「直木賞をとったら職業作家になる」という道筋は、創設当時どこまで考えられていたのか。
今年も直木賞漬けの一年でした。……と、年末の回想はそうありたいものです。
だけど、今年は他のことに時間がとられて、なかなか直木賞に目を向けるひまがありませんでした。来年は、もう少し直木賞の新しい面をさがしていけるといいな、と思います。
さて、それはさておき、直木賞にまつわるおカネのハナシです。このテーマなら、やっぱり触れておかなくちゃいけない本があります。山本芳明さんの『カネと文学 日本近代文学の経済史』(平成25年/2013年3月・新潮社/新潮選書)です。
以前、別のテーマのときに取り上げたかもしれません。この本は、基本的にはかなり限定された文学者界隈のことを扱っていて、直木賞とか大衆文芸のことはほとんど出てきません。なるほど、山本さんにとって「文学」といったとき、そこに直木賞は入ってこないんだな、とその点はガッカリさせられる一冊です。
いや、直木賞といえども直木賞だけで成立しているわけじゃありません。菊池寛さんがいる、佐佐木茂索さんがいる。彼らが出版社(というか雑誌社)を経営して、黒字だ赤字だとおカネにまみれて生きてきた前提があって、「貧乏なことが文学者の矜持だ」といった、ちょっと頭のイカれた人たちの信じる世界と、資本主義社会の実体との、すれ違いだったり交じり合いなどを経ながら、大正中期から昭和30年代までの文学シーンは動いてきたんだな、ということが山本さんの本を読むとよくわかります。勉強になります。
とくに昭和のはじめ頃、作家の収入のなかで、単行本の印税はそこまで多くなかった、物書きが印税で儲かるという状況が生まれたのはもっと後になってからだ、と突き詰めていくところなど、ホレボレしました。
たとえば吉屋信子さんの例でいうと、昭和10年/1935年の段階でおよそ月収2000円はくだらない、という当時の記事を紹介し、雑誌の稿料が合わせて1000円ぐらいで、本の印税で得る収入はそれと同じ程度にすぎなかった、と言っています。直木賞の賞金が500円に設定された頃のハナシです。吉屋さんの月収はその4倍、どんだけ儲けてんだよ。
「カネと文学」となれば、もちろん直木賞と芥川賞のハナシも欠かせません。できたときの賞金が500円。それは実際大した金額じゃなかった、文藝春秋社はこの賞で職業作家を増やしていけるという発想なんてなかった、と当時の資料を紹介しながら山本さんは語ります。
多くは芥川賞のハナシです。一般的に文学研究者が文学というとき、まあ、直木賞を中心に語ることは稀なので、それはそれでいいんですけど、そんな山本さんがポロッと、直木賞に対する印象を表した文章があります。
『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号に載った菊池寛さんの「審査は絶対公平」と佐佐木茂索さんの「委員として」に触れて、山本さんはこう続けます。
「そこには文学を職業とすることの困難さが浮びあがってくる。直木賞はともかく、芥川賞はぎりぎりの所に追い詰められた「純文学」の新人たちの、その場しのぎの救済策でしかなく、菊池たちもそれを自覚しており、受賞がその作家の経済的自立に直結するなどとは考えていなかったのである。」(『カネと文学 日本近代文学の経済史』より)
大衆文芸の新人たちだって、うなるほどの仕事とカネに恵まれていたわけじゃなく、ぎりぎりの所に追い詰められた人もいたと思うんですが、どうして「直木賞はともかく」などと言うのか。大衆文芸界では、ちょっと出だした物書きなら、すぐに職業作家になれる土壌があったのかもしれません。
まあでも、同人雑誌くんだりに好きで書いている連中より、大衆文芸で勝負して生活費を稼ごうとするほうが、よっぽど厳しい世界だったんじゃないでしょうか。あるいはそっちのほうが尊いとさえ思います。
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