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2023年11月 5日 (日)

宮内勝典(作家)。作家になったあとも一つの場所に腰を据えられず、異国で息子を育てることに。

 先日、どえらいニュースが飛び込んできました。何と、あの誰もが憧れるビッグな文化賞「南日本文化賞」を、作家の宮内勝典さんが受賞したのです!

 ……ん? 何だよその賞。とセルフツッコミしたくなるのをぐっとこらえて、先を続けます。

 宮内さんといえば、正真正銘、直木賞で候補になった人の父親です。そりゃあ、うちのブログでも取り上げないわけにはいきません。

 宮内勝典。昭和19年/1944年10月4日生まれ。生誕の場所は満洲ハルビンですが、生後まもなく鹿児島県の指宿市に移住。そこですくすくと成長し、昭和38年/1963年に高校を卒業します。

 60年代の若者といえば、反逆・反抗にかぶれた人たちです。いや、別にその時代に限らず、若い人たちはいつだって反逆・反抗にかぶれるものかもしれませんけど、勝典さんもこんな場所にいられるかいと、さっさとふるさとを離れて、ヒッチハイクしながら網走や神戸で働いて人生の旅人に。22歳のときに、いよいよ自由と混乱の渦まくアメリカに渡ります。

 初めはロサンゼルスで庭師の職にありつきますが、もとから文学や芸術の分野にぞっこんだった勝典さんは、アートの本場ニューヨークに引っ越します。しかし、ふらふらと旅をするのが勝典さんの性分です。アメリカ一国では飽き足らずに、その後は世界中を放浪しました。

 文学に関していいますと、本という本、勝典さんはあらゆるものを読んでいましたが、最も影響を受けた作家が島尾敏雄さんです。ああ、おれも小説を書くなら島尾さんに読んでほしい。その思いで書き上げた「行者シン」を、昭和49年/1974年度の文藝賞に応募したのは、選考委員に島尾さんの名前があったからです。

 この作品は運よく最終選考まで残って、島尾さんに読んでもらうという夢はかなうことになりますが、同じく委員だった江藤淳さんに激しい酷評を浴びて悄然。しばらく何も書く気にならなかったそうです。

 それから5年。もう一度と、やる気を起こして創作に取り組みます。そうして出来上がった「南風」が、今度は何とか最終選考でも評価されて、昭和54年/1979年度、第16回文藝賞を受賞。勝典さん、35歳のときでした。この年、生まれたのが一人息子の悠介さんです。

 それで作家として腰を落ち着けるかと思いきや、やはり一か所にとどまれない放浪癖がむくむくと首をもたげた……のかどうなのか、そのときの心境は勝典さんにしかわかりません。このまま作家としてやっていくことに違和感を覚え、受賞から2年後には、ええい、もう日本の文壇ジャーナリズムから忘れられてもいいやと、再びアメリカに移り住みます。バークレー、そしてニューヨーク。

 悠介さんが子供時代を過ごしたのも、そのニューヨークです。勝典さんに学校の送り迎えをしてもらい、(おそらく)ヤンチャなガキんちょ時代を送ったんだと思いますが、その子供の教育機関、友達づきあいなどから、勝典さんもなにがしかの感慨を覚えた、とのちのちエッセイに書いています。

「ぼくも異国で子育てをしたことがある。まず心配したのは日本人である息子を、NYの学校が受け入れてくれるかどうかだった。だが、おそるおそる願書を提出すると無条件にイエスだった。

(引用者中略)

そこはグリニッジ・ヴィレッジの公立小学校で、世界中のありとあらゆる人種の子供たちが集う空間だった。息子も楽しそうで、ユダヤ系や黒人の友達をよく家に連れてきた。

アメリカには、人種差別も確かに存在する。頭にくることも山ほどある。だが子供の教育に関してだけは、自由・平等の原則を徹底的につらぬいている。息子の母校となった小学校、中学校を通して、ぼくは多民族国家の懐の深さを知った。」(平成13年/2001年2月・岩波書店刊、宮内勝典・著『海亀通信』所収「混血の海辺で」より)

 なるほど、悠介さんが大人になってぞくぞく生み出す、複合的で多民族な小説群は、ニューヨークで育ったことと無縁ではないんだろうな。直木賞の候補者をつくってくれたニューヨークの学校、ありがとう。

 いや、というよりも、そもそも幼い息子と妻をひきずり回し、その後も世界中を放浪した勝典さん、ありがとう、と言うべきかもしれません。

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