「いくらビールをのんでも醉えなくなる。」…村上元三、第33回直木賞の選評より
今週も前週につづいて、該当作がなかった回のことを取り上げます。
まあ、直木賞に該当作があろうがなかろうが、人間は特別何の影響も受けずにそれぞれ生きていくもんですし、ひょっとしたら(いや、十中八九の確率で)もはや日本で暮らす人たちのほとんどが、こないだの直木賞の結果のことなんか、とっくのとうに忘れているんじゃないかと思います。まったく健全な世の中です。
いつまでも「該当作なし」のハナシで引っ張るのは、大して面白味がありません。別に面白くはないんですけど、該当作なしの回がたくさんあった、っていうのが直木賞の基本的な姿ですから、それはそれで仕方ありません。
前週は第30回(昭和28年/1953年・下半期)のときの選評に注目しました。その後、第31回で1年半ぶりの受賞者として有馬頼義さんが賞に選ばれ、その次には梅崎春生さんと戸川幸夫さんの2人受賞で、パーッと景気よくおカネをばらまけたんですが、さらに半年後にやってきた第33回(昭和30年/1955年・上半期)。またもや選考委員たちのあいだに、どうも今度の直木賞も決めかねるといった暗雲が立ち込めます。
この回の最終予選通過作は7作ありました。
三ノ瀬溪男さん、実の名を伊藤桂一さんという新進作家が『オール讀物』に発表した「最後の戦闘機」(第5回オール新人杯の佳作に入ったもの)を除けば、ほか6作はすべて『文學者』だの『九州文學』だの『詩と真実』だの、同人雑誌に載った作品ばかり。
そのうち、どうにかこうにか応援者のいた劉寒吉さんの「風雪」、谷崎照久さんの「箱」、鬼頭恭而さんの「累代」の3作品が、最終的な討議にまで残されますが、けっきょくうーんと委員の多くが首をひねって、該当作なしの一手に飛びついた、ということです。
よほどの大衆文芸歴史マニアみたいな人じゃなければ、受賞作のなかったこんな第33回なんて、まず目を向けることもありません。かく言うワタクシだって、別にこれら7つの作品にいったいどんな面白さがあるのか、よくわからないままで、選考会の結論は後ろ向きで無難ではあったとは思いますが、そういうこともたまにはあるわな、と素通りしたい気持ちに苛まれます。
ただ、こういう回であっても選評が読めるというのが直木賞の楽しみです。
小島政二郎さんが、日本文学振興会から回ってきた作品以外に、おれは森田素夫「暗い眼窩」と渡辺喜恵子「御用金二千両」を読んだと言っていて、おっ、渡辺さんが第41回(昭和34年/1959年・上半期)に受賞する布石がこんなところにも打ち込まれていたんだな、と発見できたり、木々高太郎さんが前回落ちた邱永漢さんのことに触れていて、それを後年、邱さんが直木賞をとるまでの回顧録に書き留めていたことを思い出したり。ほんと直木賞の選評っていうのはどんな回でも捨てるところがないんだな、と思い知らされます。
そのなかでも今週ピックアップするのは、村上元三さんの、賞の審査員としての実感的な体験談の部分です。
「懸賞小説の選をしたり、直木賞の候補作品を讀んだりしていて、自分の書けそうもない作品に打つかり、うまいなあ、と感心したりすると、その日は憂鬱になつてしまい、いくらビールをのんでも醉えなくなる。しかし、あくる日になつてみると、新しい鬪志がわいてきて、大へん有難い氣持になる。」(『オール讀物』昭和29年/1954年4月号、村上元三「感想」より)
師匠の長谷川伸さんは、ほとんど人前ではお酒を飲まなかったそうですが、村上さんの場合はどうやら好きな口だったらしいです。
だいたい、ここで「いくらビールをのんでも酔えなくなる」という言葉が出てくるところが、いかにも酒飲みだなあ、という感じじゃないですか。いくら飲んでも酔えない、とは小説のなかでもエッセイのなかでも、当然のように出てくる文章ですけど、正直こっちに言わせると、何を常識のように語っているんだ、それがどういう感覚なのか、酒を飲まない人間にはちっともわからないぞ、とツッコんでみたくもなりますよ。
つまりは、どういうことですか。通常であればビールをのめば憂さが晴れて憂鬱な感情も忘れられるけど、自分の書けそうにない候補作を読んで感心したときの憂鬱は、それを上回るものだ、ということでしょうか。
そんなこと言われてもねえ……と当時の候補者が思ったとしても不思議じゃありません。少なくとも読者にとっては、そんなこと言われても知らないよ、と言うほかありません
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