容がクソみたいな受賞作でも、0円ということはありません。

 直木賞の賞金がどういうふうに推移してきたのか、それは先週取り上げました。じゃあ、直木賞の受賞作(単行本として受賞したものだけじゃなく、受賞作を含む本として発売されたものを含む、いわゆる「受賞本」)は、どのくらいの定価で市場に売り出されてきたのか。その歴史のほうも振り返ってみたいと思います。

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 まずは戦前・戦中です。第1回(昭和19年/1944年・下半期)~第20回(昭和19年/1944年・下半期)までの時期に当たります。

 直木賞の賞金は500円でしたが、川口松太郎さんの『鶴八鶴次郎』(新英社)は一冊1円60銭、『明治一代女』(「風流深川唄」所収、新小説社)は2円。この時期に最も安かった受賞本は、井伏鱒二さんの『ジョン万次郎漂流記』(河出書房)の50銭、高かったのは神崎武雄さんの『寛容』(大川屋書店)の2円10銭です。

 それだけだと高いのか安いのか感覚がつかめません。比較のために、一冊単価を当時の賞金と比べてみますと、本1に対して賞金200倍~300倍ぐらいが、おおよその基準でした(上のグラフでいうとオレンジ色の折れ線)。

 戦後になって賞金は5万円になりますが、一冊単価との倍率はほぼ変わりません。それが第32回(昭和29年/1954年・下半期)に賞金10万円に倍増されたところから、一気に賞金の価値も上がります。単行本の値段は、戦後から昭和36年/1961年ごろまで、ほぼ1冊200円から300円だったのに、賞金だけが上がったわけです。文藝春秋新社が太っ腹だったのか、あるいは相対的に本の値段が安かったのか。よくわかりません。

 そして日本に経済成長が訪れます。本の価格も1960年代から上昇の一途。グラフでは、第41回から第100回ぐらいのあたりです。

 たとえば文藝春秋新社(および文藝春秋)に限定して追ってみても、昭和34年/1959年城山三郎さんの『総会屋錦城』が260円だったところから、昭和40年/1965年安西篤子さん『張少子の話』360円、昭和44年/1969年陳舜臣さん『青玉獅子香炉』430円、昭和48年/1973年藤沢周平さん『暗殺の年輪』680円、昭和53年/1978年色川武大さん『離婚』750円。そのころには一冊1000円を超す法外な(?)受賞本も現われはじめ、昭和58年/1983年胡桃沢耕史さん『黒パン俘虜記』1200円、昭和63年/1988年西木正明さん『凍れる瞳』1400円……。およそ30年のあいだに本の価格水準は、6倍近くハネ上がりました。

 直木賞の賞金が、いまと同じ100万円になったのは、30数年まえの第100回(昭和63年/1988年・下半期)です。このときの受賞本は、藤堂志津子さん『熟れてゆく夏』(文藝春秋)が980円、杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社)が1300円

 一冊単価と賞金の比較倍率は1対1020倍、ないし1対769倍。ここで直木賞のてっぺんを叩いた、と言っていいでしょう。

 その後の30年はいわゆる停滞です。本の値段はおよそ2倍になった、だけど賞金は据え置き、という推移が続いています。1000円台の前半が普通だったものが、平成3年/1991年宮城谷昌光さん『夏姫春秋』1500円(上下巻とも)で1500の壁を突破、平成8年/1996年には坂東眞砂子さん『山妣』がついに2000円の扉を開きます。

 以降、現在までの受賞本は、価格帯がほぼ変わりません。安いときは1400円、高けりゃ2000円。これが賞金100万円時代の直木賞の基本形です。

 ちなみにこの間、1400円を割る受賞本は、第131回、平成16年/2004年の奥田英朗さん『空中ブランコ』(文藝春秋)1238円+税5%=1300円を最後に出ていません。

 逆に高いほうは、少しずつ伸びてきています。消費税率のアップもありましたし、読みたい人が受賞作に支払う額は、もはや2000円近くが当たり前になっています。

 そんななか、ちょうど一年前の第165回で、佐藤究さん『テスカトリポカ』(KADOKAWA)が2100円+税10%=2310円と、直木賞受賞本の単冊での最高価格を叩き出しました。

 薄くて軽いものより、厚くて重いものが直木賞っぽい、とされる風潮が、この賞には根強く残っています。今後、2500、3000と伸びていくのかもしれません。そんなおカネを出してまで小説を読みたい人がどれだけいるっていうんだ……の世界です。

           ○

 と、歴史を見てきましたが、今回の直木賞候補作はどうなんでしょう。本の価格順に並べると、こんな感じになります。

『絞め殺しの樹』(河﨑秋子、小学館):2000円+税10%=2200円

『爆弾』(呉勝浩、講談社):1800円+税10%=1980円

『女人入眼』(永井紗耶子、中央公論新社):1700円+税10%=1870円

『スタッフロール』(深緑野分、文藝春秋):1700円+税10%=1870円

『夜に星を放つ』(窪美澄、文藝春秋):1400円+税10%=1540円

 現状の価格水準から見ると、1700~1900あたりが高すぎず安すぎず、収まりとしてはちょうどいいです。直木賞は、複数の人間の合議で決まる賞でもあります。そういう場では、中庸でちょうどいいものが、よく選ばれやすいです。

 ともかくも、7月20日(水)、受賞作が決まったところからおカネがビュンビュン動きます。こちらの財布からは減るだけで、多くの人は儲かりませんけど、それで一部の誰かたちはおカネをゲットするんでしょう。直木賞は商業出版で成り立っていますから、それはそれで、文句を言う筋合いはありません。

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2022年1月16日 (日)

第166回(令和3年/2021年下半期)直木賞候補作の、図書館貸出し予約件数ランキング。

 年も押し詰まった令和3年/2021年12月17日。だれもがクソ忙しい年末の朝に、第166回(令和3年/2021年下半期)直木賞の候補作が発表されました。

 そのとき、人々はどうしたか。おそらく日本人の9割以上が、こうだったはずです。「別に何もしなかった」。正常な感覚だと思います。

 しかし、行動を起こした人も、いくらかは存在しました。たとえば、わざわざ本屋に行って候補作を買った人たち。なかには5冊全部買っちゃう異常者もいたらしいです。まあ、ちょっとおかしな人たちですね。近づかないほうが無難でしょう。

 寒い思いをして出かけなくても、いまならkindleその他、電子書籍があります。長い小説でも重い本でも、ポチポチッと押せばすぐ手に入る。楽チンです。だけど、直木賞なんかにおカネを使っている点では同じです。あまり褒められたものではありません。

 となると、まだしも正常に近い人たちは、どうしたんでしょうか。図書館で候補作を借りる。やはりそういう選択に落ち着きます。

 いやいや、今どき直木賞を気にしているヤツなんか、いないでしょ。……と馬鹿にする人もいるでしょうが、意外に直木賞の影響もゼロではないようです。候補になれば、その効果で貸出し希望者が増え、あっという間に所蔵の全冊がハケてしまい、予約待ちに突入します。10件、50件、100件……。いったい、いつになったら読めるのか。自分の手元にくるころには、とうに直木賞が決まっている。それでもなお、貸出し予約をするぐらいの、淡ーい興味で直木賞に接する人が、日本じゅうにはけっこういるわけです。

 とにかく今の世のなか、マスコミや出版社や書店は、本を買え買えとうるさく宣伝します。正直、直木賞の候補作を買わなきゃいけない義務など、読者には一つもありません。だって、たかだか直木賞ですよ。そんなもんに貴重なカネを払えるかい。と、決然たる態度で図書館を利用する人たちこそ、人間として正常な精神の持ち主だと思います。信用できます。ワタクシも見習いたいです。

 すみません、また前置きが長くなりました。今回、直木賞の候補に選ばれたのは5つ。果たして、現代社会の賢者ともいうべき「図書館で借りて読む」派のグループは、どんな反応を示しているのでしょうか。全国7つの都市の図書館ホームページで、それぞれの所蔵数+予約数を調べてみました。

 札幌市仙台市東京都世田谷区名古屋市大阪市広島市福岡市。そのすべてを足した合計を上から多い順に並べたランキングが、こちらです。

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所蔵数+予約数 札幌 仙台 東京・
世田谷
名古屋 大阪 広島 福岡 合計
『ミカエルの鼓動』 431 407 584 436 490 284 212 2,844
『黒牢城』 231 173 624 318 448 209 209 2,212
『同志少女よ、敵を撃て』 202 164 421 190 299 110 113 1,499
『塞王の楯』 95 106 291 142 307 94 64 1,099
『新しい星』 98 92 234 120 112 44 86 786
(令和4年/2022年1月16日13:00調査)

 以下、蛇足ぎみに少々の感想を添えます。

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2021年7月11日 (日)

「文芸記者・直木賞」(令和3年/2021年上半期)。直木賞関連の新聞記事と担当記者に対して贈られる賞。

 直木賞の決定が近づいてきました。今週水曜日、令和3年/2021年7月14日に第165回直木賞が決まります。

 その決定過程はともかくとして、直木賞がこれほど広く知られるようになった功績者に、文芸記者の人たちを挙げないわけにはいきません。いかにも脇役のような顔をしてウラに隠れているものですから、その功績があまり知られることもなく、いつも受賞会見ではアホな質問ばっかりしている人種として、一部から馬鹿にされている文芸記者たち。正直、かわいそうです。

 ワタクシ自身は、文芸記者の仕事のおかげで、知らなかった情報を知り、感情が揺さぶれ、毎回の直木賞に接している口なので、とやかく批判する前に、この人たちを正当に評価し、褒めたたえたい気持ちが強くあります。ということで、文芸記者による「直木賞に関連した新聞報道」に対して贈られる賞をつくりました。

 第165回の直木賞は令和3年/2021年上半期が対象です。この期間に、すでに各紙ではさまざまに直木賞(の候補者)が取り上げられてきましたが、そのなかで受賞に値する候補記事が、全部で5つ出揃っています。ご紹介します。

第165回期 「文芸記者・直木賞」候補者・候補作

川村律文(読売新聞)令和3年/2021年6月22日「究 「BL作家」 文芸作品でも注目 本屋大賞や直木賞候補」

梓勇生(夕刊フジ・ZAKZAK)令和3年/2021年2月17日「社会のタブーにも斬り込み、時代という悪を問いかける 呉勝浩さん『おれたちの歌をうたえ』」

須藤唯哉(毎日新聞)令和3年/2021年5月28日「ひと 佐藤究さん=第34回山本周五郎賞を受賞した」

北爪三記(東京新聞)令和3年/2021年5月22日「書く人 『星落ちて、なお』 作家・澤田瞳子さん 親と同じ道歩む苦悩」

興野優平(朝日新聞)令和3年/2021年6月16日夕刊「へとへとの15年経験、ぽろりと出てくる言葉がある 砂原浩太朗さん、2作目「高瀬庄左衛門御留書」」

■「文芸記者・直木賞」候補 川村律文

 これまでも長く直木賞関係の記事を書いてきた方です。もはやこんなところで顕彰しなくても……と思いましたが、個性派がゴチャゴチャと揃う『読売』の文芸担当のなかで、それでも光を当てたくなるような、個性的で精力的な仕事をこつこつと積み上げています。ぜひとも、だれかの力で川村さんに賞をあげてください。

 今期の対象作は「「BL作家」 文芸作品でも注目 本屋大賞や直木賞候補」(『読売新聞』令和3年/2021年6月22日)です。一穂ミチさんの直木賞候補入りから、凪良ゆうさんの活躍ぶり、榎田ユウリさんのコメント、藤本由香里さんの分析などを果敢にまとめ上げています。

 一穂さんについて、

「同人誌で二次創作の小説を書く中で編集者から声がかかり、BL小説の人気作家となった。BL以外の小説には「漠然とした憧れはありましたが、文学賞には応募してこなかった」。」(同記事より)

 と書いているんですが、謙虚で慎みのありそうな一穂さんの姿を、わずかな文章で浮かび上がらせる技。さすが熟練した文芸記者の腕です。

■「文芸記者・直木賞」候補 梓勇生

 正直いって、梓さんが「文芸記者」なのかどうなのか、ワタクシもよくわかりません。ここで挙げるのはカテゴリーエラーかもしれませんけど、いわゆる「大衆文芸」の枠に入らない純文学や、随筆風よみもの、ノンフィクション、伝記などなど、いろんなジャンルに手を出してきたホンモノの直木賞を見ならって、今回「文芸記者・直木賞」に、梓さんを推したいと思います。

 呉勝浩さんのインタビュー記事は、ネットで全文読むことができます。梓さんの佳品、ぜひ堪能してください。

 今回の『おれたちの歌をうたえ』で、呉さんは「悪」ではなく「時代」を描いた、タブーとされる問題に切り込んだ、登場人物それぞれに作者自身が投影されている、といったハナシを引き出し、そこまで言うなら読んでみるか! と読み手に思わせる梓さんの、インタビュアーとしての高い技量が光ります。

 呉さんが影響を受けた小説として、乱歩賞の先輩でもある藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』のことも出てきます。このインタビューが出たのは数か月前ですが、乱歩賞、そして直木賞……という雰囲気を匂わせ、おそらくこの新作も直木賞の候補になりそうだぞ、と(はっきりは書いてありませんけど)印象づけるあたり。梓勇生、すごい書き手です。

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2021年1月17日 (日)

第164回直木賞に見るソーシャルディスタンス。

 半年まえの令和2年/2020年7月15日(水)も、直木賞は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けました。

 この日、選考会が行なわれた東京で新規に感染を確認された人が165人。会場では、委員どうしの距離をとったり、アクリル板を設置したりするなど、感染拡大防止の策が施されました。都内ホテルで開かれた受賞者の記者会見も、入場者数が制限され、参集者は会話厳禁。質問者はそのたびにひとりひとり前に出て、みんなと離れた位置で話すことが求められました。飛沫の拡散で感染者を増やさないための対策です。

 以来、半年が経ちます。同じ曜日で比較すると令和3年/2021年1月13日(水)の、東京の新規感染は1433人。収束するどころか、この半年でほぼ10倍です。緊急事態宣言も出されました。

 1月20日に行われる予定の第164回直木賞も、状況は明るくありません。明らかに高齢者たち5人以上が参加する会合です。食事はどうなるのか不明ですが、お茶ぐらいは出るんでしょう。こういう場でクラスターでも発生したら、各所から集中砲火を浴びるのは必至ですから、よりいっそうの厳戒態勢で会議や会見が開かれるものと思われます。

 科学的なエビデンスはよくわかりません。ただ、少なくとも「大勢の人間が、密閉した場所で、距離を保たず声を出しあう」という状況に、多くの日本人が神経質になっているのは間違いありません。その意識の変化が、直木賞を選考する行為に影響を及ぼすことも、容易に想像できるところです。

 ということで、ここに6つの候補作があります。登場するのは、いずれも人間です。彼らが「三つの密」をつくる場面が出てきたとき、読み手の脳内に思わず、「これはダメだ」と危険信号が流れてしまうのも、これまでと違うコロナ禍のなかでの読書体験でしょう。あるいは、みんなで自粛しよう、我慢しようと言っている状況下、そんな場面が出てくる小説が受賞したら、世間から袋叩きにされる可能性も否定できません。

 当然、最も気にかかるのは、どれだけ感染拡大対策がなされているか、ということになります。今回の直木賞は、その点がいちばんの注目ポイントです。

■芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』

感染拡大対策:★★★★

 自宅の作業場での夫婦のやりとり。穏やかです。学校の先生がアタフタする状況でも、基本的に一人でいるか、ギャンブル狂の同僚との二人での会話で終わっています。アパートの老夫婦も、はめを外して遠くに外出するわけでもなく、ひっそりと暮らしています。素晴らしい自粛ぶりです。

 料理研究家のサイン会には、多くの人が集まったようですが、感染拡大に対してどういう対策をとったのか、くわしく書いてありません。おそらくマスクは必須だったでしょう。ファンの女性と握手しているのは気になりますが、即座に無防備だと責め立てるわけにもいきません。

 問題は、山奥で映画を撮っていた人たちの、感染に対する認識の甘さです。旅館の閉鎖された一室で、監督、俳優、そのマネージャー、映画プロデューサー4人が、けっこう激しく声を出し合っています。もし誰かひとりでも感染者だったら……。考えるだけで恐怖です。

■西條奈加『心淋し川』

感染拡大対策:★★★★

 近くにドブ川が流れ、衛生的にはかなり難のある江戸の長屋。住む人たちもみんな貧困なので、いったんウイルスに感染したら、重篤な患者が多発してもおかしくありません。

 おそらく住民にはその意識があるのでしょう、家族どうしで集まることはあっても、大勢で密集する機会はおおむね避けています。こういう真っ当な人たちの生活が保障されるような国であってほしいです。

 最後の最後で、町方役人が柳橋の料理屋で会食をもつ様子が出てきます。年長者二人に、若者六人。オジさんたちの言うことに逆らえず、イヤイヤ宴席に連れてこられた若者たちのつらさが、よくわかります。とりあえずこれは回想シーンなので、問題とするのは気にしすぎでしょうが、会食自粛のお触れが出ている現状では、忌避される場面かもしれません。

■伊与原新『八月の銀の雪』

感染拡大対策:★★★

 人としゃべるのが苦手な大学生。というこの設定が、すでに表題作の勝利でしょう。大勢で話し合う場面とは無縁です。

 対して、いきなり満員電車の車内から始まる作品には、ドキッとさせられます。自粛だ在宅だとおカミから言われても、簡単に従えない人たちがこんなにもいるのだ。ひとつの警鐘だと思いますが、途中、40~50人の聴衆を集めたトークイベントが出てくるところは、いただけません。九十九里の砂浜で発掘作業をするのは、仕事ですから仕方ないとして、屋外とはいえ見物客が集まってしまっています。やはり主催者に管理監督責任が問われるでしょう。

 その対策の甘さを挽回するかのように、公園で静かに野鳥を観察する場面、川に繰り出した二人の男女が距離をとって珪藻を採取する場面、広々とした海岸でひとりの男が凧を揚げる場面、と空気のながれのよい野外の話が印象的に描かれます。これで挽回できたと見るかどうかが、ひとつの鍵です。

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2020年7月12日 (日)

第163回直木賞を語るはずの「文学賞メッタ斬り!スペシャル(結果編)」の予想。

 毎回恒例のラジオ日本「文学賞メッタ斬り!スペシャル(結果編)」は、令和2年/2020年7月20日(月)25時~26時に放送予定です。今回もまた、あまりに楽しみなので、以下その放送内容を予想してみます。――

          ~(タイトルコール・BGM)~

植●第163回直木賞の選考会が7月15日午後2時より、築地・新喜楽で開催。授賞作が決定しました。ということでラジオ日本の名物企画「文学賞メッタ斬り!」では、例によってどの作家が直木賞をとるのか、書評家でSF翻訳家の大森望さん、そして書評家の豊崎由美さんに先週ずばり予想していただきました。果たして予想結果は当たっているのか。

 それでは「文学賞メッタ斬り!」の介錯人のこのお二人。ご紹介しましょう。大森望さん、豊崎由美さん。こんばんは。

大・豊●こんばんは。

植●それではさっそく、第163回直木賞を、あらためて「文学賞メッタ斬り!」的ににぎにぎしく発表させていただきます。

          ~(略)~

豊●結果についてはですね、何も申し上げることがございません。おめでとうございます。以上。っていう感じですね。

 もう直木賞はいいから、今日は芥川賞のことだけでいいんじゃですか。

大●今回はやっぱり受賞者の会見がいちばんの見どころでしたね。いつもは記者とか出版社の編集者とかぎっしり入っている会見場が、この情勢を考えて、みんなソーシャルディスタンスで。

豊●会見とか、これからもリモートでやればいいんですよ。候補者は地方に住んでいる人もけっこういるのに、わざわざ全員、東京に呼んで待機させて、何サマだって感じですよ。

大●いやいや、あれは強制じゃないですから。来られない人は、無理して来なくてもいい、っていうスタンスなんですけど、やっぱり会見に顔を出して生の声でしゃべることで、受賞作の売れ行きもどうハネるかわからないですから、版元としてはできるなら会見に出ていただきたい、っていうことでしょう。

豊●それで出たくもない会見に出て、ろくに候補作を読んでない記者から、くだらない質問ばかりされて。ほんと、かわいそうですよ。

大●ええと、今回の選考経過はですね、今回は北方謙三さんが選考会のあとに会見したんですけど、やっぱりまずは、前代未聞のコロナ禍のなかでの選考になった、それについて語ったと。こんな状況、こんな時代からこそプライベートな空間でも社会とか時代とかとつながることのできる小説の意義について語ったと。

豊●ずっと「夜の街」のイメージを背負ってこられた北方センセイが、ここで率先して感染防止を訴えてくださって。素晴らしいですね。

大●馳星周さんの『少年と犬』については、プロの作家としてのまぎれもない高い技術には、みんな選考委員の人たちも異論は出なかった、と。個人的にはもう少し早い時期に差し上げる機会があったと思っているが、それができなかったことは、ひとりの選考委員として素直にお詫びをしたい。……と言って頭を下げたらしいですね。

豊●先週も話が出ましたけど、5年まえでしたっけ、『アンタッチャブル』で受賞できなかったのは、ほんとうに傍目で見ても、ひどかったですからね。いまさら謝られても仕方ないでしょうけど。

大●幅の広い作家であることは十分確認できた、馳さんはこれからもっと大きな作家になれる人だと信じている……っていうのも、いまさら言う言葉かと。とっくのとうにほとんどの人が、馳さんが幅の広い作風でやっていける人だということは、気づいていたと思いますけど。

豊●その作家にとって、これぞっ! っていう作品でとらせてあげればいいのにね。……

          ~(略)~

大●それから北方さんは、最終決選に残った今村翔吾さんの『じんかん』も、かなり最後まで粘ったと。力のある書き手で、次の世代のエンターテイメントの小説界を担っていく人材だと。しかし一部の選考委員のなかには、あまりにも主人公の九兵衛……松永久秀ですね、彼が謙虚で、ものわかりがよくて、民衆の幸せのことを考えていて、いい人すぎるのが、いかがなものか。歴史のひとつの解釈といえば解釈なんでしょうけど、あまりにヒーローを美しく描きすぎなのではないかという反対意見がありました、……ということです。

豊●魅力的な悪をどう表現するか、というところで苦労されてきたセンセイ方にとっては許せなかったんでしょうね。でも、それを言ってしまうと、伊吹さんのとか、もう救われないじゃないですか。小説全体として目指していることを、全部まるごと否定されちゃったら、かわいそうですよね。

大●『じんかん』に関しては、前半部分をメインにして、もう少しボリュームを削ぎ落したほうがいい、という声もあったと。それはそれは難しいところだと思いますけど。生涯がもう決まっている歴史上の人物で、史料に出てくる後半の部分こそが見せどころ、という部分もありますからね。

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2020年1月12日 (日)

今回から状況が逆転する、第162回直木賞の展望記事。

 直木賞には毎回、何かしらの注目ポイントがあります。

 そのほとんどは、無視して通りすぎても何の障害もなく生きていけるような類いのものです。なので、この時期に文芸関係者でもなく出版・書店関係者でもない者が、直木賞、直木賞と騒いでいると、だいたいそれだけで一般的に白い目で見られます。正直、世間のなかではそれほど重要な行事ではありません。それが直木賞というものだと思います。

 それはともかく、今回の直木賞で気になることといったら、やはりこれでしょう。いよいよ女性が大勢を占める回が到来した、ということです。

 何を言っているんだ。直木賞の候補が全員女性になって多少の話題を振りまいたのは、半年前のことじゃないか。相変らず時間軸が狂っている、ふざけたブログだな。……と自覚しないでもありません。しかし、女性か男性かの視点から直木賞を見たときに、転換期が今度の第162回にあることは明らかです。

 林真理子宮部みゆき桐野夏生高村薫角田光代、合計5人。対して男性は、北方謙三宮城谷昌光浅田次郎伊集院静の4人。創設から85年たってようやく、そしていっしょにやっている芥川賞に先んじて、選考委員の男女比が逆転した今回は、直木賞にとって大きな節目となります。

 直木賞(や芥川賞)の委員が、男性ではなく女性であることで、何か影響があるのか。そういうことは、昭和62年/1987年上半期(第97回)に田辺聖子さんと平岩弓枝さんが選考委員になったとき、さんざん報道各社が取材を行い、論評めいた記事が続出したので、改めて蒸し返す気も起こりません。ここでは、直木賞の新しい歴史を切り開くことになる5人の選考委員は、どういう作品を評価しそうなのか、想像する材料のひとつとして、これまでの歴戦・苦戦ぶりを振り返ってみたいと思います。

林真理子(委員在任:20年/第123回から今回で40回目)

選評で高く評価した候補作

 個人的なことを言いますと、うちの「直木賞のすべて」というサイトをひっそりと始めたのが、ちょうど20年前になります。

 そのとき、46歳の若さ(?)で新任の委員として加わった林さんも、気がつけば現メンバー最長在任委員のひとりです。以来、サイトのほうでもブログのほうでもずいぶんイジらせてもらいましたが、小島政二郎さんに始まって、木々高太郎村上元三石坂洋次郎渡辺淳一などなど、直木賞の魅力は、世間一般からもイジられるような選考委員がいなければ、確実に半減します。

 その意味では林さんこそ、現代の直木賞を支えている、と言っていいはずです。あまり言う機会もないので、この場を借りて称えておきたいと思います。林さん。あんたはエラい。

 ちなみに林さんが高く評価したけれど、受賞しなかった候補作の系譜を挙げたのが、左の一覧です。

 ミステリーだろうがファンタジーだろうが、いいと思ったら全力で推すこの感じ。目立ちすぎて叩かれる、という林さんにおなじみな展開を生む隠れた要因でしょう。そしてワタクシ自身、直木賞の受賞作リストよりも、林さんが推奨した作品リストのほうが何だか好みにマッチしている、ということを告白します。お恥かしいかぎりです。……って、けっきょくまたイジっていますね。

宮部みゆき(委員在任:11年半/第140回から今回で23回目)

選評で高く評価した候補作

 林さんの次に古い女性委員は、もう10年以上もやっている宮部さんです。就任したのが48歳のときなので、もうじきン歳です。

 年齢はさておき、林さんと同じく宮部さんも、まあ受賞したもの以外の(落ちた)作品を褒める選評が多く、ほとんどそればっかり書いています。他の人がイイところを指摘している作品を、わざわざ追随する気がしないのかもしれません。だいたい、受賞しなかった作品がどこが素晴らしいかを、えんえんと、長ながと書く。宮部さんの開拓したスタイルです。

 そして推し切れなかった自分の非力を謝罪します。その反省が次に生かされているのかどうなのか、いまいちよくわかりませんが、きっと自分の推奨する作品を受賞させるよう、試行錯誤を繰り返しているのだと信じます。

 宮部さんが討ち死にした左のリストも、林さんに肩を並べるくらいに壮観です。時代・歴史小説、ミステリー、SFといったところを強く評価してきた歴々たる記録、といった感もありますが、まあだいたい直木賞が、それらの小説にやすやすと賞を与えることをしてこなかった記録、と見ていいかもしれません。

 林・宮部の最強タッグを組んで、潮目を変えてもらいたいと願うところです。

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2019年7月14日 (日)

かたくなに男性のことにしか触れない、第161回直木賞の展望記事。

 令和1年/2019年7月17日に行われる第161回(平成31年・令和1年/2019年・上半期)直木賞の選考会が、いよいよ目前にせまってきました。今回はとくに、脇役として強烈な男性を配した作品が、候補のすべてを独占したということで、いろいろと話題になっています。

 80余年の直木賞の歴史のなかで、これがはじめてなのかどうか。よくわかりません。

 ただ、はじめてであっても、そうでなくても、直木賞というたったひとつの文学賞が表わす様相に、さほど重要な話が含まれているわけではありません。気にせず進めたいと思います。

第161直木賞候補作の男性たち
  • ヤッソ(『平場の月』光文社刊)
  • 吉田文三郎(『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』文藝春秋刊)
  • 河津浩介(『トリニティ』新潮社刊)
  • 千歳(『落花』中央公論新社刊)
  • 日置釭三郎(『美しき愚かものたちのタブロー』文藝春秋刊)
  • 蔵元俊(『マジカルグランマ』朝日新聞出版刊)

■ヤッソ(『平場の月』)

 ひとり目にして、いきなり経歴が不詳です。64、65歳の独り者だ、と紹介されています。たまねぎみたいな顔をしているそうです。正式にはヤッソではありません。「ヤッソさん」です。

 青砥健将が働く印刷会社で、派遣社員として働いています。たまに青砥のことを家に誘って、酒を飲みながら愚痴を吐き出す男です。あるいは青砥が、まだ誰にも話していない、現在抱えている状況をさらっと話してしまえるぐらいの間柄。肩から力の抜けた、あまり強烈そうな臭いを発していない高齢男子です。口にすることといえば、現状の職場での不満とか、同じ職場で働く誰かれの品評ばかりなんだそうですが、大局に立ってエラそうに物を言うような、いけすかないジイさんでないことは伝わってきます。

 「ヤッソさんと話をしていると、ここは平場だ、と強く感じる。おれら、ひらたい地面でもぞもぞ動くザッツ・庶民。」(『平場の月』より)という表現が出てきます。出演シーンはほとんどありませんが、そのたたずまいがタイトルにも採られてしまうぐらいの、重要な男性です。

 

■吉田文三郎(『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』)

 大坂道頓堀にある竹本座の、人形遣いの親玉みたいな人です。「癖の強い爺い」(『渦』より)とか言われています。腕はある、人気もある。しかし言いたいことはきっぱり言うから、まわりに煙たがられているようです。

 とりあえずこの小説は近松半二の一生を描いているので、他の人物はどうしても脇に置かれてしまいますが、文三郎さんに負わされた役割の重要さは、とてつもなくでかいものがあります。そもそも芝居小屋に出入りして、好き勝手にべらべらしゃべるだけだった若造の半二に、こいつはきっと浄瑠璃が書ける!と見込んで、ものになるまで指導と助言をした、その名伯楽ぶりがなければ、後年「妹背山婦女庭訓」が生まれることはなかったでしょう。

 晩年、竹本座を飛び出して自前での旗揚げを画策したものの、文三郎に関する悪い噂がどこかからか流れて、計画はおじゃん。失意のうちに亡くなる……といった展開は、ほとんど『マジカルグランマ』に出てくる人物のようでもあります。愛すべきクソ爺い、作品を超えて生きています。

 

■河津浩介(『トリニティ』)

 戦前、15歳で仙台から東京に出てきた河津浩介少年は、おそらく裕福さとは無縁な環境で育ち、働きながら勉学に励む質実な男です。1949年、上芝電機で労働組合の幹部だったときに、社長が殺害されるという事件が起こり、河津さんは首謀者として逮捕されてしまいます。

 無罪を訴えますが、一審では有罪判決がくだされて死刑宣告。拘置所のなかで無罪を訴えつづけ、外にいた支援団体の人たちにも助けられて、1962年にようやく再審で無罪判決を勝ち取ります。これが河津さんの人生を大きく変え、以降は、自身も不当な仕打ちを受けた「冤罪事件」に関する研究・調査を、地道につづける日々。収入は常にカツカツです。何年もかけてようやく一冊になった冤罪事件に関する河津さんの本は、とくに売れることもなく、評判にもならず、ひとつのことを成し遂げた河津さんのほうも、人生の目的を失ったように、覇気を失います。

 しかし、お金を得るよりもっと大事なことがある。といった河津さんの生き方は、結婚してからも変わりませんでした。家のことはたいてい河津さんが担当しますが、出来合いの惣菜など買ったこともなく、常に料理は手作りです。次第に有機農業に興味をもち、東京の家を出て、千葉で実験的な有機農業をやっているグループに参加。最終的にはがんが見つかり、4年の介護を受けたのちに亡くなりますが、これに振り回された家族はたまったもんじゃなかったでしょう。わがままといえば、この人もかなりわがままな男性のひとりです。

 

 

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