出久根修・とき(懸賞マニアとその妻)。息子の文章に数多く登場し、直木賞の受賞のことばにも出てくる親。
最近、ちくま文庫で『出久根達郎の古本屋小説集』(令和5年/2023年11月刊)というのが出ました。
興味があって、つらつら読んでいたところ、「親父たち」というエッセイにぶつかりました。これの初出は『オール讀物』平成5年/1993年3月号。出久根さんが直木賞をとったのが第108回(平成4年/1992年・下半期)。要するに「親父たち」というのは、直木賞を受賞するとかならず書かされる記念エッセイだったわけです。
うんうん、たしかに出久根さんって、父や母のことをたくさん書いてきた人だよなあ。となれば、うちのブログのテーマ「直木賞と親のこと」にぴったりなんじゃないか。……ということで、今週は出久根さんの両親について触れてみます。
まずは父親についてです。出久根修。明治33年/1900年1月1日生まれ(戸籍上は1月2日生まれ)、昭和51年/1976年2月20日没。若い時分には郵便局に勤めていましたが、父の石太郎が、村役場に籍をおきながら、文学にも関心があり、自前で手動印刷機を買っちゃうほどの入れ込みよう。その石太郎から印刷機を譲り受けて、修さん、小さな印刷屋を開業します。
日本が満洲に進出した頃には、印刷だけじゃなく教科書の出版にも手を出して、これがけっこう当たったのだ、と「紙クズの遺産」(平成6年/1994年10月・中央公論社刊『私の父、私の母』所収)には出ています。
前後して、昭和3年/1928年4月4日、6つ年下の大塚ときさんと見合い結婚。男女合わせて3人の子供を生んだあと、少し離れて昭和19年/1944年、修さんが40歳を越したときに生まれたのが末っ子の達郎さんです。
すでにその頃、修さんは本業の印刷屋を切り盛りするかたわらで、新聞、雑誌で盛んに行われていた懸賞という懸賞に応募する生活を送ります。俳句、短歌、小説、標語など、まあいまでもこういうものは『公募ガイド』を見れば全国各地でいろんなものが行われているんだな、とその数に半ば唖然としますが、昭和の時代、修さんが20代の頃から当然のように日本の社会に根づいた文化だったわけです。
あわよくばそれをきっかけに文壇に出てやろう。と、そんな淡い夢をもつ人もいたかもしれません。懸賞でもらえる賞金、賞品を生活の足しにするための、いわば労働・仕事として懸賞をとらえていた人もいたでしょう。ただ、応募すること自体が楽しみで、日常の習慣に溶け込んでしまった人もたくさんいたかと思います。
近代日本における投稿マニアたちの実態と歴史、というのはそれでそれで興味が沸いてきますが、ともかく修さんもその一人でした。戦後、達郎さんがものごころつく頃には、印刷屋もすっかり辞めて、基本的には懸賞応募を中心に生きていたそうです。
その修さんは、達郎さんが東京でひとり立ちして古書店「芳雅堂」を開店した昭和48年/1973年には、まだ存命でしたが、2~3年後の昭和51年/1976年に他界。なので、達郎さんが小説を書いて直木賞の候補になったり受賞したりする未来は、知らずにこの世を去っています。
いっぽう、修さんの連れ合いのときさんは、長生きしました。明治39年/1906年1月生まれ(戸籍上は明治38年/1905年12月31日生まれ)、平成7年/1995年4月没。先週取り上げた青島幸男さんの母ハナさんと同じ年に生まれた人ですが、〈丙午〉年の女性は嫁の貰い手が少ない、という迷信を忌避して、役所の届け出は前年大晦日にしたそうです。
それはそれとして、達郎さんが直木賞を受賞したときは87歳。出久根さんの「受賞のことば」にも元気に(?)登場します。
「わが老母は八十七歳だが、受賞決定の日、医者の帰り、道ゆく人々に、「おめでとうございます」と声をかけられ、「おめでとう」と返した。旧正月の元日と勘違いしたのである。直木賞を説明するのに、往生した。」(『オール讀物』平成5年/1993年3月号)
出久根さんが両親のことをよく文章に登場させる人だというのは、こういうところからもよくわかりますね。出久根さんが直木賞をとったということを、けっきょくときさんは理解できたのかどうなのか、その2年後に、同居する達郎さんの家で、達郎さんの夫婦に看取られて亡くなりました。
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