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2023年9月 3日 (日)

小菅繁蔵(農業)。堅実に働いて、死んでも何も書き残さなかった無名の人。

 先週、山形県に行ってきました。一泊二日の観光旅行です。

 山形といえば何でしょう。これまで直木賞選考委員は53人いますが、そのうち2人を生んだという、直木賞とも縁が深い土地です。そりゃあ行くしかありません。

 といっても時間は限られています。そんなに多くは回れないので、道中半日だけ鶴岡観光に当てました。東京も暑いけど山形も酷暑のさなか。へろへろになりながら鶴岡公園までたどりついて、藤沢周平記念館に入ったところで倒れ込んだんですが、そこに置いてあったのが次回企画展の案内チラシです。

 それによれば、あと数日待ってから来ていれば「直木賞受賞50年記念企画展〈藤沢周平と直木賞〉」なる展示を見ることができたと知って、よけいに力が抜けました。げっ、来るのが早すぎだか。だいたい、ワタクシの人生、うまく行きません。

 とまあそれはそれとして、せっかく鶴岡に行ってきたことですし、今日の主役はやっぱりこの人、藤沢周平さんで行きたいと思います。

 藤沢さんの両親は無名中の無名人です。父は小菅繁蔵。明治22年/1889年前後に生まれて、昭和25年/1950年1月没。母は〈石川多郎右衛門〉という屋号の家に生まれたたきゑで、生まれは明治27年/1894年前後、没は昭和49年/1974年8月。

 第四子にあたる留治さん、のちの藤沢周平さんが生まれたのが昭和2年/1927年の暮れのことです。当時、小菅家は山形県東田川郡黄金村の高坂で農業を営んでいました。

 藤沢さんに言わせると、父の繁蔵さんは口数が少ない働き者で、コツコツまじめにやるタイプ。母のたきゑさんは話上手な人で、土地の昔バナシだの何だのを幼い藤沢さんによく語っていたと言います。子供たちに本も買い与え、藤沢さんの二人の姉は読書のとりこになり、その影響もあってか藤沢さんも幼少時代からよく本を読みました。

 父の家系は、庄内で堅実に生活する家柄だったが、母の家系は、百姓でありながらも教師をしたり、外の世界に興味をもってふらふらする人が多かった、それを考えると自分が小説家になったのはきっと母方の血のせいだっただろう、とのちに藤沢さんは書いています。

 父方の遺伝か、それとも母方か。こういうハナシは単純に血脈だけで語れるものではなく、はっきりと断定ができません。よくわからないので、さっさと素通りしたいと思いますが、少なくとも藤沢さんが、そう考えたがっていたのはたしかでしょう。

 おそらく藤沢さんは農家出身なことを気にしていたのではないか、とまで言っているのが福沢一郎さんです。

「藤沢本人は自身の出自について気にしていたと思う。藤沢は文壇とはあまり交わろうとしなかった小説家として知られている。本人のシャイな性格によるものだろうが、それだけではない。他に農家の出の小説家がいなかったというのもあったのではないか。

(引用者中略)

プロの小説家になった人たちには、父親が医者だったり、教員だったり、いわゆるインテリ層の家庭に育った者が多い。藤沢は、このことを気にしていたということだ。」(平成16年/2004年12月・清流出版刊、福沢一郎・著『知られざる藤沢周平の真実――待つことは楽しかった』より)

 気にしていた、という表現にはいろいろな含みがあります。マイナスな意味だけじゃなく、プラスの面も含めて、親のことを見ていたのに違いありません。

 というのも、父の繁蔵さんは、藤沢さんが作家になるよりずっと前の昭和25年/1950年に亡くなりましたが、懸命に働きつづけて死ぬときに別に何ひとつ書き残さなかった、と言ったあと、「男の生き方としては、その方がいさぎよいのではないかと思うことがある」(『周平独言』「あとがき」)と書いているからです。

 ものを書くから偉いんじゃない、書かずに人生を全うする農業の営みこそ、ほんとうは偉いのかもしれない。藤沢さんはそう考えていた節があります。

 直木賞をとって、地元の人からもキャーキャー言われ、自分の碑を立てる計画なんてものも持ち上がり、はてまた死んだら立派な記念館まで建ってしまう。それを栄光と見るかどうかは、たしかに微妙なところです。それを見にわざわざ鶴岡くんだりまで行っちゃう人間が言うことじゃないですけど。

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