坂本一夫・昌子(銀行員とその妻)。父の勤めた銀行に入り、母のペンネームを継いだ娘。
平成が始まったのは平成1年/1989年。いまから24年→34年まえのことです。最近といえば最近です。
平成1年/1989年、直木賞は第100回(昭和63年/1988年・下半期)を迎えました。そしてもうじき決まるのが第170回(令和5年/2023年・下半期)ですから、あと15年ほど経てば200回。要するに、昭和の時代の直木賞期間を、その後の平成以降が追い抜きます。意外に平成以降も長い歴史があるんだな、とついジジイ臭い感想を持っちゃうんですけど、じっさい、最近だ最近だ、とバカにしている場合じゃありません。
いや、バカにしているわけじゃないんですが、平成期の直木賞のことは、うちのブログでも取り上げづらくて、あまり多く触れられていません。そんな偏向直木賞オタクに一槌を食らわす画期的な本が、最近出ました。
本といってもデジタル書籍です。『平成の芥川賞・直木賞』(令和5年/2023年9月・読売新聞東京本社/読売新聞アーカイブ選書)といいます。Amazonのkindleストアとかで買えます。全部で3巻です。
『読売新聞』に載った直木賞(ともうひとつの賞)の報道記事を、ただ機械的にずらずら並べただけのもの。……といえばそれまでなんですけど、いや、これにはマジで感動しました。受賞者のインタビュー、選考経過の振り返り、といったお決まりの記事の他に、候補者(けっきょくとれなかった人)のインタビューとか、受賞者の地元の人たちの声とか、この賞に関わる多種多様な記事がぎっしり詰まっているからです。
全巻の「はじめに」を書いているのが、同社編集委員の村田雅幸さん。このデジタル書籍を編集した人です。村田さんといえば、うちのブログで何度か触れてきたように、文芸記者きっての直木賞大好きっ子(たぶん)なだけであって、直木賞の面白さは「受賞」だけではない、その他まわりのざわざわした騒ぎをひっくるめて直木賞は出来ているのだ、と熟知しています。直木賞ファンなら、この三冊は、絶対に買いでしょう。
と、だらだらした宣伝はこれぐらいにして、ブログのテーマに戻ります。直木賞にまつわる「親」のことです。
新聞報道の定番として、受賞したアノ人のご両親が喜びを語る、みたいな取材記事があります。
個人情報スレスレの(というか、イヤな人はたぶん絶対イヤがるはずの)、両親が写真入りで作家である子供のことを語る記事。こういうのを「おめでたい」として世間に出してしまうところが、直木賞のおそろしさです。いや、楽しさです。
『平成の芥川賞・直木賞』Vol.2の「綿矢、金原……若き作家たちの台頭 報道記録 平成11年~20年」に、こんな記事が出ていました。「直木賞に唯川さん 快挙喜ぶ父と兄 金沢の実家「焦らずに」とエール」。平成14年/2002年1月17日、『読売』朝刊石川県版に掲載されたもの、とのことです。
唯川さんの父親、坂本一夫さんはこのとき86歳。といいますから大正5年/1916年前後の生まれです。母親の昌子さんは82歳で、同じくだいたい大正9年/1920年前後に生まれ、唯川さんが受賞したときは病院に入院中でした。
一夫さんの言葉が、紙面に残っています。
「「大きな賞をいただき、責任は重い。大変だろうが、焦らず、皆の信頼にこたえる作品を書いてほしい」と興奮気味。」(『平成の芥川賞・直木賞』Vol.2より)
父親としては百点満点のようなコメントです。まじめで質実、堅い人柄が(おそらく)よく出た記事かと思います。
『読売』以外のメディアにも、一夫さんはいくつか紹介されていました。昭和30年/1955年に加州銀行(のちの北国銀行)に入行。この年、娘の恵さん(といっても、これはペンネームですが)が生まれます。一夫さんは家族のために、こつこつと真面目に働いて、最後は松任支店長を務めて昭和45年/1970年に定年退職。すくすくのびやかに育った恵さんも、短大卒業後に、かつて父がいた北国銀行に入って、うーん、私のいるところはここじゃない気がすると、もやもやしたOL生活を経験することになるんですが、性格や体形は、基本的に父親似だというのが、恵さん自身の感想です。
いっぽう母親の昌子さんですが、結果、こちらのほうが恵さんの作家人生に大きな痕跡を残しました。銀行勤めでウツウツとしていた恵さんは、一念発起で小説を書いてコバルト・ノベル大賞に応募します。このとき、本名じゃなく何かペンネームを付けたいと思い、ふと思いついたのが母親のことでした。
「大正ひとけた生まれの母は、若いころはなかなかハイカラだったらしく、洋画座に通いつめていたという。その映画館では小雑誌を発行していて、母は観た映画の感想などをペンネームで投稿していた。その時使っていたのが「行川奎」である。さすがに母のペンネームをそのまま使うのは抵抗があった。そこで、「ゆいかわ けい」という読み方を変えずに、漢字を変えて使わせてもらうことにした。」(『信濃毎日新聞』平成16年/2004年10月3日 唯川恵「風の音に 母親譲り 看病して初めて気づく」より)
おお、何とシャレた名前の付け方だ。まじめとシャレっ気の融合体、それが唯川恵の特徴ですけど、それはやはり父と母から来る、両親ゆずりということになるんでしょう。
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コメント
1行目、24年→34年です……
投稿: 平成元年生まれ | 2023年11月12日 (日) 22時57分
わー、平成元年生まれさん、ご指摘ありがとうございます!
恥かしすぎる数え間違えで、すみません……。ひどいミスでしたね。反省しつつ、本文表記、修正いたしました。
投稿: P.L.B. | 2023年11月13日 (月) 00時49分