林髞…親切な友人からの熱心な勧めがなければ、直木賞をとる未来もなかったはずの人。
本名では大ベストセラー作家。筆名では直木賞を受賞。しかしその実態は、単なるゴリゴリの権威主義者……でおなじみの林髞(はやし・たかし)さんです。
以前、氷川瓏さんのエントリーにも登場しました。権威が好きな人は、おのれをたのむプライドと、他人に対する嫉妬心が異常に盛んに燃えたぎっている……というのがお約束の世界です。林さんが実際にそういう人だったのか、これはまわりの人たちの証言を一つひとつ集めていかないと何とも言えませんけど、直木賞の歴史のなかでは、探偵文壇から初めて受賞したのがこの人だったのが大失敗、謎解きミステリーが直木賞を長いあいだとれなかったのは、そもそもさかのぼればコイツのせいだ、と一部のあいだではとにかく嫌われ、恨まれていた選考委員として知られています。
と、それはともかく、林さんは、生涯すべての人から嫌われていたわけではありません(そりゃそうだ)。林さんを尊敬する人、愛する人、助けてあげたいと思う人もけっこういて、(たぶん)そのおかげで専門の大脳生理学の分野だけでなく、小説家としても登場できたことと思います。そして、その登場には、「別の名前」=ペンネームが関わっています。
ミステリーの世界のことなので、これもまた先達たちや、熱心な人たちが根掘り葉掘り調べ尽くしてくれていることです。それらのハナシを今回もお借りして先を進めます。
新進の医学研究者として、慶應義塾大学の助教授としてソ連に留学した林さんは、師匠パブロフさんの研究をみっちり吸収して、36歳で帰国します。論文だけにとどまらず科学雑誌にも原稿を寄稿し、そんななかで科学知識普及会の『科学知識』でも物を書き出しますが、編集部にいた長島禮さんが紹介してくれて、逓信省電気試験所の工学技師、佐野昌一さんと知り合います。
林さんと佐野さん、いったいどんなところで意気投合したのでしょう。お互いに文学、あるいは読み物をたくさん読んで育っていたおかげで、二人の息が合ったのかもしれません。昭和9年/1934年半ばのこと、林君、きみなら探偵小説が書けるんじゃないか、と佐野さんにすすめられて、いい気分になった林さんは、よし、いっちょ書いてみるかと短篇を書き上げ、『新青年』に提出したところ、おお、これは新しい探偵小説だ! と水谷準さんも感銘を受け、同誌に掲載される運びになります。
しかし本名のままで小説を発表するのは、どうにも気が進まなかったらしく、自分で考えればいいものを、大切なその名前も、佐野さんに付けてもらいました。「林」と「髞」の漢字を構成している一部分を分けて、佐野さんが付けてくれた、ということなんですが、当時はまだ直木三十五さんが流行作家として活躍していた頃なので、本名「植村」の「植」を分けて直木としたその発想を、佐野さんも多少は参考にしたかもしれません。
佐野さん、というよりも、作家としては林さんの先輩です。すでに〈海野十三〉という立派な(?)筆名で活躍していた方ですが、なにしろ自分に小説を書かせてくれた大恩人にして、大友人。林さんは後年まで、佐野=海野さんへの感謝と愛惜は忘れなかった、と言われています。
あとあと直木賞を受賞することになる『人生の阿呆』の、長い序文にも、律儀にそのハナシが書き留めてられているくらいです。
「昭和九年の秋、初めて、一篇の探偵小説を書いた。彼(引用者注:著者自身のこと)が書いたのではない。友人、海野十三が、寧ろ執拗にすゝめて、彼をして書かしめたと言つた方が、当つてゐるかも知れぬ。それが、「新青年」に紹介せられた、彼の処女作「網膜脈視症」であつた。
ついで翌年、連続して、五つの短篇を書いた。この間に、友人、海野十三、水谷準の二人が、作者に与えて呉れた激励については、作者は常に感銘の心を持つ。」(昭和11年/1936年7月・版画荘刊『人生の阿呆』「自序」より)
後年、自分は推理文壇の中枢を担っているんだと威張りくさっていた林さんにも、きちんと心を許した友人がいたんだな……と、そんなところに感心している場合じゃありません。
いやまあ、林さんの人格はさておき、医学研究と創作、二つの道をずっと長くつづけ、創作のときに使ったペンネームのみならず、それ以外のときに名乗った本名のほうも、広く知られつづけたのですから、そのエネルギッシュさにはかないません。二つの名前がそれぞれ相拮抗しながら使われつづけたというのは、直木賞広しといえども、それほど例が多いわけじゃなく、その意味でも林さんは、稀有な存在感を放っています。
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