「かつての吉田内閣の指揮権発動、今日の原水爆実験にたいする憤り」…海音寺潮五郎、第39回直木賞の選評より
直木賞の選考委員はどんどん変わっていきます。
何十年も長々と務める人もいますが、途中でさっさと辞める人もいます。そもそも永久に生き続けられる人間は一人もいない、という現実がありますので、けっきょく選考会のメンバーは変わっていかざるを得ません。
「あんなものは、だれがやったって同じじゃないか」と言う人もいるかもしれませんけど、そして、総体的には誰がやったって同じ結果が出るのかもしれませんけど、こと選評に関しては、やはり選考委員それぞれの個性が出ます。どんな選評が書かれるか。こればっかりは、誰でも同じというわけにはいきません。
新しい人が直木賞の選考委員になったとき、いちばんの楽しみは、その人がどんな選評を書くのか、という点です。妙に周囲に気をつかったような、生煮えの選評を読まされると、ほんとうにイライラしますけど、第173回から委員になった米澤穂信さんが、ビシッビシッと厳しめな方向で選評を書く人だったので、ホッとしました。高村薫さんが去ってしまったいま、ぜひとも、切れ味するどい選評の書き手になってくれることを期待しています。
さて、最近のハナシは措いておいて、うちのブログでは相変わらず昔の畑を掘りつづけることにします。「選考とは関係がない選評」ということで、今回注目するのは、第39回(昭和33年/1958年・上半期)のときのものです。
戦後、直木賞が復活してようやく10年程度が経過する頃合いに差しかかり、第38回をもって井伏鱒二さんと永井龍男さんが、もう大衆文芸なんてクソみたいな作品をたくさん読まされるのはイヤだと駄々をこねて、芥川賞の委員に配置替えが行われます。2人抜けちゃった穴を、どうにか埋めるべく、日本文学振興会が選んだ新任の直木賞委員は3人。戦前の受賞者、海音寺潮五郎さん、戦後の受賞者、源氏鶏太さん、そしてどうしてこの人が直木賞の委員になんかなったんだと、首をかしげざるを得ない驚天動地のご出陣、中山義秀さんです。
第39回から書かれることになる、それぞれの委員の選評は、結果的にやはりみな個性的なものが多くて、いずれもしかしたらうちのブログで取り上げることがあるかもしれません。今日は、そのなかから海音寺さんの選評をピックアップしてみたいと思います。
この回、候補9作のうち、受賞したのは山崎豊子さん『花のれん』と榛葉英治さん『赤い雪』です。山崎さんの作品が、各委員の心に響いて受賞に届いたのは、まあわかるとして、どうして榛葉さんが受賞できたのか。正直、選評を読んでもよくわかりません。
戦後に登場して、一回は文壇に出かかったが、その後、意に染まずに大衆読物を書き続けてきた苦労人。この回から委員となった海音寺さんとは面識もあり、本人の創作姿勢や人柄を知る人が、委員のなかには一部いた。などなど、こういう「実績込み」「周辺情報込み」で票が左右してしまうのが、直木賞っちゃあ直木賞なので、別に文句を言うところではないんでしょうけど、しかしそこで割を食ったのが北川荘平さん「水の壁」です。
海音寺さんは「水の壁」をけっこう褒めました。「入賞しなかつたのは、作品と共に人も見てという賞の性質からの事である。次期迄に劣らない作品を見せていただきたい。」と言っていて、つまりはこれが北川さんが同人雑誌に書いて文壇にその名を知らしめた最初の作品だったことから、海音寺さんは強し推しに回らなかったんだと推測されます。榛葉さんが候補に入ってなかったら、あるいは「水の壁」授賞に動いてくれたんじゃないでしょうか。
で、その「水の壁」のことを語る海音寺さんの選評にこんな部分があります。
「われわれは時々巨大な權力の理不盡な壓力に苦しめられ、鬪うにも訴えるにも法がなく、切なさと憤りに齒ぎしりするより外ないことがある。大戰中にはとりわけそれがあつた。戰後もある。かつての吉田内閣の指揮權發動、今日の原水爆實驗にたいする憤りもそれである。この作品はそれを取りあつかつている。」(『オール讀物』昭和33年/1958年10月号、海音寺潮五郎「選評」より)
たしかに「水の壁」の中心にあるのは、でっかい権力に立ち向かってつぶされてしまう個人のやる瀬なさです。ただ、それを語るときに戦争のことを持ち出してくるのはわかるところ、吉田内閣のこととか原水爆実験のことをここに書くのが、海音寺さんの個性でしょう。
いまでも、選評のなかで時事ネタを入れる委員は、よくいます。直木賞よりも芥川賞に顕著なような気がしますが、その時事ネタがいったい候補作を評するのに適切な入れ方なのか、異常に浮いてしまっている例とか、おれって、わたしたって、選評に突然、社会ニュースを入れちゃってかっこいいでしょ、的な気色悪さを感じることもないではないですが、それもまた個々の選考委員の個性には違いありません。
北川さんの「水の壁」と、吉田内閣、原水爆実験は、直接的な結びつきはありません。何で、海音寺さんはこんな例をわざわざ出したんだろう。よくわかりませんけど、候補作のことを話すのかと思ったら、こういう搦め手がいきなり出てくるのですから、やっぱり直木賞の選評は読んでて面白いです。
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