「芥川龍之介の間接話法は短篇だから成功したに過ぎまい」…大佛次郎、第47回直木賞の選評より
書評にはいろんなパターンがありますが、そのなかでよく見かけるのが、「古典の作品や、すでに評価が高い別の作家の昔の作品を持ち出してくる」という悪手です。
いや、それが悪手かどうかは意見が分かれるところでしょう。深みや奥行きが出ているように見える場合もあれば、単なる評者の自己満足にすぎない場合もある。手法としては極めて簡単だし、大したチカラがなくてもすぐできるので、「困ったときの、昔の作品だのみ」になるのはよくわかります。扱いが注意なやり方であるのは、間違いありません。
以前もブログで触れましたが、直木賞の選評でも「候補作そのものを評するというより、わざわざ昔の名作的なものを持ってきてイジる」という書き方はけっこう見かけます。今週のエントリーもやっぱりそのようなハナシです。扱い注意な選評です。
第47回(昭和37年/1962年・上半期)では杉森久英さんの、ノンフィクションのようなそうでないような伝記小説『天才と狂人の間』が受賞しました。委員のなかには「今回は、授賞作品なしということになるのではないか、と思った。」(源氏鶏太さん)などとつぶやく人もいて、それはそれで多くの議論が交わされたよくある直木賞の選考会だったんだろう、と言っておきたいと思います。
この回の選評のなかで、ベスト・オブ・ひと言、を選ぶとすると、中山義秀さんが結城昌治さん『ゴメスの名はゴメス』に対してサラッと言いのけた正直な感想をおいて他にありません。「推理小説は読めば依然として面白いが、クイズを解くみたいな頭脳の使い方は、老齢の私には堪えがたくなっている。」(中山義秀さん)
……うんうん、わかる、わかると思わずひざを叩いてしまうのは、完全にワタクシのほうも年をとった証拠なんですが、このとき中山さんは61歳。当時の日本男性の平均寿命は65歳ぐらいだったそうなので、感覚的にも、込み入ったパズルのような小説は読み通せなくてもおかしくありません。それをはっきり言っちゃうところが中山さんの素晴らしさです。
ただ、この中山さんの感想はいちおう候補作に対するまっとうな評語なので、現在のうちのブログのテーマには適しません。今週のハナシは、選評に昔の作品を持ってきている実例を挙げたいということでした。
『ゴメスの名はゴメス』については、木々高太郎さんが「ソマセット・モームを学ぶ必要がある」と書いています。受賞作『天才と狂人の間』については、小島政二郎さんが「ツヴァイクの「バルザック」は、伝記だが、小説的に肉迫して来るものを持っている。」と言い、それに比べて『天才と~』は……と一種の疑義を呈しています。
そのなかで、二人の委員が同じ候補作に対する評のなかで、同じ過去の作家(および作品)のことに言及しているので、ここでピックアップしておきます。候補作は来水明子さんの『涼月記』、評した委員は小島さんと大佛次郎さんです。
「人間なり舞台なりすべてが、文章から離れて紙面から立ち上って来ないと小説の文章ではない。その点、なんとかして是非会得してもらいたい。芥川さんの「地獄変」など、そのいい参考にならないだろうか。」(『オール讀物』昭和37年/1962年10月号、小島政二郎「小説的盛上り弱し」より)
「前作もそうであったが、他人に語らせて重ねて話を進めて行く展開の技法が、込み入り過ぎて読みづらくするのである。複雑な性格をこれで描くので、女性らしい繊細な描写とともに明確さを失うのである。水に映る影のように間接で、揺れ漂って正体を捕えにくくするのである。(芥川龍之介の間接話法は短篇だから成功したに過ぎまい)」(同、大佛次郎「涼月記」より)
ちなみに小島さんは『涼月記』をそこそこの評価でとどめたのに対し、大佛さんは、そもそも予選通過作にこの小説が入っていなかったのを不憫に思って委員特権を発動、わざわざ候補作にねじ込んだ、ということが選評で明かされています。その2人がともに、『涼月記』を語るうえで、芥川さんとか「地獄変」とかを引き合いに出している。選考会でそんな議論が出たのかもしれません。
『涼月記』では、織田信長、明智光秀といった主人公として据えられた人物を、そのそばにいた人間が語っていくという形式がとられています。それがうまく行っているのかマズいのか、評価をしようというときに、芥川龍之介の「地獄変」を出してくるところが、「ん?」と首をかしげたくなります。
芥川大好き人間の小島さんが、きっと言い出したんだろうな、それを聞いて大佛さんが、いや芥川の作法って短篇にしか通用しないんじゃないかと反応したんだろうな……と、想像することは可能です。ただ、実際のところは何もわかりません。
直木賞だっていうのに、なぜか芥川さんの作風を持ち出されて評された来水さん。その後、もう一度候補になりますが、そのときも受賞できず、商業出版の世界から消えてしまったことが残念でなりません。
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