「次元の低さを大衆的と考えるのでは、むしろ大衆への侮蔑であり、軽視である。」…今日出海、第65回直木賞の選評より
昭和46年/1971年・上半期、第65回の直木賞も、該当作なしで終わったたくさんある回のうちの一つです。いまから約54年まえの昔のハナシです。
候補のなかには、押しも押されもしない人気作家、笹沢左保さんの股旅モノが入っていました。これを推す人もいましたが、断固として否定する人の声も大きく、こんなの西部劇か「ひとり狼」そのまんまじゃないか、と結構ボロクソ言う選考委員もいたらしいです。笹沢さんへの受賞の芽はもろくもついえてしまいます。
あとは、テレビに盛んに出ていた藤本義一さんも注目どころの一人でした。しかし「この人には作家としての定着性がない、という意見がつよく、」「テレビタレントであるということが損をしている」(『オール讀物』昭和46年/1971年10月号、水上勉の選評より)などと、いまならまず炎上するに違いないようなことを選評で言われて、こちらもけっきょくしりぞけられます。
それで、この回に書かれた「選考とは関係ない選評」といえば、やはり前週も登場いただいた司馬遼太郎さんの文章は見逃せません。奇をてらってか、いきなり冒頭から直木賞とは全然関係ないことを書いています。
「いつだったか、陳舜臣氏と神戸で食事をしていて、はなしが中国の詩のことになったとき、氏がなにか出典を示して、男子の詩は志をのべるもので女子の詩は怨みをのべるものだ、という意味のことをいったような記憶がある。
なるほど中国人というのは詩文で何千年苦労してきただけに、おもしろい詩論があるものだとおもった。むろんこんにち、女子が志をのべてもよく、男子が怨みをのべてもいいが、いずれにせよ、薪をたたき割ったような粗論だけに、小説にもそれが大きい場所であてはまるような気がする。
ところで、怨みものべず志ものべず、どういう衝動に駆られてか、営々として小説を書くというのは、なにかをやたらに空費するという意味で一種の壮観であるにせよ、一面なんだかつまらないような感じがしないでもない。」(『オール讀物』昭和46年/1971年10月号、司馬遼太郎「怨みと志」より)
うんぬん、といった感じで、今回の直木賞の候補作やその選考、自分の評価のことには触れないままで、だらだらと随想めいたことを続けています。
なるべく個々の作品については語らずに、総論的なハナシでお茶を濁すというのは、該当作がなかったときに、委員の誰かが繰り出すお約束のようなフォーマットではありますが、なにしろ直木賞の選考にそこまでやる気を見せようとしなかった、と伝わる司馬さんのことです。こういうかたちの選評が多くなってしまうのも仕方ありません。
で、二週連続で司馬さんのボヤきを紹介して終わりにしよう……かとも思ったんですけど、該当作がなかったときの選評は、みな委員それぞれ苦労するらしく、他にも「それって選評なのか」というような文章を連ねた人がいます。今日出海さんです。
今さんのことも、何週か前に取り上げました。個々の作品について語るより、もうちょっと引いて、よく言えば俯瞰的に、ぶっちゃけて言えば当たり障りのない総論を書きたがる選考委員でしたが、第65回の直木賞でもその性格をいかんなく発揮します。
御説、拝聴しましょう。
「川口松太郎氏は常に大衆小説の血脈を新人作家の作品に求めている。純文芸とか大衆文学というのは単なるジャーナリスト評論家が便宜上つけた分類的名称で、ジャンルとして劃然と区別されている本質的な問題とは思えない。文学への情熱に変りはないのだから、作家はやはりそのような人為的な区別を取立てて意識する必要はあるまい。それよりも中途半端な観念的抽象的な小説が横行して、文学の危機を招いている時、直木賞作家の本質的な健康さをむしろ要望したいのである。ただ次元の低さを大衆的と考えるのでは、むしろ大衆への侮蔑であり、軽視である。」(同号、今日出海「直木賞について」より)
いったい今さんが何を言いたがっているのか。難渋というか、未整理というか、なかなかつかみづらく、正直ワタクシの頭にはスッと入ってきませんでした。
そもそも、純文芸とか大衆文芸とか分けることに反対しているのか。何か曖昧です。「次元の低さを大衆的と考えるのでは」うんぬんという文章なんかも、いったい何に掛かった意見なんでしょう。選考会の現場では、何かそういう議論でも交わされたのかもしれません。よくわかりません。
やや混乱した選評を書かせてしまうほど、該当作なしのときというのは、何をどういうか委員の人たちは苦労する、ということなんでしょう。たぶん。
あるいは今さんが、人を煙に巻く文章を書く力に長けていた、という可能性も当然あり得ます。それか、単にワタクシに人の文章を読む力がないだけか。ううむ、直線的でない選評って、やっぱ難しいっす。





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