「和田君は、小説ではないが、「大吉あやめ考」と云ふ一葉の兩親のことを書いた研究を「文學」に發表してゐる。」…小島政二郎、第30回直木賞の選評より
「該当作なし」。この陶酔的な言葉の響き。直木賞のファンなら誰しも、ひとつやふたつ、大好きな「該当作なし」の回があると思います。
ほんとにあるかどうかは別にして、こないだ決まった第173回(令和7年/2025年・上半期)の直木賞が、たまさか受賞作なしとなったもんですから、これまで直木賞はどういうふうに「なし」と付き合ってきたんだろう、と妙に考える機会が増えました。何つったって、直木賞にはこれまで30回も「なし」のときがありますからね。それぞれの回のことを振り返って楽しんでいるうちに、次の第174回なんかすぐに来ちゃいそうです。
で、うちのブログではいま過去の選評のことを突ついています。受賞作を出せなかったとき、選考委員たちはいったいどんな言葉でそのことを表現するのか。試しに第30回(昭和28年/1953年・下半期)のときの選評を、今週は取り上げてみようと思います。
ざっと時代の流れでいうと、第27回が先週触れた藤原審爾さんが「罪な女」その他で受賞した回です。第28回が立野信之さんの『叛乱』の受賞回ですが、立野さんといったら戦前から文壇では存在感を示してきた一線級の作家で、困ったときのベテラン頼み、直木賞がやることはだいたい昔から同じような感じです。
つづく第29回はいよいよこれぞという新進作家に出会えなかった、などという委員たちの声が多くて、ついに戦後はじめて該当作なしに落ち着きます。そして第30回の選考会。前の回で「なし」だったときは、なるべく今度は受賞者を出そうと、そういう気持ちが働きがちだ、とどこかで誰かの書いた文章を読んだ記憶もありますけど、ええい、そんなこと知ったことかと、直木賞の委員っていうのは自由人ばっかりだったからなのか、さらっとこの回も2期連続で該当作なし、という結果を出してしまいます。
ちなみに第30回は、たまたま偶然、芥川賞のほうでも該当作がなく、第30回の記念回だっていうのに周囲のテンションだだ下がり、という楽しい展開を生み出しました。テンションを下げているばかりでも仕方ないので、該当作が出ないにも両賞に高い見識があるからだ、だから権威が保たれるのだ、みたいなテキトーなつじつまあわせの言い訳のような言葉で、どうにかこの記念回を乗り切った、とか何とか、巷間言い伝えられています。
さて、それはともかく選評です。授賞を出せなかったことを、各委員いろいろと言っています。
「該當作品がないのは委員が怠慢なのではないかという氣がしていやなのだ。發見する努力が足りなかつたのではないか、と思つたりする。」(川口松太郎)、「さいごの會合の後では、正直かるい疲勞を感じた。(引用者中略)とにかく「推薦作品ナシ」とあきらめ切るまでには相當な過程があつた。」(吉川英治)、「今回も賞なしとなると寂しい感じがする。一年に二度だからないこともあるといふ説の人もあるが、僕はさうは思はない。」(木々高太郎)などなど。
この回の候補作は、木山捷平さん「脳下垂体」、田宮虎彦さん「都会の樹蔭」、白藤茂さん「亡命記」、井手雅人さん「地の塩」、和田芳恵さん「老猿」、池田みち子さん「汚された思春期」、原田種夫さん「南蛮絵師」の7作品です。そのうち田宮さんの「都会の樹蔭」と白藤さんの「亡命記」が、とりあえず最後の最後あたりまで議論に残ったそうですが、そういう選考のハナシから離れて、この回の候補作とはまるで関係ないことを書いている人がいます。小島政二郎さんです。
小島さんといえば自由人も自由人、言いたい放題、書き放題、直木賞選考会の暴れん坊という異名そのままに、テキトーなこと、どうでもいいことまで、戦前からさまざまに選評に書いてきた人です。この回は、候補者のひとり和田芳恵さんの「老猿」のことを語っているのかな、と思わせておいて、急に脱線していきます。
「出來不出來から云へば、去年上半期芥川賞の候補作品になつて、文章が古いと云ふ一言で不當に退けられたなんとか云ふ作品(引用者注:「露草」のこと)の方が優れてゐた。しかし、いづれも、直木賞の作品ではないやうに思ふ。和田君は、小説ではないが、「大吉あやめ考」と云ふ一葉の兩親のことを書いた研究を「文學」に發表してゐる。この研究では、一葉が死の一年前後に一大飛躍をする秘密を理解するのに最も大切な原因を彼は發見してゐる。」(『オール讀物』昭和29年/1954年4月号、小島政二郎「選後感」より)
ふうん。で? ……とツッコむほかありません。候補者が樋口一葉の研究ですばらしい発見をしたことは、それはそれで称賛に値する話だろうとは思いますけど、そんなこたあ直木賞の選考とは何の関係もないからです。
でも小島さんに言わせれば、ああ、そうだよ、直木賞と関係ないことを選評に書いて何が悪い、とひらき直るところかもしれません。
そりゃあねえ、小島さんがもしも起承転結のはっきりした、論理立った文章を書いていたら魅力ガタ落ちだからなあ……。候補の人たちがそれを読んでどう思ったかは知りませんけど、何の責任も影響もない一選評読者としては、これはこれで、ありっちゃありだと思います。
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