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2025年12月の4件の記事

2025年12月28日 (日)

「この作品は前の山本周五郎賞で落選した作品であった。」…渡辺淳一、第103回直木賞の選評より

 「賞レース」という言葉があります。

 ワタクシも文学賞のサイトをつくっているぐらいですから、賞というものには目がありません。直木賞だけじゃなく、他の賞も含めて、今度は何がとって、誰がおちた、だから別の賞ではどう評価されるに違いない! ……とか、完全にヒトサマのことなのに、やたら胸が熱くなります。そんなことに興味をもつなんて、はたから見れば、かなり悲しい人生です。

 で、じっさいに審査の俎上に乗るような当事者たちにとっても、まわりでやいのやいのと騒がれることはわずらわしい、とよく聞きます。みずから望んでエントリーするような賞ならいざ知らず、文学賞には、本人の意思とは外れたところで、勝手に候補に挙げて審査するようなものがたくさんあります。そんな状況を枠の外から眺めて、無責任にレースだ何だと騒いでいる。正直、嫌われても仕方がありません。

 まあ、なるべく他人に迷惑をかけないように直木賞を楽しんでいきたい、としか言いようがないんですが、文学賞は直木賞ひとつがあるわけじゃなくて他の賞もあるから面白い、というのはたしかです。

 公募の新人賞から、純文学系をうたっている、一見すると直木賞とはあまり重ならないような賞まで、そのすべてが直木賞を楽しむための存在と言ってもいいでしょう。

 直木賞の選評にも、ときどき他の文学賞のことが出てくることがあります。「それって、今回の選考と何の関係があるの?」と思わされるような言及もなくはないんですが、たとえば第103回(平成2年/1990年・上半期)の選評にも、そんな文章が書かれています。思わず身を乗り出さないわけにはいきません。

 この回、受賞作は泡坂妻夫さんの『蔭桔梗』でした。五木寛之さんいわく「今回の選考会ほどすんなりというか、あっさり受賞作がきまった例を私は知らない。」(『オール讀物』平成2年/1990年9月号)ということで、候補6度め、泡坂さんの圧倒的な筆力というか、『蔭桔梗』という作品のもつソツのなさが、他を寄せ付けなかったようです。

 それはともかく『蔭桔梗』はその年2月に新潮社から刊行された一冊です。直木賞にとっては「上半期」に該当する発表時期でしたが、他の賞にとってはそんなことは知ったことではありません。毎年4月~翌年3月までを対象にしている文学賞のほうでも、直木賞に先んじて同作が候補作に挙がり、すでに審査の結果が出ていました。第3回山本周五郎賞です。

 山周賞は、直木賞が対象にする作家・作品と近いところを授賞の範囲に定めている賞です。山周賞のほうの選評でもちょこちょこ「直木賞」の文字が出てきますし、逆に直木賞のほうでも選評で「山本周五郎賞」について何か言う人がいる、というぐらい、なかよしこよし(?)の関係があります。

 このとき直木賞のほうで、その役目を担ったのが渡辺淳一さんです。選評の題が「幸せな作品か」というもので、いちおう泡坂作品の受賞には反対しない、としながら、そんなこと言う必要あるのかな、と思わせる感想をだらだらと付け加えています。

「ただ一つ、この作品(引用者注:泡坂妻夫『蔭桔梗』)は前の山本周五郎賞で落選した作品であった。わたしはそのことに拘泥(ルビ:こだ)わるつもりはないが、同賞を受賞した作品はこれまでも候補作に挙げられたことはなかった。両賞の選考を兼ねている委員もいるが、山本賞を逸したことは幸せであったのか否か、改めて不思議な気がした。」(『オール讀物』平成2年/1990年9月号、渡辺淳一「幸せな作品か」より)

 何が言いたいのかよくつかめませんけど、もしも第3回山周賞を受賞していたらそれまでの前例からして直木賞の候補にはならなかったかもしれず、直木賞は受賞できなかったのではないか、と渡辺さんは考えていたんだと思います。

 ただ、山周賞はまだ始まって3年めの若い賞ですから、前例もクソもありません。そんな傾向とも定例とも言えないようなことまで、ついつい渡辺さんの頭にのぼらせてしまうのも、すべては文学賞というものが醸し出す魔力なんでしょう。ほんと、くっだらないですよね、文学賞。

 来年もどうか、くだらないままでいてください。文学賞は、そのくだらなさが面白いからです。

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2025年12月21日 (日)

「今回の候補作は七作とも単行本であり、正直いって、送られてきたとき、その分量に、これはしんどいぞ、という気持があった。」…陳舜臣、第101回直木賞の選評より

 直木賞に特別なルールはありません。

 いや、間違えました。直木賞に何らかのルールはあるんでしょうけど、それは毎回毎回、主催者の日本文学振興会とか予選担当の文藝春秋の編集者とかが決めることで、それは基本的に非公開です。まわりで見ている野次馬が口を挟める問題ではありません。

 たとえば、直木賞の最終候補作は何作品が適切なのか、という問題が歴史的にあります。

 戦前はとにかく運営形態がまるで違っていたので、ひとまず忘れるとしましょう。戦後、第21回(戦後~昭和24年/1949上半期)のときは候補7人8作でした。そこからおおよそ多くて11~12作、だいたい7~10作ぐらいを候補に挙げる時代がつづいたあと、徐々にというかたちで数が減っていって、いまでは5~6作というのが標準のようです。

 なぜその数なのか。理由はわかりません。

 昔に比べていまのほうが作品数が少ないことには、ある程度、理由はつけられます。短篇ばかりが候補になっていた頃に比べて、候補作が単行本のみになった現在では、一作あたりの文章量が格段に違います。読み終わるのにかかる時間は、短篇よりも長篇のほうが長くなる、というのは、ふつうに考えれば当たり前です。だから、候補作の数は現実的に減らさざるを得ないのだ、と言われれば、まあそうかと納得しないわけにはいきません。

 ……といった説明も、別に主催者が公式に発表している理由ではないので、実際のところはよくわからないんですが、単行本といっても必ずしもぶ厚い本が候補になると決まっているわけでもなく、候補の数も固定しているわけではありません。何となくその時々の状況で自由に(ないしはテキトーに)運営されていく。なるべく決まりをつくらないのが直木賞の伝統でもあり、それが文学賞としての魅力を生み出しているものと思います。

 それで今週取り上げる選評のことです。第101回(平成1年/1989年・上半期)は、いまから36年もまえの昔のハナシですが、このときの直木賞は候補作が7作ありました。

 いちばん長かったのは笹倉明さん『遠い国からの殺人者』で、おおよそ400字詰め原稿用紙換算で580枚前後。短かったのは古川薫さん『幻のザビーネ』が210枚程度。連作形式のねじめ正一さん『高円寺純情商店街』とか隆慶一郎さん『柳生非情剣』など、作品の構成はそれぞれ違っていましたが、7作品とも単行本なのは共通していました。

 そこで陳舜臣さんがこんなことをつぶやいています。

「今回の候補作は七作とも単行本であり、正直いって、送られてきたとき、その分量に、これはしんどいぞ、という気持があった。だが、読んでみると、どの作品も読者を惹きつけるパワーを、どこかにもっており、精読しても、まったく疲労をかんじなかった。そして、今回の選考は難航するのはないかという予感がした。」(『オール讀物』平成1年/1989年9月号、陳舜臣「粒ぞろい」より)

 おや、候補作を全部読むのがしんどい、と否定的な表現から入ったからそのままの路線で続けるのか、と思わせながら、けっきょくは細やかな配慮で場をやわらげる。ううむ、さすが陳舜臣だ、といった感じの文章です。

 直木賞に関わっているのは、候補者たちもさることながら、選考委員たちも人間です。7冊の本がドンと届けられれば、うわっ、これ全部読まなくちゃいけないのか……とゲンナリする。その気持ちは、アノ懐の深い陳さんでさえも感じていたことなのか! と親近感が湧いてきてしまいます。

 ただ、選考委員の人たちは小説を読んでそれぞれ評価しなきゃいけません。それはそれでゲンナリの種類は、外野にいるノーテンキ読者野郎とはまったく違うでしょう。

 候補作がずっしり多くなると、選考委員たちから「もっと減らしてくれ」と苦言が上がるのかもしれませんが、報道によれば来年下半期の第176回(令和8年/2026年・下半期)から、候補作発表から選考会までの期間が約2か月に延びるそうです。直木賞好きとしては、候補作は多ければ多いほど楽しいので、もう少し増やしてくれるといいなと思います。

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2025年12月14日 (日)

「候補作家の半数ぐらいは、私たちに未知の作家であっていいのではあるまいか。」…五木寛之、第99回直木賞の選評より

 最近の直木賞選考委員は、ずいぶんと行儀がよくなった、というハナシをよく聞きます。

 じゃあ行儀の悪かった昔の委員はどんなだったのか。ワタクシも昔のことはよく知らないので、よくなったとか悪かったとか、だれかのテキトーな感想を受け入りで言っているだけなんですけど、昔の選評ではちょくちょく見かけたのに、最近の委員はあまりそういうことを言わなくなったな、という話題なら、何となく思い当たるものがあります。

 主催者の日本文学振興会、ないしは予選委員に対する要望や批判です。

 いまだって主催者に対して思うところのある委員はいると思います。かつては、そんなことまで選評に書いちゃう委員がたしかにいました。

 ただ、別に選評の場を使って言うようなことでもありません。選評は、なるべく候補作のことに筆を費やし、それ以外のことは別のところで消化する。そういうふうになってきたのは、まともといえばまともですし、「行儀がよくなった」と見られる理由のひとつでしょう。

 で、その「昔の選評」なんですが、今週は第99回(昭和63年/1988年・上半期)のものを引っ張ってこようと思います。西木正明さんの「凍れる瞳」「端島の女」、景山民夫さん『遠い海から来たCOO』が受賞したときです。

 選考委員は10人いました。井上ひさし、黒岩重吾、田辺聖子、陳舜臣、平岩弓枝、藤沢周平、村上元三、山口瞳、渡辺淳一と、もうこの世にいない人ばかりで、いかにも「昔」といった感がありますが、そのなかでたった一人、いまも存命の委員がいました。五木寛之さんです。

 この回、五木さんは景山さんの『遠い海から~』に高く推奨し、選考会では賛否がまっ二つに分かれたこの作品の、強力な受賞賛成派として熱弁をふるった、と言われています。

 選評でもそういったことを当然書いているんですけど、何といっても五木さんです。当の選考からちょっと外れたことを書いてしまう癖は、この回でも発揮され、主催者にこんな苦言を呈しています。

 西木さんの候補作が単行本『凍れる瞳』から「凍れる瞳」「端島の女」の二短篇だったこと、また阿久悠さんの候補も単行本『喝采』から「喝采」「隣のギャグはよく客食うギャグだ」の二つだけピックアップされていたり、藤堂志津子さんの作品集『マドンナのごとく』が表題作と書き下ろしの「青空」の二篇を含んでいて、その二つをもって候補に挙げられたことに対する感想です。

「候補作品として二作を列挙する主催者側の意図が、いつも作家にとってマイナスの作用をおよぼしているような気がする。藤堂氏の「青空」は当然はずすべきだったろうし、阿久氏、西木氏も一作で十分だ。」

(『オール讀物』昭和63年/1988年10月号、五木寛之「「遠い海から――」を推す」より)

 と、このあたりはまだ、第99回の選考にも関わる指摘なので、選評としては通常かもしれませんが、つづけて五木さんは予選をする主催者にこんな注文をつけています。

「もう一つ、つけ加えておけば、「無名作家」もしくは「無名に近い新人作家」という、菊池寛の直木賞創設の文章に私は今もこだわっている。候補作家の半数ぐらいは、私たちに未知の作家であっていいのではあるまいか。」

(同上)

 この回でいえば、候補は7人いましたが、初めて候補に挙がって「新人」と呼べそうだったのは藤堂志津子さん一人だけ、あとは選考委員として前にも選考したことのある練達の作家が多い、という印象を受けたんでしょう。

 たしかに「直木賞の候補対象はどこに設定すべきか」論争っていうのは、直木賞の歴史上、それこそ第1回のときから続く深淵な(?)テーマです。直木賞候補がすでに名前の売れている中堅どころばっかりだと賞として面白くない、というのはワタクシもよく感じるところではあるんですが、なるほど(当時の)五木さんも、そういった感覚でいたんですね。心づよいかぎりです。

 ただ、けっきょくその後の直木賞はそんな五木さんの意見を聞き入れもせずに、まるでガン無視して「対象をベテラン作家へ」とぐいぐい拡大していったのは、ちょっぴり哀しく思えます。

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2025年12月 7日 (日)

「小説は宿命的に新しさが要求される。新しさは胡散臭さがつきまとう。」…陳舜臣、第96回直木賞の選評より

 直木賞の未来は明るい。と信じている人が、いまの日本にどれだけいるんでしょうか。

 どれだけいようが知ったこっちゃない、としか言いようがないんですけど、たしかに商業小説の世界とか、直木賞のもたらすにぎわいとか、そういうものが縮小、減退、消滅したところで、直接的に影響を受けるのは、ごく一部の人たちでしかありません。

 これまでのような大仰で華やかな「直木賞」受賞まわりの姿が失われれば、いっときは悲しむ人、喜ぶ人、さまざまな感情が社会のなかを飛び交うでしょうけど、喉元すぎればうんぬん、の謂いもあります。直木賞の未来がお先まっくらだったとしたところで、ぎゃあぎゃあ騒ぐほどのことではない、とも思います。

 さて、だいたいいまから40年ほど前、昭和の時代が60年を重ねた1980年代の終わり頃、直木賞のまわりは、から騒ぎなのか何なのか、ずいぶん熱気に包まれていた、と聞いています。

 受賞作が頻出した70年代を無事に乗り越えて、芸能人の書く小説が商業小説の炎にせっせと薪をくべながら、ブンガクなんてくそくらえ、と言わんばかりのミステリーやSFや冒険小説が何万部、何十万部と売上を積み重ねていた頃。

 直木賞の選考会にも、「ミステリー・SF好き」を自称する村上元三さんに加えて、そちらの系統を評価する選考委員がぞくぞくと登場します。藤沢周平さん、陳舜臣さん、田辺聖子さん、などです。

 このあたりは、おそらく直木賞史としては有名な部類の流れなので、うちのブログでも繰り返しコスったネタかと思います。

 しかし、ミステリーや冒険小説が大嫌い、という人たちをことさら排除せずに、選考委員会を形成したところが、日本文学振興会のイヤらしさです。いや、巧妙さです。

 何かに偏らずに、意見や好みが対立しそうな人たちに選考をお願いする、というのが主催者としての務めだと、たしか高橋一清さんあたりが書いていたような気もします。まあたしかにそうだろうなと思います。

 といったところで、今週も選評のハナシです。第94回(昭和60年/1985年・下半期)から選考委員になった陳舜臣さんの選評から引いてみます。

 陳さんというと、いつも穏やかで、トガったことでもなるべく柔らかく表現する、練れた人格者という印象があります。選評もおおむねその路線のものが多いんですが、たとえば第96回(昭和61年/1986年・下半期)のときには、こんなことを書きました。

「小説は宿命的に新しさが要求される。新しさは胡散臭さがつきまとう。新しいといみえて、それはこれまでのスタイルが崩れたにすぎないことがある。私たちが期待するのは、ほんとうに時代を予感する精神にうごかされた作品なのだ。その見定めが難しい。」

(『オール讀物』昭和62年/1987年4月号、陳舜臣「新しい小説を」より)

 「新しさは胡散臭さがつきまとう」。……たしかにそういうものかもしれません。

 どういうものを胡散臭いと感じるかは、人それぞれだと思いますが、新しさが発する違和感だったり魅力だったりが、胡散臭さを兼ね備えていることもあるでしょう。んなこと言ったら直木賞の存在そのものが、いちばん胡散臭い、と思わないでもありません。

 ただ、上記に引用した文章では、なぜか主語が「私が」ではなく「私たちが」となっています。その辺りが陳さんなりの、リスク回避能力の高さといいますか、俯瞰的に語ることで我が身に火の粉をかかるのを防ごうとしている感がハンパありません。これまで選評の世界といえば殺伐としていたけれど、そこに優しく、やわらかな物言いをする委員も現れた。これも1980年終わりごろの直木賞の特徴です。

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