直木賞で落ちた岡戸武平、仕送りが1000円だという同郷の友人の話を聞いて目を剥く。
ここ最近、文芸同人誌『北斗』を毎号送ってもらっています。岡戸武平についての連載小説が載っているからです。
作者は寺田繁さん。題名は「幻の直木賞作家 小説 岡戸武平」。先日送られてきた5月号で第六回を数えました。
岡戸武平って何者か。ワタクシはよく知りません。作者の寺田さんも「覚悟していたことではあるけれど、岡戸武平についての資料の少なさには唖然とする外ない。」(『北斗』令和5年/2023年1・2月合併号「岡戸武平 つれづれ」)と書かれていて、自分なりの想像や解釈をまじえなければ、その人物像を描くことはとても難しく、だから「小説」として書いてみる……ということなんだそうです。
ともかく、知らない作家のことを知るとわくわくします。それが直木賞とつながりがあった人となればなおさらです。岡戸さんは第1回(昭和10年/1935年・上半期)の直木賞のときに、最終的に名前が挙がった候補者のひとり、とモノの本には記されていますが、その実態はよくわかっていません。
第1回のときは、直木賞の運営側もどうやって進めていいのかわからない。前後2回にわたって作家や評論家など100数十の宛先に、だれか適切な無名・新人作家を推薦してくれませんか、とアンケートを送り、その回答を参考にしながら数度にわたって選考委員会を開いた、と言われています。アンケートの回答者の名前が『文藝春秋』昭和10年/1935年9月号に載っていますが、まともに大衆文芸の新進を推薦してきた人がどれだけいるのか。加藤武雄、北村小松、浜本浩、長谷川伸、大下宇陀児といった辺りは、いちおうそれなりの人を回答したのではと思いますけど、詳細は不明です。
そこには名前は出ていませんが、海音寺潮五郎さんも、すでにこの頃デビューして数年経っていましたので、誰か候補を挙げてくれるよう依頼された側だったそうです。それがフタをあけてみれば、海音寺さん自身が有力な候補として選考会で議論されている。もうムチャクチャです。
岡戸さんは小酒井不木さんを師と仰ぎ、その小酒井さんが昭和4年/1929年に亡くなったあと、東京に出てきて博文館の編集者となります。昭和7年/1932年まで同社に勤めて、その後は独立して文筆生活を送ったそうですが、寺田さんの連載第1回目では、第1回直木賞の頃のことが触れられたあと、第2回以降それまでの岡戸さんの歩みが語られていて、最新回では小酒井さんの急逝と、岡戸さんが東京に出てくるところで終わっています。そこから岡戸さんがどのように編集者、作家生活の荒波にこぎ出していくのか。楽しみに待ちたいと思います。
さて、それはそれとして、無理やりにでもおカネのハナシに結びつけないと今日のエントリーは締められません。
「小説 岡戸武平」のなかで直木賞のことが出てくるのは、先に書いたとおり冒頭の(一)です。博文館を辞め、〈畳々庵〉と名づけた部屋で妻と二人暮らし。同郷の青年、寺田栄一とはしばしば会う間柄で、直木賞選考会が終わった秋、その栄一に連れられて東京會舘の洋食レストランプルニエに足を運びます。そこで舌鼓を打つ武平と栄一。
小説ですから、そういう事実があった、とは断定できません。ただ、以下の辺りは、それなりに事実に近い記述かと思われます。
「「旨い。うみゃあなあ」
武平も唸る。
「栄ちゃん、立ち入ったころを聞くが、どのくらい仕送りもらっとる」
「月に大体、千円。財布が底をつけば、カネオクレってね。(引用者中略)」
千円。目を剥く武平。直木賞と芥川賞の副賞が五百円だった。」(『北斗』令和4年/2022年11月号 寺田繁「幻の直木賞作家 小説 岡戸武平(一)」より)
どうして事実に近そうなのかというと、寺田栄一とは、作者・寺田繁さんの亡父のことだからです。寺田さんには『名古屋の栄さまと「得月楼」 父の遺稿から』(令和3年/2021年10月・鳥影社刊)の一冊もあります。名古屋の料亭のドラ息子として、当時、どのくらいの仕送りをもらっていたかは、きちんと調べていてもおかしくありません。
しかしまあ、昭和10年/1935年、直木賞の賞金が文藝春秋社にとっては太っ腹の500円だった時代に、1,000円仕送りをもらっていた、というのは生活レベルが違いすぎます。
岡戸さんがどのくらいの部屋に住んでいたのかはわかりませんが、〈畳々庵〉と名づけたぐらいですから、畳にして数枚程度、慎ましく狭かったのだろうなとは想像できます。仮に家賃を20円と見積もると、栄一さんの豪勢さとは雲泥の差。格差社会の縮図のような状況に、直木賞はとれなかったけど、がんばれ武平、と思わず応援したくなるところです。
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