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2026年7月の2件の記事

2026年7月12日 (日)

第175回(令和8年/2026年上半期)直木賞を予想するふりして運勢占いしてみる。

 近年、直木賞を楽しむためには「予想」というものが不可欠になりました。

 いや。不可欠というのは、さすがに言いすぎですね。いったい何が受賞するのか、事前に予想などしなくても直木賞が十分に楽しめるイベントなのはたしかです。

 ただ、なぜなんでしょう。直木賞の決定日が近づいてくると、おのずと自分で予想したり、人の予想を聞きたくなってくる。心理学的に「直木賞予想症」とも言われるこの摩訶不思議な心の動きは、きっと少なくない数の現代日本人が抱えていると思われます。ワタクシもそうです。ほんとに不思議で、心が躍る、くだらない心理現象です。

 ところで、直木賞の予想というのは、いったい何の意味があるんでしょうか。

 おそらく天気予報だとか、運勢占いだとか、そういう類いのものだと言って間違いありません。何だか気になるから、つい目をとめる。だけど、結果が外れたからといって、「おい、あんたの予想を信じて高い単行本を買ったのに、なんだよ受賞しなかったじゃないかよ、責任とれよ」と文句をつけたところで、お金を返してくれるような殊勝な予想屋は、たぶんいません。

 その程度といえば、その程度のものです。あと数日たてば結果が判明するものに対して、わざわざ予想することに大した意味がないのは自明のハナシです。

 ということで、うちのブログも無責任な予想屋さんを真似てみることにしました。

 図書館から何冊か占いの本を借りてきましたので、候補者それぞれの令和8年/2026年7月15日の――第175回(令和8年/2026年・上半期)の選考会が開かれる日の運勢を占ってみます。

 運勢もいろいろと種類が細分化されているようです。受賞すれば100万円がゲットできるので、まずは「金運」。

 それから、直木賞を受賞したということになれば先の仕事もどっと増えるはずなので「仕事運」。

 恋愛運とか健康運とかは、さすがにあまり直木賞には関係ないかということで飛ばしまして、最終的にその日、その人の総合的な運勢。それらを並べて、今度の直木賞の受賞作を予想してみます……いや、占ってみます。

金運ランキング

順位 候補作 コメント
1 『青天』 努力が実を結び、思いがけない収入やうれしい臨時収入のチャンスが訪れるかも。大きなお金の動きがある場合も、冷静な判断がさらなる豊かさを引き寄せます。
2 『けんぐゎい』 安定した金運です。大きな利益よりも、良い買い物ができる・お得な情報を得られる将来に役立つ出費ができる、といった「満足度の高いお金の使い方」ができそうです。
3 『見えるか保己一』 安定した金運です。臨時収入よりも、将来につながる自己投資・必要なものを良い条件で購入できる・家計や資産管理を見直す、といった行動が吉となります。
4 『多類婚姻譚』 大きな波はありませんが、安定しています。衝動買いよりも、将来のための貯蓄や自己投資などが満足につながります。お得な情報や割引に縁があるかも。
5 『#台所のあるところ』 金運は一時的に足踏み気味ですが、大きなトラブルを示す運気ではありません。家計の見直しや財布の整理をすると、停滞していた運気が少しずつ動き始めそうです。

 何はなくともおカネは大事です。直木賞を創案した菊池寛さんも、昭和初期の『文藝春秋』のみなさんも、直木賞をつくる理由の一つが、作家におカネをあげること、だったのですから、「金運」を持っている人は、選考会でも上位にくるはずです(たぶん)。

 さすがに7月15日当日に、バカバカ無駄づかいしておカネを減らそうという候補者はいない、とは思うんですけど、そしておカネに困っているような候補者もいないとは想像しますけど、占い的に「無駄づかい」は厳禁です。

 ……って、そんなこと占うまでもなく、だれにでも当てはまるようなことのような気もします。

仕事運ランキング

順位 候補作 コメント
1 『#台所のあるところ』 好調な一日です。人をまとめる役割で力を発揮でき、長く温めてきた計画を動かし始めるのに良い日です。派手なアピールよりも、誠実さや細やかな気配りが高く評価されます。
2 『多類婚姻譚』 新しい企画やアイデアが評価されやすい上、長く続けてきた努力に良い反応が返ってくるでしょう。リーダー役よりも、調整役や橋渡し役を意識すると、さらに評価が高まりそうです。
3 『見えるか保己一』 周囲から頼りにされ、また新しい役割やチャンスが巡ってくる可能性が高い一日です。「私にはまだ早いかも」と思うような話でも、前向きに引き受ける価値があります。
4 『けんぐゎい』 集中力が散漫になりやすく、うっかりミスに注意したい日です。慣れた作業ほど確認を怠らないことが大切。焦らず丁寧に進めることで、運気は徐々に安定していきます。
5 『青天』 思い通りに進まない場面が重なりやすい一日です。無理に挽回しようとすると、さらに状況が複雑になる可能性があります。今日は攻めるより守る姿勢を意識し、確認作業や整理整頓など、足元を固めることが明日への飛躍につながるでしょう。

 仕事の運をはかる、というのはなかなか難しい試みです。

 仮に当日の運気が下降してても、たいていの仕事は連続性があるので、翌日にはまた取り返してトントン、なんてことはざらにあります。

 直木賞をとれば、確実に仕事は増えるでしょうが、直木賞をとらなくても仕事が順調に進んで結果問題なし、なんて人もたくさんいるでしょう。そういう人の仕事運はどうランクを付ければいいんでしょうか。占い界の偉い人、教えてください。

総合的な運勢ランキング

順位 候補作 コメント
1 『けんぐゎい』 これまでの努力や人とのつながりが良い形で実を結びやすい一日です。明るさや包容力が周囲に伝わり、人から頼られたり、感謝されたりする場面がありそうです。自分から積極的に動くよりも、自然体でいることが幸運を引き寄せます。
2 『見えるか保己一』 直感と行動力のバランスが取りやすく、普段は迷っていたことに自然と答えが見えてきそうです。新しい挑戦や、人前で自分の考えを伝えることにツキがあります。一方で、周囲への気配りも忘れないことで、さらに運気が安定します。
3 『#台所のあるところ』 周囲との関係が穏やかに進みやすく、これまで誠実に積み重ねてきたことが評価されるタイミングです。急いで結果を求めるよりも、目の前のことを丁寧にこなすことで、思いがけない良い知らせやチャンスが舞い込むでしょう。
4 『青天』 慎重な行動が求められる一日です。大きな決断や新しい挑戦は急がず、情報を集めることを優先すると安心です。今日は「守り」を意識するほど、明日以降の運気につながります。
5 『多類婚姻譚』 この日は思い通りにいかないことが重なりやすく、気持ちが揺れやすい一日になりそうです。しかし、こんな日こそ無理をせず、自分を守る選択をすることが大切。大きな決断は先送りにし、休息や身の回りの整理に時間を使うことで、運気の流れは少しずつ好転していくでしょう。

 ほんとかよ、という感じですが、これが第175回直木賞、選考会の日の運勢です。責任はすべて、神にあります。

          ○

 とか何とか、だらだらと、運勢占いの順位を書いていると、だから何なんだ、とむなしくなりますよね。

 けっきょくのところ、占いにしても予想にしても、むなしさとの闘いから逃れられません。いや、ひょっとしたら、直木賞をとろうがとるまいが、だから何なんだ、という直木賞がまとっている根本的なむなしさも、似たようなものだったりします。

 だいたい候補作それぞれが小説として楽しく読めるんだから、それ以上、運勢もなにもありません。

 今週水曜日、7月15日には選考会が行われます。運勢がどうなのかはともかくです。候補者のみなさんには事故や事件にあわず、平穏無事に一日を過ごせることを願うのみです。

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2026年7月 5日 (日)

講演ぎらいの山本周五郎、無理やり頼まれて中央大学出版部の講演(昭和36年/1961年5月)に出る。

 公式の記録のうえで、直木賞の受賞をただ一人辞退した、ということなっているのが山本周五郎さんです。

 どうして山本さんは直木賞を拒否したのか。これまで、いろいろな理由を、いろいろな立場の人が、証言したり回想したり推測したりと、これはこれで、だれかが受賞したエピソードと同じくらいに楽しい様相を見せてくれているんですが、そのなかのひとつに、菊池寛さんへの反発、というものがあります。

 これもすでにうちのブログでは触れたかもしれません。自分のまわりに文学を志望する若い男女をはべらかし、小遣いをやったり世話したりしながら徒党を組んで、いかにも文壇を牛耳っているふうを隠さない。だれかの下に付きたくない山本さんにとっては、できるなら関わりたくない相手だった、ということもあったかもしれませんし、ただ単に菊池さんとは性格的な相性がよくなかっただけかもしれません。

 つまりは、文学っていうものは、文字の羅列によって世界を構築するだけじゃない。宣伝とか、作者の肉声とか、ゴシップとか、賞による権威づけとか、そういう周辺の充実によって多くの人たちに関心を呼び、文学として成り立つことができるのだ……といったようなことを実践した菊池さんと、いいや、おれはそんな瑣末な世事はいっさい捨てて、原稿用紙に向かって小説を書くことで文学をやっていきたいんだ、と思っていた山本さん。相性が合うはずがありません。

 たとえば、山本さんと親密に付き合いを重ねた編集者、木村久邇典さんにこんな文章があります。

「山本周五郎さんほど、小説一本に打込んだ小説家をわたくしは知らない。

(引用者中略)

たとえば山本さんは、持込まれたいっさいの賞をうけなかった。文学賞の審査員にもならなかったし、お祭りさわぎの文士劇に登場したこともなかった。もし出演交渉にいったりすれば、その担当者はただちに出入りを差しとめられてしまいそうな雰囲気が、山本さんの人柄には、あった。」(昭和45年/1970年4月・中央大学出版部刊『定本山本周五郎・全エッセイ集』所収「改題」より)

 賞も文士劇も、菊池寛さんが力を入れてやっていた事業です。文学賞、文士劇、いずれも山本さんがぴしゃりと拒絶したということであれば、文藝春秋社が得意としていた地方をまわっての文芸講演会など、当然、山本さんが引き受けるはずもありません。

 しかし、その山本さんが聴衆を目のまえに講演会を開いたことがあります。企画したのは、やはり山本周五郎といえばこの人、という木村久邇典さんで、その頃企画していた山本さん初の随筆集に講演録も収録する目的で、どうにか山本さんを説き伏せて、中央大学出版部『中央評論』編集部の主催で公開講座が催されました。

日程 場所 講師・演題
昭和36年/1961年
5月12日
中大会館大会議室 山本周五郎
「歴史と文学」

 作家のなかには、人前でしゃべることが得意な人、あるいは好きな人がいます。これまで紹介してきたとおり、菊池寛さんなどはその一人です。

 対して、人前でしゃべりたくないから自分は小説なんか書いているんだ、何の罰ゲームでこんな場に立たせられなきゃならないんだ、と講演のときに不平不満をたっぷり語る人もいます。山本さんは、そちらのタイプでした。さすがに菊池さんとは対照的です。

 対照的どころか、文芸講演会というものについて、当日、山本さんはこんなことをしゃべったそうです。まあ、講演録というものはあとで本人の修正が入って、じっさいの発言とはまるで違うものになることが多々ある、とはよく聞くところではありますけど、いちおう活字として残されている山本さんのハナシなのはたしかです。

「私は、講演会というものはきらいでして、学術会議とか、または教授、助教授が講壇上から、それぞれの課目について講義をなされる場合には、きわめて意味がはっきりしておりますし、聞くほうでも、もちろん目的意識があって、それをはっきり受け取ることができるのですが、文芸講演というものくらい曖昧なものはないんだと思います。

私も若いころ、文学青年時代に、いくたびか、作家、評論家たちの文芸講演をききましたけれども、そういうことをつくづく考えてみますと、文芸講演というものは、演壇にのぼってなにか話をする人たちは、まあ一概にはいえませんけれども、たいてい頭のよくない人たちが、頭のよくないことを、頭のよくない表現で、なにかしゃべっている。――壇の下にいて、その話を聞いていらっしゃる皆さんの中には、壇上の人よりも博学多識で、賢くて多少意地悪な人たちが多い。それがあまり賢くない壇上の人の、あまり賢くない話を聞きながら、クスクス笑ったり、ないしはゲラゲラ笑っている人がある。これが、だいたい文芸講演会というものの実態ではないかと思っております。(笑声)」(昭和37年/1962年1月・中央大学出版部刊、山本周五郎・著『随筆 小説の効用』所収「歴史と文学――社会情勢を正当づける歴史――」より)

 なるほど、「文学青年時代」というので大正から昭和の初めごろ、山本さんも何度か文芸講演会を聴きに行ったんですね。だれの、どんな講演会だったのか、興味はわくところですけど、おおむね聞きながら、「作家とか言っているけど、何も知らない奴だなあ」とか「しゃべり方が下手くそだなあ」とか、そんな印象を持ったんじゃないか、と思わされるような発言です。

 そう考えると、とくに文芸をテーマにした講演会っていうのは、いったい何の意味があるのか。有名な作家、流行の作家がしゃべるから、という動機でわざわざ聴きに行って得られるものなどあるのか。よくわかりません。

 直木賞のハナシからどんどん離れていくので、今週はこの辺でやめておきたいと思いますけど、山本さんの感覚を借りるなら、文芸講演会は頭のよくない人が頭のよくない表現でしゃべるもの。文学賞は頭のよくない人が頭のよくない読解でひとさまの小説を評価するもの。といったところでしょう。

 けっきょくは講演会も文学賞も似たもの同士。小説はだれかが書いてだれかが読む、というそれだけをやっていればいいものを、そこに何らかの意味を持たせたり、作者を書斎からひっぱり出して公衆の面前にさらしたりする、余計なものといえば余計なものです。

 そして、その余計なものっぷりが、魅力の源泉には違いありません。

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