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2026年5月 3日 (日)

「前回にひき続き、アクリル板で仕切られた選考会である。」…林真理子、第164回直木賞の選評より

 これから先、だれか奇特な人が現われて、直木賞の歴史をひもとこう、そして書き残してやろうと思ったとします。そういう人にとって絶対に避けて通れない、ここ数年の直木賞にまつわる事象とは何でしょう。

 明らかに挙げられるのが、コロナ禍での選考会、ってやつです。

 少し前にうちのブログでも、昭和11年/1936年に二・二六事件の戒厳令下で選考会が行われたうんぬん、というテッパンなエピソードを取り上げました。そういう視点で言えば、誰がどう見たって、いつもとは違うかたちでの開催を強いられた、あの数年に及ぶコロナウイルス流行下でのあれこれは、後世の直木賞史家にとって、かならずや面白く見えるに違いありません。

 令和2年/2020年4月、政府から緊急事態宣言が出て、日本全国、上を下への大騒ぎ。まだまだ社会的に厳戒態勢のとられるなか、その年の7月に直木賞では第163回(令和2年/2020年・上半期)の選考会が行われました。ほんの6年前のハナシです。

 ああ、もう6年も経ったのか、と言っていいかもしれません。時の流れをどう感じるかは人それぞれ、「もう」でも「まだ」でも、どっちでもいいんですけど、このとき新喜楽の選考会場には、何の効果があるのかだれもよくわからないながら、委員たちのあいだにアクリル板が置かれ、なるべく興奮したり激高したりしてツバを飛ばさないように注意して、2時間ちょっとの議論を乗り切った……ということです。

 ところが、いまとなって当時の選評を読み返してみると、その選考会がコロナ禍が渦巻く状況で行われたことを指摘している人はだれもいません。そうか、周囲がどれほど騒いでいようが、小説を論評すること、あるいは直木賞にふさわしいかどうかを議論したこととは何の関係もないもんな。と、うなずけるものがあるんですけど、いや、間違えました。だれもいなくはありません。一人だけコロナのことを書いている委員がいました。林真理子さんです。

「コロナ禍の中で選考会は、いつもと違い、広い座敷でアクリル板越しに行なわれた。といっても、活発な論議は通常どおりだったと思う。」(『オール讀物』令和2年/2020年9・10月合併号、林真理子「馳カラーに染まる」より)

 正直、別に選評で言及するまでもないこういうことを、ポロッと最初に書いちゃう林さんの、相変わらずの手グセと言いますか。それか、読者というものは委員たちの生真面目な小説批評だけが読みたいわけではなく、時事ネタや話題のニュースにからめたハナシも大好きなのだ、ということを体感として知っているのかもしれません。たしかに6年経って、こういうふうに取り上げてしまうクソ・ブロガーがいるんですから、まんまとワナにハマってしまった感はあります。みなさんも、ワタクシのようにならないように気をつけてください。

 受賞記者会見も、出席記者の数を極力おさえて、お互いが近づかないようなかたちで行われましたし、それからしばらく直木賞の選考会はこれまでと違って、委員同士の席を遠ざけ、アクリル板で仕切り、あるいはリモートでの参加もOK、というパンデミック体制のもとで開かれます。第163回の馳星周さんの『少年と犬』、西條奈加さん『心淋し川』、佐藤究さん『テスカトリポカ』、澤田瞳子さん『星落ちて、なお』……と続いていく受賞作が、いったいコロナ禍の選考会によって何らかの影響があったからなのか、それとも外部の社会的環境とは関係はなかったのか、未来の直木賞史家がおそらく検証してくれるでしょう。

 それはそれとして、コロナ禍2度めとなる第164回(令和2年/2020年・下半期)選考会は、年が明けて令和3年/2021年1月に開催されています。いまだ、今日の感染者報告が何人だ何百人だと、喜々として取り上げられていた頃です。さすがにこれだけ異様な状況が続くと選評でコロナのことに触れる人も少し増えて、宮部みゆきさん、伊集院静さんなどが、いまだコロナ禍が続いていて日本人たちも閉塞した気分にある、といったようなことを書いています。

 とくに踏み込んだ表現をしているのが宮部さんです。

「今回、私は、できることなら二作受賞にしたいと願っていました。コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言下で迎えた選考会で、世の中全体が塞ぎ込み疲れ切っているところに、物語の魅力がまったく異なる二作を直木賞受賞作としてプレゼンテーションできたら、本屋さんの店頭も華やぎ、明るい話題も二倍になるのではないかと思いましたし、二作受賞に充分値する候補作が揃ったと思っていました。」(『オール讀物』令和3年/2021年3・4月合併号、宮部みゆき「タイトルは大事です」より)

 うーむ、まじでこのとき西條さんの『心淋し川』だけでなく、もう一つ受賞作を選べていたら……とくに加藤シゲアキさんの『オルタネート』などが受賞していたら、本屋の店頭も各種メディアも大いに盛り上がって華やいだと思います。そうなっていたら、宮部さんの上記の選評も伝説化して後世まで語り継がれたでしょう。そう考えると残念でしかありません。

 半年まえ、いち早く「コロナ禍」を選評に刻印したのは林真理子さんでしたが、ではこのときはどんなことを書いていたのか。冒頭を読み直してみますと、こんな感じでした。

「前回にひき続き、アクリル板で仕切られた選考会である。今回は全作が初ノミネートということであり、とても面白く興味深く呼んだ。」(同号、林真理子「プロの技」より)

 よくよく読むと、やっぱり冒頭の一文と、その次の文章は有機的につながっているとは言えません。前回に続いてアクリル版で仕切られた選考会だったからどうなのか。林さんの選評を読んでも、何もわかりません。

 ただ、林さんの独特な嗅覚で、選考と関係ないことであっても世のなかに注目される切り口がある、とわかっていたんだろうと思います。おそらく。

 けっきょくそのワナに引っかかって、またしても馬鹿な顔して取り上げてしまいました。ああ、われながら不甲斐ないです。

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