「病療久しかつた氏も近来退院して大いに青春の気を吐いてゐると聞く。」…吉川英治、第27回直木賞の選評より
小説を読むとき何を評価するか。それは人それぞれです。
書かれている内容、人物描写、活きのいい会話、斬新な発想力。あるいは、書いている人がカッコいいとかカワいいとか、そういう理由で小説のよしあしの判断基準を左右する人がいるかもしれません。そんなことは、読む人にとっての自由です。
読む人にとっての自由なので、文学賞にとっても自由です。とくに直木賞なんてものになると、業界ズブズブの編集者たちが候補を選び、業界ズブズブの選考委員たちが最終選考するものですから、候補になった人たちと顔なじみであったり、生活態度や人柄をよく知っているなんてことも、別に珍しいことじゃありません。そういうズブズブの関係性が、ポロッと選評に表われることも、いまではどうか知りませんけど、昔は普通にあったことでした。
で、第27回(昭和27年/1952年・上半期)の直木賞です。中村八朗さんや和田芳恵さんあたりは、文芸界・出版界でも知り合いが多かったでしょうから、選考委員の一部はもちろん彼らのことを知っていたものと思います。それが選考の投票に何か影響を及ぼしたのか、というと、それはもう、その場を見ていた人間しか知り得ないことで、いまさら掘り返しても仕方ありません。こちらは選評で状況を把握することしかできません。
とくにこの回、多くの選考委員にとってなじみの深かった作家がいました。藤原審爾さんです。
戦後、「秋津温泉」(『人間小説集 別冊』昭和22年/1947年12月)でがぜん注目された藤原さんは、芥ナントカ賞のほうで審査にのぼっても不自然じゃなかった純文芸派ですけど、なぜか直木賞のほうに大変気に入られ、その「秋津温泉」も直木賞の候補になったところから、第24回、第26回とかなり有力な候補として直木賞で議論されます。ハナシによると「秋津温泉」を直木賞に推したのは久米正雄さんだったみたいです。
毎回のように期待され、いつとってもおかしくないような評価を受ける。いまの直木賞でもそういう候補は少なくありません。とくに当時は、委員のなかでも(木々高太郎さんなどが急先鋒として)直木賞はある程度名前が世に出て活躍している実績が何よりの評価だ、みたいな他人まかせの空気がはびこっていたものですから、純文芸誌、中間小説誌、読み物小説誌などにやたらめったら書きまくっている藤原さんは、常に受賞圏内の人として遇されていたわけです。
しかし、一点心配なことがありました。藤原さんのからだが弱かったことです。
大正10年/1921年生まれの藤原さんは、昭和15年/1940年春、19歳のときに初めて血を吐き、以来、何度も何度も喀血に苦しみながら、ああおれの人生はそう長くはなさそうだ、という諦観に苛まれつつ、文学の道を歩みます。昭和24年/1949年、胸部疾患で河北病院に入院したときには、さすがに絶望かと思われましたが、死ぬ死ぬとわめく奴ほどなかなか死なない、という真偽不明な言い伝えのとおり、藤原さんはどうにか命をつなぎ、退院してからは生きている証として原稿用紙を埋めつづけます。
藤原さんが直木賞の候補になっていたのも、ちょうどそんなときだった、ということで、直木賞の選評にもなぜか、藤原さんが入院していたこと、退院したことなどが出てきます。以下、吉川英治さんによる文章です。
「「白い百足虫」「青い眼の猫」「斧の定九郎」など、近来一束の藤原氏の仕事をぼくはちつとも買つてゐない。「お富與三郎異聞」なども悪い悟り方だと正直思つた。(引用者中略)「斧の定九郎」は作者自身も自信ありと、当夜の社の側から聞いたからである。ちよつと買ふネ、ぼくが編輯者なら、と佐佐木茂索氏は云つたが、どういふ心底かはつひに明瞭にしなかつた。ほかの委員も佐佐木発言を取上げず、もつぱら藤原氏への愛着は、旧作の「魔子(を待つ間)」「秋津温泉」などへ惹かれるのだつた。ぼくもあの辺の藤原氏の作品に、その頃もつた嘱目を今もわすれ難い。こんどの受賞作として賛成した「罪な女」以上にである。
病療久しかつた氏も近来退院して大いに青春の気を吐いてゐると聞く。加餐々々といひたい。」(『オール讀物』昭和27年/1952年10月号より ―引用原文は『オール讀物』平成15年/2003年1月号「完全保存版 直木賞「全選評」戦後篇I」)
上で引用した前半の、藤原さん自身が自信作だと言っているらしい、と文藝春秋新社の人が選考委員に伝えたことなども、いやいや、それは選考とは関係ないんじゃないか、と思いますが、それを書くところに吉川さんの真面目な性格を見る思いです。
そして、「病療久しかつた氏も」からの二文。いま、候補者が入院していただの、退院してからどうのだの、そんなことを選評に書いたらさすがに浮いてしまうはずです。
だけど、吉川さんの選評はそこまで違和感なく自然にさらっと読み流せてしまいます。牧歌的な直木賞が、当時はまだ健在だったというかもしれません。


※上記のオビは直木賞候補発表時に売っていた第2刷のものなので、いちおう初版オビがどんなだったかも出しておきます。








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