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2023年5月21日 (日)

小説書いて、なんぼほどもらえますのん、と聞いてくる大阪の人たちに、阿部牧郎、思わず笑う。

 阿部牧郎さんが、勤めていた〈タキロン化学〉を辞めたのは、昭和42年/1967年暮のことです。年齢でいうと34歳。

 ちょうどその年、阿部さんは文學界新人賞に送った「空のなかのプール」が最終候補になりながらも落選。しかし、そこから同誌の編集者、豊田健次さんと縁ができ、何か書けたら見せてください、と言われて送った「蛸と精鋭」が『別冊文藝春秋』に載ることが決まります。その話を聞きつけたのが『小説現代』編集部の三木章さんと大村彦次郎さん。遅れちゃならんとあわてて大阪まで会いにやってきて、早速「今月の新人」で取り上げてくれたのが昭和42年/1967年9月号で、「ビーナスのひも」という、ストリッパーとそのヒモのことを書いた小説が『小説現代』に載りました。一年のあいだに、めまぐるしく動きます。

 会社では、すでに課長職のポストを与えられ、そのままいれば安定的な収入も見込めたでしょう。社長の松井弥之助さんからは目をかけられ、別に居づらくなったというほどでもない。それでも阿部さんは、小説家としてやっていけるのではないか、と手ごたえを感じ、思い切って退社を決めます。

 サラリーマンを辞めて、筆一本で立っていこうと歩きだしたものの、そこから直木賞の候補になっては落ち、候補に挙がっては落とされる日々が始まります。直木賞さえとってしまえば、物書きとしての生活も安定する。それが、選考委員たちのその日の気分や腹芸で、とらせてもらえないことが続いたとなれば、そりゃあ阿部さんも泣きたくなるでしょう。

 そんな当時の思い出が綴られたのが『大阪迷走記』(昭和63年/1988年3月・新潮社刊)です。おカネのハナシも出てきます。

 阿部さんがタキロン化学に中途入社したのは、昭和36年/1961年でした。小学校に勤め出した同棲相手の〈映子〉と合わせて、二人の収入は月4万円ほど。阿部さん一人では月給2万円程度だったと言います。退社する頃にはさすがにもう少しもらっていたと思いますが、専業の物書きになってから、二年目以降は原稿依頼も途切れずに、昭和48年/1973年には、会社勤めの頃の4~5倍の収入があったそうです。阿部さんの順調さがわかります。

 いや、阿部さんは謙虚にこういう表現を使っています。

「(引用者注:直木賞には)落選つづきだったが、小説の注文はくるようになった。中間小説雑誌が隆盛を誇っていた時代だった。〈オール讀物〉〈小説現代〉〈小説新潮〉ほか〈小説セブン〉〈小説エース〉〈小説サンデー毎日〉などが発刊されていた。前三誌には新人の作品はめったに載らない。だが、後発の三誌は、たびたび発表舞台をあたえてくれた。なんとか食えるようになった。サラリーマンをやめて一年目は、経済的にどん底だった。だが、二年目から収入がサラリーマン時代の倍になった。四年目の昭和四十六年には四、五倍に殖えた。週刊誌やスポーツ紙からも、注文がきはじめていたからだ。スポーツ紙に観戦記を書いたり、テレビの野球中継にゲスト出演するようになった。私は幸運だった。新人の小説家が生活しやすい時代にあわせて、サラリーマンをやめたことになる。」(『大阪迷走記』より)

 たしかに、昭和40年代後半ごろは、やたらと中間小説誌が湧き返っていました。いまからすると、なんであんなものがたくさん刷られて売れたのか、異様さ、狂気さも感じます。

 それでも、その狂気的な時流に、すべての新人作家が乗れたわけじゃありません。阿部さんの筆力のなせるわざだったでしょう。

 おカネに関するハナシでは、『大阪迷走記』には、 阿部さんの回想が面白いのは、大阪っぽいエピソードが語られているからです。プロ作家として駆け出しだったとき、大阪の飲み屋に行くと、相客と会話することになります。おたく何してはる人、へえ作家ですか。そうなると、大阪の人たちはたいてい、かならず聞いてくるそうです。それで小説書くと、いくらほどもらえますのん、と。

 露骨にカネのことを聞いてくる大阪の酔っ払いたち。阿部さんはそこで、うろたえることもなく対応します。

「「まあ一枚三千円ぐらいですな。雑誌によってちがいはありますがね。このあいだの作品は五十枚でした」

駄法螺であった。当時私は一枚千円ももらっていなかった。

「へえ。ほなあれで十五万円でっか。えらい儲かるもんでんなあ」

相客ははじめて敬意にみちた顔になる。」(『大阪迷走記』より)

 だいたいのことはカネ、カネ、カネ。ああ、大阪らしいな。と阿部さんは笑っちゃいながらも、あらためて考えたそうです。そうか、作家というだけで尊敬のまなざしを送ってくるような、高尚な土地柄もあるけど、小説を書いていくらになるのか、そういう目でしか見てこない土地のほうが、書き手としてはいちばんの修練の場所になる、と。まったく、阿部さん自身、たくましい人です。

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