« ウォレス・スティーグナーの講演(昭和26年/1951年1月)で聴講者・小山いと子が手を挙げる。 | トップページ | 第175回(令和8年/2026年上半期)直木賞を予想するふりして運勢占いしてみる。 »

2026年7月 5日 (日)

講演ぎらいの山本周五郎、無理やり頼まれて中央大学出版部の講演(昭和36年/1961年5月)に出る。

 公式の記録のうえで、直木賞の受賞をただ一人辞退した、ということなっているのが山本周五郎さんです。

 どうして山本さんは直木賞を拒否したのか。これまで、いろいろな理由を、いろいろな立場の人が、証言したり回想したり推測したりと、これはこれで、だれかが受賞したエピソードと同じくらいに楽しい様相を見せてくれているんですが、そのなかのひとつに、菊池寛さんへの反発、というものがあります。

 これもすでにうちのブログでは触れたかもしれません。自分のまわりに文学を志望する若い男女をはべらかし、小遣いをやったり世話したりしながら徒党を組んで、いかにも文壇を牛耳っているふうを隠さない。だれかの下に付きたくない山本さんにとっては、できるなら関わりたくない相手だった、ということもあったかもしれませんし、ただ単に菊池さんとは性格的な相性がよくなかっただけかもしれません。

 つまりは、文学っていうものは、文字の羅列によって世界を構築するだけじゃない。宣伝とか、作者の肉声とか、ゴシップとか、賞による権威づけとか、そういう周辺の充実によって多くの人たちに関心を呼び、文学として成り立つことができるのだ……といったようなことを実践した菊池さんと、いいや、おれはそんな瑣末な世事はいっさい捨てて、原稿用紙に向かって小説を書くことで文学をやっていきたいんだ、と思っていた山本さん。相性が合うはずがありません。

 たとえば、山本さんと親密に付き合いを重ねた編集者、木村久邇典さんにこんな文章があります。

「山本周五郎さんほど、小説一本に打込んだ小説家をわたくしは知らない。

(引用者中略)

たとえば山本さんは、持込まれたいっさいの賞をうけなかった。文学賞の審査員にもならなかったし、お祭りさわぎの文士劇に登場したこともなかった。もし出演交渉にいったりすれば、その担当者はただちに出入りを差しとめられてしまいそうな雰囲気が、山本さんの人柄には、あった。」(昭和45年/1970年4月・中央大学出版部刊『定本山本周五郎・全エッセイ集』所収「改題」より)

 賞も文士劇も、菊池寛さんが力を入れてやっていた事業です。文学賞、文士劇、いずれも山本さんがぴしゃりと拒絶したということであれば、文藝春秋社が得意としていた地方をまわっての文芸講演会など、当然、山本さんが引き受けるはずもありません。

 しかし、その山本さんが聴衆を目のまえに講演会を開いたことがあります。企画したのは、やはり山本周五郎といえばこの人、という木村久邇典さんで、その頃企画していた山本さん初の随筆集に講演録も収録する目的で、どうにか山本さんを説き伏せて、中央大学出版部『中央評論』編集部の主催で公開講座が催されました。

日程 場所 講師・演題
昭和36年/1961年
5月12日
中大会館大会議室 山本周五郎
「歴史と文学」

 作家のなかには、人前でしゃべることが得意な人、あるいは好きな人がいます。これまで紹介してきたとおり、菊池寛さんなどはその一人です。

 対して、人前でしゃべりたくないから自分は小説なんか書いているんだ、何の罰ゲームでこんな場に立たせられなきゃならないんだ、と講演のときに不平不満をたっぷり語る人もいます。山本さんは、そちらのタイプでした。さすがに菊池さんとは対照的です。

 対照的どころか、文芸講演会というものについて、当日、山本さんはこんなことをしゃべったそうです。まあ、講演録というものはあとで本人の修正が入って、じっさいの発言とはまるで違うものになることが多々ある、とはよく聞くところではありますけど、いちおう活字として残されている山本さんのハナシなのはたしかです。

「私は、講演会というものはきらいでして、学術会議とか、または教授、助教授が講壇上から、それぞれの課目について講義をなされる場合には、きわめて意味がはっきりしておりますし、聞くほうでも、もちろん目的意識があって、それをはっきり受け取ることができるのですが、文芸講演というものくらい曖昧なものはないんだと思います。

私も若いころ、文学青年時代に、いくたびか、作家、評論家たちの文芸講演をききましたけれども、そういうことをつくづく考えてみますと、文芸講演というものは、演壇にのぼってなにか話をする人たちは、まあ一概にはいえませんけれども、たいてい頭のよくない人たちが、頭のよくないことを、頭のよくない表現で、なにかしゃべっている。――壇の下にいて、その話を聞いていらっしゃる皆さんの中には、壇上の人よりも博学多識で、賢くて多少意地悪な人たちが多い。それがあまり賢くない壇上の人の、あまり賢くない話を聞きながら、クスクス笑ったり、ないしはゲラゲラ笑っている人がある。これが、だいたい文芸講演会というものの実態ではないかと思っております。(笑声)」(昭和37年/1962年1月・中央大学出版部刊、山本周五郎・著『随筆 小説の効用』所収「歴史と文学――社会情勢を正当づける歴史――」より)

 なるほど、「文学青年時代」というので大正から昭和の初めごろ、山本さんも何度か文芸講演会を聴きに行ったんですね。だれの、どんな講演会だったのか、興味はわくところですけど、おおむね聞きながら、「作家とか言っているけど、何も知らない奴だなあ」とか「しゃべり方が下手くそだなあ」とか、そんな印象を持ったんじゃないか、と思わされるような発言です。

 そう考えると、とくに文芸をテーマにした講演会っていうのは、いったい何の意味があるのか。有名な作家、流行の作家がしゃべるから、という動機でわざわざ聴きに行って得られるものなどあるのか。よくわかりません。

 直木賞のハナシからどんどん離れていくので、今週はこの辺でやめておきたいと思いますけど、山本さんの感覚を借りるなら、文芸講演会は頭のよくない人が頭のよくない表現でしゃべるもの。文学賞は頭のよくない人が頭のよくない読解でひとさまの小説を評価するもの。といったところでしょう。

 けっきょくは講演会も文学賞も似たもの同士。小説はだれかが書いてだれかが読む、というそれだけをやっていればいいものを、そこに何らかの意味を持たせたり、作者を書斎からひっぱり出して公衆の面前にさらしたりする、余計なものといえば余計なものです。

 そして、その余計なものっぷりが、魅力の源泉には違いありません。

|

« ウォレス・スティーグナーの講演(昭和26年/1951年1月)で聴講者・小山いと子が手を挙げる。 | トップページ | 第175回(令和8年/2026年上半期)直木賞を予想するふりして運勢占いしてみる。 »

講演会と直木賞」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ウォレス・スティーグナーの講演(昭和26年/1951年1月)で聴講者・小山いと子が手を挙げる。 | トップページ | 第175回(令和8年/2026年上半期)直木賞を予想するふりして運勢占いしてみる。 »