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2026年8月16日 (日)

邱永漢、株の講演会で、文芸講演会をしていたころより5倍も10倍も聴衆を集める。

 講演会とひと口でいっても、その種類は多種多彩です。

 うちのブログで取り上げているのは「文芸」にまつわるもので、実態は単なる世間話か思い出バナシか、そういうものであったとしても小説家を演台に立たせている以上、多少は「文芸」の講演が期待されています。

 ただ、それ以外の他の事柄、人間が関心をもつありとあらゆるジャンルをテーマに講演会は開かれつづけています。一回ぽっきり、エラい先生のお話を聴いただけでいったい何になるのか、よくわかりませんけど、何百人と聴衆を集める講演会は珍しくはありません。生身の人間がしゃべっているのを、目前できちんと見ながら話を聴く。そういう経験を重要視する感覚は、オンライン全盛の現在でも残っているのかもしれません。

 それはそれとして、直木賞です。対象となるのは、かつて戦前には戯曲も入っていたことがありましたが、おおよそ小説です。受賞するのは小説家、ということで関係する講演会も「文芸」をテーマにしたものが中心になります。

 しかし、何といっても直木賞は無駄に歴史が長いので、これまでいろんな人が候補になり、いろんな人が受賞してきました。小説家として人生をまっとうした人ばかりではなく、直木賞をとったあとに紆余曲折を経て、また別の方面で有名になった人もけっこういます。たとえば邱永漢さんです。

 邱さんのことも、うちのブログでは何度も取り上げてきました。第34回(昭和30年/1955年下半期)の直木賞を受賞したのが31歳のときで、それからしばらくは物書きとして活躍したものの、『金銭読本』(昭和34年/1959年・中央公論社刊)の評判がよかったことをきっかけに株を勉強しはじめ、積極的に株式投資の世界に進出し、みずからビジネスを興し、失敗し、そういったなかで経営コンサルタントを看板に掲げたりしておカネを稼ぐほうにシフトを移していった末に創作をやらなくなったという、直木賞史のうえでも独特な道を歩んだ人です。

 ということで邱さんは、はじめの頃は直木賞を受賞した作家として、いわゆる文芸講演会の演者になっています。直木賞受賞から約2年後、昭和33年/1958年に井上靖さん、檀一雄さん、森田たまさんといっしょに高知に招かれて講演をした、という記録が残っています。

 おそらくそのときのエピソードだと思うんですが、邱さんはのちに回顧し、

「私は、檀一雄さんや井上靖さんたちと土佐の高知に講演旅行に出かけたことがあるが、檀さんは居並ぶ主催者や知人たちのいる前で、

「この人は、二、三年前は、もう文学なんかやめて香港へ帰るといっていたんですよ。僕がこの人の文学的才能に手形を書き、佐藤春夫先生が裏書をしたのに、まだだめだといってね」

と私をひやかした」(昭和46年/1971年10月・徳間書店刊『邱永漢自選集VIII 私の金儲け自伝・日本天国論』所収「私の金儲け自伝」より)

 と言っています。檀さんがどれだけ邱さんを高く評価していたかがわかるハナシです。

 しかし、と言いますか、必然的にと言いますか、邱さんは「小説家」というチッコい肩書きでの仕事には満足せず、物書きのために用意された狭くて安い世界を抜け出して、投資家として名をならします。すると今度は、そっち方面からの講演依頼もぞくぞくと舞い込んでくるようになり、そちらでもずいぶん場を沸かせたようです。

 文芸講演会から投資講演会への移行に関して、先述の「私の金儲け自伝」から邱さん自身の言葉を引いてみます。

「私は小説の次に株式投資を選んだが、世の中で株式投資に関心を持つ人は小説を読む人よりも数が多い。小説家として私は、しばしば、講演会にひっぱり出されたことがあるが、株の講演をするようになると、その五倍も十倍も聴衆が集まった。そんなとき、私はそれを自分の人気のせいだとは思わないで、聖徳太子さまの人気のせいだと思うことにした。いついかなる時代でも、お金は一番人気がある。その人気にあやかって、生活をしていく方法もある。」(前掲「私の金儲け自伝」より)

 喩えに「聖徳太子」を使っているところが時代を感じさせますが、株の講演会というのはずいぶん集客能力があったようです。そういうものをまざまざと体験したら、とうてい小説を書くことや、それに付随するチマチマした仕事に戻る選択肢が、邱さんの頭からなくなったのも自然でしょう。

 ということで、小説家は大して儲からない、お金を稼ぐには他にいくらでも道がある、という邱さんお得意の主張が活きてくるわけです。これは聖徳太子のころも渋沢栄一になっても、あまり変わらないかもしれません。

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