のぶ・ひろし…放送業界のデキるクリエイターとして働くうちに疲労がたまる。
別の名前をもつ直木賞関係者エピソード。ということで去年の5月ごろからやっていますが、だんだんネタに詰まってきました。
困ったときはどうするか。有名作家のハナシで逃げる。これしかありません。
いつもいつもこの人に頼ってばかりで、うちのブログも相変わらず芸がないなと思います。昭和7年/1932年9月生まれ、昭和41年/1966年に小説現代新人賞に投じた「さらば、モスクワ愚連隊」が受賞して文壇に登場したのが33歳のとき。すでにこのとき、近いうちに直木賞をとるだろうと囁かれたほどに、バツグンの新鮮さとスター性が現われていたと言われ、実際それから1年も経たないうちに第56回(昭和41年/1966年・下半期)直木賞を「蒼ざめた馬を見よ」で受賞すると、雑誌やらテレビやら、いろんなメディアで顔と名前が一気に売れて、出す本、出す本、ベストセラーに上がってしまったという、約半世紀もまえの伝説の直木賞受賞者です。いや、伝説というか、いまもご存命です。
で、この人も直木賞をとったあとには、いったい何をしてきた人なんだ、どんな人物なんだ、と直木賞お決まりの報道が山ほど出ました。そのすべてをなかなか追うことはできないんですけど、中に、作家になる前に別の名前でやってきた仕事のことが取り上げられたものを、いくつか見たことがあります。「別の名前」でも多少は知られる人だったようです。
その名前が〈のぶ・ひろし〉です。
昭和27年/1952年、早稲田大学露文科に入学したものの、昭和32年/1957年、学費をまったく払えなくなって除籍。大学には6年在籍した、といった記述もけっこうあるんですが、昭和27年/1952年から昭和32年/1957年までということは、どう数えても5年か5年余りなんじゃないか、と思います。ただ、そんな細かいことはどうでもいいです。
大学にいられなくなってその後は、『運輸広報』編集主任、業界紙編集長、広告代理店勤務、デザイン会社設立などなど、職を転々としながら20代後半を過ごします。そういう渡り鳥の職歴を経るうちに、嫁さんの姉婿という親戚関係にあった加藤磐郎さんが、三木鶏郎さん率いる「冗談工房」にいたもんですから、どうだい君も仲間になれよ、と誘われた結果、「冗談工房」の姉妹集団でもある「テレビ工房」という職人グループに参加。テレビやラジオの台本やコマーシャルソングを量産しました。そのときに使ったペンネームが〈のぶ・ひろし〉だったということです。
つくったCMソングは100とも200とも言われます。いちおう当時の記事によると、最も知られているのは「日石灯油でホッカホカ~」というものなんだそうですが、いま聞くと、ナンじゃそりゃ、と思わずひざの力が抜けてしまいます。まあCMソングはこのぐらいの軽さが身上なのかもしれません。
のちに当時のことを振り返った『デビューのころ』(平成7年/1995年10月・集英社刊)が発表されています。加藤さんから「ジングルのヴァースを書いてみませんか」と初めに誘われたときのことも回想されていますが、そのとき加藤さんとのあいだにこんな会話が交わされたそうです。
「じつのところ、当時の私自身はぜんぜん詩とか歌とかには縁のない人間だったのだ。
私がそのことを告げて躊躇していると、彼(引用者注:加藤磐郎)は笑いながら電話のむこうで言った。
「なにもそんなにむずかしく考えなくたっていいんです。商品名をならべて、あとはそれにワンとかニャンとかつけ加えればそれでOKなんですから。大丈夫ですよ」
「わかりました。じゃあ、やりましょう」
と、いうわけで、さっそく私は加藤さんと会って話を聞いた。ワンとかニャンとかいうのは私を安心させるための冗談だったらしい。やはり仕事ともなれば、そう簡単にいくわけはないのである。」(五木寛之・著『デビューのころ』「われは歌へど」より)
……商品名をならべて、あとはワンとかニャンとかつければCMソングはできる。冗談だったと回想されているとはいえ、案外、加藤さんも芯を食った表現だったように思います。そのくらいの肩の力の抜け方が、面白いといって評価される世界もあるでしょう。
CMソング作詞者としてのペンネームが、全部ひらがなで〈のぶ・ひろし〉というのも、肩が抜けていてイイじゃないですか。って、ご本人がほんとうにそんな意図があって付けたかどうかはわかりませんけど。
そういう軽さや楽しさが大きな文化を生んでいく放送業界に、20代から30代前半に身をおいて、〈のぶ〉さんはだんだんとからだに不調を覚えるようになり、ここからはいったん身をひかないとマズそうだ、と命の危険を感じます。そのまま、アッパラパー、と楽しくやっていける心根の人だったら、おそらく放送業界で活躍して、いっぱしの重鎮になったことだろうと想像しますが、トリロー工房が解散したのを機にドロップ・アウト。〈のぶ・ひろし〉の名前も捨てることになりました。
直木賞にとっては、もちろん、そのおかげで歴史上の文壇スターを直木賞から生み出せたので、それはそれでよかったです。本人にとって、どちらの人生がよかったか。作家として大成功したので、普通に見ればイイに決まっていますが、人サマの人生をイイだの悪いだの判定しても仕方ありません。〈のぶ・ひろし〉という名前が続けて使われることなく消滅した、と言うにとどめておきたいと思います。
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