(栄)…『朝日新聞』将棋の観戦記で名を馳せた人の、昔の直木賞候補作が、2024年に復活する。
直木賞が決まって一か月が経ちました。早く次の回が来ないかなあと毎日祈ってるんですが、こればっかりはいくら祈っても駄目みたいです。あと4~5か月、冴えない日々を送りながらそのときを待ちたいと思います。
そういえば、第171回(令和6年/2024年・上半期)が決まった7月半ば、直木賞に関連して、うわっ、まじか、と仰天するような出来事がありました。それは一穂ミチさんが受賞したことです……と続けたいところですが、今回取り上げるのはそのことじゃありまけん。
ワタクシが腰を抜かしちゃったのは、令和6年/2024年年7月に『将棋と文学セレクション』(将棋と文学研究会・監修、矢口貢大・編、秀明大学出版会刊)という本が発売されたからです。
直木賞とはあまり関係なさそうなアンソロジーではあるんですけど、いやいや、ここに小説「北風」が載っているという衝撃の事実!
21世紀のこの世のなかに同作が復活したのを目撃できて、もう思い残すことなんか何もありません。正直いますぐ死んでもいいぐらいです(というのは、さすがに言いすぎです)。
「北風」を書いたのは誰なのか。『朝日新聞』大阪本社で長く将棋を担当していた学芸記者です。後年『朝日』の観戦記では名前の一字をとって(栄)という署名を使いました。あるいは本名よりもそちらのほうが有名なのかもしれません。と、将棋の世界はよくわからないので、テキトーなことを言っときます。
(栄)さんは大正2年/1913年に生まれました。前半生は国家あげての戦争が、かなり色濃く影響を及ぼした時代です。そんななかでも(栄)さんは、子供の頃から文学をやっていきたい意欲が高かったおかげで、友人たちと同人雑誌をつくっては、ああだこうだと議論を交わし、お互い友情を深め合った……んだと思います。
文学史上(栄)さんが最も有名なのは、自身が直木賞候補になったことではなく、友人の織田作之助さんと旧制中学時代からズルズルとつるんで、20代半ばには織田さんの紹介で『海風』という同人雑誌に参加、自身も編集に携わって織田さんの「夫婦善哉」を載せたことでしょう。自分自身が書かずともこういう作品を世に出せたんですから、それだけで(栄)さんの人生、万々歳です。
しかし(栄)さんの人生はまだまだ続きます。昭和18年/1943年、30歳で『朝日新聞』大阪本社に入り、戦後になって系列の『大阪日日新聞』に出向。そこで升田幸三さんと大山康晴さんの世紀の一戦の現場に出くわし、にわかに将棋(および将棋を差す人間たち)に興味を掻き立てられると、将棋記者の道を敢然と歩み出します。
ただ、文学への思いを捨てたわけじゃなく、師と仰いだ藤沢桓夫さんたちといっしょに『文学雑誌』を発行します。そういう時期の昭和25年/1950年、直木賞もまだまだ戦後復興が軌道に乗らない混乱期に同人雑誌『日輪』に載せた小説でポロッと直木賞候補に挙げられたのが第23回(昭和25年/1950年・上半期)のことでした。当然のように受賞には遠く及ばず、(栄)さんと直木賞の縁はそれっきりで終わります。
その後(栄)さんは新聞社の社員として将棋の世界を渡り歩きます。『将棋と文学セレクション』で「北風」の解説を書いた小笠原輝さんによると、昭和43年/1968年に『朝日』を定年するおおよそその時期から(栄)名義で観戦記を書き始めたんだそうです。昭和47年/1972年ごろには『名人戦名局集 思い出の観戦記1』や『名棋士名局集 付・盤側棋談』という本も出し(ともに弘文社刊)、日本将棋連盟から長年の観戦記者としての功績からか表彰も受けて、やはり(栄)さんの後半生は将棋とともにあった、と言えるでしょう。
それはそうなんですが、とにかく(栄)さんが直木賞の候補になった「微笑」と「北風」が読みたくて、ワタクシも相当苦労しました。自分のサイトにもその苦労の一端を書いたことがあって、そんなものは単なる直木賞オタクのたわごとだったんですけど、昔の直木賞候補作が一つでも多く復活して、新しい読者に読まれるチャンスが与えられればいいな、と思って書いたのは間違いありません。
ものの噂によれば、小笠原さんはうちのサイトも見てくれたそうで、こんなしがないサイトでもやめずに置いといてよかったな、と思うばかりです。その小笠原さんが「北風」について、誰が誰のモデルだといった詳しいハナシを含めて、同書に解説を書いてくれています。ありがたいです。
「老松町の辻八段は、吉井が惹かれた升田の師匠である木見金治郎九段がモデルである。そこに主人公の彦沢銀六が入門し、升田をモデルとした竹田と切磋琢磨するが、煙草屋の娘初江との愛欲に迷い、少しずつ棋力の差をつけられていく。同い年の竹田が出世するなか「消える寸前の灯火のきらめき」となっている銀六の姿は、織田作之助と吉井の関係性に近いものがある。(引用者中略)「北風」は、当時の吉井の心境を表現した作品であると言える。」(『将棋と文学セレクション』所収 小笠原輝「愛欲の棋士 北風 吉井栄治」解説より)
おおっ、そうか。「北風」に出てくる悲しき将棋差しの銀六は、(栄)さん自身が投影されているとも読めるんだ! この解説に接するまでまったく気がつきませんでした。
他人が昔の小説をどう読もうが関係ないじゃん、という自我の発達した人もたくさんいるでしょう。ただワタクシは、だいたい頭の構造が幼稚なので、よその人の評価を見るのが大好きです。しかも、これまで一度も単行本に収録されたことのない半世紀以上前の小説に、いまとなってこんな立派な解説がつくんですからね。そりゃあ腰を抜かして、しばらく立ち上がれなくても仕方ありません。
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