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2025年9月の4件の記事

2025年9月28日 (日)

「きらびやかな才能は、人を眩惑させるが、底浅いはかなさに魅力のあるうちが花である。」…中山義秀、第56回直木賞の選評より

 今日は令和7年/2025年9月28日です。

 ということは何でしょうか。さあ、それでは声を合わせてご一緒に。せーの、「第31回中山義秀文学賞が決まった日です!」。

 ……一年に一回、日本の秋の風物詩といえば、これにまさるイベントはありません。義秀賞の公開選考会が、今年もつつがなく福島県白河市の新白信ビルイベントホールで、にぎやかに、いや、ひそやかに公衆の面前で決定・発表されました。

 基本的に人さまの名前を冠した文学賞は、その人物とはほとんど関係がない、というのが常識です。直木賞もそうですし、アクタ何とか賞も、まあ賞名についた作家とは関係なく運営されています。

 中山義秀文学賞も、義秀さんと関係がない、と言ってしまえばそれまでです。ただ、いちおう運営している人たちは、故郷の生んだシブくて地味な義秀さんの精神を誇りに思い、文学賞のほうもシブくて地味な路線を喜んで貫いていきたい、という思いでやっているっぽいです。

 ということで今週の直木賞の選評は、どうあっても中山義秀さんの言葉を取り上げたいな、と思って探してみました。

 ただ、義秀さんというのは無駄なことはなるべく省いて、必要なことだけをまっすぐ伝えることに長けた人です。選評のほうでも、遊びが少なく、候補作のこと、それを自分がどう読んだのか、ということを愚直に書き連ねているものがほとんどで、「選考とは関係ない」選評がほとんど見当たりません。

 そこで今回は苦しまぎれに、おそらく義秀さんとしてはその回の選考について脳みそに宿った考えを書いたんだろう、と思いながらも、いかにも義秀さんらしい表現をしている箇所に光を当ててみることにしました。

 ときは第56回(昭和41年/1966年・下半期)。いまから60年近くも前の直木賞です。

 受賞者は、いわずと知れた直木賞が生んだトップスター、といいますか、この人が受賞したから直木賞はいっそうキラびやかな存在として世間の人から見られるようになった、と言っちゃってもいい歴史的な受賞を果たした作家。五木寛之さんです。

 選評を読んでもとにかくみんな褒めています。選考会が始まってまず選考委員たちが自分の意中の候補者を示したとき、だれもかれもが五木さんの名前を挙げていきなりの満票。話し合うこともほとんどなく、そうだよね、そりゃ今回はこの人だよね、と委員たち全員が納得して、およそ1時間程度、という直木賞選考会では極端に短い時間で決まってしまったと言います。

 だいたいいつも、他の人とは全然違う方向で順番をつける中山義秀さんですが、それでもやっぱりこの回は、五木さんを褒めています。いや、たぶん褒めているんだと思います。

「当選作者による三つの作品、「GIブルース」、「蒼ざめた馬を見よ」、「艶歌」はみな面白かった。五彩の花火を観るようで、消えた後残るものはない。きらびやかな才能は、人を眩惑させるが、底浅いはかなさに魅力のあるうちが花である。」(『オール讀物』昭和42年/1967年4月号、中山義秀「妄評」より)

 いちおう公式には全会一致、すべての選考委員が最初から満票で五木さんを推賞した、ということになっています。なので、義秀さんも五木さんに票を入れたんだ、と考えれば、たぶん受賞者のことを褒めているんでしょう。義秀さんなりに。

 しかし、さすがと言いますか、何と言いますか。消えた後残るものはない、と言い切ってしまう義秀さんの感覚は、特定の候補者や候補作について語っているようでいて、その後に続く「きらびやかな才能は~」のところは、もう完全にあまねくこの世のことを義秀さんの視線でとらえた、人生訓、ないしアフォリズムと言っていいと思います。

 はてさて、五木さんの小説が、これから先も残っていくのかどうか。作家の大半は、死んじゃったらそれでおしまい、というのが普通ですけど、直木賞の星・五木寛之さんといえども、その運命に抗うことはできないかもしれません。いや、できるかもしれません。まったくわかりません。

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2025年9月21日 (日)

「読んだ資料を袋に入れたまま横須賀線電車の網棚に忘れて降りた。」…大佛次郎、第53回直木賞の選評より

 横須賀線という鉄道路線があります。東京から東海道本線に乗ってガタガタゴトゴト西に向かい、決して短くはない時間を過ごしたあと、大船から南にくだって三浦半島のなかを突き進みます。

 かならず知らなければいけない知識というわけでもなく、一生乗らなくたって何の問題もありません。……とか断言してはいけませんね。問題があるのかもしれません。少なくともワタクシは、まったく詳しくありません。

 ともかく、古い頃から、東京の人が鎌倉に、あるいは鎌倉にいる人が東京方面に出かけるときは、横須賀線を利用してきた……というのは容易に想像できます。ただ、言うまでもなく直木賞とは関係がありません。残念です。

 いや、関係がないはずなんですが、今週は横須賀線と直木賞選評のおハナシです。まるで結びつきようのないこの二つを、美しく連結させた稀代のマジシャンこと、大佛次郎さんが直木賞の選考委員にいたおかげです。

 大佛さんといえば、代表的な(?)鎌倉文人として知られているかと思います。奥さんとのあいだに子供はなく、鎌倉の家はそこらじゅう猫だらけ。鎌倉の人ということの他に、こよなく猫を愛した人としても有名ですが、そこら辺りのことが直木賞の選評に出てくるのですから、これは見逃せません。

 第53回(昭和40年/1965年・上半期)は、直木賞では珍しく同人雑誌の掲載作ばかり8作が、最終候補に残りました。一般に名の通った職業作家は見当たらない、という混沌とした候補群のなかで、受賞と決まったのは「虹」を書いた藤井重夫さんです。

 ただ、誰がなにをどんなふうに読んだのかは、受賞結果からは全然わかりません。

 こちらとしては『オール讀物』を入手して、あるいは古いバックナンバーの置いてある図書館に行って、選評を読むしかないんですけど、いつもにもまして今回はどの候補作も面白かった、と言う中山義秀さんみたい委員もいれば、今回はどれも低調でこれじゃ受賞作なしだと思った海音寺潮五郎さんや松本清張さんみたいな人もいました。

 候補作や当時の読み物小説全般のことを語るのがおおよその選評なのに、何だか妙な書き出しで、この回の選評を始めている人がいました。それが大佛さんです。

 冒頭からしばらくは、ほとんどエッセイです。

「委員会の帰りに、読んだ資料を袋に入れたまま横須賀線電車の網棚に忘れて降りた。未知の親切な方が私のものと見て横須賀駅の忘れ物係にとどけて下さったと電話があった。認め印を持って横須賀まで受取りに行かなければならないが、小人数の家で、沢山にいる猫の奴はこの使者の役に甚だ不向き。そこで怠けたまま資料なしに、記憶に残った印象からこの文を綴る。従って、作品名も作者名も正確を期しがたく記さない。ぼんやりと記憶の影をつかまえる話である。」(『オール讀物』昭和40年/1965年10月号、大佛次郎「記憶を辿って」より)

 ははあ、これはこれは……。

 大佛さん、お茶目ですね。って、候補者にとっては、こんなこと言われても何の腹の足しにもならないでしょうが、選評には何を書いたっていいわけですから、資料を置き忘れた顛末に、路線名とか、駅名とか、猫ちゃんたちのことを書いたって、別に構わないに決まっています。

 本題に入る前にマクラが長いというのは、あまり本題で語ることがないときの常套手段ではあるんでしょう。でも、みんながかしこまって、作品論を戦わす選評だけじゃなく、電車のなかにモノを忘れた失敗談から始めて場をなごませよう、というのは、あるいは大佛さんなりの心遣いだったのかもしれません。

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2025年9月14日 (日)

「フランスなどは雑誌が発達していないから、書き下ろし長篇のみが出版される」…今日出海、第50回直木賞の選評より

 直木賞と、もうひとつのアクタ何たら賞との違いは何か。この設問にはこれまでいろんな人がああでもないこうでもないと、こじつけ、思いつき、その他深淵な文学論まで数多く展開されてきました。当然、そんなものに、バシッと決まる絶対的な答えがないところが、直木賞と別賞の存在する大きな意義なんだろうと思います。

 ワタクシは単なる小説の読者にすぎませんので、二つの賞の違いなど、正直さっぱりわかりません。わかりたいという欲求もとくに沸いてきません。なので、このまま、訳もわからず進みます。

 両賞の違いを説明する言葉は、ワタクシも持っていなんですけど、直木賞のほうの特徴ということでいえば、一つ大きなものは思いつきます。短篇も短篇集も長篇も、全部いっしょくたに候補作になって選考にハカられる、という点です。

 いまでは「短篇」というのは直木賞候補に挙がることはまずありませんが、歴史的に見れば、最初のうちはだいたい候補作は雑誌に載った短篇、というのが基本です。やがて雑誌に連載された長篇とか、単行本になった長篇、もしくは短篇集(全部書下ろしのこともあれば、雑誌掲載作を収録したものあり)など、長短バラエティに富んだ候補作になっていきます。

 それは直木賞というのは新人賞の建前で始まっているので、新人作家の発表舞台といえばまずは雑誌が基本で、本をどんどん出せるような立場の作家は、おのずと直木賞の対象から卒業する、という事情もからんでいます。

 と同時に、文芸出版の世界のほうでも常に流行は流動的です。高波が襲ってきたり、さざなみで停滞したりと、カネのめぐりに揉まれて出版人たちが右往左往するうちに、新人であっても書下ろしの単行本が充実して出版されるようになる時代が訪れ、そんなこんなでみんなでワイワイ経済成長をやっているうちに、新人発掘はよその懸賞だの別の文学賞に担ってもらって、直木賞は、もう少し中堅ないしベテランのラインも視野に入れていく流れが無視できないものになっていきました。直木賞の歩みは、世の出版事情を抜いて語ることはできません。

 ある意味では選考にも関係がありそうで、その実、作品のよしあし、作家の将来性のあるなしを議論する文学賞の営みとは、遠いところのハナシです。直木賞の選評には、なぜか候補作のことでなく、こういう出版史にまつわる話題に触れている例が、いくつも見受けられます。

 第50回(昭和38年/1963年・下半期)、この回は演劇方面の書き手としてすでに世に出ていた安藤鶴夫さんみたいな有名人を、直木賞の対象にしちゃっていいのかどうなのか、熱い議論(?)が繰り広げられた回ですけど、そもそも安藤さんの『巷談本牧亭』は『読売新聞』夕刊に連載されたものが本になったもの、和田芳恵さん『塵の中』は旧作と書下ろしを合わせて出版された単行本、江夏美子さん『脱走記』は同人雑誌『東海文学』の連載を一冊にまとめたもの、戸川昌子さん『猟人日記』は江戸川乱歩賞受賞第一作として書下ろしで出版された長篇の単行本、野村尚吾さん『戦雲の座』は河出書房新社から出版されたこれも書下ろし長篇……と、単行本の候補作が5つ。

 ほかにも、樹下太郎さんの「サラリーマンの勲章」は『文藝春秋漫画讀本』に連載中の連作集でしたし、小松左京さんの候補作もハヤカワ・SF・シリーズ『地には平和を』のなかからピックアップされた2篇。ということで、長いものや本になったものが、ずいぶんと直木賞の予選を通過していました。

 ここで、御説を一発放ったのが選考委員の今日出海さんです。

「直木賞の候補作品が近年とみに量的に殖えたようだ。候補作品は十篇と大体定まっているから、単行本として出版された長篇小説が多くなったという言見である。出版屋が新人の書き下ろし力作を出版する傾向は非常にいいことだと思う。たとえ何かの賞になれば、売れ行きもよくなると先きを見込んだ商魂もあろうが、フランスなどは雑誌が発達していないから、書き下ろし長篇のみが出版されるわけで、新人の作品は既に出版社内の批評を一度経て世に出た以上、質的に悪いはずがない。」(『オール讀物』昭和39年/1964年4月号、今日出海「直木賞の特質」より)

 本になっているんだからマズい作品のはずはない、といういまやもろくも崩壊してしまった単行本信仰が、まだ健在だった頃のお言葉です。

 しかし、今さんのこの一節、なかなか理解しづらい箇所も含んでいます。「フランスなどは~」うんぬんの記述、そんなこと、ここで言う必要ある? と思わないわけにはいきません。フランスのことなんか知らんがな、という感じです。

 正直いって、フランスの出版事業が当時の直木賞の動向にするとはとうてい思えないんですが、そこはそれ、今さんのことだから常人にはうかがい知れない高尚な論理で、実は第50回の選考とフランスの書き下ろし長篇の出版が、太い糸で結ばれていることを表していた……ということなんでしょうか。うーん、これは直木賞とアクタ何とか賞との違い、以上に解き明かしがたい難問です。

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2025年9月 7日 (日)

「芥川龍之介の間接話法は短篇だから成功したに過ぎまい」…大佛次郎、第47回直木賞の選評より

 書評にはいろんなパターンがありますが、そのなかでよく見かけるのが、「古典の作品や、すでに評価が高い別の作家の昔の作品を持ち出してくる」という悪手です。

 いや、それが悪手かどうかは意見が分かれるところでしょう。深みや奥行きが出ているように見える場合もあれば、単なる評者の自己満足にすぎない場合もある。手法としては極めて簡単だし、大したチカラがなくてもすぐできるので、「困ったときの、昔の作品だのみ」になるのはよくわかります。扱いが注意なやり方であるのは、間違いありません。

 以前もブログで触れましたが、直木賞の選評でも「候補作そのものを評するというより、わざわざ昔の名作的なものを持ってきてイジる」という書き方はけっこう見かけます。今週のエントリーもやっぱりそのようなハナシです。扱い注意な選評です。

 第47回(昭和37年/1962年・上半期)では杉森久英さんの、ノンフィクションのようなそうでないような伝記小説『天才と狂人の間』が受賞しました。委員のなかには「今回は、授賞作品なしということになるのではないか、と思った。」(源氏鶏太さん)などとつぶやく人もいて、それはそれで多くの議論が交わされたよくある直木賞の選考会だったんだろう、と言っておきたいと思います。

 この回の選評のなかで、ベスト・オブ・ひと言、を選ぶとすると、中山義秀さんが結城昌治さん『ゴメスの名はゴメス』に対してサラッと言いのけた正直な感想をおいて他にありません。「推理小説は読めば依然として面白いが、クイズを解くみたいな頭脳の使い方は、老齢の私には堪えがたくなっている。」(中山義秀さん)

 ……うんうん、わかる、わかると思わずひざを叩いてしまうのは、完全にワタクシのほうも年をとった証拠なんですが、このとき中山さんは61歳。当時の日本男性の平均寿命は65歳ぐらいだったそうなので、感覚的にも、込み入ったパズルのような小説は読み通せなくてもおかしくありません。それをはっきり言っちゃうところが中山さんの素晴らしさです。

 ただ、この中山さんの感想はいちおう候補作に対するまっとうな評語なので、現在のうちのブログのテーマには適しません。今週のハナシは、選評に昔の作品を持ってきている実例を挙げたいということでした。

 『ゴメスの名はゴメス』については、木々高太郎さんが「ソマセット・モームを学ぶ必要がある」と書いています。受賞作『天才と狂人の間』については、小島政二郎さんが「ツヴァイクの「バルザック」は、伝記だが、小説的に肉迫して来るものを持っている。」と言い、それに比べて『天才と~』は……と一種の疑義を呈しています。

 そのなかで、二人の委員が同じ候補作に対する評のなかで、同じ過去の作家(および作品)のことに言及しているので、ここでピックアップしておきます。候補作は来水明子さんの『涼月記』、評した委員は小島さんと大佛次郎さんです。

「人間なり舞台なりすべてが、文章から離れて紙面から立ち上って来ないと小説の文章ではない。その点、なんとかして是非会得してもらいたい。芥川さんの「地獄変」など、そのいい参考にならないだろうか。」(『オール讀物』昭和37年/1962年10月号、小島政二郎「小説的盛上り弱し」より)

「前作もそうであったが、他人に語らせて重ねて話を進めて行く展開の技法が、込み入り過ぎて読みづらくするのである。複雑な性格をこれで描くので、女性らしい繊細な描写とともに明確さを失うのである。水に映る影のように間接で、揺れ漂って正体を捕えにくくするのである。(芥川龍之介の間接話法は短篇だから成功したに過ぎまい)」(同、大佛次郎「涼月記」より)

 ちなみに小島さんは『涼月記』をそこそこの評価でとどめたのに対し、大佛さんは、そもそも予選通過作にこの小説が入っていなかったのを不憫に思って委員特権を発動、わざわざ候補作にねじ込んだ、ということが選評で明かされています。その2人がともに、『涼月記』を語るうえで、芥川さんとか「地獄変」とかを引き合いに出している。選考会でそんな議論が出たのかもしれません。

 『涼月記』では、織田信長、明智光秀といった主人公として据えられた人物を、そのそばにいた人間が語っていくという形式がとられています。それがうまく行っているのかマズいのか、評価をしようというときに、芥川龍之介の「地獄変」を出してくるところが、「ん?」と首をかしげたくなります。

 芥川大好き人間の小島さんが、きっと言い出したんだろうな、それを聞いて大佛さんが、いや芥川の作法って短篇にしか通用しないんじゃないかと反応したんだろうな……と、想像することは可能です。ただ、実際のところは何もわかりません。

 直木賞だっていうのに、なぜか芥川さんの作風を持ち出されて評された来水さん。その後、もう一度候補になりますが、そのときも受賞できず、商業出版の世界から消えてしまったことが残念でなりません。

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