第172回(令和6年/2024年下半期)の候補作のなかで最も地域に密着した小説はどれか。
直木賞の選考会は1年に2回ひらかれます。暑い夏の7月と、寒くて凍えそうな冬まっただなかの1月です。
思い返せば半年前の夏の選考では、とくにどの地方のおハナシといった地域性を感じさせない短篇を多く収録した『ツミデミック』が受賞しました。
その前の冬の選考では、北海道東部の白糠付近と、京都を舞台にした『ともぐい』『八月の御所グラウンド』が受賞に選ばれ、さらに一回さかのぼった夏の選考は、京都や鎌倉その他、描かれる地域のばらけた『極楽征夷大将軍』と、物語は江戸で展開するものの、そもそも主人公がどこの地域の人なのかボンヤリしている『木挽町のあだ討ち』が受賞しました。
その前は冬の選考で、満洲の『地図と拳』と石見地方の『しろがねの葉』、とどちらも地域性ぬきでは語れない小説が選ばれましたが、それより一回前の夏の選考では、どこのハナシと指し示すことの難しい短編集『夜に星を放つ』がとっています。
……と、どんどん時代を巻き戻しながら直木賞のことを考えるのは楽しんですけど、そればっかりやっていると夜が明けちまいそうです。ともかく最近の冬の選考では、特定の地域が前面に押し出された作品が、より多く受賞している、ということが言いたかったわけです。
で、今回の第172回(令和6年/2024年・下半期)は今週の水曜日、1月15日に選考会がひらかれます。いわずもがな真冬の回です。
候補作には5つが選ばれています。どれがとるかは、いまの段階ではまったくわかりませんが、5つの作品に共通していることといえば何でしょうか。どれも、それぞれ豊かな地域性をもった小説だ、ということです。
ネットで直木賞の動向を見てみても、小樽出身の人が小樽を舞台にして候補になった!とか、今回は徳島を舞台にした歴史小説が候補になった!とか、京都の闇社会をあますところなく描き切った小説が候補になった!とか、そんなハナシがたくさん目につきますよね。おそらくみなさん、冬の直木賞は地方色が強ければ強いほど受賞しやすいんだ、ということが共通認識としてあるんだと思います。
となると、やはり気になるのは、5つの候補作のなかでどれが一番、地域に密着しているのか、ということです。
そんなもん、目に見えて比べられるもんじゃないだろ。とは思うんですけど、そんな正論に従っていては面白くありません。せっかくなので、うちのブログでは無理やりな手法をとることで、小説の地域密着度を計ってみることにしました。
『よむよむかたる』は「小樽」、『藍を継ぐ海』は「見島」「東吉野」「長与」「野知内」「姫ケ浦」、『飽くなき地景』は「東京」、『秘色の契り』は「徳島」、『虚の伽藍』は「京都」。……それぞれ作品で何回、この地名が登場するか、その回数を数えてみます。
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月村了衛さんの『虚の伽藍』が長篇小説のなかに249回も「京都」という文字を出現させて、見事トップに輝きました。おめでとうございます。
京都がつく地名には府もあれば市もありますし、京都駅、京都弁など、なじみのある単語も数々あります。歴史的に長く日本の中心だった伝統の厚みもあいまって、納得の1位といったところでしょう。
2番目につけた伊与原新さんの『藍を継ぐ海』は、今回の候補作中ただひとつの短編集です。収録された5つの短編それぞれが、その土地でなければ話が成り立たない、というぐらいに地域に密着していて、「夢化けの島」の「見島」(78回)、「狼犬ダイアリー」の「東吉野」(13回)、「祈りの破片」の「長与」(16回)、「星隕つ駅逓」の「野知内」(33回)、「藍を継ぐ海」の「姫ケ浦」(47回)、全部合わせて187回となりました。
しかも5つの作品がすべて、それぞれの土地にピンポイントに焦点を合わせていて、好感をいだかせる点でもバツグンです。直木賞に極めて近い、と評価する人がいるのもよくわかります。
3番目、木下昌輝さんの『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顚末譚』では、対象の地名を「徳島」にするか「阿波」にするか悩みましたが、藩の名前を優先することにして「徳島」で数えました。出現回数は169回。ちなみに「阿波」の回数を数えてみるとそちらは168回と、ほぼ同数という結果です。
ただ、まあタイトルの副題に「阿波」と地名が入っていることからも、この作品が対象の地方に相当みっちりくっついているのはたしかです。「徳島」と「阿波」でちょっと分散しちゃいましたが、その内容は実質1位だった、と言えないこともありません。
4番目になると、がくっと回数が減ります。荻堂顕さんの『飽くなき地景』は、「東京」という地域の街並みについて、歴史的な変遷が物語の骨組みを支えている小説ですが、「東京」という単語が出てくるのは87回でした。
なかには「東京大学」とか「東京国立博物館」とか、そういった単語も出てきて、出現回数を押し上げていますが、いくら東京のことを書いた小説だからといって、いちいち東京、東京と書くのも不自然です。ことさら言うまでもない地名だったがために、無念、4番に甘んじた、と見るのが適切かと思います。
そして、5作品中、最少回数となったのが朝倉かすみさんの『よむよむかたる』でした。意外や意外、作中に「小樽」の二文字が出てくるのは18回しかありません。
だけど、この本の宣伝展開から見ると、あるいはあらすじを読むと、まず目に入る地名が「小樽」です。どこの街でこんな読書会が行われていても不自然じゃないとは思うんですが、しかし『よむよむかたる』で、読者の印象に残る土地は小樽です。最少の回数で、そのように読者に思わせるところが、書き手に熟練の技が備わっているあかしです。
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相変わらず「だから何なんだ」というハナシをだらだら書いていますが、こんなふうに直木賞の選考会まで待つのが、個人的に楽しいんだから仕方ありません。
直木賞は、東京に会社がある文藝春秋が、東京の料亭で選考会を運営し、受賞者の記者会見も翌月おこなわれる授賞式もみんな東京でやってしまう、という狭い世界のイベントです。だけど、候補者や候補作それぞれに地域性があるおかげで、全国各地で盛り上がることができる、というすばらしい特徴があります。
1月は外にもあまり出たくないような寒い季節ですが、作品が舞台にしている地域に思いを馳せながら選考会の結果発表を聞く。これを至極の幸福と言わずして何と言う、という感じです。
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