借金2億円を返済するために小説を書こうと決意した、と語った山本一力。
直木賞とおカネ、といって、このテーマにテッパンな受賞者が何人かいます。
まえに取り上げた佐藤愛子さんもそうですが、やはり直木賞には借金がよく似合う。まあ、なんつったって直木三十五さんの賞ですからね。そりゃそうです。
ということで21世紀に入ってすぐ、第126回(平成13年/2001年・下半期)に山本一力さんが受賞しましたが、直木賞=おカネ=借金、の系譜ここにありをはっきり示してくれる大きな出来事でした。
小さいころから人に愛され、人を愛するアクティブなお人柄。日本の経済社会が上を上をと目指して活気づく、そんな時代に成長し、社会に出ます。
あくせく働き、生活の安定と向上のために必死でおカネを稼ぐ。と同時に、経済至上の風潮に虚しさを感じて、豊かなこころを持ちたいと願う。……というのは、だいたいお決まりの展開ですが、山本さんも例にもれず、おカネの世界と、それだけでは図れない世界、それぞれに関心を抱いて年齢を重ねます。
山本さんが数多く残しているエッセイやインタビュー等によれば、借金まみれ(?)へのきっかけが訪れたのは、平成2年/1990年。42歳のときです。逆にいうと、それまでの山本さんは、二度の結婚、二度の離婚、女性に対して誠実さを欠いたことはあっても、金銭のことで大きな穴が開いたわけではありません。貧乏ではあったでしょうが、そこそこ普通の経済生活を送っていたらしいです。
それが平成2年/1990年、雑誌の企画で自転車を特集することになり、その制作を請け負っていた山本さんが、だれかビジュアルのモデルになる人はいないかと思っていたところ、たまたま街で見かけたのが、三度目の妻になる英利子さん。どうにか実家・親戚の反対を押し切って、平成3年/1991年に結婚にこぎつけますが、そこでぶちあたったのが、英利子さんの実家で起こっていた相続争いです。
実家は東京・銀座にあった五十坪の酒屋です。英利子さんの父親がそこの店主でしたが、他界したことで親戚間に相続問題が勃発。英利子さん家族は17億円を、亡父の姉妹たちに支払わなければならなくなります。
17億円。もうこの金額が、とてつもありません。
とんでもない巨額をノンバンクから借り入れざるを得なくなったのは、何も山本さんに才覚がなかったからではなく、むろん新妻の実家のせいでもないんですが、これが山本さんが最終的に抱えた2億円の借金の発端でした。
平成4年/1992年、山本さんは「ほりはたビデオツインズ」という会社をつくって、ビデオを制作・販売することになります。しかし、わずか2年ほどで商売が失敗。会社設立と継続のために借りたおカネが、おおよそ2億円。サラリーマンの生活に戻りますが、とてもその給料では賄えない。どうやって返したらいいのか。よし、小説を書いてベストセラーを叩き出し、返済に当てよう! ……という思いに至って、根をつめること2か月ほど。完成したのが、第1回小説新潮新人賞(第2回以降「小説新潮長編新人賞」と改称)の最終候補にまで残った「大川わたり」です。それから2年後には、第77回オール讀物新人賞を受賞します。平成9年/1997年のことです。
「しかし家計はこの3年(引用者注:平成11年/1999年から直木賞受賞まで)、いつも火の車だった。マンションの家賃は滞りがち、社会保険料も払えない。何度もサラ金の世話になった。この間、シングルで働く妹は「側面から力になることが私の仕事だ」と数百万円もの援助をしている。英利子も一時はパートに出た。しかし「中途半端な金を稼ぐより、家の中の大事なことをしてほしい」という山本に応えた。買い物上手で値切り上手の彼女は、1日千円の予算で夫と子どもたちに手作りの料理を腹いっぱいに食べさせる。」(『AERA』平成14年/2002年7月15日号「現代の肖像 小説家・山本一力 下町を走る少年」より―執筆:沢部ひとみ)
涙ぐましい夢みる極貧生活。日本の社会もバブルがはじけて、借金を抱える人が特別ではなくなった時代です。
小説を書き始めたのが46歳から。その動機が、仕事でつくった借金を返すため。ということで、直木賞をとってから山本さんは一躍、「下降ぎみの日本人に勇気を与える」存在として多くのメディアに取り上げられましたが、そういうハナシを、10年ぐらい前にうちのブログでも書きました。やはりおカネのことは、世間の耳目を集める強烈なインパクトがあるんですね。
それでも、佐藤愛子さんしかり山本一力さんしかり、直木三十五さんの借金と明らかに違うのは、自分自身の自堕落な欲望でふくれ上がったものではなく、主に連れ合い・家族のためにできた負債、ということでしょう。そこで一発逆転、直木賞を受賞してプラスに転じるから、両者の受賞は美しいわけです。
直木賞の賞金は100万円。山本さんが具体的に何に使ったかはわかりませんが、受賞直後、記念として家族で囲める鉄板つきのテーブルを買ったそうです。
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