江夏美子…直木賞の候補になったあとに、心機一転、名前を変えたらまたも直木賞の候補に。
先週取り上げたのは、一つの名前を二人の作家が使った、という珍しい例でしたが、今週はもう少し一般的です。一人の作家が二つ(以上)の名前で小説を発表した、というおハナシです。
そんなものは、別に珍しいことじゃありません。ただ、直木賞という狭い舞台に限っていうと、一人のひとが違う名前で複数回、候補に挙がったというのは、そんなに当たり前でもありません。あまりない、と言ってもいいと思います。
第50回(昭和38年/1963年・下半期)候補になった『脱走記』と、第52回(昭和39年/1964年・下半期)候補の「流離の記」。それぞれの作者は、最後の一文字が違うだけの似通った名前の持ち主ですけど、正真正銘、同一人物です。本名は中野美与志さんと言います。女性です。
うちのブログもだらだら長くやっているので、中野さんについては、すでに以前に触れたことがあります。中野さんが主宰する同人雑誌『東海文学』にスポットを見ててみたときです。
果たして中野美与志とは何者か。ワタクシだってそこまで詳しく知っているわけじゃないんですけど、ざっと履歴をおさらいしてみますと、中野さんが初めに創作をスタートさせたのは、戯曲やドラマの分野だったと言われています。
昭和18年/1943年、大阪商工会議所主催の戯曲募集に投じた「母ぐるま」が入選、というのが最も古い受賞歴です。当時、旧姓・吉山美与志さんは大阪で中野茂さんと結婚し、その地で暮らしていたので、大阪商工会議所の企画に名を止めたものだと思われます。20歳のころです。
以来、ペンネームは〈江夏美子〉と決めて、戦後NHKラジオ脚本でも入選を果たします。やがて視線は小説のほうに向いていき、次々生まれる子供を育てながら、家事のかたわら原稿用紙に張りつきますが、そこでも名前は〈江夏美子〉を使いつづけ、『文芸首都』に投稿したり、新潮文学賞や『文學界』の懸賞に応募したりするうちに、次第にその名が知られるようになります。
当時、女性の作家は、まったくいなかったわけではありません。だけど男性と比べて比率は少なく、中野さんの作品が高く評判を呼んでいるのを見て、こんなことを言う人がいたそうです。
女の作家は希少価値があるからね、だから優遇されているだけだろ、とか何だとか。
〈美子〉という名前がいかにも女性っぽい。……というわけでもなかったでしょうが、いつの時代も口さがない輩というのはいるものです。女性だから得している、などとまわりから雑音が聞こえて、中野さんもそりゃあムッとしただろうと思います。
ワタクシは、中野さんとじかに接したこともなく、勝手に想像することしかできませんが、その後めげずに小説を書きつづけ、それだけじゃ飽き足らずに自ら同人雑誌まで主宰して、ぐいぐい、ずんずんと歩みつづけたぐらいの人です。しおらしさや、かよわさとは縁のない骨の太い人柄だったことでしょう。
じっさいに中野さんと何度も語り合ったことのある岩倉政治さんは、彼女についてこんなふうに回想しました。
「時として自信過剰を思わせる無邪気さで、ひとをめんくらわせることもあったし、作家として思想の重要性を口にしていた彼女自身、もっと歴史観、社会観について自分に課していたものもあったに違いない。もし彼女がさらに生きのびて、それらの課題を深めた暁には、例えば宮本百合子や野上弥生子らと肩を並べるような大成を果たしたかもしれぬとぼくは思うのである。
(引用者中略)
彼女はやはり彼女らしい負けん気を、みずからのいのちを断つ仕方で、つらぬいた。つまりガンが持ち込もうとしていた死についての主導権を自分が取りガンに死刑を与えたのだ。」(『民主文学』昭和58年/1983年1月号、岩倉政治「江夏美好さんを悼む」より)
「自信過剰を思わせる無邪気さ」という表現が印象的です。うん、そんな人、世のなかにはけっこういるもんなあ。
それで筆名のことなんですけど、おそらく中野さんほどの思慮深い人ですから、その付け方にはきっと重い理由があったものと思います。
そもそもなぜ〈江夏美子〉という名前を付けたのか。長く使いつづけたその名前を、『東海文学』での「脱走記」の連載が終わって単行本化されたのを機に、いったん脱ぎ捨て、昭和38年/1963年に改名しますが、そのとき付けた〈古賀由子〉という名の由来は何なのか。
よしこ、という読みに何か思い入れでもあるのかと思いきや、〈古賀由子〉の名前はあっさり撤回し、ふたたび〈江夏〉の姓に戻して、再々度、別の筆名を名乗りはじめます。名前をあれだこれだと変えたこの時期に、二度も直木賞の候補になったのですから、直木賞ファンとしても、知らない顔はできません。
ううむ、これら命名の変遷には、中野さんのどんな心境が反映されていたんでしょうか。くわしい人の解説を待ちたいと思います(と、けっきょく人まかせ)。
| 固定リンク
« 山手樹一郎…一人の若手作家が使っていたペンネームが、別の人に受け継がれて直木賞候補になる。 | トップページ | 花村奨…いっとき使った小説家としてのペンネームは忘れられても、それを蹴散らすほどの仕事を成し遂げる。 »
「直木賞と別の名前」カテゴリの記事
- 清水正二郎…直木賞から声がかからず、エロ小説の帝王になったところで、改名という大勝負に打って出る。(2025.05.18)
- 野原野枝実…二度の改名を経て、最初にロマンス小説でデビューしたときのペンネームに、あえて戻してみせる。(2025.05.11)
- 堀江林之助…生まれ持っての小児麻痺。それでも単身上京してラジオドラマの世界で(地味に)名を残す。(2025.05.04)
- らもん…27歳の青年が、ふと自費でつくった作品集の、直木賞とのつながり。(2025.04.27)
- 幸田みや子…文章を書いてお金を稼ぐことを選んだ女性たちの、ささやかで希望に満ちた共同名義。(2025.04.20)
コメント