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2023年11月19日 (日)

佐々井進・恵子(会社員とその妻)。忙しい息子の代わりに、町民栄誉賞の授与式に出席、コメントを残す。

 直木賞を受賞すると、その親が新聞記者の取材を受けて喜びを語る。語らせられる。……先週は第126回(平成13年/2001年・下半期)の唯川恵さんのことを取り上げました。今週もひきつづいて、そんなハナシです。

 受賞者の親、とくに東京ではない地方に在住している親に、新聞記者がインタビューをとりにいって、お祝いムードの記事がつくられるというのは、だいたい平成以降に根づいた日本の文化です。悪しき文化とも言えますし、まあいいじゃないか、と思えなくもありません。受け取り方は人それぞれです。

 昔うちのブログでも、地元の異常な盛り上がりに違和感を表明した受賞者のことを書きました。奥田英朗さんです。

 奥田さんが受賞したのが第131回(平成16年/2004年・上半期)のとき。受賞後には、岐阜県各務原市に住んでいる奥田さんの両親のコメントが、地方紙や全国紙の地方版で紹介されました。それらの記事によると、奥田さんは受賞直後に、母親の春子さんのところに電話をかけて、「とったよ。でも、騒がんでいいから」と言ったそうですが、両親が騒がなくても、地元メディアや出身校の人たちなどが、やたらめったら騒ぎまくり、奥田さんは相当困ったそうです。

 以来、岐阜県出身者、ということで直木賞をとった人は3人います。池井戸潤さん、朝井リョウさん、米澤穂信さんです。

 いずれの場合も、奥田さんのときと同様、地方のメディアは浮き足立ちました。当然のように実家や出身校などをズカズカと取材し、めでたいめでたい、と多くの紙面を割いています。

 そのうち今回触れるのは朝井リョウさんの両親です。

 第148回(平成24年/2012年・下半期)直木賞の受賞が決まったのは平成25年/2013年1月で、このとき朝井さんは23歳。ということは、両親だって若かったわけで、父の佐々井進さんは59歳、母の恵子さんは51歳でした。

 朝井さんと同時に受賞した安部龍太郎さんが57歳でしたから、親と子の世代が同時にとったのが、第148回直木賞の特徴だった、と言うこともできます(できるのか?)。

 進さんはサラリーマンで、恵子さんは主婦でありパートに働きに出る、というご家庭だったそうですが、両親ともに無類の読書好き。朝日新聞EduAに載っている記事には、朝井さんの本名の名前は、司馬遼太郎さんから一文字とった、とか、家じゅういたるところに宮部みゆきさん、東野圭吾さんの小説が置いてあったとか、書かれています。いいじゃんいいじゃん、佐々井家全体がもう、直木賞ワールドだったんですね。

 と、それはともかく、朝井さんの受賞報道と、そこに登場する両親の姿を見ていると、若くして直木賞をとると、あまりこれまで見かけないような「直木賞と親」の関係を見せてくれて、そこがまた新鮮です。

 たとえば、朝井さんの地元、岐阜県垂井町ではそれまでそんな制度がなかったのに、直木賞の三文字に歓喜が突き抜けて、3月には町議会で町民栄誉賞の条例案を制定。4月から施行し、5月の審議会で朝井さんへの授与を決定します。本人は東京にいるので手渡すチャンスがなかなかなく、けっきょく翌年、平成26年/2014年1月7日の授与式には代理で、進さん、恵子さんが出席して、朝井さんに代わって、大変光栄なことだとコメントを残しています。

 直木賞の贈呈式にしてもそうです。

 受賞者の親が招待されるのは当たり前。これまでも、その親たちが贈呈式に出席して、さまざまな言葉を残してメディアに記録されたかと思います。

 朝井さんの場合、両親とそれから、朝井さんが幼少期からものを書くきっかけになったという姉、3人が出席。地元『岐阜新聞』がここぞとローカル愛を炸裂させて、こんな記事を載せました。

「 芥川賞・直木賞の贈呈式には、朝井リョウさんの父(引用者中略)と母(引用者中略)、姉(引用者中略)も出席。恵子さんは「どきどきしたが、スピーチもあの子らしくまとめてくれた」と笑顔で話した。

贈呈式に続く懇親パーティーの会場には、東京会館名物のローストビーフのコーナーに養老ミート(養老郡養老町)から仕入れたA5等級の飛騨牛が用意されたほか、フルーツのコーナーに岐阜県から贈られたイチゴ「美濃娘」が並べられ、朝井さんの受賞に花を添えるとともに岐阜県のPRにもひと役買っていた。」(『岐阜新聞』平成25年/2013年2月23日「朝井リョウさんに直木賞贈呈」より)

 後半の段落は、もうもはや直木賞とは遠く離れた話題のような気もします。ただ、この「何の関係があるんだ!?」感が混じるのも、直木賞の魅力なんだと思います。

 ともかく、直木賞にとっての「親」は、いまとなっては「地元・地域活性」と結びついた存在になっているのはたしかでしょう。もちろん岐阜以外の地域も、負けじとばかり、地元紙は出身作家が受賞すると、充実した紙面を後世に残してくれるのですが、それはまた追い追い振り返ってみたいと思います。

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