谷川早…別の名義で書いた作品と同じ回に、直木賞の選評にその名が登場する前代未聞の作家。
直木賞の歴史は無駄に長いです。
無駄に長いので、いまじゃ考えられないようなことが起こったりすることもありました。この賞の歴史をえんえんとたどる醍醐味は、そういうものに遭遇するところにあるのだ、と言っても過言じゃありません。
いまから84年前の第11回(昭和15年/1940年・上半期)、昔も昔で、当時の直木賞のことをリアルタイムで覚えている人は誰もいないでしょうけど、『文藝春秋』昭和15年/1940年9月号に載った選評(選考経緯)において、直木賞史上、驚天動地の事態が巻き起こりました。
同一人物の作品が、二つの別の作者名で議論の俎上に上がったことが、選評のなかで明らかにされていたからです。
……と、それを書いた宇野浩二さんは、別にそれぞれの作者が同じ人物だと指摘しているわけでもなく、勝手にワタクシが興奮しているだけなんですけど、このとき直木賞にはかる参考作品として主催の日本文学振興会がつくった資料に、谷川早「平賀源内捕物帳」(『講談倶楽部』)1・2・5、というものが挙がっていました。
どうして、1と2と5だけなのか。よくわからないナゾだらけの資料ですが、そもそも〈谷川早〉って何者だ、という感は否めません(否めるか)。書いているのは『講談倶楽部』のこのシリーズと、昭和15年/1940年4月に博文館から出た『顎十郎捕物帖』だけ。で、《顎十郎~》は『奇譚』という雑誌で、そもそも〈六戸部力〉なる作者が書き継いでいた連作なのに、どうして単行本のときに〈谷川早〉と名乗り直しているのか。ナゾもナゾです。
ただ、この作家はその後、戦後になって直木賞を受賞していますし、いや、賞なんかとは関係なく、その作品に惚れ込む人たちがいまに至るまで大勢います。どうして、これらの捕物帳だけ〈谷川早〉の名前を使ったのか、とっくのとうに調査・分析・解明されていることでしょう。いまさらうちのブログでだらだら取り上げるまでもありません。
でもまあ、うちは直木賞専門ブログです。直木賞のことなら書かずにはいられません。探偵小説から海外物、何のこっちゃのおハナシまでいろいろ書いた本名・阿部正雄さんが、どうして直木賞の場では(第11回の「葡萄蔓の束」を除いて)時代物ばっかりで候補になったのか。これも、無理やり言えばナゾめいていると言えなくもありません。
と思ったら、すでに阿部さんの直木賞候補と時代物について、川崎賢子さんが書いていました。……自分が考えるようなことは、だいたい誰かがすでに思いついているものです。阿部さんぐらいの作家になれば、研究の歴史も長く、なおさらです。
戦時中に作家になった阿部さんのことを、川崎さんは書いています。
「十蘭はひどい時代に小説家となった。(引用者中略)初めて久生十蘭の筆名を用いたのは「金狼」発表時、一九三六年で二・二六事件、戦線の拡大と文学者動員の圧力はやむことなかった。
(引用者中略)
ひどい時代には時代物に現代を託する、歌舞伎ジャンルの方法を十蘭も受け継いでいる。史実と創作、史料と偽書が縦横にないまぜにされている。贋金造りのように嘘を実録らしくみせるのが小説の醍醐味だというのが久生十蘭のポーズである。」(平成27年/2015年2月・河出書房新社/文芸の本棚『久生十蘭 評する言葉も失う最高の作家』所収、川崎賢子「十蘭つれづれ 偽書をかきわけながら」より)
おそらく川崎さんが論じたい部分とは全然違う方向での引用になって、すみません。
直木賞との関係を、ここからワタクシなりに解釈すると、つまりこういうことです。戦争が出版物や創作のうえで多くの縛りを設けさせた直木賞の戦前期。阿部さんも、その時代にまだしも存在を許された「時代物」という形式をとらざるを得ず、おのずと候補に挙がる作品も時代物ばかりになってしまった……と。
時代物に見せかけて、実はつくりにつくった虚構の世界、という阿部さんの本領は、戦前の直木賞ではいまいち評価されずに終わります。谷川早の名前で挙がった諸作も、だれがどんな意図で直木賞の参考作にしたのか、どれだけの選考委員がそれを読んでどんな感想をもったのか、もはやすべては霧の中です。
ところが戦後、昭和26年/1951年にもなって、またまた阿部さんの作品が直木賞に図られて、けっきょく直木賞のほうが、参りました、遅くなってすみません、もらってやってください、とこうべを垂れることになるんですけど、それがまた「鈴木主水」という時代物(に見せかけたナントヤラ)だったのが、直木賞の歴史にぐっと深みを与えています。戦前から戦後まで、阿部さんのやっていることは何も変わっていない、ということをあえて時代物を候補に挙げることで示してみせた上で、あのときは直木賞の側が理解できなかったんだと詫びる姿勢を公然と見せた(ように見える)からです。
ああ、あのときは間違っていた、とあとで気づいたら、正直にその非を認めるのは大切です。そのことをワタクシは第26回の直木賞から学びました。
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