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2025年3月 2日 (日)

阿佐田哲也…私は〈阿佐田哲也〉に票を入れたんだ、と語る直木賞選考委員がひとり。

 直木賞の歴史のなかで最も有名な「別の名前」は何か。

 ……というような設問は、どう考えても何の意味もありません。だけど、うちのブログはたいがいが無意味の羅列です。そう考えれば、もってこいのテーマと言えないことはありません。

 最も有名なのが何なのか。有名無名を定数的にとらえるのは難しく、人によって感覚はそれぞれでしょう。ただ、そのなかでも〈阿佐田哲也〉さんの名前は相当上位にランクインするかと思います。もしかしたら第1位かもしれません。

 そんな有名な「別の名前」を、いまさら取り上げてどうするんだ。という感じですけど、やっぱり1年間、直木賞に現われた(ような現われてないような)別の名前のハナシを書いているなかで、絶対に素通りはできないだろうと思うので、今週さらっと触れておくことにしました。

 一度、本名で純文学の新人賞を受賞したものの、作品が続かずアングラへ。〈井上志摩夫〉の名前で読み物雑誌にアチャラカな小説を書き飛ばし、しかし雑誌の編集者だった頃から彼のことを面白がって付き合いつづけた文壇作家は数知れず。そのうち、麻雀小説というまったくマジメな文壇からは相手にされないようなジャンルでパッと花開いたという、その展開からしてグッと来ます。

 それと何と言っても〈阿佐田哲也〉という人を食ったようなペンネームそのものが、グッと来る密度を二倍にも三倍にも増やしています。かしこまった(ふうに外からは見える)直木賞の世界なんか、まず相容れないような領域です。

 このペンネームについては、〈阿佐田〉さんの麻雀小説をはじめに書かせた敏腕編集者、双葉社の柳橋史さんの回想が残っています。

「「阿佐田哲也」と色川さんが書いたのは、本当に徹夜明けの朝帰りの日だった。荻窪の藤原審爾さん宅から戻ってきたばかりで、阿佐ヶ谷からの連想もあったのかもしれない。昭和四十三年九月初旬、矢来町の古い机の上である。はじめて麻雀小説を書くにあたって、題名こそ「実録雀豪列伝」と決まり、週刊大衆十月三日号の表紙に印刷手配をしていたが、筆名だけがどうしても決まらず、この日が締切りぎりぎりの朝であった。」(平成4年/1992年1月・福武書店刊『色川武大 阿佐田哲也全集・7』付録月報3 柳橋史「麻雀小説誕生の頃」より)

 新しい筆名にはけっこう難航したものか、いや、そもそも筆が遅い作家だった、といろんなところで言われている人でもあるので、最後の最後に決めるところまでが、いつも遅いだけだったかもしれません。しかし、思いつきのように付けた、本人が回想するところによるとこの一回こっきりで終わると思っていた〈阿佐田哲也〉名義の小説は、またたくうちに大評判となって、本名よりそちらのほうが有名になってしまう、という状況を生み出します。

 柳橋さんの上記の回想文によれば、当時、おれは本名名義のものは認めるが阿佐田のものは認めない、と傲然と公言していた文学関係者がいたそうです。文学っつうのは、ときどきこういう頭の固い、視野の狭い人が跋扈していて、回想を読んでいるだけでもうんざりしますが、世の中いろんな人がいるんだな、と思って、なるべく近づくのを控えたい気分です。

 しかし、本来そのまま行っていれば、麻雀小説を広く何十万人(?)の読者にまで普及させた〈阿佐田〉さんは、そういった分野で生きていく道もあったところ、本名名義での小説も久しぶりに手がけることになって、『怪しい来客簿』(昭和52年/1977年4月・話の特集刊)として刊行。すると、これがあっとびっくり第77回(昭和52年/1977年・上半期)直木賞の候補に選ばれます。

 こんなもの小説じゃなくて随筆じゃないか、とか何とか、頭の固い、視野の狭い選考委員のなにがしは授賞に反対したそうです。まったく世の中いろんな人がいるもんですね。直木賞はとれませんでしたけど、そのあとすぐに第5回泉鏡花文学賞を受賞して、華麗に文芸方面の表舞台にカムバックしました。

 いや、麻雀小説は表舞台じゃないのかよ、と憤慨する人がいたとかいなかったとか。ともかく〈阿佐田〉さんが麻雀を題材に読み物小説で大人気となったことは、それはそれとして、文学賞の世界はまた別のものだ、という印象を抱く人がいたのはたしかです。

 といったところで、あまり日をおかずに第79回(昭和53年/1978年・上半期)には直木賞に選ばれることになるんですけど、ここで五木寛之さんによる伝説的な選評が書かれます。ちなみに五木さんはこの回が選考委員になって初めての選考会でした。並みいる高齢委員たちに囲まれて、かなり肩に力を入れて選考に臨んだことは想像に難くありません。

「この賞の選考委員の末席に連なることをお引き受けした時、私は二つの考えを述べた。一つは、直木賞作品は、芥川賞の作品とくっきりと異った質のものでありたいという考え方である。もう一つは、新人の処女作品であれベテランの力作であれ、いずれにせよその作家に真のプロフェッショナルの資質があるかどうかという点を見たいという考えである。

このプロの資質というのは、秘められた才能と傾向のことで、本人の意識とは関係がない。したがって、芥川賞と直木賞の中間をふらふらしているような小説を私はとらぬつもりでいる。

(引用者中略)

結果は、色川、津本(引用者注:津本陽)両氏の受賞となったが、私は阿佐田哲也、仮の名を色川武大と考えて一票を投じた。」(『オール讀物』昭和53年/1978年10月号より)

 候補者の、別の作家名義をこういったかたちで堂々と、しかもどちらかといえば別名のほうに比重をおいて票を入れた、というケースは、まずなかなかお目にかかりません。

 二つの名前(〈井上志摩夫〉を入れると三つの名前)でそれぞれけっこうな数の作品を残した人でも、作品系統をどうのこうの言うのではなく、プロの資質という点で票を入れる五木さんのような投票行動は、作品本位より作家本位と言われる直木賞の、代表的な選考姿勢だったかと思います。

 〈阿佐田〉さんも、麻雀小説を書いている頃は、直木賞なんてまったく念頭になかったことでしょう。しかし、それもまた評価対象に組み入れてしまうのが直木賞の暴食性。まあ、何でもアリっちゃアリの文学賞です。

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