邱永漢、直木賞をとって十万円作家になり、カネ儲けの話を書いて百万円作家になる。
おカネにまつわる直木賞、ということでいえば、まだまだ取り上げなきゃいけない作家が何人もいます。なかでも、その最高峰(?)に位置するのが邱永漢さん。第34回(昭和30年/1955年下半期)の受賞者です。
うちのブログでは、何かというと邱さんのことばかり触れています。作品のことは、ワタクシもよくわかりませんが(オイオイ)、邱さんは生きざまが特異すぎて、注目どころが満載すぎる。おのずと、うちみたいなゴシップブログではたくさん取り上げることになる、という寸法です。
それで、おカネのことですが、邱さんといえば何でしょう。直木賞の受賞者であることよりも、物書きとして一気に売れたのがおカネにまつわる文章でした。
戦後、日本の社会は「経済大国」を目指します。マスコミでも出版界でも、おカネの話題はカネになる。欠かすことができません。邱さんは昭和31年/1956年1月に直木賞を受賞して以来、乞われるまま、関心の向くままに原稿を依頼されますが、そのなかで、こいつの発想は面白いな、と邱さんの才能に惚れ込んだのが、中央公論社の嶋中鵬二さんです。
昭和33年/1958年、嶋中さんが編集長だった『婦人公論』におカネに関するエッセイを連載します。それをもとにして『金銭読本』(昭和34年/1959年1月・中央公論社刊)を出したところ、これが大当たり。直木賞をとってもなかなか売れない小説家、になりかけていた邱さんに、なるほど読者はこういうものが読みたいのか、と目を開かせるに至ります。おカネ、というテーマは、邱さん自身の興味にもズバリ合っていました。そこから経済の素人、という仮面をかぶりながら、企業経営、株式投資、おカネ儲けの方面に、着々と足跡を残していきます。
と、そんなふうに小説家から飛び出ておカネに関する評論・エッセイそして実践者として名を挙げるにいたった経緯は、邱さんの『私の金儲け自伝』昭和46年/1971年10月・徳間書店刊『邱永漢自選集第8巻』所収)に詳しく書かれています。邱さんがどうやって直木賞の世界に行ったのか、そしてそこから小説を書かなくなったのか。おカネの話題にからめて回想された楽しい一冊です。
直木賞の賞金は、戦後5万円から出発します。そこから10万円に倍増したのが、5年ほど経った第32回(昭和29年/1954年下半期)から。朝鮮特需を経て、経済復興の足取りが確固としたものになった頃です。
商業としての小説界全般の景気がよくなるのは、もう少しあと、昭和30年代以降に週刊誌が乱立しはじめた頃からだと思いますが、その少しまえ、邱さんが直木賞をとっていよいよ作家として食っていくか、と本腰を入れ始めた時代のことも、『私の金儲け自伝』では回想されています。
邱さんを文壇に引き上げてくれた恩人のひとり、檀一雄さんが語った言葉です。
「「日本の文壇で、君はプロの小説家としてやっていけることは間違いない。しかし、十万円作家にはなれても、百万円作家にはなれないだろう」
(引用者中略)
「十万円作家とは、月収が十万円ということで、『新潮』や『群像』や『文学界』のような純文芸雑誌を舞台にして小説を書く作家のことです。純文芸雑誌は原稿料が一枚五百円から千円まで程度だから、一篇書いても五、六万円にしかならない。たまに中間雑誌に書くとして、まあ、月に十万円くらいの収入でしょうね。ところが、新聞や週刊誌の連載小説を書くようになると、原稿料も高いし、月に三本も五本も連載しておれば、月収が百万円になる。君の小説は、純文芸雑誌向きだから、十万円作家といったんだよ。」(『私の金儲け自伝』より)
ほんとに、そう言ったのかもしれません。しかし、直木賞の賞金から見ると、当時の10万円作家は、現在の100万円作家、ということになります。月に原稿を書いて数十万から100万までの収入を得る。作家としては、妥当な部類です。
十万円作家になれればスゴイじゃないか。と邱さんも、直木賞を受賞するまでは思っていたそうです。いざ受賞してみると、たしかに月収10万円ぐらいは原稿で稼ぐことができる。しかし、小説ではそれ以上の収入を得る作家になれそうもない、と考え始めます。転機です。
10万円でいいと思うか。100万円を目指すか。直木賞をとってもそれだけじゃカネを稼げる物書きにはなれない。というのが真実でしょうけど、邱さんがのちにおカネのことを書いて百万円作家になれたのは、そもそも直木賞で十万円作家になれていたからだ、とも言えます。どっちにしたって、読者にとっては遠い遠いおとぎ話のようなおハナシです。
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