讃岐文学13号に載った小説にあやかって、1-3に賭けた新橋遊吉、2万2000円を手にする。
毎年12月の風物詩といえば何でしょう。M-1か、有馬記念か。いやいや、やっぱり、直木賞の候補作発表です。
ということで、ワタクシにとっての今年の12月は、すでに終わっちまいましたが、カレンダーはまだちょっと残っています。来年1月の決定まで、粛々と昔の直木賞について調べていくことにします。
先週は黒川博行さんとマカオのことを取り上げました。たしかに直木賞には、その流れの一つとしてギャンブルとの関わりがあります。そしてギャンブルに付きものなのが、おカネです。
黒川さんの受賞からさかのぼること約50年。昭和41年/1966年1月に直木賞を受賞したのが新橋遊吉さんです。我が人生すべてギャンブル、と言わんばかりに、32歳で直木賞という大穴を当ててしまいました。
高校時代から競馬にハマった新橋さんは、病気をしたり、職をウロウロ変わったり、べつに大金持ちではありません。しかし競馬場がよいだけはやめられず、毎月4~5回は淀、仁川などに出没します。
賭けるおカネは微々たるものです。奥さんの亀山玲子さんからもらうお小遣いで賄える程度で楽しみます。近所のあいだでは、新橋さん(というか本名、馬庭さん)といえや競馬好き、で名が通っていたらしいので、よっぽどの競馬狂です。
新橋さんが、はじめての小説「八百長」を書いたのが昭和40年/1965年のことです。当時の経済水準を見てみますと、だいたいサラリーマンの年収が40万円をちょっと超えるくらい。月に直すと、だいたい4万円程度という時代です。当時、新橋さんは中小企業で旋盤工として働いていましたが、この会社は昭和40年/1965年暮に倒産してしまうほどの、なかなか景気のわるいところだったので、新橋さん自身が平均給与ほどもらえていたのか。それはわかりません。
昭和40年/1965年12月25日、新橋さんは日本文学振興会から驚きの通知を受け取ります。「八百長」が直木賞の候補になった、という知らせです。
他の候補には、立原正秋さんや青山光二さん、生島治郎さんなど、商業出版の世界で活躍中の名前もありました。いやあ、こりゃ絶対に受賞は無理やな。新橋さんがあきらめた気持ちはよくわかります。
しかしです。ここで新橋さん、ギャンブラーの血が騒ぎます。戦前に絶対に勝つわけきゃないと思われた馬が、なんかのタイミングで勝ってしまうことがあるのが競馬の世界。よし、おれが受賞できるかどうか、いっちょ賭けたろうか、と。
いや、そのときはまだ他の候補が誰かは知らなかったかもしれません。すみません。しかしともかく、はじめて書いて同人誌に載ったものの、べつに反響もなかったおれの作品が、まさか取れるとは思えない、と感じていたのはたしかなようです。
知らせを聞いた次の日、12月26日は、その年の阪神競馬の最終日。全部で10レース行われます。新橋さんは、ボーナスの一部の1万円を手にとって競馬場に出かけますが、
「そして競馬場の門をくぐったとき、
「そうや競馬の小説が直木賞の候補になったのやから、候補になった同人雑誌の号数で吉か凶か賭けてみよう」
と思った。
(引用者注:「八百長」が載ったのが)讃岐文学13号だから、第一レースから①③を千円ずつ買って占うつもりであった。①③が的中すれば望みありというところである。
第一レースから第八レースまで①③は外れっぱなしだった。私の顔は自嘲に歪んだ。
「処女作品で直木賞を頂こうなんて図々しすぎるんやなァ」」(『新評』昭和51年/1976年7月号 新橋遊吉「小説「八百長」誕生記」より)
1レース1000円ずつ賭けつづけて8戦全敗。そして9レース目がやってきます。阪神牝馬特別。その日のメインレースです。
枠単(枠番連勝単式)で1-3ということは、1枠シードラゴン3番人気、3枠ニユウパワー5番人気。ええい、行ったれい、と1000円賭けたところ、これがズバリ大当たり。netkeiba.comのデータベースによると、1-3で1000円賭けたなら、払い戻しは2万2000円だったことになります。22倍です。
やったあ、的中だ、これでおれも直木賞や。……と確信したんだとしたら、よっぽど頭のめでたい人です。
新橋さんがそこまでイッちゃった人だったのかどうかは、判断の分かれるところですけど、ともかく大穴を引き当てても守りに入ることなく、賭けつづけてはスッてスッてスりまくるギャンブラー精神は、直木賞をとっても何ひとつ変わらなかった、とも伝えられています。
直木賞の受賞賞金は10万円。何に使ったのかと問われ、新橋さんいわく、馬券を買っていっときは7倍ぐらいに増やしたが、競馬をやりつづけるうちにそれもけっきょくどこかに消えてしまった、とのことです。
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