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2026年3月22日 (日)

「昭和の時代、私はまだ子供ではあったが、東京生まれの東京育ちであった」…平岩弓枝、第141回直木賞の選評より

 文学賞の選評に、あまり私的なことは書くべきではない、という考え方があります。

 いっぽうで、別に直木賞の選評なんて一部の好事家以外に読まれているわけでもないんだから、好き勝手に書けばいい、という意見もあります。

 いずれにしても、小説とか文学とかと同じく、選評にも「何を書かなくちゃいけない」というルールはありません。思いのままに、それぞれの人がつらつらと書いているそのさまが展開されている。それを見られるだけで、こちらとしては満足です。

 それで今週は、選考委員のひとりが候補作に描かれた時代や土地柄に、思わず自らの思い出回路を刺激されて、選評なのに私的な回想を何行にもわたって書いてしまった人のことで行きたいと思います。平岩弓枝さんです。

 昭和7年/1932年、東京生まれ。実家は言わずと知れた代々木八幡宮の宮司さん一家。と、そんなことはもはや語るまでもない気もします。平岩さんが直木賞をとって、その後に選考委員にまでなったこととは、ほとんど関係がないからです。

 だけど、関係がないように見えて、どんなことでもつながりができてしまうのが、直木賞です。昭和のはじめに東京で生まれた……ということが、第141回(平成21年/2009年・上半期)の直木賞の選考に、不思議な縁として平岩さんのもとに降ってきます。

 このときの候補作は6つありました。西川美和さん『きのうの神さま』、貫井徳郎さん『乱反射』、葉室麟さん『秋月記』、万城目学さん『プリンセス・トヨトミ』、道尾秀介さん『鬼の跫音』、そして北村薫さん『鷺と雪』です。

 選評を見てみると、平岩さんは上記の6つのうち、2作品のことにしか言及していません。『秋月記』と『鷺と雪』です。

 しかも、どちらを推奨しているとか、どちらを批判としているとか、そういう白黒つけた感じでもなく、平岩さんお得意の「大量の参考資料とその扱い方」に関するハナシをこの2作にからめて語っている構図になっています。長い選考委員としての人生を通して、これほど数多くの回で参考資料のことについて筆を費やした人はまずいない、と思えるほどに平岩さんは何度も何度も同じ教訓を、手を変え品を変えて語りました。というハナシは、以前もうちのブログで取り上げた気がします。

 ただ、今回注目したいのは、そこの部分ではありません。北村さんの『鷺と雪』について語る段になった平岩さんが、急に遠い目をしながら(……って、実際にその姿を見たわけじゃありませんけど)回想している箇所です。

 『鷺と雪』はシリーズ物の連作集で、昭和初期、大きな戦争を始めようと国全体がじわじわ動き始めた時代の東京を舞台にしています。そこに平岩さんの琴線がビビッと揺れたらしく、選評の誌上で昔の思い出があふれ出します。

「ここに書かれている昭和の時代、私はまだ子供ではあったが、東京生まれの東京育ちであったから、両親や伯父、伯母、従兄姉達としばしば日本橋、銀座界隈、或いは上野公園なぞへ出かけた記憶は鮮明に残っている。

残念ながら、三越のライオンには乗ったことはなかったが、ブッポウソウ事件に関しては、なんとなく、ばらばらに憶えている。当時、我が家は神社の境内でアオバヅクが初夏の夜、啼いていて、まだお若い頃の野鳥研究家の中西悟堂先生がよく観察にお出でになったようで、それが御縁で、後年、物書きになってから中西先生にその当時の話をうかがった。もう一つ、伯母が古典芸能の愛好者で何故か伯母のお供をして梅若万三郎や観世左近の舞台をみせてもらっていた。今回の北村さんの作品は思いがけず幼女の頃の自分の姿へ束の間、私をひき戻し、すでに世にない、なつかしい人々の顔を瞼の中に甦らせてくれた。」(『オール讀物』平成21年/2009年9月号、平岩弓枝「作品と資料」より)

 ううむ。それが選考にどんな影響を与えたのか。与えていないわけはないと思うんですけど、さすがに自分の思い出を甦らせてくれたからといって高い点をつけた、なんてことは言うはずがなく、平岩さんの自伝の一節でも読んでいるような気分にさせる、稀有な選評になっています。

 別に評価だけを書くのが選評だと決まったわけじゃなし、こういうのもいいんじゃないでしょうか。

 そういえば上の文章のなかに、人々の顔が瞼の中に甦ったという言葉があって、これはやっぱり平岩さんですから、師匠の長谷川伸さんの「瞼の母」を意識した表現なのかとも思ったんですけど、とくに確証はありません。平岩さん当時77歳、昔のことを振り返っていろいろ語っても問題のないお年頃、けっきょくその次の第142回で直木賞の選考委員は退任しちゃうんですが、もう少し長く、選評で自分語りをする平岩さんの姿を見せてほしかった、と思います。

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