山手樹一郎…一人の若手作家が使っていたペンネームが、別の人に受け継がれて直木賞候補になる。
直木賞の歴史は無駄に長いので(と、いつもこんな書き出しですけど)、変なことがときどき起こります。候補者の名前についても例外じゃありません。
過去、直木賞の授賞がいったん決まりながら本人が辞退して授賞なしといった例は、第17回(昭和18年/1943年・上半期)の一回だけです。その辞退した作家は、戦中・戦後におよんで多くの読者を魅了し、直木賞そのものを追い抜いちゃうほどの知名度を獲得したので、彼の生涯や作品を対象にした研究や評論は、いまも絶え間なく生み出されつづけています。
そのなかの一つに、彼が使った筆名・ペンネームの研究という分野があります。
清水三十六さんという本名を持ちながら、直木賞の候補になって受賞辞退としたときの筆名はもちろんのこと、他にも数々の筆名を使っていて、いったいどれだけの名前があったのか、いまも全貌はわからないらしいです。竹添敦子さんや末國善己さんなどの熱心な研究のおかげで、〈甲野信三〉名義の作品が発掘されたのは、つい10数年前のことです。記憶に新しいかと思います。
有名になる前に、さまざまな筆名を使い分けるのは、清水さんだけの特徴とはいえませんが、たとえば戦前には〈俵屋宗八〉〈佐野喬〉、戦後になっても〈黒林騎士〉〈折箸蘭亭〉〈風々亭一迷〉〈覆面作家〉などなど、やたらと多くの名前で作品を発表しています。名前なんてどうだっていいじゃないか、作品がどれだけ読者の心に届くかが重要なのさ、と言わんばかりの乱発ぶりです。
それで、そういうペンネームのなかに〈山手樹一郎〉もあった、というのですから仰天です。直木賞の歴史を見ても、こんな事態をつくり上げたのは、おそらく彼だけでしょう。
この辺りの事情は、あまりにも有名なハナシすぎて、いまさらナゾるのも気が引けるんですが、しかし直木賞エピソードにもつながることですから、いちおうさらいしておきます。
清水さんがまだ駆け出し作家だったころ、親しかった編集者に井口長次さんがいました。小学新報社の雑誌『少女号』の編集をしていた頃に清水さんと知り合い、原稿を売り買いする間柄になりますが、井口さんが博文館の『少年少女 譚海』に移ってからもその関係は変わらず、井口編集長は清水さんの話づくりのうまさと面白さを買って、時代小説、探偵小説、冒険小説を次々と雑誌に掲載します。
井口さんはのちに回想しています。
「しまいには時代小説、冒険小説、探偵小説なんでもござれとよくこなして、おもしろいから変名で二つぐらいずつ載せるようになった。或る時なにかの都合で三つ載ることになり、もう一つペンネームが必要になった。たしか現代物だったと思うが、ぼくはそれに山手樹一郎という筆名をつけた。山手はぼくの母方の姓で、山本の山がおなじだから、山手線一郎としゃれようかと思ったが、それではあまりふざけすぎると考え、樹一郎にした。」(昭和30年/1955年5月・和同出版社刊、山手樹一郎・著『山手樹一郎短篇小説全集 第一巻 うぐいす侍』「後記 めくら蛇の記」より)
ふうむ、もしこのとき井口さんが悪ノリしちゃう性格の人だったら、ペンネームは山手線一郎になっていたかもしれません。
直木賞は麻布競馬場さんが候補になって、浅田次郎さんにペンネームのことでイジられるぐらいなので、「山手線一郎」が出てきても別に全然よかったんですけど、残念ながら井口さんの生真面目さがそれを阻みます。
しかし、けっきょく清水さんの数あるペンネームの一つとして付けられた〈山手樹一郎〉は、数奇な運命をたどることになりました。その後、井口さんが『サンデー毎日』大衆文芸に応募するときに、井口さん自身が使用。すると、その名前で小説家として立つようになったおかげで、第15回(昭和17年/1942年・上半期)「余香抄」が直木賞の最終予選一歩手前まで行ったあと、第19回(昭和19年/1944年・上半期)に「檻送記」で、直木賞の最終候補として議論の場に挙げられます。
一人の若手作家が、かつて使っていたペンネームが別の人に受け継がれ、当の若手作家も候補になる、受け継いだ人まで候補になる、というペンネームマジックが直木賞の歴史に刻まれたわけです。おお、アメージング。
……と、こんなことで興奮するのは、直木賞オタクだけですか。そうですよね。あまりにどうでもいいことすぎて、名前なんてどうだっていいだろ、と言う人の気持ちも、わからないではありません。
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