瓜生卓爾・トキ(鉄道官僚と妻)。社会的地位の高い父と、教育熱心な母にはさまれたダメ息子。
ここ最近、受賞者のハナシが続きました。直木賞を受賞者のことだけで見ていると、どうも偏りが過ぎて、気分が悪くなってきます。
なので、ここら辺で気分転換、直木賞をとれなかった候補者の話題を挟みます。これでスカッと爽快、気持ちよく秋のシーズンを迎えましょう。
さて、直木賞の候補者はうじゃうじゃいますが、親とのことでワタクシがずっと気になっているのが瓜生卓造さんです。第33回(昭和30年/1955年・上半期)と第38回(昭和32年/1957年・下半期)に二度、候補になりました。これまでも、うちのブログで何度か取り上げています。
派手な作家じゃありません。どっちかといえばシブい部類に入る作風で、直木賞の候補になった二つ「北極海流」も『単独登攀』も、もっとエンタメチックにしようと思えば、かなり面白くなっただろうというぐらいの極地モノ。しかし、瓜生さんの実証気質というか、コツコツと記録をつけるのが好きな性格だったためか、ストーリーに盛り上がりが欠けて、当時の選考委員の人たちも首をかしげちゃったというシロモノです。
それで瓜生さんの何が気になるのか、というと、育った環境です。
とにかく実家は都内の大屋敷。瓜生さん自身、学校を出てから定職につかず、ふらふらしていても食うに困らずに、同人雑誌で小説を書いていました。この圧倒的なニート感。いまでも同じような境遇の人はたくさんいると漏れ聞きます。いったい家族に対してどんな思いで、売れない小説を書きつづけたのか。瓜生さんの生きざまは、やはり気になります。
瓜生さんの父親は、小説の世界とは関係のない人でした。瓜生卓爾。明治14年/1881年2月22日、八王子市生まれ、昭和38年/1963年2月10日没。
早稲田大学の政治経済科で学んだあと、明治38年/1905年に卒業して日本鉄道に入社。これが国有化されて鉄道院、鉄道局、鉄道省と国の組織の変化に応じて、そのなかで有能な官吏として鉄道経理のど真ん中を歩き、神戸、東京、札幌など、任地も転々と変わります。
そのあいだに結婚した妻のトキさんとのあいだに、長女ふみさんが生まれたのが大正5年/1916年11月のこと。卓爾さんが札幌で働いていたときのことです。つづいて大正9年/1920年1月、第二子として長男の卓造が生まれます。こちらは卓爾さんの職場が関西だったときのことでした。
……といったハナシは、4年前にうちのブログに挙げた「瓜生卓造、南極・北極・アルプス・ヒマラヤと、極地を描いてニート脱出。」で、だいたい書いちゃいました。卓造さんにとって家族といえば、父母と、一人の姉。とくにこの姉のふみさんが、昭和18年/1943年夏に20代後半の若さで亡くなってしまったことが、卓造さんの人生に大きな屈折を生んだ、ということのようです。
そういう意味では、瓜生さんが直木賞の候補に挙がるまでの過程では、親というより姉の存在と早世が重要だったわけで、「直木賞と親のこと」というテーマにあまり結びつきません。だけどここでは無理やり結びつけちゃいます。偉大すぎて社会的地位では超えられない父親と、教育熱心でいつも小うるさい母親。この両親がいたことで、瓜生さんの鬱屈がさらに高まり、それが「おれには文学しかない!」という袋小路に追い込んだんだろう、と。
瓜生さんの初期作品集『大雪原』(昭和31年/1956年4月・三笠書房刊)には、『文学者』の親玉・丹羽文雄さんが「序」を寄せ、『文学者』の若頭・石川利光さんが「解説」を書いています。
当然、瓜生さんのことについてはワタクシなんかよりも全然くわしい人たちです。せっかくなので参考にさせてもらいますと、石川さんはこう指摘しています。
「瓜生卓造の従来の作品は(引用者中略)私の知るかぎりでは、その殆んどが一貫して私小説的な傾向の作品ばかりである。私小説的、というのは、自己を全面的に素材にするというやり方ではなく、瓜生卓造の内面から発するものを芯にして虚構を展開するといつた方法を指して云うのである。
(引用者中略)
瓜生卓造の内面的な問題は何か、といえば、放蕩無頼な一人息子と母親との重苦しい愛憎のつながりであるようだ。彼が「母親に対しては、こんなに憎しみ合う母子があるだろうか、と不思議に思うほど憎悪を死ぬまで抱きつづけた」とする牧野信一に深く心を傾けていつたのも故なしとしない。(『大雪原』所収 石川利光「解説」より)
なるほど、石川さん、ナイスな紹介です。
職にもつかずに放蕩を繰り返すどうしようもない男。その息子にとって愛憎を抱く対象は父親ではなく母親だった、と聞くと、瓜生さんの両親に対する感覚がなにがしか作品に反映されているのだろうな、と思います。
直木賞の候補になったのは、瓜生さんの冒険好きが高じて生み出された作品ですので、直接的に親のことは出てきません。ただ、そこに至るまで瓜生さんには10年足らずの文学修業があり、うまく生きてきた両親と、うまく生きられない一人息子の自分という家庭環境がつらくて、それを文学にぶつけようとした、というのは明らかです。
そうやって瓜生さんの小説を改めて読んでみると、むかし読んだときとはまた別の興趣が沸いてくるんだろうなあ。とは思うんですけど、果たしていまさら瓜生文学を学び直す時間がとれるかどうか。直木賞の候補者とか調べていると、時間がいくらあっても足りません。
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