「フランスなどは雑誌が発達していないから、書き下ろし長篇のみが出版される」…今日出海、第50回直木賞の選評より
直木賞と、もうひとつのアクタ何たら賞との違いは何か。この設問にはこれまでいろんな人がああでもないこうでもないと、こじつけ、思いつき、その他深淵な文学論まで数多く展開されてきました。当然、そんなものに、バシッと決まる絶対的な答えがないところが、直木賞と別賞の存在する大きな意義なんだろうと思います。
ワタクシは単なる小説の読者にすぎませんので、二つの賞の違いなど、正直さっぱりわかりません。わかりたいという欲求もとくに沸いてきません。なので、このまま、訳もわからず進みます。
両賞の違いを説明する言葉は、ワタクシも持っていなんですけど、直木賞のほうの特徴ということでいえば、一つ大きなものは思いつきます。短篇も短篇集も長篇も、全部いっしょくたに候補作になって選考にハカられる、という点です。
いまでは「短篇」というのは直木賞候補に挙がることはまずありませんが、歴史的に見れば、最初のうちはだいたい候補作は雑誌に載った短篇、というのが基本です。やがて雑誌に連載された長篇とか、単行本になった長篇、もしくは短篇集(全部書下ろしのこともあれば、雑誌掲載作を収録したものあり)など、長短バラエティに富んだ候補作になっていきます。
それは直木賞というのは新人賞の建前で始まっているので、新人作家の発表舞台といえばまずは雑誌が基本で、本をどんどん出せるような立場の作家は、おのずと直木賞の対象から卒業する、という事情もからんでいます。
と同時に、文芸出版の世界のほうでも常に流行は流動的です。高波が襲ってきたり、さざなみで停滞したりと、カネのめぐりに揉まれて出版人たちが右往左往するうちに、新人であっても書下ろしの単行本が充実して出版されるようになる時代が訪れ、そんなこんなでみんなでワイワイ経済成長をやっているうちに、新人発掘はよその懸賞だの別の文学賞に担ってもらって、直木賞は、もう少し中堅ないしベテランのラインも視野に入れていく流れが無視できないものになっていきました。直木賞の歩みは、世の出版事情を抜いて語ることはできません。
ある意味では選考にも関係がありそうで、その実、作品のよしあし、作家の将来性のあるなしを議論する文学賞の営みとは、遠いところのハナシです。直木賞の選評には、なぜか候補作のことでなく、こういう出版史にまつわる話題に触れている例が、いくつも見受けられます。
第50回(昭和38年/1963年・下半期)、この回は演劇方面の書き手としてすでに世に出ていた安藤鶴夫さんみたいな有名人を、直木賞の対象にしちゃっていいのかどうなのか、熱い議論(?)が繰り広げられた回ですけど、そもそも安藤さんの『巷談本牧亭』は『読売新聞』夕刊に連載されたものが本になったもの、和田芳恵さん『塵の中』は旧作と書下ろしを合わせて出版された単行本、江夏美子さん『脱走記』は同人雑誌『東海文学』の連載を一冊にまとめたもの、戸川昌子さん『猟人日記』は江戸川乱歩賞受賞第一作として書下ろしで出版された長篇の単行本、野村尚吾さん『戦雲の座』は河出書房新社から出版されたこれも書下ろし長篇……と、単行本の候補作が5つ。
ほかにも、樹下太郎さんの「サラリーマンの勲章」は『文藝春秋漫画讀本』に連載中の連作集でしたし、小松左京さんの候補作もハヤカワ・SF・シリーズ『地には平和を』のなかからピックアップされた2篇。ということで、長いものや本になったものが、ずいぶんと直木賞の予選を通過していました。
ここで、御説を一発放ったのが選考委員の今日出海さんです。
「直木賞の候補作品が近年とみに量的に殖えたようだ。候補作品は十篇と大体定まっているから、単行本として出版された長篇小説が多くなったという言見である。出版屋が新人の書き下ろし力作を出版する傾向は非常にいいことだと思う。たとえ何かの賞になれば、売れ行きもよくなると先きを見込んだ商魂もあろうが、フランスなどは雑誌が発達していないから、書き下ろし長篇のみが出版されるわけで、新人の作品は既に出版社内の批評を一度経て世に出た以上、質的に悪いはずがない。」(『オール讀物』昭和39年/1964年4月号、今日出海「直木賞の特質」より)
本になっているんだからマズい作品のはずはない、といういまやもろくも崩壊してしまった単行本信仰が、まだ健在だった頃のお言葉です。
しかし、今さんのこの一節、なかなか理解しづらい箇所も含んでいます。「フランスなどは~」うんぬんの記述、そんなこと、ここで言う必要ある? と思わないわけにはいきません。フランスのことなんか知らんがな、という感じです。
正直いって、フランスの出版事業が当時の直木賞の動向にするとはとうてい思えないんですが、そこはそれ、今さんのことだから常人にはうかがい知れない高尚な論理で、実は第50回の選考とフランスの書き下ろし長篇の出版が、太い糸で結ばれていることを表していた……ということなんでしょうか。うーん、これは直木賞とアクタ何とか賞との違い、以上に解き明かしがたい難問です。
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