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2025年3月 9日 (日)

田村章…直木賞をとる前から業界で名の知られていた売れっ子フリーライター。

 直木賞界きっての「別の名前」の使い手といえば、先週取り上げた阿佐田哲也さんは外せませんが、いやいや、〈田村章〉さんも相当なもんだと思います。

 直木賞の候補になる前から出版業界のなかで堅実な仕事を残していた。ということもさることながら、とにかく自身が〈田村章〉としてのライター業に誇りをもち、並行して本名で小説を書いたら文芸方面で評価されて直木賞もとっちゃったんですけど、それでもなお、自分はライターでもあるんだ、たくさん書いて稼ぎもあるんだ、とそちらの側面をずっと大事にしてきました。「直木賞をとったからエラい作家、小説以外の仕事はみんな雑業」といったような認識とは、大きくかけ離れたところで活躍している人です。

 〈田村章〉という名前だけじゃなく、他にも〈岡田幸四郎〉とか〈恩田礼〉とかの筆名もあります。無署名で書いたものを含めると、もはやこの人の仕事の全貌は、だれにも追えないんじゃないかとも思います。

 ただ、何といっても〈田村〉さんが直木賞を受賞したときに、『週刊SPA!』の誌上でライター田村章が、時の直木賞受賞者(=要は本人)にインタビューする、という微妙に凝った記事を発表したぐらいです。やはりこの人の場合、別の名前での活動も直木賞と無縁とは言えないでしょう。

 〈田村〉さんが早稲田大学を卒業したのは昭和60年/1985年です。すぐさま角川書店に入社して『野性時代』編集部に加わりますが、ほんの1年足らずで退職を決意し、その後は少しの期間、塾の講師を経て、名もなきフリーライターに。雑誌の記者として、アンカーとして、あるいはドラマのノベライズライターとして、ゴーストライターとして、数々の仕事をぶんぶんとこなします。

 無署名のものも多かったそうですが、署名付きで仕事をするにしても、いろんな名前を考えるのが大好きで、本名とは別の人格になりきって文章を書きつづけました。そのうち、最初に思いついたのが〈田村章〉や〈岡田幸四郎〉だったらしいんですが、ご本人によると、この二つは実在の人物の名前です。

 二人とも、自分が生まれるより前にすでに死んでいた自分の祖父たち。〈田村〉は母方の、〈岡田〉は父方の、おじいさんの名前なのだ、ということです。

 しかも、どうやら実際にいた〈田村章〉さんや〈岡田幸四郎〉さんも、本をよく読み、自分でものを書くのが好きな人たちだった、と伝えられています。両者、とくべつ何か文筆家として名を残したわけではありませんけど、それがどういう流れか、めぐりめぐって孫のひとりが名乗りはじめたことで、こうやって知られることになりました。……ううむ、しみじみ、エモいです。

 他のペンネームはほとんど使い捨てのように、その場その場で付けたものが多いのに、会ったことはないけど自分のからだと確実につながっているこの二つの筆名は、捨てるに捨てらずに使いつづけたと。ここら辺がもう、家族というものをたびたび小説のなかで描いているこの作家らしいところです。

 といったことは直木賞とはほとんど関係はありません。無理やり直木賞に引きつけて見てみると、やはり彼が受賞したときの発表号『オール讀物』平成13年/2001年3月号のハナシを挙げなければいけません。

 巻頭のグラビアでは「もうひとつの顔は、売れっ子フリーライター。」といった一文で紹介され、編集部によるインタビューでは「いくつものペンネームをもつライターとして、業界ではつとに有名ですが、」といわれて質問を受ける。ライター、ライター、ライター。直木賞の受賞者でここまでフリーライターであることを前面に打ち出し、打ち出されたのは、かなり珍しいことでした。

 この号には自身が書いた受賞記念エッセイも載っていますが、当然、フリーライターについて筆を費やしています。

「フリーライターとして、商売のための文章をうんざりするほど書いてきた。小説を発表するようになってからも「ぼくはフリーライターです」と広言しつづけた。

ひねくれた衒いは、ある。駄々っ子じみた気負いも、ないとは言わない。

だが、その言葉には、「文学」と「作家」に対する自分なりの畏怖をいつも込めているつもりだ。」

(『オール讀物』平成13年/2001年3月号「「早稲田文学のこと」より)

 フリーライターと文学の作家に横たわる、何か得体の知れない溝。ライターを名乗りつづける身として、そのことには常に敏感に意識してきた、ということなんだと思います。

 〈田村〉さんが〈田村章〉名義で参加した『だからこそライターになって欲しい人のためのブックガイド』(平成7年/1995年2月・太田出版、中森明夫・山崎浩一との共著)という本があります。まだ〈田村〉さんが本名で小説を書きはじめた頃の言葉ですが、こういう経験の積み重ねのなかで山周賞や直木賞の受賞者となっていく、という基礎の基礎がここにあるかと思うので、一部引用しておきます。

「僕は“田村章”とは別のペンネームで小説も書いているんですが、それを知っている某誌――そこではまた違うペンネームを使っています――の編集者から「ウチの仕事はやっぱり作家としての経歴に傷がつきますか?」と冗談交じりではありますが言われました。こっちにはまったくそういうつもりはないんですよ。でも、ヒエラルキーを勝手に作り上げてる人っていうのは確かにいるんですよね。」

(中森明夫との対談「第1章 心構え編 「ライターであり続けることは、運動だ」」より)

 文学も文学賞も、けっきょくのところ、人間たちが勝手に決めつけて成り立っている虚像だ、とは〈田村〉さんは言っていませんが、〈田村〉さんがフリーライターになってからこれまで約40年、ライターと作家のあいだには、書き手がどう思って書くかという意識以上に外から注がれる視線がずっとあったのだろうとは想像できます。直木賞がそういう視線をさらに強固にしたことは想像に難くありませんけど、そのなかで両方の軸を崩さずに書き続ける。〈田村〉さんの闘いの日々を思うだけで、心が震えます。

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