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2023年4月16日 (日)

『津軽世去れ節』を出した津軽書房、直木賞受賞後の約10年で2000万円以上の借金を抱える。

 いつも同じような本ばかり読んでいてもつまりません。新たな本に触れたいなと思っていたところ、今日は東京・雑司ヶ谷で「鬼子母神通り みちくさ市場」があると聞いて、春日部の奇人・盛厚三さんといっしょに、みちくさ市場へ、さらに近くの古書往来座まで歩いてきました。

 本はあふれるほどにありました。ただ問題は、こちらの関心分野が狭すぎることです。ううむ、もっといろいろなことに興味を持つようにならんと、ワタクシの未来も暗そうだな。と再確認して、トボトボ帰ってきたんですが、この本は面白そうだ、と脳内でささやくかすかな声を頼りに買ってきたなけなしの一冊が、林邦夫さんの『当世出版事情』(昭和59年/1984年4月・草思社刊)です。

 林さんは『毎日新聞』の学芸記者だった人です。同書では、昭和58年/1983年当時の出版界や、そのまわりにうごめく有象無象のありようを取材してレポートしています。いまから40年まえのハナシです。

 日本の出版界の市場規模は、平成8年/1996年が山のピークだったと言われています。昭和58年/1983年は何だかんだ言っても上り坂の成長期です。

 この年は、ミリオンセラーがたくさん出ました。しかし森村誠一さんの『悪魔の飽食』を除けば、著者は穂積隆信、鈴木健二、黒柳徹子、江本孟紀と、どれもこれもテレビがからんだ、いわゆる「テレ・セラー」ってやつで、文芸モノやお堅い小説は軒なみ大苦戦。マンガが支える一ツ橋、雑誌が支える音羽と、大きい会社はより肥え太りますが、ダメな会社は金回りにピーピー言っている。完全な二極化です。「活字離れ」という言葉が当たり前のように叫ばれて、活字文化は危機のまっただなか。ああ、これからどうなっていくというのか。……みたいなストーリーが同書の底流をつくっています。まあ、よくあるっちゃあ、よくあるハナシです。

 ぺらぺら読んでいくうちに、文学賞の話題は載っていないかなあ、と探してしまうのがワタクシの悪いクセなんですが、昭和58年/1983年の文学賞は、だいたい唐十郎さんが話題を持っていっちゃったので、直木賞のことは出てきません。しかしそのなかで、ふっと目に留まったのが「〔七〕出版の原点ここにあり=地方出版社の活力=」です。

 この章は、秋田文化出版社、津軽書房、マツノ書店、葦書房といった地方の雄への取材記事や、当時の数値的なデータなどで構成されています。神田の「書肆アクセス」(地方・小出版流通センター直営店)のことも出てきます。

 そして地方と直木賞といえば、何といっても津軽書房です。長部日出雄さんの『津軽世去れ節』に収録された二篇が直木賞を受賞したのは昭和48年/1973年・上半期ですので、『当世出版事情』がレポートした年はそれからちょうど10年たった頃にあたります。

 ここに直木賞がもつ面白い一面が出てきます。

「全国に名をはせたのが四十八年、長部日出雄の『津軽世去れ節』が直木賞を受賞したときだ。初版二千部、受賞のとき七百部残っていたが、一日でなくなり、二刷り目を一万五千部、ついで三刷りを五千部……と今日でもロングセラーである。大手取次のルートに乗って売れつづけた。これだけならいいことずくめだが、このさい一気にと、全国に送り出したほかの出版物は返本があいつぎ、かえって経営を圧迫した。借金返済に苦労する。」(『当世出版事情』より)

 いや、面白い、なんて言っちゃいけませんね。

 長部日出雄さんだけじゃなく、ミスター津軽書房、高橋彰一さんにまで強烈なスポットライトを浴びせたのが、この回の直木賞です。受賞して2年後、同社に入社した伊藤裕美子さんによると、当時はスタッフも7人いて、東京出張所までできていたと言います。しかし直木賞が仇となって借金がぶくぶくと膨らんでいき、『当世出版事情』が出たその翌年、昭和59年/1984年2月には二度の不渡りを出して銀行取引が止められます。『読売新聞』平成23年/2011年1月28日、伊藤さんをフィーチャーした「あおもり人伝」(3)によると、借金の総額は2,000万円以上。

 それでも法人ではなく個人経営だったことから、現金取引で事業を続けます。在庫で残った本を現金で売り、取引先の支援もあって細々と刊行を継続。高橋さんと伊藤さんの涙ぐましい努力の日々は、ワタクシも興味があるので、いずれ追ってみたいと思いますが、とりあえず今週のエントリーはここまで。

 それもこれも直木賞のせいじゃないか。と思うと胸が痛みます。見た目が華やかで、ワーッと多くの人が視線を送るものは、たいていが一過性なんですよね。どうも、そこに直木賞という事業の罪多き性質がひそんでいます。

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