「旅行中なので自分の寸感のみここに洩らしておく。」…吉川英治、第17回直木賞の選評より
無駄に歴史の長い直木賞は、日中戦争や太平洋戦争という、国家あげての一大事のときにも、話題になっているのかどうなのか、よくわからない状況のなかで選考を続けていた時代があります。
時でいうと昭和10年代です。そのころ直木賞には、ひとつの風物詩がありました。何でしょうか。
……何でしょうかと、クイズの出題者よろしくエバり腐っている場合じゃありませんね。すいません。
直木賞の風物詩。それは選考委員の欠席です。
何だかんだと理由をつけては選考会に出て来ない。直木賞といえば、選考会が盛り上がらない文学賞の代表格、とまで言われるほどに(言われたのか?)出席する委員が少ないことで、ある時期までは知られていました。
まじか。またこの人、選考会に来なかったのか。と、その動向を見るのも、選評(選考経緯)を見る楽しみの一つですけど、今週は直木賞の「欠席王」の名をほしいままにした有名人、吉川英治さんの選評で行きたいと思います。
吉川さんはいろいろ知られるとおり、まじめな人だったらしいです。なので別にサボってパチンコ行ったりしていたわけではありません。
昭和10年/1935年、ちょうど直木賞の選考委員を始めたその年から『朝日新聞』に「宮本武蔵」を連載して大当たりをとったのも束の間に、昭和14年/1939年からは「新書太閤記」やら「三国志」やらの新聞連載もスタートさせ、そのほか、読み物誌、婦人誌などに数多く作品を執筆。忙しいったらこの上ない大人気作家でした。文学賞の選考に割ける時間なんて、そうそうなかったと言っていいでしょう。
そして第17回(昭和18年/1943年・上半期)がやってきます。世間は戦争、戦争、そればっかりの期間です。
直木賞の選考委員は、この回からばっさり変わりました。何といっても菊池寛さんが委員を引き、佐佐木茂索さんまでいなくなってしまいます。留任したのはたったの2人、大佛次郎さんと吉川英治さんだけです。どうしてこの二人が残ったのか。事情はまったくわかりません。
大佛さんもいろいろ忙しい。吉川さんとなれば、もっとです。大衆文壇きっての流行作家となれば、作品執筆のあいまを縫って、国の仕事やら軍の関係の会合やらと、ひっぱりダコで声がかかります。まじめな吉川さんは、そういうところに行けば行ったで、日本人の精神だの、この困難な時局を団結して乗り切ろうだの、軍部にとって耳ざわりのいいことばかり言うので、よけいに重宝がられます。
第17回の直木賞決定委員会は、昭和18年/1943年8月2日、銀座藍水で開催されましたが、やっぱり吉川さんは来られませんでした。旅行中だったそうです。レジャーや遊びではなく、取材か公職関係での旅行だったのでないかと思いますが、くわしい方がいたら誰か教えてください。
ということで、吉川さんの選評にこんな言葉が書かれます。
「(引用者注:辻勝三郎の)「雪よりも白く」は懸命に書いてゐることがわかる。作家の純情も素直にうなづける。然し問題はやはり皇軍の一班を書いてゐるので、この人の眞情としてはゆるし得るものとしても皇軍の兵をつらぬいてよいものかどうかといふ點に問題がありはしまいかと思ふ。この問題は自分が委員會に出られるものなら大いに他の委員諸兄の高説もうかゞつてみたいと思つてゐたが旅行中なので自分の寸感のみこゝに洩らしておく。」(『文藝春秋』昭和18年/1944年9月号「直木賞銓衡感想」より)
旅行中なのでうんぬん……。候補者や候補作とはとくべつ関係はありません。
けっきょくこの回、吉川さんは山本周五郎さんの「日本名婦伝」を推奨し、「今度のうちではこの二作(引用者注:「日本名婦伝」と大林清「華僑伝」)のほかに私には推薦作を見出し得ない」とまで言って文書回答したんですが、知られるとおり山本さんはそんな手出しをはねのけます。木村久邇典さんが伝えるところでは、
「「おれが、吉川英治や久米正雄や、川口松太郎から賞をさずけられてたまりますか。(引用者後略)」」(昭和43年/1968年5月・講談社刊、木村久邇典・著『人間山本周五郎 その小説的生涯』より)
と、山本さんは言い切っていたとのことです。吉川さんもずいぶん嫌われたもんです。
もしもこの回、吉川さんが出席できていたとしたら。以前、旅行で委員会を欠席した菊池寛さんが、あとになってそのとき候補だった長谷川幸延さんの「冠婚葬祭」を大いに褒めて、これをもしおれが前回読んで出席してたら、長谷川君に賞を贈ったのに……などと後の祭りの感想をもらしたことがありました。吉川さんも他の委員と実際に顔を合わせて意見を交わしていたら、何らか選考が変わったかもしれません。
そしたら山本さんに拒否られることもなかったのにな、というのは、さすがに飛躍しすぎでしょうけど、ともかくほとんど出席できない吉川さんに委員を頼むしかなかった、というのは、よほど委員にふさわしい中堅・ベテランが欠乏していたんだな、とは思います。もっと山本さん自身、尊敬する人が推奨していたら、直木賞、そのまま受け取ったんだろうか。わかりません。
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