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2025年8月の5件の記事

2025年8月31日 (日)

「わたし個人のことになるが、わたしは推理小説が好きで、乱読しているほうだ」…村上元三、第43回直木賞の選評より

 「高校生直木賞」という企画があります。

 回を重ねて今年で12回目を数え、年々参加する高校の数も増えている、というふれこみの面白い文学賞ですが、本家の直木賞に比べると、話題性も権威性も大して高くはなく、その評判を巷で耳にすることもまずありません。そもそも、いったん直木賞のほうで選考したのと同じ候補作を並べて、改めて選考することに何の意味があるのか、という気はします。とまあ、ヒトサマが頑張って運営しているものに文句を言っても仕方ありません。

 同じ作品でも、選考する人、選考する世代が違えば、何を推すのかその評価も変わってくる、というのはたしかにその通りです。そんなことは、わざわざ「高校生直木賞」を持ち出さなくたって誰でもわかっていることだと思うんですけど、直木賞だって何だって自動的に決まる文学賞は何もない、すべてそれぞれ個性の違う人間たちが決めているんだ、ということをあえてもう一度打ち出したところが、「高校生直木賞」のエラさでしょう。

 で、何が言いたいかというと、直木賞の選考では、それぞれの委員の人たちの生態を見るのが面白い、それが半年に一回ずつどんどん積み重なっていくのが面白いんだ、ということです。これもまた、いまさらツバを飛ばして主張するほどのことじゃなかったですね。すみません。

 時代はさかのぼって第40回台の直木賞です。この時期、直木賞に押し寄せた波といってパッと思いつくのが、推理小説がたくさん候補作に選ばれはじめたことが挙げられます。

 推理小説を、時の選考委員たちがどのように受け止めて評したか。これはこれだけで、ことさら推理小説を目のカタキにした直木賞のクソ時代、と数多くのミステリー専門家たちが怒りまじりに振り返っていますので、あまりに近づきたくないところなんですが、今週は第43回(昭和35年/1960年・上半期)、池波正太郎さんの「錯乱」が直木賞を受賞したときの選評を取り上げたいと思います。

 このときも、いわゆる「推理小説」とレッテルの貼られた候補作がいくつも予選を通っていました。水上勉さんの『海の牙』『耳』、佐野洋さんの『透明な暗殺』、黒岩重吾さんの『休日の断崖』、そして碧川浩一さんの『美の盗賊』……。

 委員によっては、これらを褒めたり、授賞に推したりしていて、おしなべて直木賞全体がクソだったわけじゃない、ということが選評を読むと、何となく伝わってきます。源氏鶏太さんなどは『休日の断崖』をかなり強力に推したそうです。

 そんな中で、けっきょくこの回、推理小説は全部が全部、落選してしまうことになるんですけど、やはり注目すべきは村上元三さんの言いぐさでしょう。

「わたし個人のことになるが、わたしは推理小説が好きで、乱読しているほうだ」(『オール讀物』昭和35年/1960年10月号、村上元三「推理小説への疑問」より)

 という文章から始まって、要するにおれは推理小説に無理解な読者というわけではない、っていう予防線を張ってから、バシバシと推理モノの候補作を批判していきます。

「推理小説でなければ、現代社会の尖鋭化された人間の心理行動を描くには適しない、という考え方には、同意しかねる。

そういう意味で、水上勉氏の「海の牙」「耳」も、佐野洋氏の「透明な暗殺」も、黒岩重吾氏の「休日の断崖」も、現代小説として正面から取り組むべき材料を扱っていながら、推理小説の形をとった為に、どっちつかずの感じの作品になっている。

わたしは、推理小説も文学でなくてはならないと考えているが、こんどの候補作品の中に入っていた以上の作品は、記録小説としては弱く、推理小説としての面白さに欠けている、と思う。」(同)

 なかなか村上さんの求めるハードルは高いです。それで、新鷹会の後輩の、どうということもない短篇での授賞にはとりあえず賛成しちゃうんですから、食えない人だ、という他ありません。

 別に「おれは推理小説をたくさん読んでいる」なんて、言う必要がないのに、わざわざこの一節を入れてしまうところが、村上さんのカワイさ、というか、人をイラッとさせるところだと思いますけど、この芸風はその後も続く村上さんの直木賞委員歴のそこかしこに登場することになります。ジャンル小説のファンというのも、こういう場面では良し悪しだな、と思わされることも含めて、村上さんの選評が、世に直木賞アンチをふやし……つまりは直木賞全体を盛り上げる一つになったのは、おそらく間違いありません。

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2025年8月24日 (日)

「かつての吉田内閣の指揮権発動、今日の原水爆実験にたいする憤り」…海音寺潮五郎、第39回直木賞の選評より

 直木賞の選考委員はどんどん変わっていきます。

 何十年も長々と務める人もいますが、途中でさっさと辞める人もいます。そもそも永久に生き続けられる人間は一人もいない、という現実がありますので、けっきょく選考会のメンバーは変わっていかざるを得ません。

 「あんなものは、だれがやったって同じじゃないか」と言う人もいるかもしれませんけど、そして、総体的には誰がやったって同じ結果が出るのかもしれませんけど、こと選評に関しては、やはり選考委員それぞれの個性が出ます。どんな選評が書かれるか。こればっかりは、誰でも同じというわけにはいきません。

 新しい人が直木賞の選考委員になったとき、いちばんの楽しみは、その人がどんな選評を書くのか、という点です。妙に周囲に気をつかったような、生煮えの選評を読まされると、ほんとうにイライラしますけど、第173回から委員になった米澤穂信さんが、ビシッビシッと厳しめな方向で選評を書く人だったので、ホッとしました。高村薫さんが去ってしまったいま、ぜひとも、切れ味するどい選評の書き手になってくれることを期待しています。

 さて、最近のハナシは措いておいて、うちのブログでは相変わらず昔の畑を掘りつづけることにします。「選考とは関係がない選評」ということで、今回注目するのは、第39回(昭和33年/1958年・上半期)のときのものです。

 戦後、直木賞が復活してようやく10年程度が経過する頃合いに差しかかり、第38回をもって井伏鱒二さんと永井龍男さんが、もう大衆文芸なんてクソみたいな作品をたくさん読まされるのはイヤだと駄々をこねて、芥川賞の委員に配置替えが行われます。2人抜けちゃった穴を、どうにか埋めるべく、日本文学振興会が選んだ新任の直木賞委員は3人。戦前の受賞者、海音寺潮五郎さん、戦後の受賞者、源氏鶏太さん、そしてどうしてこの人が直木賞の委員になんかなったんだと、首をかしげざるを得ない驚天動地のご出陣、中山義秀さんです。

 第39回から書かれることになる、それぞれの委員の選評は、結果的にやはりみな個性的なものが多くて、いずれもしかしたらうちのブログで取り上げることがあるかもしれません。今日は、そのなかから海音寺さんの選評をピックアップしてみたいと思います。

 この回、候補9作のうち、受賞したのは山崎豊子さん『花のれん』と榛葉英治さん『赤い雪』です。山崎さんの作品が、各委員の心に響いて受賞に届いたのは、まあわかるとして、どうして榛葉さんが受賞できたのか。正直、選評を読んでもよくわかりません。

 戦後に登場して、一回は文壇に出かかったが、その後、意に染まずに大衆読物を書き続けてきた苦労人。この回から委員となった海音寺さんとは面識もあり、本人の創作姿勢や人柄を知る人が、委員のなかには一部いた。などなど、こういう「実績込み」「周辺情報込み」で票が左右してしまうのが、直木賞っちゃあ直木賞なので、別に文句を言うところではないんでしょうけど、しかしそこで割を食ったのが北川荘平さん「水の壁」です。

 海音寺さんは「水の壁」をけっこう褒めました。「入賞しなかつたのは、作品と共に人も見てという賞の性質からの事である。次期迄に劣らない作品を見せていただきたい。」と言っていて、つまりはこれが北川さんが同人雑誌に書いて文壇にその名を知らしめた最初の作品だったことから、海音寺さんは強し推しに回らなかったんだと推測されます。榛葉さんが候補に入ってなかったら、あるいは「水の壁」授賞に動いてくれたんじゃないでしょうか。

 で、その「水の壁」のことを語る海音寺さんの選評にこんな部分があります。

「われわれは時々巨大な權力の理不盡な壓力に苦しめられ、鬪うにも訴えるにも法がなく、切なさと憤りに齒ぎしりするより外ないことがある。大戰中にはとりわけそれがあつた。戰後もある。かつての吉田内閣の指揮權發動、今日の原水爆實驗にたいする憤りもそれである。この作品はそれを取りあつかつている。」(『オール讀物』昭和33年/1958年10月号、海音寺潮五郎「選評」より)

 たしかに「水の壁」の中心にあるのは、でっかい権力に立ち向かってつぶされてしまう個人のやる瀬なさです。ただ、それを語るときに戦争のことを持ち出してくるのはわかるところ、吉田内閣のこととか原水爆実験のことをここに書くのが、海音寺さんの個性でしょう。

 いまでも、選評のなかで時事ネタを入れる委員は、よくいます。直木賞よりも芥川賞に顕著なような気がしますが、その時事ネタがいったい候補作を評するのに適切な入れ方なのか、異常に浮いてしまっている例とか、おれって、わたしたって、選評に突然、社会ニュースを入れちゃってかっこいいでしょ、的な気色悪さを感じることもないではないですが、それもまた個々の選考委員の個性には違いありません。

 北川さんの「水の壁」と、吉田内閣、原水爆実験は、直接的な結びつきはありません。何で、海音寺さんはこんな例をわざわざ出したんだろう。よくわかりませんけど、候補作のことを話すのかと思ったら、こういう搦め手がいきなり出てくるのですから、やっぱり直木賞の選評は読んでて面白いです。

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2025年8月17日 (日)

「私が推薦した道俊介氏の「蔵法師助五郎」といふ作品」…小島政二郎、第37回直木賞の選評より

 20何年もサイトを運営していると、たまーに、ごくごくたまーに、見知らぬ方からメールをもらうことがあります。

 くそっ、死ね。といった幼稚な罵倒雑言もあれば、わたしがとった地方の文学賞のこともサイトに載せていただけないでしょうか、という丁寧な懇願もあります。メールの内容は種々雑多に散っているんですけど、ときどき、直木賞や文学賞のことで、候補作の出版情報、掲載情報など、大変ありがたいデータを教えてくださる方もいます。どこにお住まいの方かも存じませんが、そういう方々には一切合財、足を向けて寝られません。

 「文学賞の世界」サイトのなかには「『サンデー毎日』大衆文芸」懸賞についてリスト化したページがあります。そこに載っている情報のうち、幾分かは外部の方からメールで教えてもらったものが含まれています。ありがたいとしか言いようがありません。

 で、全然直木賞とは関係ないハナシから始まりましたけど、おそらくよく知られているとおり、その大衆文芸懸賞からは直木賞の候補者がボロボロと出ていますし、ときには直木賞の受賞者に名を連ねることになる作家なんかもけっこういました。

 『週刊誌五十年 サンデー毎日の歩み』(昭和48年/1973年2月・毎日新聞社刊)を書いた野村尚吾さんが、その本のなかで多少、大衆文芸懸賞の歴史を記録してくれていますけど、入選者だけに限らず、選外佳作の人、応募者たちの来歴やその後なども含めて、だれか『サンデー毎日』大衆文芸全史をまとめてくれないかな、と毎晩夢に見ているところです。

 第37回(昭和32年/1957年・上半期)直木賞の候補者7人のなかで、もっとも『サン毎』大衆文芸に縁のあった人といえば、佐藤明子さん、またの筆名、来水明子さんということになるでしょう。第37回の候補作はオール新人杯をとった「寵臣」でしたが、それよりまえに来水さんは『サン毎』のほうで佳作に入った経験があります。……しかし、今回の「選考とは関係ない選評」シリーズで取り上げるのは、来水さんのことではありません。

 当時の選考委員のなかでも自由奔放な筆致ということではトップの地位にあったのが小島政二郎さんだ、というのは衆目の一致するところかと思います。すでにうちのブログのほうでも奔放すぎる選評の一節をいくつか味わってきました。

 第37回のときも小島さんの何ものにも縛られない感想を、さらっと選評のなかに差し挟んでいます。

 決して「選考に関係がない」とは言いません。だけど、予選通過作品に対する良いだの悪いだのといった評価以外のことを、こんなところで書いてしまう小島さんのお茶目さを、ここでは存分に持ち上げておきます。

 こんな感じの文章です。

「私が推薦した道俊介氏の「蔵法師助五郎」といふ作品が候補作品に採用されなかつたことに私は未練を持つてゐる。」(『オール讀物』昭和32年/1957年10月号、小島政二郎「寸感」より)

 道俊介さんとは誰なのか。「蔵法師助五郎」というのがどんな作品なのか。まったくこの選評からはわかりません。未練を持っていると言われても、予選を通過した作品のことを言われても、正直困ってしまいます。

 ワタクシもこの作家や作品のことは何も知りません。とりあえずうちのサイトの記述によると、『サンデー毎日』が51回目に開催した大衆文芸懸賞で、昭和32年/1957年に入選したもので、『サンデー毎日』臨時増刊・陽春特別号(昭和32年/1957年4月刊)に掲載された、ということだそうです。

 現状ささっと参照できるのは、当時、選者を務めていた井上靖さんが同作について触れた選評だったので、そちらを挙げておきます。

「こんどの候補作の中では、「蔵法師助五郎」と「犬神」の二篇をいいと思った。

「蔵法師助五郎」(道俊介)は、物語の筋の面白さより、老人の娘婿に対する反発と愛情がよく描けているのに感心した。それから娘婿の下からのし上がって行く仕事師らしい性格も、またよく捉えられている。物語も一応うまく作られている。結局は父と娘婿との人情物語に過ぎないが、それをほどほどにドライに取り扱って読物として成功している。」(『サンデー毎日』臨時増刊・陽春特別号[昭和32年/1957年4月刊] ―引用文は『井上靖全集 第二十八巻』平成9年/1997年11月・新潮社刊より)

 いまの時代、小島政二郎さんがそんなに未練があった小説というのなら読んでみよう、と思う人はまずいないと思いますが、井上靖さんが褒めているなら読んでみようと思う人がいる……かどうかも微妙なところです。少なくとも、初出誌を当たらないかぎり、もはやお目にかかることはできません。悲しいです。

 いったい道俊介さんはその後どうなったんでしょうか。小島さんがなぜか直木賞の選評で自作について触れたことを、道さんは認識できたでしょうか。まったくわかりません。〔『サンデー毎日』大衆文芸全史〕の完成が、心から待たれるばかりです。

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2025年8月10日 (日)

「いくらビールをのんでも醉えなくなる。」…村上元三、第33回直木賞の選評より

 今週も前週につづいて、該当作がなかった回のことを取り上げます。

 まあ、直木賞に該当作があろうがなかろうが、人間は特別何の影響も受けずにそれぞれ生きていくもんですし、ひょっとしたら(いや、十中八九の確率で)もはや日本で暮らす人たちのほとんどが、こないだの直木賞の結果のことなんか、とっくのとうに忘れているんじゃないかと思います。まったく健全な世の中です。

 いつまでも「該当作なし」のハナシで引っ張るのは、大して面白味がありません。別に面白くはないんですけど、該当作なしの回がたくさんあった、っていうのが直木賞の基本的な姿ですから、それはそれで仕方ありません。

 前週は第30回(昭和28年/1953年・下半期)のときの選評に注目しました。その後、第31回で1年半ぶりの受賞者として有馬頼義さんが賞に選ばれ、その次には梅崎春生さんと戸川幸夫さんの2人受賞で、パーッと景気よくおカネをばらまけたんですが、さらに半年後にやってきた第33回(昭和30年/1955年・上半期)。またもや選考委員たちのあいだに、どうも今度の直木賞も決めかねるといった暗雲が立ち込めます。

 この回の最終予選通過作は7作ありました。

 三ノ瀬溪男さん、実の名を伊藤桂一さんという新進作家が『オール讀物』に発表した「最後の戦闘機」(第5回オール新人杯の佳作に入ったもの)を除けば、ほか6作はすべて『文學者』だの『九州文學』だの『詩と真実』だの、同人雑誌に載った作品ばかり。

 そのうち、どうにかこうにか応援者のいた劉寒吉さんの「風雪」、谷崎照久さんの「箱」、鬼頭恭而さんの「累代」の3作品が、最終的な討議にまで残されますが、けっきょくうーんと委員の多くが首をひねって、該当作なしの一手に飛びついた、ということです。

 よほどの大衆文芸歴史マニアみたいな人じゃなければ、受賞作のなかったこんな第33回なんて、まず目を向けることもありません。かく言うワタクシだって、別にこれら7つの作品にいったいどんな面白さがあるのか、よくわからないままで、選考会の結論は後ろ向きで無難ではあったとは思いますが、そういうこともたまにはあるわな、と素通りしたい気持ちに苛まれます。

 ただ、こういう回であっても選評が読めるというのが直木賞の楽しみです。

 小島政二郎さんが、日本文学振興会から回ってきた作品以外に、おれは森田素夫「暗い眼窩」と渡辺喜恵子「御用金二千両」を読んだと言っていて、おっ、渡辺さんが第41回(昭和34年/1959年・上半期)に受賞する布石がこんなところにも打ち込まれていたんだな、と発見できたり、木々高太郎さんが前回落ちた邱永漢さんのことに触れていて、それを後年、邱さんが直木賞をとるまでの回顧録に書き留めていたことを思い出したり。ほんと直木賞の選評っていうのはどんな回でも捨てるところがないんだな、と思い知らされます。

 そのなかでも今週ピックアップするのは、村上元三さんの、賞の審査員としての実感的な体験談の部分です。

「懸賞小説の選をしたり、直木賞の候補作品を讀んだりしていて、自分の書けそうもない作品に打つかり、うまいなあ、と感心したりすると、その日は憂鬱になつてしまい、いくらビールをのんでも醉えなくなる。しかし、あくる日になつてみると、新しい鬪志がわいてきて、大へん有難い氣持になる。」(『オール讀物』昭和29年/1954年4月号、村上元三「感想」より)

 師匠の長谷川伸さんは、ほとんど人前ではお酒を飲まなかったそうですが、村上さんの場合はどうやら好きな口だったらしいです。

 だいたい、ここで「いくらビールをのんでも酔えなくなる」という言葉が出てくるところが、いかにも酒飲みだなあ、という感じじゃないですか。いくら飲んでも酔えない、とは小説のなかでもエッセイのなかでも、当然のように出てくる文章ですけど、正直こっちに言わせると、何を常識のように語っているんだ、それがどういう感覚なのか、酒を飲まない人間にはちっともわからないぞ、とツッコんでみたくもなりますよ。

 つまりは、どういうことですか。通常であればビールをのめば憂さが晴れて憂鬱な感情も忘れられるけど、自分の書けそうにない候補作を読んで感心したときの憂鬱は、それを上回るものだ、ということでしょうか。

 そんなこと言われてもねえ……と当時の候補者が思ったとしても不思議じゃありません。少なくとも読者にとっては、そんなこと言われても知らないよ、と言うほかありません

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2025年8月 3日 (日)

「和田君は、小説ではないが、「大吉あやめ考」と云ふ一葉の兩親のことを書いた研究を「文學」に發表してゐる。」…小島政二郎、第30回直木賞の選評より

 「該当作なし」。この陶酔的な言葉の響き。直木賞のファンなら誰しも、ひとつやふたつ、大好きな「該当作なし」の回があると思います。

 ほんとにあるかどうかは別にして、こないだ決まった第173回(令和7年/2025年・上半期)の直木賞が、たまさか受賞作なしとなったもんですから、これまで直木賞はどういうふうに「なし」と付き合ってきたんだろう、と妙に考える機会が増えました。何つったって、直木賞にはこれまで30回も「なし」のときがありますからね。それぞれの回のことを振り返って楽しんでいるうちに、次の第174回なんかすぐに来ちゃいそうです。

 で、うちのブログではいま過去の選評のことを突ついています。受賞作を出せなかったとき、選考委員たちはいったいどんな言葉でそのことを表現するのか。試しに第30回(昭和28年/1953年・下半期)のときの選評を、今週は取り上げてみようと思います。

 ざっと時代の流れでいうと、第27回が先週触れた藤原審爾さんが「罪な女」その他で受賞した回です。第28回が立野信之さんの『叛乱』の受賞回ですが、立野さんといったら戦前から文壇では存在感を示してきた一線級の作家で、困ったときのベテラン頼み、直木賞がやることはだいたい昔から同じような感じです。

 つづく第29回はいよいよこれぞという新進作家に出会えなかった、などという委員たちの声が多くて、ついに戦後はじめて該当作なしに落ち着きます。そして第30回の選考会。前の回で「なし」だったときは、なるべく今度は受賞者を出そうと、そういう気持ちが働きがちだ、とどこかで誰かの書いた文章を読んだ記憶もありますけど、ええい、そんなこと知ったことかと、直木賞の委員っていうのは自由人ばっかりだったからなのか、さらっとこの回も2期連続で該当作なし、という結果を出してしまいます。

 ちなみに第30回は、たまたま偶然、芥川賞のほうでも該当作がなく、第30回の記念回だっていうのに周囲のテンションだだ下がり、という楽しい展開を生み出しました。テンションを下げているばかりでも仕方ないので、該当作が出ないにも両賞に高い見識があるからだ、だから権威が保たれるのだ、みたいなテキトーなつじつまあわせの言い訳のような言葉で、どうにかこの記念回を乗り切った、とか何とか、巷間言い伝えられています。

 さて、それはともかく選評です。授賞を出せなかったことを、各委員いろいろと言っています。

 「該當作品がないのは委員が怠慢なのではないかという氣がしていやなのだ。發見する努力が足りなかつたのではないか、と思つたりする。」(川口松太郎)、「さいごの會合の後では、正直かるい疲勞を感じた。(引用者中略)とにかく「推薦作品ナシ」とあきらめ切るまでには相當な過程があつた。」(吉川英治)、「今回も賞なしとなると寂しい感じがする。一年に二度だからないこともあるといふ説の人もあるが、僕はさうは思はない。」(木々高太郎)などなど。

 この回の候補作は、木山捷平さん「脳下垂体」、田宮虎彦さん「都会の樹蔭」、白藤茂さん「亡命記」、井手雅人さん「地の塩」、和田芳恵さん「老猿」、池田みち子さん「汚された思春期」、原田種夫さん「南蛮絵師」の7作品です。そのうち田宮さんの「都会の樹蔭」と白藤さんの「亡命記」が、とりあえず最後の最後あたりまで議論に残ったそうですが、そういう選考のハナシから離れて、この回の候補作とはまるで関係ないことを書いている人がいます。小島政二郎さんです。

 小島さんといえば自由人も自由人、言いたい放題、書き放題、直木賞選考会の暴れん坊という異名そのままに、テキトーなこと、どうでもいいことまで、戦前からさまざまに選評に書いてきた人です。この回は、候補者のひとり和田芳恵さんの「老猿」のことを語っているのかな、と思わせておいて、急に脱線していきます。

「出來不出來から云へば、去年上半期芥川賞の候補作品になつて、文章が古いと云ふ一言で不當に退けられたなんとか云ふ作品(引用者注:「露草」のこと)の方が優れてゐた。しかし、いづれも、直木賞の作品ではないやうに思ふ。和田君は、小説ではないが、「大吉あやめ考」と云ふ一葉の兩親のことを書いた研究を「文學」に發表してゐる。この研究では、一葉が死の一年前後に一大飛躍をする秘密を理解するのに最も大切な原因を彼は發見してゐる。」(『オール讀物』昭和29年/1954年4月号、小島政二郎「選後感」より)

 ふうん。で? ……とツッコむほかありません。候補者が樋口一葉の研究ですばらしい発見をしたことは、それはそれで称賛に値する話だろうとは思いますけど、そんなこたあ直木賞の選考とは何の関係もないからです。

 でも小島さんに言わせれば、ああ、そうだよ、直木賞と関係ないことを選評に書いて何が悪い、とひらき直るところかもしれません。

 そりゃあねえ、小島さんがもしも起承転結のはっきりした、論理立った文章を書いていたら魅力ガタ落ちだからなあ……。候補の人たちがそれを読んでどう思ったかは知りませんけど、何の責任も影響もない一選評読者としては、これはこれで、ありっちゃありだと思います。

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