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2022年12月の4件の記事

2022年12月25日 (日)

「直木賞をとったら職業作家になる」という道筋は、創設当時どこまで考えられていたのか。

 今年も直木賞漬けの一年でした。……と、年末の回想はそうありたいものです。

 だけど、今年は他のことに時間がとられて、なかなか直木賞に目を向けるひまがありませんでした。来年は、もう少し直木賞の新しい面をさがしていけるといいな、と思います。

 さて、それはさておき、直木賞にまつわるおカネのハナシです。このテーマなら、やっぱり触れておかなくちゃいけない本があります。山本芳明さんの『カネと文学 日本近代文学の経済史』(平成25年/2013年3月・新潮社/新潮選書)です。

 以前、別のテーマのときに取り上げたかもしれません。この本は、基本的にはかなり限定された文学者界隈のことを扱っていて、直木賞とか大衆文芸のことはほとんど出てきません。なるほど、山本さんにとって「文学」といったとき、そこに直木賞は入ってこないんだな、とその点はガッカリさせられる一冊です。

 いや、直木賞といえども直木賞だけで成立しているわけじゃありません。菊池寛さんがいる、佐佐木茂索さんがいる。彼らが出版社(というか雑誌社)を経営して、黒字だ赤字だとおカネにまみれて生きてきた前提があって、「貧乏なことが文学者の矜持だ」といった、ちょっと頭のイカれた人たちの信じる世界と、資本主義社会の実体との、すれ違いだったり交じり合いなどを経ながら、大正中期から昭和30年代までの文学シーンは動いてきたんだな、ということが山本さんの本を読むとよくわかります。勉強になります。

 とくに昭和のはじめ頃、作家の収入のなかで、単行本の印税はそこまで多くなかった、物書きが印税で儲かるという状況が生まれたのはもっと後になってからだ、と突き詰めていくところなど、ホレボレしました。

 たとえば吉屋信子さんの例でいうと、昭和10年/1935年の段階でおよそ月収2000円はくだらない、という当時の記事を紹介し、雑誌の稿料が合わせて1000円ぐらいで、本の印税で得る収入はそれと同じ程度にすぎなかった、と言っています。直木賞の賞金が500円に設定された頃のハナシです。吉屋さんの月収はその4倍、どんだけ儲けてんだよ。

 「カネと文学」となれば、もちろん直木賞と芥川賞のハナシも欠かせません。できたときの賞金が500円。それは実際大した金額じゃなかった、文藝春秋社はこの賞で職業作家を増やしていけるという発想なんてなかった、と当時の資料を紹介しながら山本さんは語ります。

 多くは芥川賞のハナシです。一般的に文学研究者が文学というとき、まあ、直木賞を中心に語ることは稀なので、それはそれでいいんですけど、そんな山本さんがポロッと、直木賞に対する印象を表した文章があります。

 『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号に載った菊池寛さんの「審査は絶対公平」と佐佐木茂索さんの「委員として」に触れて、山本さんはこう続けます。

「そこには文学を職業とすることの困難さが浮びあがってくる。直木賞はともかく、芥川賞はぎりぎりの所に追い詰められた「純文学」の新人たちの、その場しのぎの救済策でしかなく、菊池たちもそれを自覚しており、受賞がその作家の経済的自立に直結するなどとは考えていなかったのである。」(『カネと文学 日本近代文学の経済史』より)

 大衆文芸の新人たちだって、うなるほどの仕事とカネに恵まれていたわけじゃなく、ぎりぎりの所に追い詰められた人もいたと思うんですが、どうして「直木賞はともかく」などと言うのか。大衆文芸界では、ちょっと出だした物書きなら、すぐに職業作家になれる土壌があったのかもしれません。

 まあでも、同人雑誌くんだりに好きで書いている連中より、大衆文芸で勝負して生活費を稼ごうとするほうが、よっぽど厳しい世界だったんじゃないでしょうか。あるいはそっちのほうが尊いとさえ思います。

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2022年12月18日 (日)

讃岐文学13号に載った小説にあやかって、1-3に賭けた新橋遊吉、2万2000円を手にする。

 毎年12月の風物詩といえば何でしょう。M-1か、有馬記念か。いやいや、やっぱり、直木賞の候補作発表です。

 ということで、ワタクシにとっての今年の12月は、すでに終わっちまいましたが、カレンダーはまだちょっと残っています。来年1月の決定まで、粛々と昔の直木賞について調べていくことにします。

 先週は黒川博行さんとマカオのことを取り上げました。たしかに直木賞には、その流れの一つとしてギャンブルとの関わりがあります。そしてギャンブルに付きものなのが、おカネです。

 黒川さんの受賞からさかのぼること約50年。昭和41年/1966年1月に直木賞を受賞したのが新橋遊吉さんです。我が人生すべてギャンブル、と言わんばかりに、32歳で直木賞という大穴を当ててしまいました。

 高校時代から競馬にハマった新橋さんは、病気をしたり、職をウロウロ変わったり、べつに大金持ちではありません。しかし競馬場がよいだけはやめられず、毎月4~5回は淀、仁川などに出没します。

 賭けるおカネは微々たるものです。奥さんの亀山玲子さんからもらうお小遣いで賄える程度で楽しみます。近所のあいだでは、新橋さん(というか本名、馬庭さん)といえや競馬好き、で名が通っていたらしいので、よっぽどの競馬狂です。

 新橋さんが、はじめての小説「八百長」を書いたのが昭和40年/1965年のことです。当時の経済水準を見てみますと、だいたいサラリーマンの年収が40万円をちょっと超えるくらい。月に直すと、だいたい4万円程度という時代です。当時、新橋さんは中小企業で旋盤工として働いていましたが、この会社は昭和40年/1965年暮に倒産してしまうほどの、なかなか景気のわるいところだったので、新橋さん自身が平均給与ほどもらえていたのか。それはわかりません。

 昭和40年/1965年12月25日、新橋さんは日本文学振興会から驚きの通知を受け取ります。「八百長」が直木賞の候補になった、という知らせです。

 他の候補には、立原正秋さんや青山光二さん、生島治郎さんなど、商業出版の世界で活躍中の名前もありました。いやあ、こりゃ絶対に受賞は無理やな。新橋さんがあきらめた気持ちはよくわかります。

 しかしです。ここで新橋さん、ギャンブラーの血が騒ぎます。戦前に絶対に勝つわけきゃないと思われた馬が、なんかのタイミングで勝ってしまうことがあるのが競馬の世界。よし、おれが受賞できるかどうか、いっちょ賭けたろうか、と。

 いや、そのときはまだ他の候補が誰かは知らなかったかもしれません。すみません。しかしともかく、はじめて書いて同人誌に載ったものの、べつに反響もなかったおれの作品が、まさか取れるとは思えない、と感じていたのはたしかなようです。

 知らせを聞いた次の日、12月26日は、その年の阪神競馬の最終日。全部で10レース行われます。新橋さんは、ボーナスの一部の1万円を手にとって競馬場に出かけますが、

「そして競馬場の門をくぐったとき、

「そうや競馬の小説が直木賞の候補になったのやから、候補になった同人雑誌の号数で吉か凶か賭けてみよう」

と思った。

(引用者注:「八百長」が載ったのが)讃岐文学13号だから、第一レースから①③を千円ずつ買って占うつもりであった。①③が的中すれば望みありというところである。

第一レースから第八レースまで①③は外れっぱなしだった。私の顔は自嘲に歪んだ。

「処女作品で直木賞を頂こうなんて図々しすぎるんやなァ」」(『新評』昭和51年/1976年7月号 新橋遊吉「小説「八百長」誕生記」より)

 1レース1000円ずつ賭けつづけて8戦全敗。そして9レース目がやってきます。阪神牝馬特別。その日のメインレースです。

 枠単(枠番連勝単式)で1-3ということは、1枠シードラゴン3番人気、3枠ニユウパワー5番人気。ええい、行ったれい、と1000円賭けたところ、これがズバリ大当たり。netkeiba.comのデータベースによると、1-3で1000円賭けたなら、払い戻しは2万2000円だったことになります。22倍です。

 やったあ、的中だ、これでおれも直木賞や。……と確信したんだとしたら、よっぽど頭のめでたい人です。

 新橋さんがそこまでイッちゃった人だったのかどうかは、判断の分かれるところですけど、ともかく大穴を引き当てても守りに入ることなく、賭けつづけてはスッてスッてスりまくるギャンブラー精神は、直木賞をとっても何ひとつ変わらなかった、とも伝えられています。

 直木賞の受賞賞金は10万円。何に使ったのかと問われ、新橋さんいわく、馬券を買っていっときは7倍ぐらいに増やしたが、競馬をやりつづけるうちにそれもけっきょくどこかに消えてしまった、とのことです。

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2022年12月11日 (日)

カジノで20~30万円使うとはどういうことか、黒川博行が記者会見と受賞作で示す。

 昔のことばかり書いていると、さすがに生きる気力がなくなってきます。なので今回は、少し新しめのハナシです。

 直木賞の賞金を何に使うか。あまりにどうでもいい話題すぎて、最近その手のことが取り上げられる機会はほとんどありません。ただ、新しめの時代で無理やり探すとするなら、第151回(平成26年/2014年・上半期)の黒川博行さんの賞金の使い道にぶち当たります。

 天下のWikipediaにも出ています。きっと受賞当時も注目されたんでしょう(っつっても8年ほど前のことですが)。受賞の記者会見で、賞金を何に使うかと問われた黒川さん、「とりあえずマカオへ行こうと思っています」と答えました。

 その後、ほんとにマカオに行って賞金を使ったのか。どこかのエッセイに載っているかもしれないので、ご存じの方がいたら教えてください。

 それはともかく、賞金の使い道はマカオに行く……だけだと、ちょっとインパクトに欠けます。具体的な金額が明らかではないからです。

 しかし、さすがはリアリティにうるさい黒川博行、会見の席では「マカオに行く」だけじゃなくて、きちんと金額についても触れていました。

 20万~30万円ぐらいは負けてもいい、というつもりで行く、のだそうです。

 ちなみに黒川さんは同じ会見で、ギャンブルに向かう姿勢についても語っています。昔はいくら稼いでやろうと思って高揚していた。だが最近では、20万~30万円ぐらいは負けてもいいかな、という気持ちで楽しんでいる、とのこと。直木賞の賞金が100万円というのは、20万~30万円負ける設定であれば、なるほど、ちょうどいい金額かもしれません。

 ただ、そもそもマカオに行ってギャンブルをするときの金額水準が、こちらにはよくわかりません。それが安いのか高いのか。

 その参考になるちょうどいい本があります。黒川さんの『破門』(平成26年/2014年1月・KADOKAWA刊)、このときの直木賞受賞作です。

 『破門』のなかには主人公の二宮&桑原コンビが、消えた映画プロデューサーを追ってマカオに飛ぶ場面があります。そこで、彼らがギャンブルにいくらつぎ込んだか。いくら儲けていくら損したのか。二人は何度かカジノに出入りしますが、最初につぎ込んだ金額が、これです。

「桑原は十万円、二宮は三万円をチップに替え、三十枚ほどをばらばらに張ると、桑原の“17”が当たった。

(引用者中略)

桑原は賭けつづけたが、三十分でチップがなくなり、また十万円をテーブルに放った。」(黒川博行・著『破門』より)

 貧乏がしみついている建設コンサルタントの二宮は、一晩で3万円、暴力団の桑原は合計20万円スッたと出てきます。

 その後、90万円勝ったとか、120万円負けたとか、もはや庶民感覚もクソもない金額になっていき、おカネの価値っていったい何なんだ、と目が点になる展開がつづいていくんですけど、それはともかくヤクザの桑原が最初の一晩で使ったおカネが、ちょうど20万円です。

 つまり黒川さんは、受賞作に出てくるその金額になぞらえて、作中の人物たちはそこからどんどんおカネを使っていって、金銭感覚が麻痺してくるギャンブル中毒の入口に差しかかるけど、おれはもうそこまでは行かずに引き返すよ、と言っているわけですね。

 いや、言っているんでしょうか。ギャンブラーの思考はよくわかりません。ただ、マカオのカジノで数夜を満喫するなら、とても20万~30万円では足りないことが、『破門』の記述でよくわかります。おカネの動きを描いた作品が直木賞を受賞して、その会見で賞金のハナシになったというのも何かの縁です。やはり黒川さんが、直木賞とおカネのテーマにふさわしい作家なのは間違いありません。

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2022年12月 4日 (日)

平成10年/1998年度、車谷長吉に返ってきた税金還付金は130万円。

 このまえ、高橋一清さんの『芥川賞直木賞秘話』(令和2年/2020年1月・青志社刊)にあった三好京三さんとその家のことを、少し取り上げました。まわりの人から「直木賞御殿だ」何だと言ってイジられていたとか。

 文学賞、おカネ、そして家。それぞれが何がしか関係しているような、関係していないような、似たもの同士です。

 この本では、三好さんだけじゃなく、受賞にまつわる「家」のハナシが紹介されている人がいます。車谷長吉さんです。

 車谷さんが受賞したのは平成10年/1998年上半期ですので、三好さんの受賞から20年以上たっています。その間に、日本の経済は大きな山あり深い谷あり。ぐいんぐいんと乱高下しながら、おカネに対する感覚も変わったはずですが、車谷さんも受賞後に、家を買おうか買うまいかという状況になったそうです。

 高橋順子さんの『夫・車谷長吉』(平成29年/2017年5月・文藝春秋刊)の「直木賞受賞・光と影」によると、そのころ検討した家は、千駄木4丁目の6Kが3000万円、千駄木5丁目3730万円、小日向2700万円(借地条件つき、地代が月3万円)といったところ。そして最終的には向丘8DKの2800万円の家を、終の住処で買うことに決めます。しかもガツンと現金払い。

 直木賞をとれたから、家を買えたのか。それとも、別に受賞しなくたって、そのぐらいのおカネは蓄えていたのか。よその家庭のカネ勘定はよくわからないところがありますけど、まがりなりにも高度経済成長期のときに大人になって、それからせっせと働いてきたご夫婦なら、そのぐらいの家を買うのはさほど難しいことではないのかもしれません。ほんとうに貧乏な人なら、まず高嶺の花、といった感があります。

 さて、税金のおハナシです。『夫・車谷長吉』には、直木賞を受賞した年の翌年、税務署から連絡が来たエピソードも書かれています。

「九月二十一日、長吉宛についに恐れていた税務署からの一報が届いた。「貴方に印税・原稿料のあることが判明しました」とある。脱税の目論見が外れた。

(引用者中略)

長吉は税務署で、なぜ申告をしなかったのか申し開きをさせられた。強迫神経症で何も分からなかった、死にたかった、失業して、嫁はんに小説書いてみたら、と言われて書いたところ、直木賞だった、と答えたそうだ。もっとも税務署の人は直木賞が何かを知らなかったそうだ。いくら税金を納めねばならないか怯えていたところ、すでに源泉徴収されていたので、なんと一三〇万円ほど還付されることになった。」(高橋順子・著『夫・車谷長吉』所収「終の住処」より)

 130万円も還付金があったとは。まさに「なんと」です。

 直木賞に冠された直木三十五さんといえば、貧乏、借金でも有名ですけど、もうひとつ有名なのが、税務署とのケンカです。税務署は、あなたは申告よりもっとたくさん稼いだはずだ、だから税金を納めろという。本人は、いや、それは稼ぎじゃないから払わんと突っぱねる。物書きとして売れれば売れるほど、おカネとはつまり税金のハナシになっていくのが、直木賞界にとってのあるあるでしょうが、車谷さんの場合は(少なくとも受賞の年度は)その逆だった、というのです。

 何年も売れっ子作家として活躍したわけじゃなし、直木賞一個とったぐらいじゃ、別にそこまで税金におびえる必要はない、というハナシなんでしょう。……と、言いたいところですが、作家と税の問題については、もっとくわしい人が世のなかにはたくさんいるはずです。だれか解説してください。

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