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2026年2月 1日 (日)

「野に遺賢がなくなったのか、それとも出版社が容易に本を出すようになったのか。」…渡辺淳一、第115回直木賞の選評より

 なぜ推理小説は多くの読者を魅了するのか。

 難しい問題です。ワタクシにはわかりません。

 だけど、古今東西、探偵、推理、ミステリー物はだいたい読者の人気が高く、それとは違う系統の創作を信奉している人たちは、それこそ明治の尾崎紅葉さんまわりの硯友社あたりから、さんざん文句を言ったり悩まされてきたようです。

 あんなもの文学じゃない、と言い張る連中がいれば、いいや、面白さがバツグンなんだからいいじゃないか、とムキになる人たちあり。けっきょく、どちらも正解なんてものはなく、自分が自分の正しいと思うことをぶつけ合っているだけの闘争が、日本でも百何十年か続いてきました。その争うさまがいちばん面白い、としか言いようがありません。

 で、推理か非推理か、ミステリーか非ミステリーか、という大ゲンカは、直木賞にとっても大見世物のひとつです。

 「直木賞ではね、むかしはミステリーは冷遇されていたんだよ」と、物知り顔で語る人は、ちょっとまえにはワタクシのまわりにもたくさんいて、そのドヤ顔ぶりに正直ヘキエキしたものですが、これはいまでもいるかもしれません。ともかくそういう手合いが沸いて出てくるほどに、直木賞で候補にあがった推理小説・ミステリー小説は、時の選考委員たちに蹴落とされ、はじかれて、受賞の芽を逃したんだ、としておきましょう。

 推理小説ぎらいで有名だったのが渡辺淳一さんです。

 どうしてそんなにミステリーを目のカタキにしたのか。もはやわかりようもありませんし、ことさらわかりたいとも思いませんが、同人雑誌でまじめに文学に取り組んだところから出てきた渡辺さんの出自が、そうではない分野のことを敵対視する根っこになったのかもしれません。

 しかし商業出版はミステリー全盛の時代に突入します。しかも、陳舜臣さん、藤沢周平さん、田辺聖子さんと、ミステリーにもけっこう甘い点をつける新しい選考委員が直木賞に加わっていった平成の時代。ほとんど孤軍奮闘といった感じで渡辺さんは、ことあるごとに、ミステリー系の候補作にケチをつけ、落とそう落とそうと努力します。

 第115回(平成8年/1996年・上半期)、五つの候補作が残りました。鈴木光司さん『仄暗い水の底から』、篠田節子さん『カノン』、浅田次郎さん『蒼穹の昴』、乃南アサさん『凍える牙』、宮部みゆきさん『人質カノン』です。

 このうち、謎の殺人事件が起きて捜査機関がその解明に動くという、ミステリーの濃度がコユコユの『凍える牙』が最終的には一作受賞と決まります。おお、時代も変わったな、と当時、物知り顔で解説する人が後を絶たなかったのもわかるような展開です。

 ただ、渡辺さんの選評は平常運転と言いましょうか、ミステリーに対して苦言を呈したくなるいつもながらのクセを、つらつらと文字に記しました。

「受賞となった、乃南アサ氏の「凍える牙」は、たしかに女刑事とオジさん刑事のユニークな関係は、それなりによく書けてはいるが、これが推理小説だといわれると、おおいに疑問が生じてくる。結局、人間関係さえ書けていれば、いいではないかという意見が大勢を占めて受賞となったが、「新潮ミステリー倶楽部特別書き下ろし」と、堂々と書いてあるのだから、表示に難あり、ということになりかねない。もっとも、推理小説にしなければ本にしてもらえなかったから、という作者の云い分なら、作者の方が一枚上手で、技ありということになるのかもしれない。」(『オール讀物』平成8年/1996年9月号、渡辺淳一「推理ばやり」より)

 褒めているようで、ケナしているような、何とも真意のつかみづらい作品評です。

 ただ、やはり渡辺さんが、ミステリー小説……というより「ミステリー」とラベルが付けば本になって読者も付く、という状況を、そうとう嫌っていたことの表われには違いありません。

 上記に挙げた文章には、前段があります。この回の直木賞の候補作を評するにあたって、そんなことを語って意味があるのかないのか、よくわからないながら、たぶん渡辺さんとしてはぜひとも言いたかったんだろうな、と思わせる「選評」です。

 こんな感じで始まります。

「以前は芥川賞候補作はもちろん、直木賞候補作にも、必ず同人雑誌からピックアップされたものが数篇あり、小冊子になって回されてきた。

だが最近はその種のものはほとんどなく、いずれも立派な単行本で、しかも一流出版社から出されたものばかりである。

それだけ野に遺賢がなくなったのか、それとも出版社が容易に本を出すようになったのか。これを文運隆盛というべきか、見かけだけのバブルなのか、よく考えてみる必要がありそうである。

それにしても、いまは推理小説全盛。推理小説でなければ小説でないとでもいうように、直木賞候補作は圧倒的に推理小説が多い。このあたりは、書くほうの問題というより、書かせるほうの問題で、推理小説にさえすれば、単行本にしてもらい易い、という思惑があるのかもしれない。」(前掲)

 つまりは何なのか。自分が候補になって落とされたりしていた昭和40年代の頃の直木賞をとりまく状況を、懐かしそうに思い出しつつ、それに比べて現在は……と比較して語っているわけですね。さすが多くの人から老害だ老害だと言われつづけた人の選評は、美しいまでに老害フォーマットの教科書のように整っています。

 要は渡辺さんのミステリー嫌いは、自分の進んできた道が昔どおりにはチヤホヤされずに、当時あまり文学賞にひっかからなかった推理小説ふぜいが、デカい顔してのさばっている、というその状態が我慢できなかった面もあるんでしょう。かわいい人といえば、かわいい人です。

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