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2026年6月 7日 (日)

文藝春秋の近畿中国地方講演会(昭和9年/1934年12月21日~26日、於・岡山・広島・呉・大阪・神戸・大阪)で川口松太郎が演台に立つ。

 講演会と直木賞。この2つには共通点があります。

 共通点と言おうか、そもそもが似た者同士と言おうか、それぞれが人間だったら、きっと隣人、親戚、あるいは親友ぐらいにはなっていたかもしれません。

 直木賞といえば、菊池寛さんが熱い友情と熱いカネ勘定を膨らませた結果、この世に生まれた事象です。いっぽう講演会のほうも、菊池さんがしょっちゅう企画しては一つの大きな事業として自分の会社の売りにしていました。また、どちらも菊池さんらが、若手、中堅どころの作家に収入の道を増やしてあげようとして必死に育てた、という点でも似ています。

 菊池寛。……有名人です。生前でも没後でも、いま現在でも、多くの人が興味をもって、語ったり批評したり、さまざまに研究されています。

 そのなかでもここで注目したいのは、菊池さんが大の講演好き、と言われていたことです。小島政二郎さんが言っています。

「菊池寛は講演が好きで、殆んど日本全国を回ったが、それほどではないまでも直木(引用者注:三十五)も好きで、菊池、芥川(引用者注:龍之介)、久米(引用者注:正雄)などと知り合った最初は、大阪で講演会を開いた時のことだった。」(「直木三十五」より ―『小島政二郎全集第三巻』昭和42年/1967年10月・鶴書房刊)

 そもそも「講演会」というものがなければ、直木さんと菊池さんが出会うこともなかった。というのは前週触れたとおりですが、いや、そこからハナシを延ばして、菊池さんが講演会に出ること、企画することが好きじゃなかったら、その後の『文藝春秋』の事業も違ったものになっていたでしょうし、文学賞をつくろう、なんて発想にも至らなかったのではないか。そう思われます。

 菊池さんの感覚のなかでは、講演会も文学賞も、文芸にまつわる事業として近いところにあったのはたしかです。芥川さんが自殺したとき、『文藝春秋』として昭和2年/1927年9月号を「芥川龍之介追悼号」としたのにとどまらず、その年の10月には、「芥川龍之介全集刊行会」同人との共催というかたちで、「芥川龍之介追悼講演会」を順次開催。東京の報知講堂、朝日講堂から、大阪、京都など全国各地をまわって、直接、生の作家が聴衆にハナシをする、というものをやりました。

 その講師は、菊池さんのほか、久米正雄さん、佐藤春夫さん、佐佐木茂索さん、谷崎潤一郎さん、小島政二郎さん、室生犀星さん、宇野浩二さん、久保田万太郎さん、小穴隆一さん、萩原朔太郎さん……と名前を並べてみれば、それから7年後につくられる芥川賞の、ほとんど選考委員のメンバーじゃん。というところからも、当時の菊池さんの交友関係、ないしは事業を始めるにあたっての仲間意識がうかがい知れます。

 以降、文藝春秋にとって、作家を招いての講演会は大きな柱の一つとなりました。昭和9年/1934年暮れに、直木賞と芥川賞、二つの文学賞をつくることになったその頃にも、文芸ってものはな、書かれた文章だけで大きなウェーブを起こすことはできないんだぞ、と言わんばかりに、リアルな読者や観衆を集めてのイベントに、文春の人たちは力を入れます。

 何より、直木賞にしろ講演会にしろ、自分の雑誌(文藝春秋)の宣伝のためにやるのだ、とはっきり菊池さんが書いているところが同じです。両者は、いわば親戚どころか「兄弟」事業と言ってもあながち間違いではありません。

 ということで『文藝春秋』は直木賞の創設が発表される前後、昭和9年/1934年9月~12月に、全国で「文藝講演会」を開きます。

日程 場所 講師
昭和9年/1934年
9月21日
盛岡(公会堂) 吉川英治、子母沢寛、小島政二郎、横光利一、菊池寛、佐佐木茂索
9月22日 仙台(東二番町小学校)
9月23日 福島(公会堂)
10月6日 小倉(九電集会所) 久米正雄、大佛次郎、小島政二郎、徳川夢声、菊池寛、佐佐木茂索
10月7日 八幡(大蔵集会所)
10月8日 福岡(公会堂)
10月9日 熊本(公会堂)
10月10日 長崎(公会堂)
10月11日 佐世保(佐世保会館)
12月21日 岡山(公会堂) 小島政二郎、小林秀雄、川口松太郎、菊池寛、佐佐木茂索
12月22日 広島(袋町小学校)
12月23日 呉(呉会館)
12月24日 大阪(中ノ島公会堂)
12月25日 神戸(青年会館)
12月26日 京都(日之出会館)

 終盤の12月は、すでに各新聞などで直木賞が創設されると発表されたあとでしたし、創設宣言が載った『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号も発売されたあとでした。きっと、これらの賞のことも、講演会のどこかで誰かがしゃべって、観衆を沸かせたのではないか、と推察しますが、現状その確証はありません。

 この期間中には、さらに文春は「愛読者大会」という催しを東京で2回、大阪と京都で1回ずつやっています。そこで菊池さんらの講演と同時に、例の伝説となった(?)文士劇が始まったと伝えられていて、そういう意味では文士劇もまた、直木賞とは「兄弟」事業と言っていいのかもしれません。わかりません。

 それはともかく、やはりひときわ目を引くのが、近畿中国地方講演会の講師のひとりに川口松太郎さんが入っていることでしょう。まだ第1回の直木賞が決まるまえの川口さんです。

 そうなんだ、このとき川口さんが文春の講演会に登壇したから、文春が運営する直木賞をもらうことができたのだ……といった回想ないし回顧録は、ワタクシも読んだことはありませんけど、少なくとも初回から無名の新人にあげることができなかった直木賞の、直木賞らしい姿は、これらの講演会からも激しく理解できるところです。

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