「私の脳裡には、イギリスのW・スコット、フランスのA・デュマ、アメリカのS・クレインなどの作家名が浮かんだ。」…宮城谷昌光、第146回直木賞の選評より
歴史もの、時代もの、というと直木賞の王道だと言われたりします。
いったいだれがそんなことを言っているのか。もしかしたら言われちゃいないかもしれません。わかりませんけど、日本の小説界、とくにエンターテインメント方面の小説界隈にとっては、「歴史・時代もの」の動向は、切っても切り離せない関係なのはたしかです。
直木賞にはン十年にわたる無駄に長い歴史があります。そのなかで、推理・ミステリーがどう現われて扱われてきたのか。SFは。ノンフィクションは。……といったレベルと同じくらいに、歴史・時代ものがどのように評価され、またケナされてきたのか。その歴史的な推移は、個人的にはとても興味があります。いつか調べたいな、とは思うんですけど、やりたいやりたい、と言いながら何もできずにそのうち死んでしまうんでしょう。
それはそれとして、昭和10年代の戦前から、戦後、経済成長下のイケイケな出版事情を経て、平成、令和とたくさんの歴史小説・時代小説が候補に挙げられ、ときどき受賞して、他はもろとも落とされてきました。
第146回(平成23年/2011年・下半期)、このときも例に洩れません。候補6つのうち、3分の1にあたる2作は歴史・時代ものでした。そのうち一つは受賞しましたが、一つは落とされます。すべての候補が受賞できるわけではない、というシステム上、仕方のないことです。
別段、この回だけに特徴的な選考姿勢が展開された、というわけではないんですけど、じゃあ何でこの回のことに注目するかといえば、選評のなかで唐突に「歴史・時代もの」についての講釈を始めた人がいるからです。
ザッツ・イミフ選評の書き手こと、宮城谷昌光さんです。
「イミフ」とは言いましたけど、宮城谷さんの頭のなかでは必然的な文章・表現・論理なんだと思います。第146回のこの回は、けっきょく葉室麟さんの『蜩ノ記』一作受賞と決まりましたが、その選考を総括してどういうふうに選評を書き始めるか。
渡辺淳一さんは「以下、主だった作品について感想を述べるが、」と書き出し、宮部みゆきさんは「葉室さん、おめでとうございます。」、阿刀田高さんは「『蜩ノ記』は、きっちりと創られた作品である。」、林真理子さん「受賞作、葉室麟さんの「蜩ノ記」は、端正な作品だ。」、浅田次郎さん「受賞作となった葉室麟氏「蜩ノ記」は、これまでの作品で瑕瑾と指摘されてきた点をおよそ克服していた。」、桐野夏生さん「「城を噛ませた男」/この作者には、書きたいことが溢れている余力を感じる。」、北方謙三さん「六本の候補作の中で、二本がいつまでも私の心に残り、ぞくりとする皮膚感覚と、微妙な不協和音を伝えてきて、最後まで評価に迷った。」、伊集院静さん「文学賞の選考に携わるようになって、若くて新しい人の作品にふれる愉しみもあるが、」うんぬん。
当たり前ですけど、人それぞれです。
なかで宮城谷さんの冒頭は、もういきなり突き抜けています。
「世界文学のなかの歴史・時代小説を考えたとき、私の脳裡には、イギリスのW・スコット、フランスのA・デュマ、アメリカのS・クレインなどの作家名が浮かんだ。が、それらの国に歴史・時代小説という文学的ジャンルが確立したとはおもわれない。そう考えれば、日本文学におけるこのジャンルは独自の発展をとげたのではあるまいか、と奇異に感ずるときがある。日本におけるこの文学形態の濫觴をどこに求めたらよいか、正確にはわからないが、曲亭馬琴の『里見八犬伝』などは、まぎれもなく歴史・時代小説であろう。それが明治の森鴎外の考証を経て、吉川英治、直木三十五などに承継されて、いまに到っている。」(『オール讀物』平成24年/2012年3月号、宮城谷昌光「おどろき」より)
その後に、選評は個別の作品評として伊東潤さんの『城を噛ませた男』、葉室さんの『蜩ノ記』と、言及がつづきます。しかし、歴史・時代小説ジャンルの確立は諸外国には見られない、的な指摘だの、その始まりや承継のあいだいにいた具体的な作家名だの、そんな前段が何だったんだというくらいに、違うハナシに終始していて、目がテンになること請け合いです。
おお、これぞ宮城谷マジックだ! と歓喜の声をあげたくなるのは、ワタクシだけではない、と信じたい。
スコットもデュマもクレインも、直木賞とは何の関係もありません。関係がないんですけど、宮城谷さんの複雑怪奇な思考回路のなかでは、きっとこれ以外にはない、というくらいバッチリつながっているんでしょう。わけのわからないこの感じ。直木賞選評の一時代を築いた、と言っても言いすぎではありません。
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