久慈康裕…医科大学の校友会誌を編集しながら、なぜかいっとき変名を使う。
今年の夏は暑かったですね。
いやいや、日本の夏は暑苦しくて当たり前、いまさら振り返って暑い暑いといって何の意味があるんでしょう。ともかく、あまりに東京で過ごすのに耐えきれず、8月の半ば、少し気温の低いところを求めて北海道に旅行に行ってきた……ということが言いたかったんです。
ただ、旅行ったって、何をするわけでもありません。だいたいワタクシの興味は直木賞に関することに限られていて、よその土地に行ってもまず直木賞を優先する変なクセがついています。
ということで、北海道と直木賞といったら、まず外すことのできない一人の作家を顕彰した文学館が、札幌市の中島公園わきにある、という情報を頼りに、ふらふらと立ち寄ってみました。
訪れたのは8月半ばの観光シーズンです。なのに、名を冠された作家の資料が展示されているフロアには、人っ子ひとりいません。女優だの何だのといっしょに写っているニタニタした男性作家の笑顔の写真がパネルになって掲げられていて、妙にものの哀れを感じさせていましたが、それはそれとして、彼が直木賞をとる前の、学生時代の資料がガラスケースのなかに飾られているのを見て、思わず身を乗り出してしまいました。
というのも、彼もまた、本名で小説を書いて有名になる前に、ペンネームを使って文章を書いていたことがある、と知ったからです。へえ、そうなんだ。
この作家もいちおう超有名人です。年譜の類いは数多くあり、自伝、評伝もたくさんあります。北海道から帰ってきて、そういったものを改めて見てみると、デビュー前の作品もすでにいろいろと掘り起こされています。中学生の頃から短歌などの文学に親しみ出し、高校、大学と進むあいだに医学の勉強とともに文学方面にも食指をのばして、はじめて小説を発表したのが昭和30年/1955年、22歳のとき。札幌医科大学に在籍中に、校友会雑誌『アルテリア』11号に寄せた「イタンキ浜で」という作品だったそうです。
昭和32年/1957年には、川辺為三さんや椎野哲さんなどが始めた同人雑誌『凍檣』に加わりますが、同誌はまもなく『くりま』と改称。ここに精力的に小説を発表することになるのですが、と同時に『アルテリア』のほうにも引き続き作品を書いています。そのうち、14号の「白い顔」と15号の「グラビクラ」は、なぜか本名ではなく、別のペンネームを使いました。〈久慈康裕〉という名前です。
のちに書かれた自伝的要素まんさいの小説『白夜』には、こんなふうに書かれています。
「本を読むのは好きで、高校時代は図書部に入って図書館の本を片っ端から読んだことがある。その前の中学時代には、国語のN先生にすすめられて、その先生が主宰している短歌同人誌に投稿したこともある。ときには俳誌を買ってきて自分で俳句をつくったこともある。
医学部の学生のときには校友会誌の編集をし、文芸色を出しすぎると批判され、仕方なく他の仲間と同人誌をつくって習作程度の小説を発表したこともあった。」(渡辺淳一・著『白夜 緑陰の章』より)
「N先生」は歌人の中山周三さん、短歌同人誌とは『原始林』のことで、校友会誌は『アルテリア』、仲間とつくった同人誌とは『凍檣』→『くりま』がモデルでしょう。
『アルテリア』の編集に携わったときに、あまりに文芸色を出しすぎると批判された、とあります。実際にそうだったのか。よくわかりませんが、そうであってもとくにおかしくありません。医科大学の校友会誌なのに、小説特集とか何とか、一般の文芸同人雑誌っぽい編集をしたそうですから、そういうものに難癖をつけたがる人がいたんでしょう。おそらく。
そういえば、後年にいたるまで、彼の特徴といえば、何だったか。あれこれと周囲に物議をかもすことでした。日本初の心臓移植を小説化したり、『日経』紙面でエロ小説まがいの小説を連載したり、あるいは直木賞の選考委員として放言をかましたり……。
人から難癖をつけられて生きていく彼の道ゆきは、『アルテリア』を編集していた時代から、もう始まっていたということです。本名を隠して〈久慈康裕〉なる名前に変えたところに、どんな理由があったのか。はっきりとはわかりませんけど、あまりに批判を浴びたことに影響を受けて、本名を使いづらくなったのかも。
もしそうだとしたら、後年、厚顔であることをウリにした(?)あの性格も、若いときには、多少まわりの目を気にする小心な感覚があったのだろうと思います。しかしまあ、けっきょく、人がどんな思いで別の名前を使うかは、周囲からはうかがい知れません。〈久慈〉さんがどうだったのかは、もう藪の中です。
| 固定リンク
« 花村奨…いっとき使った小説家としてのペンネームは忘れられても、それを蹴散らすほどの仕事を成し遂げる。 | トップページ | 北小路幻…直木賞をとったあとでも宮沢賢治について語ることを生涯の仕事と心得る。 »
「直木賞と別の名前」カテゴリの記事
- 南條道之介、有馬範夫…適当につけたペンネームかと思いきや、直木賞候補になったことで、それらを組み合わせた名前が固定化する。(2024.12.08)
- 岬洋子…夫の帰ってこない家で娘二人を育てながら、こらえ切れずに創作に立ち向かう。(2024.12.01)
- 今春聽…出家したあと法名も二転三転、しかし小説はもとの名前で書きつづける。(2024.11.24)
- 康伸吉…三浦哲郎のアドバイスで筆名を女性ウケしそうな名前に変える。(2024.11.17)
- オオガスチン…現役の直木賞選考委員、死の前日に自ら懇願して洗礼を受ける。(2024.11.10)
コメント