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2026年1月11日 (日)

第174回(令和7年/2025年下半期)直木賞をAIに予想してもらう。

 今週水曜日の1月14日、新しい直木賞が決まります。

 候補作5つのうち、何がとっても話題になるし、万が一、該当作がなくたって話題になることが確定しているという、正直多くの人にとってはどうでもいい類いの行事です。

 人の生き死にに関わらない、こういうどうでもいいハナシについてはAIに任せるのがお約束。というのが、いまでは常識になっているらしいので、わざわざ人の手をわずらわせずに、ここは第174回(令和7年/2025年下半期)の展望をChatGPTに聞いて済ませたいと思います。こういうのは人間に聞くより手っ取り早いです。

Q:第174回直木賞の受賞作を予想してください。

ChatGPTの答え:

書評や読書界隈での注目度や作家経歴、テーマ性などから予想を整理すると次の通りです:

◎本命候補:『家族』(葉真中顕)→社会派ミステリー色が強く、話題性が高いという評が多いです。過去作も多くの賞に絡んだ実力派作家であり、受賞の可能性が高いとの声があります。

○対抗候補:『神都の証人』(大門剛明)→歴史/法廷ミステリーとしてエンタメ性があり、直木賞受賞作の傾向とも合いやすいジャンル。

○対抗候補:『カフェーの帰り道』(嶋津輝)→大正~昭和の風情を描いた作品で、“本格小説”として根強い人気を得る可能性あり。読者層からの支持も予想されています。

■その他候補:『白鷺立つ』(住田祐)→デビュー作として高評価を得ているものの、受賞経験・知名度で他候補にやや劣る印象。

■その他候補:『女王様の電話番』(渡辺優)→タイトルや世界観がユニークで話題性はあるものの、直木賞選考委員の評価がどう出るか注目。

まとめると、現時点では葉真中顕『家族』を本命に、歴史ミステリーや社会派ドラマの『神都の証人』や『カフェーの帰り道』を強力な対抗とする予想が多いです。どの作品が受賞するか、発表を楽しみに待ちましょう!

 はい! 発表を楽しみに待ちたいと思います。ありがとうございました。

 ……と、ここで終わってもいいんですが、いやいや、ぜんぜん物足りないぞChatGPT。『白鷺立つ』や『女王様の電話番』の受賞予想が何でそんなに低いんだ。頭おかしいんじゃないのか。

 おかしいのはこちらのほうで、正しいのはヤツなのかもしれません。わかりません。だけど、『家族』以外だって全然受賞する可能性あるんじゃないか。ということで、もうちょっとツッコんで、それぞれの候補作が直木賞をとるならどういう理由があり得るか、あらためてAIに解説してもらいましょう。

          ○

Q:第174回直木賞を渡辺優『女王様の電話番』が受賞するとしたら、どういう理由が考えられますか。

ChatGPTの答え:

渡辺優『女王様の電話番』が第174回直木賞を受賞すると仮定した場合、選考委員の評価理由としては、次のようなポイントが考えられます。

①直木賞的「エンタメ性」と完成度の高さ

直木賞は「読者に広く届く物語性」を重視します。『女王様の電話番』は「一見すると奇抜でキャッチーな設定」「会話中心でテンポがよく、読ませる構成」「ユーモアとシリアスのバランス」といった点で純粋な“小説としての面白さ”が非常に高いと評価される可能性があります。

選考委員からは「最後まで一気に読ませる力がある」「職業小説としても完成度が高い」といったコメントが出ても不思議ではありません。

②「声」「会話」を通じて現代社会を描いた点

電話番という立場は「表に出ない」「顔の見えない他者の感情を受け止める」「権力や支配関係を“間接的”に体験する」という、現代的なコミュニケーションの歪みを象徴しています。

選考理由としては「SNS時代の「匿名性」」「ケア労働・感情労働の不可視性」「支配と依存の構造」を、説教臭くなく娯楽小説として描いた点が高く評価される、という筋が立ちます。

③重いテーマを軽やかに包む「語りの技術」

直木賞では近年、「社会問題を正面から告発する作品」「重厚で暗い物語」が続く傾向もありましたが、その反動として「深刻なテーマを、軽やかに、しかし浅くならずに描いた」という評価軸が浮上することがあります。

『女王様の電話番』は「タイトルのポップさ」「語り口の軽妙さ」「読後にじわじわ効いてくる余韻」によって、「読後に考えさせるが、読書体験は楽しい」という点で選考委員の合意を得る、という見方ができます。

④渡辺優という作家の「円熟」

仮に受賞した場合、理由としてよく語られそうなのが、「安定した筆力」「読者層の広さ」「長年エンタメ小説を書き続けてきた蓄積」です。

選評では、「これまでの作家生活の集大成として評価した」「直木賞が求める物語性を最も体現していた」といったキャリア評価込みの受賞という説明がされる可能性があります。

⑤他候補作との比較の中での「独自性」

他候補に社会派・歴史・重厚路線が多い場合、「設定のユニークさ」「読後感の軽やかさ」「“今の空気”を映す題材」が際立ち、「最も直木賞らしい一作」「読者に手渡しやすい作品」として票を集める、という展開も十分あり得ます。

▼まとめ

もし選考委員の総評を一文でまとめるなら、こんな言葉が想像できます。

「現代社会の歪みを、会話とユーモアによって巧みに描き切った、完成度の高いエンターテインメント小説である」

 ううむ。確実にヤツは『女王様の電話番』を読んでいませんね(ってそりゃそうか)。

          ○

Q:第174回直木賞を住田祐『白鷺立つ』が受賞するとしたら、どういう理由が考えられますか。

ChatGPTの答え:

住田祐『白鷺立つ』が第174回直木賞を受賞すると仮定した場合、選考理由としてはかなり「直木賞の王道回帰」的な説明が成り立ちます。

①デビュー作とは思えない完成度と安定感

まず最も語られやすいのがここです。「構成の破綻がない」「文体が過度に尖らず、読者を選ばない」「物語の運びが丁寧で、最後まで失速しない」。直木賞では、「新人だが、すでに“職業作家”としての水準に達している」という評価が非常に強い武器になります。

選評では「新人作家にありがちな力みがなく、成熟した筆致である」といった言葉が使われる可能性があります。

②日本的情緒と普遍的テーマの両立

『白鷺立つ』という題名自体が象徴するように、「静けさ」「移ろい」といった日本文学的な情緒を大切にしつつ、「喪失」「贖罪」「再生」という時代や世代を超えるテーマを描いている点が、高く評価されると考えられます。

これは直木賞が好む、「地方性や風土を通じて、普遍性に至る物語」という評価軸にぴたりと合います。

③派手さはないが「読後に残る」物語

他候補作に、「社会派」「歴史ミステリー」「設定の奇抜さ」が並ぶ中で、『白鷺立つ』はあえて「大きな事件に依存しない」「人物の内面と関係性に焦点を当てる」という選択をしています。

そのため選考会では、「一見地味だが、読み終えてからの余韻が最も深い」「時間を置いて評価が上がる作品」という声が出る、という想定ができます。

④直木賞が「新人を押す」回になった場合

直木賞は周期的に、「実績ある作家」「円熟期の作家」よりも、「この作家を世に出したい」という意思表示として、新人・若手を選ぶことがあります。

その文脈で、「作品の完成度」「将来性」「継続的に読者を獲得できるタイプの作家性」を総合して、「今ここで直木賞を与える意味がある」と判断される可能性があります。

⑤「文学性」と「大衆性」のちょうどいい接点

芥川賞寄りでもなく、娯楽小説に振り切るわけでもない――『白鷺立つ』は、「読みやすいが軽すぎない」「文学的だが難解ではない」という直木賞が最も評価しやすい中間点にあります。

選評としては、「文学賞としての品格と、大衆小説としての読みやすさを両立している」という表現が考えられます。

⑥他候補作との“バランス受賞”

仮に他候補が、「社会性が強すぎる」「ジャンル色が濃い」「作家として既に十分評価されている」場合、選考委員の間で「今回は物語そのものの力を評価しよう」という空気が生まれ、『白鷺立つ』に票が集まる、という筋も自然です。

▼まとめ

総合すると、次のような理由が最も説得力があります。

「派手さはないが、日本的情緒に根ざした普遍的な物語を、確かな筆致で描き切った点を高く評価した。新人作家のデビュー作として、今後の活躍を強く期待させる一作である。」

 『白鷺立つ』が受賞する理由も、他の候補と同じくらいたくさんある、ってことですね。

          ○

Q:第174回直木賞を嶋津輝『カフェーの帰り道』が受賞するとしたら、どういう理由が考えられますか。

ChatGPTの答え:

嶋津輝『カフェーの帰り道』が第174回直木賞を受賞すると仮定すると、その理由は「直木賞の原点回帰」と「いま改めて評価された昭和(戦前)モダニズム」という二つの軸で、非常に筋の通った説明が可能です。

①〈時代小説×市井の人〉という直木賞の王道

『カフェーの帰り道』は、「政治家や英雄ではなく、カフェーで働く人々、客、街を行き交う無名の人間」を描く作品です。これは直木賞が伝統的に高く評価してきた「歴史の裏側に生きた市井の人々の人生を、物語として掬い上げる」という王道に正面から合致します。

選考委員からは、「時代小説でありながら、現代にも通じる人間の息遣いがある」という評価が想定できます。

②“ノスタルジー”に終わらせない昭和モダンの描写

大正末~昭和初期のカフェー文化は、「退廃」「享楽」「モダン」「不安定な時代のきらめき」を孕んだ題材ですが、本作は単なる懐古趣味に陥らず、「格差」「女性の自立と搾取」「時代の断層」といった現代にも直結するテーマを内包しています。

そのため選考理由としては、「昭和モダンを描きながら、現在の社会構造を照射している」という評価が成立します。

③空気感・細部描写の圧倒的なリアリティ

『カフェーの帰り道』の強みは、「街の匂い」「夜道の湿度」「カフェーを出たあとの静けさ」といった“帰り道”という時間帯の感覚を、非常に精緻に描いている点です。

派手な事件が起きるわけではないのに、「風景そのものが物語を語る」「読者がその時代を「歩いた気になる」」という感覚は、選考委員から「小説ならではの臨場感がある」と高く評価される要素です。

④文体と構成の「古さ」と「新しさ」のバランス

文体は落ち着きがあり、古典的とも言える一方で、「現代読者にも無理なく読める」「情報過多にならない」という点で、今の時代に最適化された時代小説になっています。

直木賞では、「奇をてらわず、しかし凡庸でもない」作品が最終的に選ばれることが多く、本作はその条件を非常に満たしやすいタイプです。

⑤他候補作が割れた場合の「最大公約数」

仮に選考会で、「社会派(葉真中顕)」「ジャンル性の強いミステリー(大門剛明)」「現代設定の会話劇(渡辺優)」などで評価が分散した場合、「純粋に小説として、最も安定している」という理由で『カフェーの帰り道』に票が集まる展開は、かなり現実的です。

選考委員同士の妥協点としても、「文学性」「大衆性」「品格」のバランスが最も取りやすい作品だからです。

⑥「静かな傑作」を選ぶという意思表示

この受賞は、「話題性や刺激の強さよりも、長く読まれる小説を選んだ」という、選考委員会からのメッセージにもなります。

選評では、「決して派手ではないが、読み終えた後に確かな余韻を残す」「直木賞にふさわしい、静かな力を持った作品」といった表現が想定されます。

▼まとめ

最もそれらしい一文にまとめると、次のようになります。

「昭和初期のカフェー文化を背景に、市井の人々のささやかな人生と時代の空気を丁寧に描き出した。ノスタルジーに留まらず、現代にも通じるテーマ性を備えた、完成度の高い物語である点を評価した。」

 おお、『カフェーの帰り道』がとるかもじゃないですか。期待感があがります。

          ○

Q:第174回直木賞を大門剛明『神都の証人』が受賞するとしたら、どういう理由が考えられますか。

ChatGPTの答え:

大門剛明『神都の証人』が第174回直木賞を受賞すると仮定すると、その理由は「直木賞が好む〈骨太なエンターテインメント〉」と「歴史と現代をつなぐ倫理性」の二点に集約できます。

①歴史×法廷×ミステリーという完成度の高い娯楽性

『神都の証人』は、「歴史的事件・背景を踏まえつつ」「法廷という緊張感の高い舞台を設定し」「ミステリーとしても最後まで牽引力がある」という、直木賞が最も評価しやすい「物語の強さ」を備えています。

選考委員からは、「ページをめくる手が止まらない」「娯楽小説として極めて完成度が高い」という評価が想定できます。

②「神都」という題材の現代的意味

タイトルにもある「神都」は、「国家」「宗教」「権威」「正義」といった、非常に重い概念を内包しています。本作ではそれを、「過去の出来事として安全に描くのではなく、現代社会にも通じる問題として提示している」点が高く評価されると考えられます。

選評的には、「歴史を素材としながら、現代の倫理を鋭く問うている」という言い方が成立します。

③取材力・構成力に裏打ちされた説得力

大門剛明作品の特徴である、「緻密な取材」「法制度や裁判手続きのリアリティ」「論理の積み重ねによるカタルシス」が本作でも遺憾なく発揮されている点は、選考委員にとって安心材料です。

直木賞ではしばしば、「この作家なら任せられる」という職業作家としての信頼感が重要視されます。

④娯楽性の裏にある「被害者の視点」

単なる謎解きや逆転劇ではなく、「誰が犠牲になったのか」「誰の声が封じられてきたのか」という視点を物語の核に据えている点も、評価理由として大きいでしょう。

選考理由としては、「エンターテインメントでありながら、倫理的な誠実さを失っていない」という言葉が使われそうです。

⑤他候補作との比較での「説得力の強さ」

他候補に、「内省的・私小説的な作品」「会話中心で軽やかな作品」「余韻重視で事件性の弱い作品」が並んだ場合、「物語として最も説得力があり、議論に耐える」という理由で『神都の証人』が選ばれる可能性は高まります。

選考会では、「作品の面白さ」「選考理由を社会に説明しやすいか」も重視されるため、本作は非常に「説明しやすい受賞作」です。

⑥大門剛明のキャリア評価としての受賞

仮に受賞すれば、「長年、法廷・社会派ミステリーを書き続けてきた」「一定の評価はあるが、まだ大きな文学賞には届いていない」という点を踏まえ、「満を持しての直木賞」という文脈で語られる可能性があります。

選評では、「本作は作家の力量が最もよく発揮された代表作の一つである」とまとめられそうです。

▼まとめ

もっともあり得る選考理由を一文にすると、次のようになります。

「歴史的題材と法廷ミステリーを巧みに融合させ、娯楽性と倫理性を高い次元で両立させた点を評価した。重厚なテーマを持ちながら、読者を最後まで引きつける物語力は直木賞にふさわしい。」

 選考会では「選考理由を社会に説明しやすいか」も重視されるのか。そうなんだ、知らんかった。勉強になります。

          ○

Q:第174回直木賞を葉真中顕『家族』が受賞するとしたら、どういう理由が考えられますか。

ChatGPTの答え:

葉真中顕『家族』が第174回直木賞を受賞すると仮定すると、その理由は「直木賞が社会派小説をどう更新するか」という問いへの、非常に説得力のある回答だった――という一点に集約できます。

①「家族」という普遍語を、現代的に再定義した点

『家族』というタイトルは一見きわめて一般的ですが、本作ではそれを、「血縁とは何か」「共に生きるとはどういうことか」「責任は誰が引き受けるのか」といった、現代社会が避けてきた問いとして突きつけています。

選考理由としては、「誰もが知っている言葉を、ここまで不穏で切実な問題として描いた」という評価が最も分かりやすいでしょう。

②社会派ミステリーとしての圧倒的な説得力

葉真中顕は、「事件性」「社会構造」「個人の倫理」を絡めて描く社会派ミステリーを得意とする作家ですが、本作ではそれが最も洗練された形で提示されています。「単なる告発に終わらない」「だが、娯楽としての牽引力は失われない」点が、直木賞向きです。

選考委員からは、「問題提起型小説の完成形に近い」という評価が出ても不思議ではありません。

③読者に“居心地の悪さ”を残す勇気

『家族』は、「明確な救済」「安心できる着地点」をあえて用意しないタイプの作品である可能性が高く、これは選考上、賛否が割れやすい要素でもあります。それでも受賞するとすれば、「直木賞として、あえて“読み心地の良さ”を優先しなかった」という意思表示です。

選評では、「読後に残る不快感こそが、この作品の誠実さである」といった踏み込んだ言葉が使われるかもしれません。

④社会問題を“個人の物語”に落とし込む技術

本作が評価される最大のポイントは、「抽象的な社会問題」「統計や制度の話」ではなく、「具体的な一人の人生」「ある家庭の崩壊や選択」として描いている点です。直木賞は、「社会派でも、あくまで小説であること」を重視します。

その意味で『家族』は、「問題意識」「人物造形」「物語性」の三点が高い水準で揃っています。

⑤葉真中顕という作家の代表作として

仮に受賞すれば、「『ロスト・ケア』以降、一貫して社会の弱い部分に光を当ててきた」作家としての歩みが、「この作品で一つの到達点を迎えた」と評価される、という文脈が成立します。

選評では、「作者の問題意識と物語技術が最も高い次元で結実した作品」と位置づけられるでしょう。

⑥他候補作との比較での「切実さ」

他候補が、「歴史」「ミステリー」「軽やかな現代劇」と多様な中で、『家族』は「いま、この社会で、誰の身にも起こりうる」という切実さで抜きん出ています。

選考委員の議論では、「今この時代に、最も読まれるべき一冊はどれか」という問いに対し、『家族』が最終的に残った、という展開が想像できます。

▼まとめ

もっともあり得る選考理由を一文にすると、次のようになります。

「現代社会における『家族』のあり方を真正面から問い直し、重いテーマをエンターテインメントとして成立させた点を高く評価した。読後に強い余韻と問いを残す、直木賞にふさわしい問題作である。」

 こうなってくると、もはやどれがとっても文句ありませんね。

          ○

だらだらとChatGPTの答えを読んできましたけど、やっぱり最後はこれも聞いておかないとバランスがとれません。

Q:第174回直木賞が該当作なしになるとしたら、どういう理由が考えられますか。

ChatGPTの答え:

第174回直木賞が「該当作なし」になるとしたら、それは「候補作が弱かった」からという単純な話ではなく、選考委員の評価軸が今回はどうしても一致しなかった、というケースが最も考えやすいです。

①「決定打」がある作品がなかった

今回の候補作は、「社会派(葉真中顕)」「歴史×法廷(大門剛明)」「昭和モダン(嶋津輝)」「現代会話劇(渡辺優)」「文芸寄り・新人(住田祐)」とジャンルも作風も非常に分散しています。そのため選考会では、「どれも一定水準以上だが、これだと言い切れる一作がない」という評価に落ち着いた可能性があります。

直木賞では、「突出した傑作がない」「全員が納得できる作品がない」場合、無理に選ばないという判断が取られます。

②評価軸が真っ向から衝突した

想定される対立構図はかなり明確です。「社会性重視派→葉真中顕『家族』を推す」「物語・娯楽性重視派→大門剛明・渡辺優を評価」「文学性・余韻重視派→嶋津輝・住田祐を支持」。

この三方向が拮抗し、「どれかを選べば、別の価値観を否定することになる」という状況に陥った場合、該当作なしは現実的な選択肢になります。

③「直木賞とは何か」が揺れた回

直木賞は、「大衆小説の最高峰」「だが文学的質も担保したい」という、もともと曖昧で緊張感のある賞です。

今回の候補作が、「芥川賞寄りに見える作品」「逆にエンタメ色が強すぎる作品」に分かれた場合、「直木賞の定義に最も合うのはどれか」という根本的な議論に発展し、結論を出さない選択がなされることがあります。

④作家評価として“次作待ち”になった

どの候補作家についても、「実力は認める」「だが「代表作」と言い切るには迷いがある」という評価が並んだ場合、「今回は見送り、次作で改めて評価しよう」という判断が選ばれることがあります。

特に直木賞は、「キャリア評価」「今後の伸びしろ」も見る賞であり、「今はまだ早い」という合意が成立するケースです。

⑤ダブル受賞・単独受賞の調整がつかなかった

直木賞では、「単独受賞」「複数受賞」のどちらもあり得ますが、今回のように候補が割れている場合、「単独では弱い」「しかし二作並べる必然性も弱い」という「中途半端な状態」になりがちです。その結果、「今回は無理に枠を埋める必要はない」という判断が下されます。

⑥社会状況との距離感に迷いが出た

直木賞はしばしば、「時代性」「今この瞬間に出す意味」を意識します。もし今回、「社会派は重すぎる」「歴史物は今じゃない」「軽やかな作品は物足りない」という時代との距離感に対する迷いが共有された場合、「今は賞として強いメッセージを出さない」という選択もあり得ます。

▼まとめ

もっともそれらしい公式コメントは、次のようなものになるでしょう。

「いずれの候補作も高い水準にあったが、直木賞として広く読者に推薦すべき決定的な一作には至らないとの結論に達した。」

 ⑥の「社会状況との距離感に迷いが出た」っていう指摘は、かなりChatGPT独自の見解に近いですよね。デジタル的思考でいえば、そういう理由もあり得そうですけど、人間である選考委員たちが、ほんとにそんな理由で直木賞を「該当作なし」にするかなあ、とやや疑念が残ります。

          ○

 でもまあ、直木賞程度の、別に何がとろうがとるまいが、大きな問題ともならない文学賞は、AIに決めてもらっても全然いいような気がします。

 1月14日の選考会は、とりあえず今回は人間たちが決めるようです。どんな結果が出るかはまったくわかりませんけど、なるべくAIが答えるような「もっともらしい」言葉じゃなくて、全然予想もしなかった講評が語られることを期待しています。がんばれ、選考委員。

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2025年7月13日 (日)

第173回(令和7年/2025年上半期)の候補作のオビを並べる。

 暑い、暑い、とその単語を繰り返すようになったら、もうじき直木賞が開かれる頃合いです。第173回(令和7年/2025年・上半期)の選考会が今週水曜日、令和7年/2025年7月16日に開かれます。暑いです。

 約1か月前に候補作が発表されて、全6冊で総額12,760円、なけなしのサイフのなかから大枚はたいてすべてを購入し、夏の到来を感じながら一つ一つ候補作を読んでいる人は多いかと思います。いや、多いかどうかは知りませんが、ワタクシのここ1か月は候補作の読書にほとんど持ってかれました。

 なんじゃこりゃ。おれの大事な12,760円、まるまる耳そろえて返しやがれ。……っていうふうな読後感ではなかったのでよかったです。

 で、ふと6冊を眺めてみると、6冊すべてに共通していることがありました。オビが巻いてあることです。

 同じ日に行われるもう一つの賞とは違って、直木賞の場合は、候補作すべてが書籍の形態をなしている、っていう状況になってン十年。巻いてあるオビに何と書かれているか、それによって選考委員の受け取り方が変わるとも言われ、あるいは選考委員をやっている人がオビに推薦文を載せている、という候補作も数々生まれてきています。

 何といっても、直木賞を受賞した本には「直木賞受賞作」と書かれたオビが巻かれて増刷されるのが、日本文化のお約束となって久しいですし、受賞した人の昔の本にも「直木賞」の文字が踊ったオビに変わる、何だったら候補作になった段階で早くも「直木賞候補作」とデカデカ書かれたオビに差し替えられるのが、近年の風潮です。

 直木賞とオビ。これほど関係の深い事象が、かつてあったでしょうか!

 まあ、こちとら直木賞候補作だというだけで、機械的に手にとってレジに持っていくような変人なので、オビなんかまじまじ見たこともありません。だけど、よほどの達人になると、本に巻かれたオビをじっと見ているだけで、どれが賞をとりそうか、ピタリとわかってしまうらしい、というウワサを耳にしたことがあります。

 作品の内容や、候補者の実力、そんなこたあ直木賞を構成する要素のなかでは、ささいなことです。虚心坦懐、直木賞の選考会を前に、じっと黙ってオビを見る。……何か見えてくることがあるかもしれません。

          ○

▼オビ高110mm
173obi_st

ラストシーンが読みどころだ、とそんなふうに思いっきりハードルを上げちゃっていて潔いです。

▼オビ高103mm
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173obi_ns1st※上記のオビは直木賞候補発表時に売っていた第2刷のものなので、いちおう初版オビがどんなだったかも出しておきます。

作品はともかく、黒川博行、桐野夏生、という二つの名前の並びにビビります。

▼オビ高75mm
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これも相当ハードルを上げているオビです。

▼オビ高65mm
173obi_yy

小学館文庫『教誨』と、新潮社の『波』がソデを飾って壮観です。

▼オビ高60mm
173obi_aa

門井慶喜さんの讃辞がアツいです。あくまで讃辞であって惨事ではありません。

▼オビ高55mm
173obi_ay

そうか、注目されている作家なんだ、ということがわかります。

          ○

 とりあえず「最高傑作」だと言い張っているもの、だれかに絶賛されているものが、それぞれ1点ずつある。そして、その本の部数ではなくデビュー作の発行部数をデカデカと掲示して釣ろうとするのは品がないな、ということは胸に落ちました。

 このうち、いずれかの本は、直木賞の選考会を経て、せっせせっせと増刷がかかり、直木賞の三文字が躍動するオビに付け変わってしまいます。勘のいい人なら、どれに直木賞オビが巻かれるのか、すでにおおよそ見当がついているのかもしれません。ちなみにワタクシはまったくわかりません。予想したいとも思いません。

 何がとるのか、どんな選考になるのか、純粋にわくわくしながら直木賞を楽しみたい。と思いながら、6つのオビをただじっと眺めて、その瞬間を待っています。オビを見つめたところで、いまのところ何も見えてきませんが、未来はいつも不確定。今回の直木賞もからっぽな心で楽しみたいと思います。

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2025年1月12日 (日)

第172回(令和6年/2024年下半期)の候補作のなかで最も地域に密着した小説はどれか。

 直木賞の選考会は1年に2回ひらかれます。暑い夏の7月と、寒くて凍えそうな冬まっただなかの1月です。

 思い返せば半年前の夏の選考では、とくにどの地方のおハナシといった地域性を感じさせない短篇を多く収録した『ツミデミック』が受賞しました。

その前の冬の選考では、北海道東部の白糠付近と、京都を舞台にした『ともぐい』『八月の御所グラウンド』が受賞に選ばれ、さらに一回さかのぼった夏の選考は、京都や鎌倉その他、描かれる地域のばらけた『極楽征夷大将軍』と、物語は江戸で展開するものの、そもそも主人公がどこの地域の人なのかボンヤリしている『木挽町のあだ討ち』が受賞しました。

 その前は冬の選考で、満洲の『地図と拳』と石見地方の『しろがねの葉』、とどちらも地域性ぬきでは語れない小説が選ばれましたが、それより一回前の夏の選考では、どこのハナシと指し示すことの難しい短編集『夜に星を放つ』がとっています。

 ……と、どんどん時代を巻き戻しながら直木賞のことを考えるのは楽しんですけど、そればっかりやっていると夜が明けちまいそうです。ともかく最近の冬の選考では、特定の地域が前面に押し出された作品が、より多く受賞している、ということが言いたかったわけです。

 で、今回の第172回(令和6年/2024年・下半期)は今週の水曜日、1月15日に選考会がひらかれます。いわずもがな真冬の回です。

 候補作には5つが選ばれています。どれがとるかは、いまの段階ではまったくわかりませんが、5つの作品に共通していることといえば何でしょうか。どれも、それぞれ豊かな地域性をもった小説だ、ということです。

 ネットで直木賞の動向を見てみても、小樽出身の人が小樽を舞台にして候補になった!とか、今回は徳島を舞台にした歴史小説が候補になった!とか、京都の闇社会をあますところなく描き切った小説が候補になった!とか、そんなハナシがたくさん目につきますよね。おそらくみなさん、冬の直木賞は地方色が強ければ強いほど受賞しやすいんだ、ということが共通認識としてあるんだと思います。

 となると、やはり気になるのは、5つの候補作のなかでどれが一番、地域に密着しているのか、ということです。

 そんなもん、目に見えて比べられるもんじゃないだろ。とは思うんですけど、そんな正論に従っていては面白くありません。せっかくなので、うちのブログでは無理やりな手法をとることで、小説の地域密着度を計ってみることにしました。

 『よむよむかたる』は「小樽」、『藍を継ぐ海』は「見島」「東吉野」「長与」「野知内」「姫ケ浦」、『飽くなき地景』は「東京」、『秘色の契り』は「徳島」、『虚の伽藍』は「京都」。……それぞれ作品で何回、この地名が登場するか、その回数を数えてみます。

          ○

250112

 月村了衛さんの『虚の伽藍』が長篇小説のなかに249回も「京都」という文字を出現させて、見事トップに輝きました。おめでとうございます。

 京都がつく地名には府もあれば市もありますし、京都駅、京都弁など、なじみのある単語も数々あります。歴史的に長く日本の中心だった伝統の厚みもあいまって、納得の1位といったところでしょう。

 2番目につけた伊与原新さんの『藍を継ぐ海』は、今回の候補作中ただひとつの短編集です。収録された5つの短編それぞれが、その土地でなければ話が成り立たない、というぐらいに地域に密着していて、「夢化けの島」の「見島」(78回)、「狼犬ダイアリー」の「東吉野」(13回)、「祈りの破片」の「長与」(16回)、「星隕つ駅逓」の「野知内」(33回)、「藍を継ぐ海」の「姫ケ浦」(47回)、全部合わせて187回となりました。

 しかも5つの作品がすべて、それぞれの土地にピンポイントに焦点を合わせていて、好感をいだかせる点でもバツグンです。直木賞に極めて近い、と評価する人がいるのもよくわかります。

 3番目、木下昌輝さんの『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顚末譚』では、対象の地名を「徳島」にするか「阿波」にするか悩みましたが、藩の名前を優先することにして「徳島」で数えました。出現回数は169回。ちなみに「阿波」の回数を数えてみるとそちらは168回と、ほぼ同数という結果です。

 ただ、まあタイトルの副題に「阿波」と地名が入っていることからも、この作品が対象の地方に相当みっちりくっついているのはたしかです。「徳島」と「阿波」でちょっと分散しちゃいましたが、その内容は実質1位だった、と言えないこともありません。

 4番目になると、がくっと回数が減ります。荻堂顕さんの『飽くなき地景』は、「東京」という地域の街並みについて、歴史的な変遷が物語の骨組みを支えている小説ですが、「東京」という単語が出てくるのは87回でした。

 なかには「東京大学」とか「東京国立博物館」とか、そういった単語も出てきて、出現回数を押し上げていますが、いくら東京のことを書いた小説だからといって、いちいち東京、東京と書くのも不自然です。ことさら言うまでもない地名だったがために、無念、4番に甘んじた、と見るのが適切かと思います。

 そして、5作品中、最少回数となったのが朝倉かすみさんの『よむよむかたる』でした。意外や意外、作中に「小樽」の二文字が出てくるのは18回しかありません。

 だけど、この本の宣伝展開から見ると、あるいはあらすじを読むと、まず目に入る地名が「小樽」です。どこの街でこんな読書会が行われていても不自然じゃないとは思うんですが、しかし『よむよむかたる』で、読者の印象に残る土地は小樽です。最少の回数で、そのように読者に思わせるところが、書き手に熟練の技が備わっているあかしです。

          ○

 相変わらず「だから何なんだ」というハナシをだらだら書いていますが、こんなふうに直木賞の選考会まで待つのが、個人的に楽しいんだから仕方ありません。

 直木賞は、東京に会社がある文藝春秋が、東京の料亭で選考会を運営し、受賞者の記者会見も翌月おこなわれる授賞式もみんな東京でやってしまう、という狭い世界のイベントです。だけど、候補者や候補作それぞれに地域性があるおかげで、全国各地で盛り上がることができる、というすばらしい特徴があります。

 1月は外にもあまり出たくないような寒い季節ですが、作品が舞台にしている地域に思いを馳せながら選考会の結果発表を聞く。これを至極の幸福と言わずして何と言う、という感じです。

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2024年7月14日 (日)

直木賞がやってきた「逆説の選考」を、第171回(令和6年/2024年上半期)候補作にも当てはめてみる。

 今週水曜日、令和6年/2024年7月17日に第171回(令和6年/2024年上半期)の直木賞が決まります。

 半年に一度、これだけを楽しみに生きています。直木賞は万全の態勢でのぞみたい。ということで、候補作5つもきっちり読んだ。仕事の休みもとった。もうあとは待つだけです。

 決まってしまえば、受賞作(受賞作家)だけが突出して取り上げられて、ほかの候補作にはあまり光が当たりません。なので、どれがとるか、あれがいいか、と候補作すべてに可能性がある状態でいろいろと考えられるいまの時間が、直木賞ファンにとってはいちばん幸せです。

 それでアレコレ要らぬことまで考えるわけですけど、直木賞は何がとりそうか。過去の傾向をひっぱり出して、つらつら考えてみれば、直木賞の特徴といってはっきり言えることが一つあります。「おおよそ逆がくる」ということです。「逆説の選考」などとも呼ばれます。

 何が「逆」なのか。と言いますと、一般的に褒められるようなことは否定的に扱われ、マイナス要素と言えそうなことが高い評価を受ける、ということです。

 売れている本は駄目。面白い小説は駄目。すらすらと一気に読めるもの、性格のいい人や温かい雰囲気のものも駄目。あまり売れそうになく、読んでいても退屈で、ゴツゴツとした文体で書かれた、人のイヤな部分とか、負の感情が描かれて読後スカッとしないようなものが、直木賞では(いや、文学賞の多くでは)点を集めたりします。変な世界です。

 ということは、ですよ。候補作を読んで、これは駄目だな、と思えるような箇所が多ければ多いほど、受賞作になりやすい、と言っていいと思います。これは別にワタクシがあまのじゃくなわけではなく、これまでの直木賞の傾向がほんとうにそうなんだから、仕方ありません。

 じゃあ、今回の5つの候補作はどうなのか。基本的にどれもこれも、読んでいてケチがつけられるような小説は見当たりません。見当たらないんですが、駄目な点が多くないと受賞できない、というならハナシは別です。無理やりにでも、それぞれのマイナスになりそうなところを探してみることで、逆に受賞が決定することを願ってみたいと思います。

          ○

■青崎有吾『地雷グリコ』(令和5年/2023年11月・KADOKAWA刊)

 このブッとんだ超絶の傑作に、果たして落とし穴などあるんでしょうか。頭をしぼって、

  • いくら何でも射守矢真兎が事前に考えていた想定どおりに事が運びすぎ。ほとんどマンガ。
  • 設定や人間心理にリアリティがなさすぎる。
  • 読み終わって、だから何なんだ、と徒労感しか残らない。

 といった辺りを挙げてみました。これくらいツッコみどころの多い小説であれば、十分受賞の可能性はありそうです。

■麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』(令和6年/2024年2月・文藝春秋刊)

 いまの時代の、いまを生きる人たちに向けた、ぐっとくるワードが満載の小説です。うーん、欠点というと何でしょう。

  • 連作を通して出てくる沼田の人物造型が、よくわからない。
  • 描かれている状況や設定が、現代の一部に寄りすぎていて、中高年以上の読者には付いていけない。
  • いかにも人間のイジ汚い部分にせまっているようで、そこまで鋭くはない。

 小説にとってプラスはマイナス。マイナスはプラス。本作もまた、熱く議論される箇所の多い小説だと思います。

■一穂ミチ『ツミデミック』(令和5年/2023年11月・光文社刊)

 一穂さんのこれまでの2度の候補作とはまた違っていて、作者の力量の幅広さがよくわかります。さすがにマイナス点を探すのには難渋します。

  • 話をつくりすぎていて、途中、興ざめしてくる。
  • これぞ作者の独自性! といった看板になるような魅力が希薄。
  • どれもまとまりがよすぎて、読後に強く残る印象がない。

 まあ、よくできた作品集ほど、こんな選評はよく見かけますが、けなす委員がいれば褒める委員もいる。それが直木賞です。

■岩井圭也『われは熊楠』(令和6年/2024年5月・文藝春秋刊)

 老成しているようで新鮮な、直木賞に受けるにふさわしい岩井さんの小説ですから、やはり駄目な点がきっとあるんだと思います。

  • どうしてそんなに夢のお告げみたいなものばかり繰り返されるんだ。飽きてくる。
  • 歴史的事実に忠実であろうとするあまり、展開が単調。
  • 熊楠の人物的な面白さが、小説としての面白さにつながっていない。

 つまらなければつまらないほど、直木賞に近づく、というのも不思議なものです。

■柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』(令和6年/2024年3月・新潮社刊)

 出ました。これまでさんざん選評で酷評されてきたその蓄積が、ついに臨界点を超える段階にまできたのが柚木さんです。

  • どの話も展開がフリきりすぎていて、ドン引きする。
  • 感情や主張を、登場人物がしゃべりすぎ。余白や余韻がない。
  • けっきょく作者が言いたいことのためだけに話がつくられている、という印象から抜け出たものがない。

 とにかく首をかしげてしまう小説であれば、直木賞の受賞はまず間違いありません。

          ○

 だいたい、外部の野次馬が、候補作を読んでの感想を書いて、いったい直木賞の何になるんでしょうか。別に何にもなりゃしません。

 直木賞の楽しみは、まずは候補作をすべて読む。その状態で選考結果が出るのを待機して、出たら出たで、ワーッとその騒ぎを全身に浴びる。その快感を与えてくれる点で、いまのところ直木賞以上のものはありません。

 ただ、もしもとってほしい候補作がある人であれば、結果が出るまで気が気じゃないでしょう。そういうときは、推しの小説が持っている駄目なところをできるだけ数多くピックアップして、受賞を祈ることをおすすめします。

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2024年1月14日 (日)

第170回(令和5年/2023年下半期)直木賞、候補者の親ってどんな人たち?

 もうじき決まる第170回(令和5年/2023年・下半期)の直木賞は候補者が6人います。

 作風も作家歴もバラバラです。このバラバラなところが直木賞の大きな特徴ですけど、それでもこの6人には紛れもない共通点があります。みんな父と母がいて、その子供として生まれた、ということです。

 ……と、半年まえの第169回のときも同じようなことを書いたような気がして、まったく芸がないんですが、いまうちのブログでは「直木賞と親のこと」のテーマで書いています。なので、せっかくですから、今週は候補者6人の親のことを取り上げることにしました。

 あなたの親は、どんな人ですか? と、候補者ひとりひとりに取材して回ろうかな、と思いましたが、いやいやもちろんそんな余裕もコネもありません。いつもどおり公に書かれた文章をもとにして、候補者それぞれどういうふうに自分の親のことを語っているのか見ていきながら、今週1月17日(水)の選考会を待ちたいと思います。

 以下、順番は年齢順にしようと思ったんですけど、やっぱり長く書きつづけていることに経緯を表しなければと思い直し、作家デビューが古い順番に挙げてみます。

          ○

■万城目学(47歳、平成18年/2006年デビュー)

 万城目さんは小説と同じく、エッセイも軽快で面白いので、すでに何冊もエッセイ集が出ています。

 親のハナシもそのなかにちょくちょく出てきますが、何といっても目を引くのが、いちばん最近の『万感のおもい』(令和4年/2022年5月・夏葉社刊)に収められた父親のエピソードです。

 万城目さんは書きます。作家としての自分をつくったのは、間違いなく父親だった、と。

「作家としての私を作ったのも間違いなく父だった。通勤の際の暇つぶしのために、父は三十歳を越えてから本を読み始めた。特に好きだった司馬遼太郎や山岡荘八や吉川英治の文庫本を読んだ端から本棚に並べていたため、それを中学生になった私が勝手に読み漁り、結果、作家になるための資産をたっぷりと蓄えることができた。」(『万感のおもい』所収「色へのおもい 第十色 二月」より)

 その父親が亡くなったのが平成28年/2016年2月。すでに万城目さんは5度、直木賞候補になっていて、そのたびにお父さんも期待したんじゃないだろうか、と思いますけど、いや、とれんかったものはしょうがない、と案外さっぱりしていたかもしれません。

          ○

■村木嵐(56歳、平成22年/2010年デビュー)

 今回の候補者のなかで、親もまた多少名前が知られている、といえば、宮内悠介さんと、この村木嵐さんということになるんでしょう。村木さんの父親は、映画監督だった南野梅雄さんです。

 平成22年/2010年、村木さんがデビューしたときには、何といっても「アノ司馬遼太郎の家の、最後のお手伝いさん」といった面が大きく取り上げられました。その後しばらく、インタビュー記事もたくさん書かれました。いくつかには、親のことも出てきます。

「――(引用者注:司馬遼太郎の)住み込みのお手伝いさんになる―と聞いて、ご両親は何かおっしゃいましたか

村木 「大丈夫か? できるのか? とにかくご迷惑をおかけしないように」と言われました。万一すぐに辞めるようなことになっても、いい経験ができると思ったようです。テレビの時代劇の監督をしていた父も司馬先生のファンでしたから。」(『産経新聞』平成25年/2013年10月21日大阪版夕刊「司馬さんがくれた夢(1)」より)

 父、南野さんの本棚には、司馬さんの本がずらり。村木さんも高校生の頃からそれらを数多く読んで、すくすくと(?)成長したとのことです。奇しくも万城目さんと少し話題がカブってしまいましたが、ううむ、やはり親の本棚は偉大ですね。

          ○

■宮内悠介(44歳、平成22年/2010年デビュー)

 まさか宮内さんがいまさら候補になるとは思っていなかったので(オイオイ)、宮内さんと親のことは、すでに2か月まえにブログで取り上げちまいました

 父親は作家の宮内勝典さん、母親は詩人の宮内喜美子さん。それぞれカワいいカワいい一人息子のことを数多く文章に残し、悠介さんが海外生活のなかでどういうふうに成長していったか、いまとなっては〈宮内悠介研究〉の大事な文献になっています。

 反対に、悠介さんも両親のことをいろいろな場所で、いろいろ書いているはずです。ただ、宮内さんってまだエッセイ集の類いは一冊もまとまっていないんですよね。何という文化的な損失。早くどこかの出版社、宮内さんのエッセイ集を出してください。

 今回は目についたなかから、宮内さんが母親のどじっぷりを甘ーく書いたエッセイを取り上げてみます。『3時のおやつ ふたたび』(平成28年/2016年2月・ポプラ社/ポプラ文庫)に収められた「チョココロネ」です。

 少年時代、ニューヨークのウクライナ人街に住んでいた宮内一家。母親がどこからか日本のチョココロネを調達してきたもんですから、悠介少年の目は輝きます。どうやったらおいしく食べられるか、思案した母親は、よし、フライパンで焼いてみよう、と主張。

「なぜだか嫌な予感がした。」「素晴らしいことを思いついたという顔を母がすればするほど、予感は確信に変わっていった。」「「母は絶対にこのパンを焦がす」」「と思った。」「家族という間柄では、ときおりこうした直感が働くものだ。ぼくは猛烈に反対し、そして母はぼくの反対を押し切り、やっぱりチョココロネを半分黒焦げにしたのだった。」

(引用者中略)

以来、母が何か素晴らしいことを思いついたという顔をして変なことを言い出したとき、」「「チョココロネ」」「とぼくは呪文を唱え、母もいったん立ち止まるようになった。」(『3時のおやつ ふたたび』所収「チョココロネ」より)

 微笑ましすぎて、喜美子さんのカワゆさがぐっと引き立っています。こんな文章をずらっと集めた宮内さんのエッセイ集、早く読みたいです。

          ○

■加藤シゲアキ(36歳、平成24年/2012年デビュー)

 他の候補者はともかくです。いまここで、加藤さんのエピソードをうちのブログなんかが書く必要あるのか? と正直気が引けます。だって、加藤さんのことなら何でも知ってる、みたいな猛者がこの世には何百人(何千人?)もいるんですもん。こわいです。

 それとまあ、アイドルの方ですから、よほど強烈なゴシップでもないかぎり、加藤さん自身が両親のことをあしざまに語ったりするはずもありません。とりあえず、山ほどある加藤さんの関連記事のなかから、とくに父親のことを話しているものが以下のインタビューです。

「――息子の立場として、大人になった今の加藤さんに対し、お父さまはどんな思いを抱いているだろうと想像しますか?

「誇らしいと思いますよ…あははは~。去年は僕が(第42回吉川英治文学新人賞を受賞するなど)文学賞ラッシュだったこともあり、父も鼻高々だったでしょうね。それこそ、この間「今年はお前、何かいいことないのか?」みたいなこと言ってきましたから。図々しい親だなと思いながら(笑)、「そんなもん、そうそうねぇよ!」って」」(『TVガイドperson』115号[令和4年/2022年3月]「特集 加藤シゲアキ 愛は限りなく、知は力となる」より―インタビュー:江藤利奈)

 それで今回の候補作が、母親のふるさと秋田のことを描いていて、それが直木賞候補にまでなって、ワーワー話題になっているのですから、両親の鼻タカダカ具合もひとしおなんじゃないでしょうか。

 古今東西、小説家にとって親の存在は、多くの創作のみなもとです。これからも加藤さんは、両親にどこか通じる作品を書いていってくれるものと思います。

          ○

■河﨑秋子(44歳、平成27年/2015年デビュー)

 候補作家と親のこと。いま、このテーマを書くのに最もタイムリーなのが、河﨑秋子さんです。というのも、現在、父親のことについて雑誌に連載まっただ中だからです。

 集英社の出している『青春と読書』っていうPR雑誌があります。そこに昨年令和5年/2023年9月号から河﨑さんの新連載が始まりました。タイトルは「父が牛飼いになった理由」。「理由」に「わけ」とルビが振ってあります。

 河﨑さんの実家は北海道別海町で酪農業をしています。父親の崇さんが脱サラして始めた牧場なんだそうですが、満州で生まれた崇さんがどこをどうたどって、〈牛飼い〉の仕事を始めることになったのか。その経緯を娘の秋子さんがさまざまに取材して書きつないでいます。きっと連載が終わったら単行本になるんでしょう。『青春と読書』をなかなか毎月入手して読みつづける気力もないので、そのときを心待ちにしています。

 この連載は、全編にわたって父親のことを綴っています。なかから一節を引用してもあまり意味がないんですけど、もしも河﨑さんが直木賞を受賞したときに父の崇さんがどう反応するか、それがわかる記述だけ触れておきます。

「父は今年で八十二歳になる。

存命ではあるが、約十四年前に脳卒中により高次脳機能障害を発症、自我とそれまでの記憶のほとんどを失った。(引用者中略)十四年の間に孫が増えたことも、自分のきょうだいが亡くなったことも、私が作家になったことも、何一つ理解することはなく、また、覚えておくこともできずにいる。」(『青春と読書』令和5年/2023年9月号「父が牛飼いになった理由」第1回より)

 直木賞のことを聞いても、まるで理解できない寝たきりの生活だそうです。直木賞のことがわからなくなる人生なんて、ワタクシ自身は考えたこともありませんが、そうあっても人は生きられる。うん、勇気をもって生きていこうっと。

          ○

■嶋津輝(54歳、平成28年/2016年デビュー)

 嶋津さんはオール讀物新人賞を受賞して今年で7年め。出した単行本は、今回候補に挙がった『襷がけの二人』が2冊めで、まだそれほど公に発表された文章も多くありません。

 いや、多いのかもしれません。嶋津さんの書いたものをすべて把握できたわけじゃないんですが、果たして自分の親のことをどう書いている(ないしは語っている)のか。嶋津さんの場合、よくわかりませんでした。残念。

 ひとつネットの記事ですが、文春オンラインにある「本の話」のなかに、嶋津さんが「文豪の娘でありながら、芸者屋で女中をするほど家事の達人だった“作家・幸田文とわたしの関係”」というのを寄稿しています。

 作家になるまえに出会った幸田文さんの作品の魅力や、幸田さんと自分との関連性が書かれているんですが、そこにポロッとこんな表現が出てきます。嶋津さんが初めて新人賞の最終候補に残り、あっさりと落選したときのことです。

「結果は落選で、膨らんだ妄想ははかなく霧散した。私は「幸田文=私の運命のひと説」をすぐに捨て去ることができず、幸田文と私との共通項を見出すことで失意をなぐさめた。

ともに父親が厳しい。ともに離婚歴がある。出来のよい姉と末っ子長男に挟まれた真ん中っ子というところも同じ。なによりどちらも四十を過ぎてから筆をとった――。それ以外の共通していない数々の点には目をつぶり、このまま何も起こらないはずはないという寄る辺ない予感をよすがに、その後も細々と投稿生活を続けた。」ウェブ《本の話》の記事より)

 父親が厳しい……。文さんが書いた露伴の逸話を読んだうえでこう言っているぐらいですから、よほど嶋津さんのお父さんもガミガミ、ネチネチ娘を叱るタイプの人だったに違いありません。それは、今後、嶋津さんの活躍とともに徐々に明らかにされていくんだろうと思います。

          ○

 人さまの親のことを、人さまの文章から知って、何がどうなるというんでしょうか。よくわかりません。

 ただ、受賞する人によっては、上記のうちの親御さんの誰かがメディアの取材を受けて、コメントを語ることになるはずです。1月17日の選考結果と、そのあとの報道を期待して待っています。受賞者の親が、子供の受賞について何を語るか。

 直木賞のことなら何でもいいから知っておきたい。すみません、今回のブログも、もうワタクシが病気であることの証しです。

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2023年7月16日 (日)

第169回(令和5年/2023年上半期)直木賞、「親と子供のきずな」ランキング

 ワタクシには親がいます。人間だれにだって親がいます。直木賞の候補者だって例外じゃありません。そりゃそうです。

 ということで、いまうちのブログでは、直木賞の過去の受賞者・候補者と、その親たちのこと、さらには親と直木賞に関係があればそういったエピソードを調べて、毎週書いているんですが、今週はなんといっても直木賞ウイークです。令和5年/2023年7月19日(水)、第169回直木賞の選考会がひらかれます。となればブログも、新しい候補とからめたことを書きたくなるわけです。

 たとえば、『踏切の幽霊』で候補になった高野和明さんといえば、はじめての小説『13階段』のとき、冒頭の献辞に、親のことを挙げた……。

 とか、そういうハナシを、すべての候補者について書けたらいいな。と思ったんですけど、そんなのとうてい調べきれません。ワタクシみたいな一般人が、わざわざ候補者のもとに「あなたの親のことを教えてください」と聞きにまわるわけにもいかず、今週のブログはどうしようかな、と困っていたところ、じゃあ候補者じゃなくて候補作のなかの、親エピソードを並べてみりゃいいじゃん、と気づきました。

 今回第169回の直木賞は候補作が5つ。すべてが親と子供のハナシだからです。

 直木賞といえば昔から、親と子のきずなをどれだけ深く描けるか、深く描いたもんが受賞する、と言われています。なので、とりあえず今週はワタクシの主観で、それぞれの作品に出てくる親子のきずなの強さを基準に、第1位から並べてみることにしました。

          ○

1. 死んでしまったあとでも、母親の暮らす故郷に帰りたがった娘

(『踏切の幽霊』高野和明)

 タイトルどおり、踏切にぬぼーっとでてくる幽霊がいます。それがどんな人物で、どんな人生を送ったのか。まさに小説のキモの部分ですから、さすがにここで多くは語れません。

 ただ、どんな事情が親子にあったのかは、小説を読んでもらえればわかります。故郷を離れ、母とも別れて暮らすようになった娘。死んでしまってもなお、母(というか子供のころに過ごした土地)に心を残しているんですから、きずなの強さは相当なものでしょう。

2. 死んだ父親の声を聞いて、どんどん壊れていく息子

(『骨灰』冲方丁)

 松永光弘は大企業に勤める32歳のサラリーマンです。かつて父親の幸介は、仕事がうまくいかずに家族に暴力をふるうようになり、やがて癌で亡くなります。すでにこの世の人ではありません。

 しかし、光弘が仕事で渋谷再開発に関係する工事現場で起きたトラブルに巻き込まれるうち、その父親が突如、光弘の近くに現れます。声をかけて光弘を励ましているように見せかけて、それで背中を押された光弘は、だんだん正気ではなくなって、トラブルはとんでもないものに膨れ上がっていきます。

 最終的に、亡父の悪霊からは解放されますが、それまでの取り憑きかたがエゲツないです。

3. 父親の死を聞いて、まわりが引くぐらいに嘆き悲しむ息子

(『極楽征夷大将軍』垣根涼介)

 長くて長くて、途中からめまいがしてくるこの小説のなかでも、足利高氏(のち尊氏)が父の貞氏を亡くすのは、序盤も序盤。ちょうど第一章から第二章の境あたりです。

 山城の笠置山で、後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕を旗印にたてて挙兵した大騒動の時期に重なっています。ここで鎌倉方にいた高氏がどうしたか。といえば、わしは戦場なんか行きたくない、とまるで消極的だったんですが、父親に対する高氏の異様なほどの弔意がそうさせたんだそうです。

 「父はこの世に一人しかおらぬのだっ。母もそうだ。」と、作中で高氏が叫んでいます。このあけっぴろげな純真さ。高氏の魅力です。

4. 父親を殺めたという罪状を負った下男を見つけて、あだ討ちする息子

(『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子)

 そりゃあ仇討ちといえば、親のカタキを打つ子供、というのが定番です。この小説の筋立ても、やはりその枠組みで展開します。

 伊納清左衛門を殺めたかどで下男の作兵衛が出奔。それを追って、清左衛門の息子、菊之助が江戸にやってきて、作兵衛を見つけ出し、みごと仇を討った。と、ここまでのハナシから、親と子のきずなも文句なしです。

 しかし、それで終わってしまったら、この小説がこれほど各所で絶賛されるはずがありません。実は、菊之助によるあだ討ちには別に真相があった……、と続くんですが、こうなってくると親子のきずなというより、さまざまな立場の人たちによる思いやりややさしさが、ぐっと前面に出てきます。で、きずなを基準にしたランキングは、第4位にしちゃいました。すみません。

5. 母親に、政府機関に協力してほしいと涙を流して頼んだ息子

(『香港警察東京分室』月村了衛)

 これも「親と子供のハナシ」だと言っちゃうと、ほとんどネタバレです。まあ、小説のネタは絶対バラすな、なんちゅう原理主義者は、こんなブログ見ちゃいないでしょうから、別にバラしてもいいんですが、香港で自由の風をまきおこそうとしていた人が、じつは中国の政府機関と裏でつながっていた、と明らかにされます。

 どうして、影響力の大きい民主活動家が、国家権力なんかとつながってしまったのか。それは、生み落として以来、20数年会っていなかった実の息子に久しぶりに会い、涙ながらに、政府機関に協力してほしいと頼んだからだ、と言うのです。

 自分の信念をまげてまで息子の頼みを聞いた親のほうの愛情は、よくわかります。ただ、息子が親をどう思っていたのか。と、そこに目を向けると、きずなランキングはやはり第5位にせざるを得ません。

          ○

 7月19日(水)選考会が開かれます。選考委員はぜんぶで9名。だれひとり例外なく、親のいる(いた)子供たちです。

 選考会では、だれも作中の親子のきずなになんて言及しないかもしれません。だけど、心の奥底や深層心理では、きっとそこの部分で評価が変わったり、当落が左右されたりするに違いない。と、無理やり信じて当日の結果を待ちたいと思います。

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2023年1月15日 (日)

第168回(令和4年/2022年下半期)直木賞候補者は、どれだけ賞金を稼いできたか。

 文学賞の最大の特徴は何でしょうか。それは、受賞すれば賞金がもらえることです。

 ……と、昭和の中盤ぐらいまでは自信満々に言えたんですけど、もはや文学賞も多様化の時代。とってもおカネは出ませんよ、という文学賞もたくさんできてきました。

 なにしろ、小説や文化に関わる組織は、どこもかしもおカネがなくてピーピー言っている時代です。文藝春秋だって同じこと。直木賞もここらで時代の流れを汲み取ったふりして、賞金なし、にしたっていいんじゃないかと思いますが、とりあえず今週決まる第168回(令和4年/2022年・下半期)では、旧弊どおり賞金が出るようです。ひとり100万円です。

 そうか、文学賞って賞金がもらえるんじゃん。ということを意識しながら、今回候補に挙がった5人のプロフィールを見ると、どの人の履歴にもおカネのことが書いてあることに気づきます。おカネのこと。つまり、これまでいろいろと文学賞をとってきた人たち、ということです。

 文学賞は歴史的な始まりからして、おカネにまつわるイベントです。作品がどうだとか、誰がとりそうかとか、そんなのは些末なことにすぎません。賞を見るときいちばん自然な角度は何なのか。それは「賞はカネである」という視点です。

 なので、今回の直木賞も、おカネの明細で並べてみます。候補者のなかで、誰がいちばん文学賞で稼いできたのか。

■雫井脩介(平成12年/2000年デビュー・22年)

1500万円
平成11年/1999年第4回新潮ミステリー倶楽部賞1000万円
平成16年/2004年度第7回大藪春彦賞500万円

■千早茜(平成21年/2009年デビュー・14年)

550万円
平成20年/2008年第21回小説すばる新人賞200万円
平成21年/2009年第37回泉鏡花文学賞100万円
平成25年/2013年第20回島清恋愛文学賞50万円
令和2年/2020年度第6回渡辺淳一文学賞200万円

■小川哲(平成27年/2015年デビュー・8年)

350万円
平成27年/2015年第3回ハヤカワSFコンテスト100万円
平成29年/2017年度第38回日本SF大賞50万円
平成29年/2017年度第31回山本周五郎賞100万円
令和4年/2022年第13回山田風太郎賞100万円

■一穂ミチ(平成19年/2007年デビュー・16年)

100万円
令和3年/2021年度第43回吉川英治文学新人賞100万円

■凪良ゆう(平成19年/2007年デビュー・16年)

10万円
令和2年/2020年2020年本屋大賞図書カード10万円

 文学賞全体が景気がよくて浮かれていた頃から、景気がわるくて「それでも文学には力がある!」とか宗教じみたことを言いはじめた現在まで、見事に時代相が出ている候補者のラインナップで、さすがは何でもありの直木賞です。

 何つっても、賞金1000万円がゴロゴロしていた、アノ狂乱の時代の文学賞がリストに出てくるんですからね。それをとってデビューした人が今回はじめて候補に挙がるというのも、また直木賞ならでは。時空間がむちゃくちゃです。

 さあ、これら賞金ハンターの猛者たちがつどって、いったい誰が100万円を獲得するのか。

 1月19日(木)夕方~夜には受賞会見が開かれる予定になっています。そこで主催者か受賞者が、札束をビラビラと見せびらかせて、世を炎上させたら面白いな、と思うんですけど、残念ながら受賞式は、選考結果が出てから1か月ほど先のことです。発表の当日はゲンナマを目にすることはできません。せめて、だれか空気を読まない文芸記者が「賞金の使い道は?」と質問してくれることを期待しています。

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2022年7月17日 (日)

第167回(令和4年/2022年上半期)の直木賞候補作も、全部、カネがらみです。

 世の中はすべておカネです。

 直木賞もまた、人と人とのあいだでおカネが動く経済活動の一つにすぎません。去る6月17日、第167回(令和4年/2022年・上半期)の候補作が発表されましたが、それをきっかけにすでに多くのおカネが動いています。今週7月20日(水)、選考会が行われて受賞作が決定すれば、もっと多額のおカネが全国各地でやりとりされるでしょう。世の中おカネです。

 ということで、直木賞を語るならおカネのハナシは欠かせません。そのひとつに、主催者から受賞者に渡される「賞金」というものがあり、最近うちのブログではそのことを調べたりしているんですが、いやいや、それよりもっと我々に身近な経済問題が、直木賞にはひそんでいるじゃないですか。

 読者が支払う本の代金です。

 第1回(昭和10年/1935年・上半期)の創成期から事情は同じです。直木賞の受賞作を読みたい人は、基本的にはおカネを払わないと読むことができない、という前提のもとに、この賞は何十年もやってきました。図書館で借りりゃあタダで読めるじゃん、とひらき直る人もいるでしょう。だけど、図書館で読む受賞作だって、あれも図書館がおカネを払って買った商品です。仮に内容がクソみたいな受賞作でも、0円ということはありません。

 直木賞の賞金がどういうふうに推移してきたのか、それは先週取り上げました。じゃあ、直木賞の受賞作(単行本として受賞したものだけじゃなく、受賞作を含む本として発売されたものを含む、いわゆる「受賞本」)は、どのくらいの定価で市場に売り出されてきたのか。その歴史のほうも振り返ってみたいと思います。

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 まずは戦前・戦中です。第1回(昭和19年/1944年・下半期)~第20回(昭和19年/1944年・下半期)までの時期に当たります。

 直木賞の賞金は500円でしたが、川口松太郎さんの『鶴八鶴次郎』(新英社)は一冊1円60銭、『明治一代女』(「風流深川唄」所収、新小説社)は2円。この時期に最も安かった受賞本は、井伏鱒二さんの『ジョン万次郎漂流記』(河出書房)の50銭、高かったのは神崎武雄さんの『寛容』(大川屋書店)の2円10銭です。

 それだけだと高いのか安いのか感覚がつかめません。比較のために、一冊単価を当時の賞金と比べてみますと、本1に対して賞金200倍~300倍ぐらいが、おおよその基準でした(上のグラフでいうとオレンジ色の折れ線)。

 戦後になって賞金は5万円になりますが、一冊単価との倍率はほぼ変わりません。それが第32回(昭和29年/1954年・下半期)に賞金10万円に倍増されたところから、一気に賞金の価値も上がります。単行本の値段は、戦後から昭和36年/1961年ごろまで、ほぼ1冊200円から300円だったのに、賞金だけが上がったわけです。文藝春秋新社が太っ腹だったのか、あるいは相対的に本の値段が安かったのか。よくわかりません。

 そして日本に経済成長が訪れます。本の価格も1960年代から上昇の一途。グラフでは、第41回から第100回ぐらいのあたりです。

 たとえば文藝春秋新社(および文藝春秋)に限定して追ってみても、昭和34年/1959年城山三郎さんの『総会屋錦城』が260円だったところから、昭和40年/1965年安西篤子さん『張少子の話』360円、昭和44年/1969年陳舜臣さん『青玉獅子香炉』430円、昭和48年/1973年藤沢周平さん『暗殺の年輪』680円、昭和53年/1978年色川武大さん『離婚』750円。そのころには一冊1000円を超す法外な(?)受賞本も現われはじめ、昭和58年/1983年胡桃沢耕史さん『黒パン俘虜記』1200円、昭和63年/1988年西木正明さん『凍れる瞳』1400円……。およそ30年のあいだに本の価格水準は、6倍近くハネ上がりました。

 直木賞の賞金が、いまと同じ100万円になったのは、30数年まえの第100回(昭和63年/1988年・下半期)です。このときの受賞本は、藤堂志津子さん『熟れてゆく夏』(文藝春秋)が980円、杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社)が1300円

 一冊単価と賞金の比較倍率は1対1020倍、ないし1対769倍。ここで直木賞のてっぺんを叩いた、と言っていいでしょう。

 その後の30年はいわゆる停滞です。本の値段はおよそ2倍になった、だけど賞金は据え置き、という推移が続いています。1000円台の前半が普通だったものが、平成3年/1991年宮城谷昌光さん『夏姫春秋』1500円(上下巻とも)で1500の壁を突破、平成8年/1996年には坂東眞砂子さん『山妣』がついに2000円の扉を開きます。

 以降、現在までの受賞本は、価格帯がほぼ変わりません。安いときは1400円、高けりゃ2000円。これが賞金100万円時代の直木賞の基本形です。

 ちなみにこの間、1400円を割る受賞本は、第131回、平成16年/2004年の奥田英朗さん『空中ブランコ』(文藝春秋)1238円+税5%=1300円を最後に出ていません。

 逆に高いほうは、少しずつ伸びてきています。消費税率のアップもありましたし、読みたい人が受賞作に支払う額は、もはや2000円近くが当たり前になっています。

 そんななか、ちょうど一年前の第165回で、佐藤究さん『テスカトリポカ』(KADOKAWA)が2100円+税10%=2310円と、直木賞受賞本の単冊での最高価格を叩き出しました。

 薄くて軽いものより、厚くて重いものが直木賞っぽい、とされる風潮が、この賞には根強く残っています。今後、2500、3000と伸びていくのかもしれません。そんなおカネを出してまで小説を読みたい人がどれだけいるっていうんだ……の世界です。

           ○

 と、歴史を見てきましたが、今回の直木賞候補作はどうなんでしょう。本の価格順に並べると、こんな感じになります。

『絞め殺しの樹』(河﨑秋子、小学館):2000円+税10%=2200円

『爆弾』(呉勝浩、講談社):1800円+税10%=1980円

『女人入眼』(永井紗耶子、中央公論新社):1700円+税10%=1870円

『スタッフロール』(深緑野分、文藝春秋):1700円+税10%=1870円

『夜に星を放つ』(窪美澄、文藝春秋):1400円+税10%=1540円

 現状の価格水準から見ると、1700~1900あたりが高すぎず安すぎず、収まりとしてはちょうどいいです。直木賞は、複数の人間の合議で決まる賞でもあります。そういう場では、中庸でちょうどいいものが、よく選ばれやすいです。

 ともかくも、7月20日(水)、受賞作が決まったところからおカネがビュンビュン動きます。こちらの財布からは減るだけで、多くの人は儲かりませんけど、それで一部の誰かたちはおカネをゲットするんでしょう。直木賞は商業出版で成り立っていますから、それはそれで、文句を言う筋合いはありません。

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2022年1月16日 (日)

第166回(令和3年/2021年下半期)直木賞候補作の、図書館貸出し予約件数ランキング。

 年も押し詰まった令和3年/2021年12月17日。だれもがクソ忙しい年末の朝に、第166回(令和3年/2021年下半期)直木賞の候補作が発表されました。

 そのとき、人々はどうしたか。おそらく日本人の9割以上が、こうだったはずです。「別に何もしなかった」。正常な感覚だと思います。

 しかし、行動を起こした人も、いくらかは存在しました。たとえば、わざわざ本屋に行って候補作を買った人たち。なかには5冊全部買っちゃう異常者もいたらしいです。まあ、ちょっとおかしな人たちですね。近づかないほうが無難でしょう。

 寒い思いをして出かけなくても、いまならkindleその他、電子書籍があります。長い小説でも重い本でも、ポチポチッと押せばすぐ手に入る。楽チンです。だけど、直木賞なんかにおカネを使っている点では同じです。あまり褒められたものではありません。

 となると、まだしも正常に近い人たちは、どうしたんでしょうか。図書館で候補作を借りる。やはりそういう選択に落ち着きます。

 いやいや、今どき直木賞を気にしているヤツなんか、いないでしょ。……と馬鹿にする人もいるでしょうが、意外に直木賞の影響もゼロではないようです。候補になれば、その効果で貸出し希望者が増え、あっという間に所蔵の全冊がハケてしまい、予約待ちに突入します。10件、50件、100件……。いったい、いつになったら読めるのか。自分の手元にくるころには、とうに直木賞が決まっている。それでもなお、貸出し予約をするぐらいの、淡ーい興味で直木賞に接する人が、日本じゅうにはけっこういるわけです。

 とにかく今の世のなか、マスコミや出版社や書店は、本を買え買えとうるさく宣伝します。正直、直木賞の候補作を買わなきゃいけない義務など、読者には一つもありません。だって、たかだか直木賞ですよ。そんなもんに貴重なカネを払えるかい。と、決然たる態度で図書館を利用する人たちこそ、人間として正常な精神の持ち主だと思います。信用できます。ワタクシも見習いたいです。

 すみません、また前置きが長くなりました。今回、直木賞の候補に選ばれたのは5つ。果たして、現代社会の賢者ともいうべき「図書館で借りて読む」派のグループは、どんな反応を示しているのでしょうか。全国7つの都市の図書館ホームページで、それぞれの所蔵数+予約数を調べてみました。

 札幌市仙台市東京都世田谷区名古屋市大阪市広島市福岡市。そのすべてを足した合計を上から多い順に並べたランキングが、こちらです。

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所蔵数+予約数 札幌 仙台 東京・
世田谷
名古屋 大阪 広島 福岡 合計
『ミカエルの鼓動』 431 407 584 436 490 284 212 2,844
『黒牢城』 231 173 624 318 448 209 209 2,212
『同志少女よ、敵を撃て』 202 164 421 190 299 110 113 1,499
『塞王の楯』 95 106 291 142 307 94 64 1,099
『新しい星』 98 92 234 120 112 44 86 786
(令和4年/2022年1月16日13:00調査)

 以下、蛇足ぎみに少々の感想を添えます。

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2021年7月11日 (日)

「文芸記者・直木賞」(令和3年/2021年上半期)。直木賞関連の新聞記事と担当記者に対して贈られる賞。

 直木賞の決定が近づいてきました。今週水曜日、令和3年/2021年7月14日に第165回直木賞が決まります。

 その決定過程はともかくとして、直木賞がこれほど広く知られるようになった功績者に、文芸記者の人たちを挙げないわけにはいきません。いかにも脇役のような顔をしてウラに隠れているものですから、その功績があまり知られることもなく、いつも受賞会見ではアホな質問ばっかりしている人種として、一部から馬鹿にされている文芸記者たち。正直、かわいそうです。

 ワタクシ自身は、文芸記者の仕事のおかげで、知らなかった情報を知り、感情が揺さぶれ、毎回の直木賞に接している口なので、とやかく批判する前に、この人たちを正当に評価し、褒めたたえたい気持ちが強くあります。ということで、文芸記者による「直木賞に関連した新聞報道」に対して贈られる賞をつくりました。

 第165回の直木賞は令和3年/2021年上半期が対象です。この期間に、すでに各紙ではさまざまに直木賞(の候補者)が取り上げられてきましたが、そのなかで受賞に値する候補記事が、全部で5つ出揃っています。ご紹介します。

第165回期 「文芸記者・直木賞」候補者・候補作

川村律文(読売新聞)令和3年/2021年6月22日「究 「BL作家」 文芸作品でも注目 本屋大賞や直木賞候補」

梓勇生(夕刊フジ・ZAKZAK)令和3年/2021年2月17日「社会のタブーにも斬り込み、時代という悪を問いかける 呉勝浩さん『おれたちの歌をうたえ』」

須藤唯哉(毎日新聞)令和3年/2021年5月28日「ひと 佐藤究さん=第34回山本周五郎賞を受賞した」

北爪三記(東京新聞)令和3年/2021年5月22日「書く人 『星落ちて、なお』 作家・澤田瞳子さん 親と同じ道歩む苦悩」

興野優平(朝日新聞)令和3年/2021年6月16日夕刊「へとへとの15年経験、ぽろりと出てくる言葉がある 砂原浩太朗さん、2作目「高瀬庄左衛門御留書」」

■「文芸記者・直木賞」候補 川村律文

 これまでも長く直木賞関係の記事を書いてきた方です。もはやこんなところで顕彰しなくても……と思いましたが、個性派がゴチャゴチャと揃う『読売』の文芸担当のなかで、それでも光を当てたくなるような、個性的で精力的な仕事をこつこつと積み上げています。ぜひとも、だれかの力で川村さんに賞をあげてください。

 今期の対象作は「「BL作家」 文芸作品でも注目 本屋大賞や直木賞候補」(『読売新聞』令和3年/2021年6月22日)です。一穂ミチさんの直木賞候補入りから、凪良ゆうさんの活躍ぶり、榎田ユウリさんのコメント、藤本由香里さんの分析などを果敢にまとめ上げています。

 一穂さんについて、

「同人誌で二次創作の小説を書く中で編集者から声がかかり、BL小説の人気作家となった。BL以外の小説には「漠然とした憧れはありましたが、文学賞には応募してこなかった」。」(同記事より)

 と書いているんですが、謙虚で慎みのありそうな一穂さんの姿を、わずかな文章で浮かび上がらせる技。さすが熟練した文芸記者の腕です。

■「文芸記者・直木賞」候補 梓勇生

 正直いって、梓さんが「文芸記者」なのかどうなのか、ワタクシもよくわかりません。ここで挙げるのはカテゴリーエラーかもしれませんけど、いわゆる「大衆文芸」の枠に入らない純文学や、随筆風よみもの、ノンフィクション、伝記などなど、いろんなジャンルに手を出してきたホンモノの直木賞を見ならって、今回「文芸記者・直木賞」に、梓さんを推したいと思います。

 呉勝浩さんのインタビュー記事は、ネットで全文読むことができます。梓さんの佳品、ぜひ堪能してください。

 今回の『おれたちの歌をうたえ』で、呉さんは「悪」ではなく「時代」を描いた、タブーとされる問題に切り込んだ、登場人物それぞれに作者自身が投影されている、といったハナシを引き出し、そこまで言うなら読んでみるか! と読み手に思わせる梓さんの、インタビュアーとしての高い技量が光ります。

 呉さんが影響を受けた小説として、乱歩賞の先輩でもある藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』のことも出てきます。このインタビューが出たのは数か月前ですが、乱歩賞、そして直木賞……という雰囲気を匂わせ、おそらくこの新作も直木賞の候補になりそうだぞ、と(はっきりは書いてありませんけど)印象づけるあたり。梓勇生、すごい書き手です。

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